第57話 異界のもの
「お姉ちゃんの声でイア飛び起きたんだよ!」
頬をパンで膨らませてイア大げさな身振りをして。
「ごめんね……」
ディーネは恥ずかしそうに俯いて食事を口に運んでいた。
「部屋が揺れて地震かと思ったよ」
「もう、言わないでください」
にこやかなファーガスに、ますます赤くなってしまう。
「申し訳ありません、お伝えしておくべきでした」
マーヤは食卓に水を注いで回っている。
「冒険者の皆さまなら、“異形”の類にも慣れておられるかと」
「そんなわけないですよ……」
ディーネは首を振ってため息をもらした。
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「彼らは“幽精”です。精霊の一種ですね」
廊下に現われた白い光について、マーヤは教えてくれた。
夜回りをしていた彼女が背後からかけた声で、ディーネが失神してしまって。
俺たちはひとまず二階の部屋に入った。
「王都周辺にはひときわ強い霊脈が通じています。春ごろから力を高めていき、初夏の祭祀において最高潮に達するそうです」
アイリーン王女が話していたと、マーヤは言った。
霊脈の力が高まると、現世と異界との境が曖昧になる。
本来異界にしか存在できないものたちが、この世界に流れ出るのだという。
「己れでは実体化できないほど弱々しい存在ですが、高まる力に誘われてこの時期姿が見えるようになるのだと、主からは聞いております」
文書を読み上げるみたいにマーヤは淡々と言って。
「力も悪意も無いので、気にする必要はありませんよ」
ちょっと音を立てたりつきまとったりすることはありますが、とにっこり微笑んだ。
寝台に横になったディーネが、うなされるように首を振っていた。
俺はディーネと部屋を交換して一夜を過ごした(日によって幽精の出る場所は変わるらしい)。
ときどき廊下で音がしたけど、特に何も起こらず俺はいつの間にか眠ってしまって寝覚めも良くて。
「カイルって鈍感ね」と今朝ディーネに呆れられた。
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“幽霊”の正体が判明して一応は落ち着いたけど、慣れるまでには時間がかかりそうだ。
「イアは全然平気だよ!」
元気よくアピールする竜精。
「そりゃお前も精霊だからな」
精霊たちにとって幽精は仲間であり、“幽霊”とは明確に区別があるようだった。
「無害なのはわかるけど、しばらく慣れそうにないかな」
ディーネはやっぱり不安げで。
「どうしても嫌なら外に宿をとろう。落ち着かないと仕事にも支障が出るだろう」
ファーガスの提案に、ディーネは慌てて首を振る。
「それは流石に……。冒険者として依頼を受けたんだから、これくらいは受けいれないと」
「ご負担をおかけいたしますが、できればそうしていただけると。事情が事情ですので、内密に事を運びたいのです」
そう言って頭を下げるマーヤに、ディーネはぎこちない笑顔をつくっていた。
仕事までは間があって、しばらくは自由に過ごしてほしいとのことだった。
「必要なものはこちらで手配いたしますし、街を見て回るのもよろしいでしょう」
話しながらマーヤはあっという間に食卓を片づけてしまう。
「二人で出かけたらどうだ。私は護衛として屋敷に残ろう」
ファーガスが申し出る。
少し疲れているようにも見えたし、もしかしたら気をつかってくれたのかもしれない。
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街を見ると言っても、王都はとにかく広くて全域は回れない。
俺たちはまた馬車に揺られて、王都南東の“職人区”に向かった。
武具店や鍛冶工房、冒険者組合などが固まっていて、剣を探すのに加えて王都の冒険者たちも見てみたかった。
「おっきいね~」
イアは馬車から街の様子を眺めている。
昨日はすぐに目を回してしまったけどさすがは竜精、街の喧騒にも慣れてきたみたいで。
大きな建物や通り過ぎる人の群れを見送っていた。
「エリィはどう?」
ディーネに訊くと、王都に入ってから外に出てきたがらないようだった。
「やっぱり人の多さが堪えるみたい」
宿主と二人きりの時には顔を出しもするようだけど。
「せっかく王都に来たんだし、可愛い服とか見つかれば着せてあげたいんだけどね」
そう言ってディーネは愛おしそうに胸をさすった。
職人区の端で馬車を降りた。
北に商業区、東に教会がある聖堂区と隣接していて、商人や聖職者、そして冒険者とおぼしき者たちが行き交って騒がしい。
ロンゴード以上にみな煌びやかで、懐にも余裕がありそうだ。
「羽振りがいいみたいだ」
かつて活動していた“西”と比べると天地の差がある。
“西”は冒険者も市井の人々もみんな貧しくて、厳しい生活を強いられていた。
同じ大陸でも地域によってこれほど違うなんて。
「ねえ、あそこ」
ディーネが指さした方を見ると目が丸くなる。
見上げるほどに高い建物は、一棟の中に武具店や魔術具店に宝飾店までもが入る百貨店だった。
ロンゴードにも似たものはあったけど、王都のそれはけた違いの規模で。
「……ちょっと入りづらいな」
店前の華やかな装飾を見ただけで場違いに思えてくる。
俺は職人が個人で構える、昔ながらの工房が好きだ。
「行きましょうよ、これだけ大きければ目当てのものだって見つかるかもだし」
ディーネの方は胸を躍らせて入りたくてしょうがないみたいで。
「イアも入りたい!」
今にも駆けだしそうにうずうずして、イアが体を押しつけてくる。
二人のキラキラ女子に左右から腕をとられると、俺にあらがえるはずもなく。
無理やり陽の光を浴びせられる思いで建物の正面に立つと、中から人々の歓声が聞こえてきた。




