第67話 傷痕
「なーるほどねぇ~」
ブリギッドはしきりに「なるほどなるほど」と繰り返して、テーブルの周りをぐるぐる回っていた。
唇に指を当てて思案げに頭を振る姿を、俺はしばらく見守る。
ディーネの癒えない傷について話すと、ブリギッドは「“診察”しましょ」と言って二人で、隣の部屋にこもった。
ときどきもれ聞こえる女子二人の声を背に、俺は落ちつかなく待っていた。
“傷”のことはずっと頭から離れなかった。
ディーネが俺の前で、傷のことを気にそぶりは一切見せなかったけど。
今日までずっと、肩から胸を隠していたから。
「気づいてたんだ」
ディーネは顔を伏せて言った。
「黙っててごめんなさい……かな」
肩にかけたショールをきゅっと握留守型に、胸が締めつけられる。
口に出せば俺が気に病むと考えていたのだろう。
もちろん俺は気に病んでいる。
彼女の美しい肌に、醜い傷をつけたのは俺なのだから。
王都で治癒師や治癒の魔法具を探すつもりではあったけれど、こうしてブリギッドと知り合うことができた。
“聖女”である彼女なら、ディーネの傷を完全に癒すことができるかもしれない。
期待する一方で、俺の中にも消えることのないしこりがあった。
精霊を殺し仲間を傷つけた、自分の力への疑問。
……。
「それで、治せそうかな」
ブリギッドがあんまりにもぐるぐる回っているので、我慢できずに声をかけた。
「治るよ」
聖女は言ってまたぐるっと一回り。
俺の前でぴたりと止まって顔を上げると。
「ちょっと、骨が折れるけどね」
そう言ってにっこり、女神のような笑顔を浮かべたけれど。
俺はほんの一瞬彼女が見せた、虚ろな表情を見逃さなかった。
□□□
ブリギッドは折りを見て屋敷を訪れ、ディーネの治療をしてくれると言った。
「あの、本当に暇なときでいいので」
忙しいだろうから、と申し訳なさそうなディーネに。
「だーいじょうぶ。私、元気と聖力はあり余ってるから」
ブリギッドはそう答えて、ディーネの肩を抱いた。
「こんなに可愛くて綺麗なのに、そんな傷あるのもったいないよ」
ぎゅ~と抱きしめられると、ディーネはぽっと頬を染めて慌てている。
「私がしっかり治してあげるからね」
それに、とブリギッドはディーネの耳元に口を寄せて何か耳打ちする。
「……るに……て……しょ?」
「~~!」
とたんディーネは真っ赤になって、ぶるぶると首を振る。
その姿に聖女はけらけら笑って。
……これは俺が口を挟んでいい場面じゃない気がする。
なんにせよ、二人の美少女が体を寄せ合っている様子は何とも艶めかしい。
いつしか辺りには花のような、心地よい香りが広がっていた。
□□□
食卓が片づくと、ブリギッドはすぐに支度を整えた。
名残惜しそうにしながらも切り替えは早くて、そんなさばさばした態度も見ていて気持ちがいい。
外に馬車が準備されて、俺たちはみんなで見送りに出た。
「そろそろ庭どうにかしたほうがいいよ」
ブリギッドは荒れた庭を見て、おそらく誰もが思っていたことを口にした。
「本当に“王”になるつもりなら、自分ちの見栄えくらい整えないと」
「そうですね」
隣りのアイリーン王女がうなずいて。
「長く目くらましのつもりでしたが、そろそろ動きだしてよい頃かもしれませんね」
伸びた夏草に向ける王女の瞳が、刃のように鋭く光る。
「ねえ、お姉ちゃん」
ブリギッドはそんな姉を見てぽつりと。
「頑張ってね」
つとめて抑えた声音には、いたわり以上の何かが込められていて。
「もちろんですよ」
アイリーン王女は妹に向けて穏やかに微笑んだ。
この一瞬だけ王女が、ただの“お姉ちゃん”に戻ったみたいだった。
「それじゃね~」
手を振ってブリギッドは馬車に乗り込む。
イアはもちろんエリィも顔を出して別れを惜しんだ。
「お気をつけて」
ファーガスが言うと、ブリギッドは頬をぷくぷくと膨らませて赤くなった。
なにか言いたそうで我慢しているのが彼女らしくなくて。
「……構いませんよ」
ファーガスは諦めたように言う。
アイリーン王女は斜めに顔を傾けていた。
聖力があふれ出るみたいに、ブリギッドの顔がパッと輝いて。
「それじゃあね、パパ!」
馬車から身を乗り出して、ファーガスに向かって激しく腕を振る。
「今度デートしようね! お手当てとかいらないから!」
そう言って投げキスなんかする妹を見て、すぐ調子に乗る……と姉王女が頭を痛めていた。
お手当てってなんだろう、聖女へのお布施だろうか?
世の中には知らないことがたくさんある。
アイリーン王女は妹の姿が見えなくなるまで手を小さく振り続けていた。
半身が離れていくような寂しさが伝わってきて。
王女の内面を推し量るなんておこがましいけれど。
彼女はきっと、心から妹を愛していた。