第68話 夏が盛る
マーヤの礼儀作法講義を受けて、夕刻には王女に同伴し夜会に出る。
堅苦しい作法を身につけるのは気が重いけど。
「特別なことはありません。失礼のないように振る舞えばよいのです」
子供に諭すようにマーヤは言った。
「主催者やお客様方と話をする必要はありません。従者としてただ影のように主に寄り添い、また壁の華となって周囲に気を配り、主を危険から守ってください。それが仕事です」
それからちくりと刺すように。
「席では食事が振る舞われますが、くれぐれもつまみ食いなどなさらないよう」
誰のことを言っているのかは丸わかりだけども、当人は部屋の隅で俺たちをにこにこ見守っていた。
仕事中、イアはしっかり中にしまっておこう。
出発のしばらく前に王女に呼ばれて、俺は本館に一人で向かった。
当然ファーガスの話が脳裏をよぎって、緊張が走る。
まさかとは思うけど、仮に王女が俺にまで迫って来たとしたら。
一瞬、頭の中に王女の裸体が象られて。
──
ぶんぶんと首を振って妄想を振り切る。
ディーネを裏切るわけにはいかない!
燃え上がる責任感を胸に、応接間の扉をノックする。
返事を待って部屋に入ると、ソファに王女が腰かけ隣にマーヤが控えていた。
そして二人の前のテーブルには、横長の箱が置かれていた。
「昨夜の戦い、見事でした」
俺を前に座らせると王女は言った。
「あの刺客を相手に互角に打ち合う力、やはり私の見立てに間違いはありませんでした」
王女はそう俺を高く評価してくれた。
嬉しくはあるけど煮え切らない思いもあって。
実際に戦った感覚で、俺は力でも技でもあの刺客に及んでいなかった。
イアからたっぷり力をもらっていたのに。
「そうでしょうか」
けれど王女は意外にも首を傾げて。
「私には、ほとんど差は見受けられませんでしたよ」
まるで熟練の戦士みたいに、あの戦いを分析していた。
まず刺客がこちらの手の内を把握していたことが一つ。
そしてもっと根本的な──武器の差。
「申し訳ないと思っています」
王女は悔やむように息をついた。
「多少なりともあなたを試す気持ちがありました。本当に竜精を宿すにふさわしい戦士なのか……ディニムから報告は受けていたというのに」
マーヤに促し、王女は目の前の箱を開かせる。
「最初から渡していればよかった」
重厚なきしみとともに蓋が上がると。
そこには鞘に収められた、一振りの剣が収められていた。
「──」
その鞘は夕陽のように赤く、そして黄金のように輝いていて。
戦士であれば誰でも息を呑む。
そこに秘められた、深遠な力に。
「“黄昏の陽”。王族が受け継ぐ秘宝の一つです」
聖炎の属性を持つ宝剣は竜の力とも相性がいいはずだと、王女は言った。
「これは私からの、評価と信頼の証です。受け取っていただけますか?」
拒否するいわれがどこにあるだろう。
竜の力を存分に発揮できる武器。
俺が何よりも求めていたもの。
恭しく膝をつき震える手で宝剣を拝領すると、胸が痛いくらいに高鳴る。
現金なものだと思うけれど、内の興奮が抑えられなかった。
最高ランクの冒険者でも、これほどの宝を得たものがいるかどうか。
宝剣の鞘が威光のせいで、余計に眩しく見えた。
この剣を使いこなし、あの刺客を、そして王女の“敵”を打ち倒す。
それこそが王女からの信頼への応えであり、俺に力をくれるイアへの恩返しにもなるはずだ。
なにはともあれ、早くこの剣を抜いてみたい。
「裏庭は今朝から整備を命じてあります。ご自由に使ってかまいません」
俺の心を見透かしたように、屋敷を壊さないでくださいねと、王女は言って。
そして頬が緩みそうになり慌てて表情を引き締める俺を見て、くすりと笑っていた。
「カイル・ノエ」
礼を言って部屋を後にするとき、王女はもう一度俺に声をかけた。
「期待していますよ」
瞳が妖しく赤光りして、俺は臣下のように背筋を正して頭を下げた。
王女はすでに屋敷地下の魔法工房も開放してくれていた。
貴重な魔法文献や魔法具を前に、ディーネは目を輝かせていて。
きっと今も工房にこもって、魔法の実験をしていることだろう。
俺のほうは宝剣を頂いてほくほくした気持ちになって、別棟に戻る足取りも軽かったけど。
外廊に出たところで、ふと足が止まった。
「……」
まるで従順に飼いならされた犬みたいな気分だった。
部屋に入る前まで、俺にはファーガスとの関係を王女に問いただす腹づもりがあった。
答えはもらえなくてもいい。
けれど曖昧な態度には苛立ちもあったし、少しくらい王女を戸惑わせたいなんて浅ましい気持ちもあって。
結果はこれだ。
昨夜の戦いを評価してもらい、ご褒美の剣を頂いていい気分になって、貰った分しっかり働こうと思ったりして。
王女の手のひらで転がされていた。
まるで“分をわきまえろ”とくぎを刺さすみたいに。
“言われた仕事だけこなしていればいい”と突き放すみたいに。
“それ以上は踏み込むな”と、圧力をかけるみたいに。
……。
裏庭から応接間を覗くことはできない。
内側から打ちつけられた板は“外”からの視線を完全に遮断していた。
□□□
一日一日王都は夏になっていった。
気温が高まり草いきれの香りがそこらじゅうに漂って、それとともに街の空気も変化していった。
祝祭の日が近づくにつれ、街のあちこちで特別な装いが施されていた。
大通りには足場が組まれて、道具を振るう職人たちの声が昼夜を問わず収まらなくて。
道を行く人たちもみんな、どこかそわそわしているようだった。
その落ち着かなさは街の隅々におよんで、通りを歩いて何気なく振り返ると、そこがもう自分の知らない場所に思えた。
まるで王都が、街ごと別の世界にずれていっているような。
そんな気分だった。
屋敷に現われる幽精たちの姿も、日に日にくっきり見えるようになった。
ブリギッドの言いつけでディーネには近づかないようにしているせいか、彼らは結構な頻度で夜中俺を訪ねて来る。
直接言葉は交わせないけど、イアが間に入って通訳してくれた。
「“開きそう”なんだって」
イアは巫女のように、彼らの言葉をそのまま繰り返した。
「もうすぐ、いよいよ、ようやく──“扉が開く”んだって」




