第60話 幽霊屋敷(邪)
日暮れ前に屋敷に戻ると、半日浴びた街の空気に疲労が溜まって俺はベッドでうつらうつらした。
イアはまだまだ元気な様子で、姿見の前でアイドルの歌と踊りを練習していた。
短い腕をふりふりさせて、まるで海の生き物みたいだ。
目を閉じると百貨店で見た冒険者たちがまぶたの裏に浮かぶ。
女性たちはみんな美人で胸も大きくて太ももが柔らかそうで……。
ごまかしはしたけど、やっぱりディーネには見透かされていたんだろう。
そりゃあ俺も男ですから。
……。
別に彼らを否定したいわけじゃない。
お金を稼ぐのも名前を売るのも、冒険者には大事なことだ。
金が無ければ何もできないし、名前が知られれば仕事も入りやすい。
実力を発揮できるのはその後だ。
そう、このもやもやは俺が状況に慣れていないからだ。
王都の冒険者たちのやり方が俺の知るものとは違っている、ただそれだけの話。
……。
そういえば、“聖女さま”。
見物がてら教えられた教会に行ってみたけど、結局姿は見られなかった。
“静かで落ち着ける”と聞いていたわりに教会には人だかりができていて、司祭が今日は会えないと言っても門前の階段に居座って縋りつくように頭を垂れて。
みんな聖女に救いを求めていたのだろうか。
不思議な場所だった。
お金や肩書き、人気を求める俗な人々で溢れている一方で、幽精だったり奇跡を為す聖女だったり、“幻想”が根強く生きている。
むしろ俗が目立つだけに、それらはより強く訴えかけてくる。
まるで強い光に濃くなる闇のように。
その中心に王女がいる。
うらびれた屋敷に少ない世話人とともに暮らす、得体の知れない雇い主。
神託を受けて王の資格を得るなんて突拍子もないことを、真面目な顔で言い放った。
彼女の人物像をまだつかめていないし、彼女の言葉も信用しきれていない。
俺たちを護衛に呼んだ理由さえ本当かどうか。
それに騎士団長こと、ディニム・グレイオール。
ロンゴードを発った日以来会っていない。
もう王都に入っているのか、それとも別の任務でも任されているのか。
本当、分からないことが多すぎる。
“異界”。
昨夜マーヤが何気なく口にした一言が、耳の横で響いた。
□□□
気だるいまま夕食をとって、入浴をしてまたベッドに寝転ぶと、たちまち睡魔に襲われた。
“疲れたようだな”と食卓でファーガスに言われたけど、彼のほうもなんだか肌が荒れて見えた。
屋敷で王女の相手をしていたようで、あのつかみどころのなさにはさすがの“盾”も辟易したのだろうか。
まぶたが落ちる一方で上階が少々騒がしい。
イアがエリィと一緒に、振付けの練習をしてステップを踏んでいる。
どうやらエリィも“あいどる”に興味惹かれたみたいで、二人仲良く歌ったり踊ったり。
あの二人ならきっと当代きっての人気アイドルに……なんて。
親バカってこういう感じなのだろうか。
音程を外したイアの歌声に、ディーネの笑い声が交じる。
聞いていると心が癒されていき、体の力が抜けて自然と俺は眠りへと導かれる。
幽精たちは今夜どのあたりに出没するだろう。
できればディーネをおどかさないであげて欲しい。
そう思って、真っ暗。
……
…………
………………
バタン、と窓の木板が内側に勢いよく跳ねて、体はすぐには起き上がらず俺はベッドに寝そべったまま頭だけを傾けた。
窓枠にちろちろと落ちる影を見て、“今日はここか”なんて思って。
「やあ」
そこにいるはずの幽精に声をかける。
王都に満ちていく“力”に誘われてかたちを得る異界のものたち。
ディーネはえらく苦手にしていたけど、俺はあまり気にならない。
彼らのような存在がそばにいると、むしろ安堵してしまう。
子どものころ村の老人たちから様々な“目に見えない存在”について教えられてきたし、冒険者となってからずっと精霊と一緒にいたこともあるだろう。
俗っぽい王都の空気にやられていたせいもあるかもしれない。
なんにせよ俺にとって、“異界のものたち”は親しい存在だった。
もしかすると、人間以上に。
目を閉じてまた眠ろうとするけど、窓から入りこんだ空気で体が冷えたのか肩が重い。
気づくとイアが背中に体を押しつけて、小刻みな震えが伝わってきた。
「どうかしたか」
力の抜けた声をかけると。
「カイル、いるよ」
小さな声でイアは答えた。
「ああ、いるな」
幽精が彷徨っている。
同じ精霊だからイアは平気なはずだ。
「カイル、ほんものだよ」
どうしてかイアは片言で。
それに“ほんもの”って。
「そりゃあ、ほんものだろう」
普段は目に映らないだけで、彼らは確かにそこにいる。
……ずっと地下で息を潜めていた呪術祭司や、蛇の王のように。
「そうじゃ、なくて」
イアは頭を俺の背中にぴったりつける。
まるで窓際にいる“異界のもの”を怖がっているみたいに。
何かおかしいと思って、再び重い目蓋を上げる。
窓のあたりが月明かりでうすぼんやりと霞んで見えて。
その縁に、白く細いものがいくつか乗っかっていた。
やっぱり幽精じゃないかと思うけど、イアを宥めるため俺は体を起こして窓に体を近づける。
光のおかげで眼は薄闇にすぐ慣れていく。
窓の縁の白いものが、その輪郭をはっきりと映し出して。
……はっきりと。
それは人の指のように見えた。
正確には、人の指を形作っているもの。
迷宮に潜れば、高い確率で目にするはずのもの。
──白骨。
人間の指の骨。
かくん、と指が乾いた音をたてる。
指の先には太い骨がつながって、窓の外から手を伸ばしているようだった。
岩壁の表面が剥がれていくような音が窓の外で鳴って、白骨が上下に動き始める。
俺は口を開けたままぽかんとその様子を眺めていた。
白骨の指が今は十本見えていて、それは間違いなく──
「カイル」
小さな手で俺にしがみつくイアを、腕で抱える。
予感を通り越してようやく確信がやって来た。
まったくディーネの言うとおり、俺はそうとう鈍感みたいだ。
指の骨が窓の縁を強く掴み、外にあるものを引き寄せている。
乾いた音を絶えず鳴り響かせて。
骨しかないのに、波打つ筋肉が見えるようで。
──
窓板が、外から入ってきたものに突き破られる。
光の塊のように錯覚したその球体。
空洞になった目と口から、月灯りが差し込んでいた。
「ディーネ、ファーガス!」
そのガイコツと目が合った瞬間、俺は叫んで跳ね起きた。