第53話 幽霊屋敷
王都の果てしない喧騒に落ちつく暇もなかった。
通りを一本渡るたびに、めまいがするような高層建築やモノに溢れた大店舗が現われて。
最初のうちこそあれはなんだろうってディーネと言い合っていたけど、そのうちに驚き疲れてくると何でもよくなって、凄いね綺麗だねと感想が雑になっていった。
中心に近づくにつれて商業施設は姿を消し、代わりに貴族の邸宅が姿を見せた。
高い塀に囲まれた広い敷地には豪奢な屋敷が建って、権威を見せつけるように使用人や警備の兵がたむろしていて。
領地の荘園邸宅と比べれば小ぶりなのだろうけど、庶民の俺には違いなんて分からない。
これから訪ねる“王女の館”もさぞ壮麗な建物なのだろうと、当然のように俺は想像していた。
人生で足を踏み入れる機会なんて皆無だと思っていた、貴族の邸宅。
それも王家の血筋に連なる貴人の家を訪ねることになるなんて。
内心では結構わくわくしていたけれど。
「そろそろで」
御者が言ったとき、俺の頭は“王都疲れ”でぼんやりして周囲の様子に気づいていなくて。
「……ここはどこだ?」
間抜けな言葉が出てしまった。
窓の外に見えるのは黄金の街並みではなく、緑生い茂る森林。
鳥の声もそこそこに静寂が広がって。
足もとはぬかるんだ土の道が伸びて、俺たち以外人の気配もなかった。
「中心街からはずいぶん離れちゃったけど……」
ディーネも不安げに視線を揺らしている。
彼女も王都のど真ん中に鎮座する大邸宅を想像していたのだろう。
落ち着かない俺たちをよそに、馬車は歪んだ道を進んでいった。
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「ここが王女さまのおうち?」
馬車が止まると、イアが顔出して首を傾げた。
「そう……みたいだな」
俺もにわかには信じられなかった。
目の前には崩れかけた鉄門があって、ひび割れた塀を蔦草が一面覆っていた。
門の向こうには古びて頽れた建物が浮かびあがり、半分開いた突き出し窓の縁に黒い鳥が留まっている。
見るからに荒れ果てた光景に、背筋をぞくりと走るものがあって。
“幽霊屋敷”。
そんな言葉が頭を過った。
御者が鈴を鳴らすと、ずいぶん時間を置いて腰の曲がった老婆が姿を見せた。
手入れされずに伸び放題の草をおっくそうにかき分けて、のろのろ門前までやってくる。
御者と目を交わすと老婆は門越しに馬車の中を覗きこんで。
「そのお方たち?」
「あい」
御者の返事にうなずくと、震える手で門を鍵を開けた。
錆びついた鉄門には葉っぱのような飾りがあったけど、周囲の壁と同じように劣化していて片方は根元から折れていた。
「……ちょっと想像と違ったかな」
ぽつりとディーネが洩らす。
屋敷までの道には鬱蒼とした雑草に覆われて、いまにも幽霊が出てきそうだ。
「王女さまの家、なんかみすぼらしいね!」
誰もが思っていたことをイアが口に出して。
「こらっ」
「ふわぁ~」
きっちりしつけをしておく。
世の中には思っても言ってはいけないことがあるんだ。
ときどき車輪に草が絡まって車が止まる。
割れた石畳に車体が絶えず上下に揺れて、尻が座席から浮いて。
ついに道の途中でびくとも動かなくなり、ここからは徒歩で、と御者に促された。
まだ屋敷までは距離があった。
外に出るとどんより湿った空気が体を包む。
初夏らしい気持ちの良い風なんてどこにも吹いてなくて。
かすかな期待もすっかり消えうせてしまった。
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表玄関の戸が開き、屋敷と同じくらいくたびれた女の使用人が迎えた。
「主が奥でお待ちです」
暗く青ざめた表情に一瞬幽霊を疑ってしまう。
使用人だけじゃない。
錆びや埃にまみれた調度品も、壁の隅にかかる蜘蛛の巣も、何もかもが“幽霊屋敷感”を醸し出している。
「……とても、趣があるな」
遅れてやってきたファーガスも、屋敷の様子に驚いた様子で。
「王女殿下以外にご家族は……」
「いえ、我々使用人だけです」
冷たい声で答えて、使用人は先頭に立って歩き出した。
屋敷の雰囲気のせいか、廊下を歩く間に誰も一言も発しなかった。
イアも俺の脚に引っついて周囲をおどおど見回している。
本当に幽霊なんじゃないだろうか。
本気でそう思いかけていた。
強い無念を残した王族が霊となって。
何らかの願いをディニムに託し、“王家の騎士”たる彼は主の悲願の実現のため俺たちを呼んだ……みたいな。
そんな妄想をしているうちにひときわ大きな扉が現われる。
「くれぐれも失礼のないよう」
使用人がノブを回すと、小人が挟まれいるかのような奇怪な音をたてて扉が開いた。
中は応接間みたいで、綺麗に整えられてはいたけど古びた家具や調度品が雰囲気を落としていた。
窓には板が打たれてまるで牢獄のようでもあって。
弱々しい魔法照明が部屋をむしろ不気味に見せていた。
そして。
中央のソファには女性が一人腰かけていた。
俺たちが中に入ると彼女は顔を上げ、それから首を小さく傾けて微笑んだ。
「ようこそ、お待ちしておりました」
その“声”には力があった。
俺ははっとして居住まいを正す。
「急な呼びだしに応えて下さり、感謝しております」
血のように紅い瞳が、薄暗い部屋に瞬く。
「私は先王の長女アイリーン」
王女の名乗りに答えるように、照明が輝きを増して。
幻想的な光の中に、彼女の美貌が浮かび上がった。
「アイリーン=ミレーシア・レスターンです」
まるで霊気が放たれているかのようだった。
温かくて、眩しい。
暗闇を照らしだす陽光のように、王女の体が輝いて見えた。
彼女のまとう緑のドレスが光の中で艶やかに映えて。
その後しばらく、俺の頭にくっきりと焼きついた。