第52話 王都へ
翌日も早朝に出発して街道を南下する。
人通りは故郷の村からロンゴードに向かったときの比ではなくて、警備の兵も多く魔物の気配なんてまったく感じられない。
「フィオネがね、なんだかぽぅっとしてるの。昨日ずっとファーガスさんと一緒に乗ってたから、何かあったのかなって聞いてみたら、『違います』って顔赤くして」
ディーネはじつに微笑ましそうだった。
「ファーガスさんに惹かれるのはわかるもんね。フィオネはいつも私のお世話ばかりで出会いとかなかっただろうし……なんかいいなって」
耳を傾けながらも、視線は自然と彼女の胸元にいく。
普段装いの外套が、胸から肩にかけて傷痕を覆い隠していた。
……。
傷を焼いた時のことはよく覚えている。
ローブの下の白くて滑らかな肌に目を奪われて、その上を真っ赤な血が染めていって。
何かから逃げるように、俺は彼女の美しい身体に剣を押しあてた。
「それでね──」
ディーネはこちらを向いてきょとんとした。
俺の顔と、俺の視線の先にあるものとを交互に見る。
夏が近づいて薄くなった内着は、彼女の思いのほか深い谷間を露わにしていて。
ディーネは何も言わずに外套を引いて胸を隠した。
「あ……」
あわてて横を向く。
これじゃあ彼女の胸をチラ見していたみたいじゃないか。
いや見てはいたんだけど、スケベ心では決してなくて。
神に誓って違う!
その“神”の一体をこの手で退治してしまったけども。
車内に気まずい沈黙が広がる。
仕方なく窓の向こうに目をやると、ディーネの方からほのかな甘い香りが流れてきた。
□□□
宿場を中継して、数日後に王都領内に入った。
切り立った丘陵が王都を取り囲むように聳えていて、間道には関門が設けられていた。
天然の要害は王都を守護するとともに、この一帯を“聖所”として神聖視させた。
たしかに外からは丘陵の向こうを窺うことはできなくて、不気味とまではいかないまでも不可思議な雰囲気が立ちこめていた。
「いよいよだな」
「なんだか緊張してきた」
「美味しいもの食べられるかなぁ」
俺とディーネが期待と不安に居住まいを正す横で、イアはぐぅ~とお腹を鳴らす。
朝食、人一倍食べてたよな。
石造りの関門を抜けようとして、警備の兵士に呼び止められた。
かなり自由に人が流れていたけど、俺たちの馬車は特別目立ったのかもしれない。
騎士団長が話していた、主とその“敵”のことが頭をよぎった。
王女が護衛を雇ったことが洩れているなら、事前に俺たちの排除に動いてもおかしくないから。
関門の兵士たちの中に敵の手がいたら面倒だ。
頭の中でいくつかの状況を想定して構えていたけれど。
御者が兵士に何かを見せると、馬車はあっけなく門を通ることができた。
見送る兵士はへつらうように敬礼して、へらへらと笑っていた。
「なにかあったんですか?」
聞くと、御者はしばし思案気に首を傾けて教えてくれた。
「主人の“紋章”を見せたんで。奴ら権威の犬ですから、うちの紋を目にしただけでだらしなく頭さげてくれまさ」
なるほど。
「さすがは王女さまですね」
賞賛のつもりだったけど、御者はいかにも申し訳なさそうに声を低くして。
「いえ、グレイオールの旦那のほうで。王女さまは別に誰も気にしてませんで」
「……はぁ」
反応に迷う俺をちらと見て、御者は馬を促した。
門を出ると、進行方向に尖塔のような高い建造物が見えた。
薄曇りの空の下で荘厳な雰囲気を放っていたけど、どこか冷たい近寄りがたさがあった。
□□□
「わぁ」
「はぇ~」
「しゅっごい……」
目玉が飛び出る、なんて言いたくもなる。
北大門を潜った先に現われたのは目も眩むような黄金の街並みと、天を突くような高層建築の針山。
馬車が何台もすれ違えるほど広い通りが四方に伸びて、それすら埋め尽くすほどの人人人。
貧しいものも富めるものもどちらでもないものも、一緒くたになって道を流れていく。
通りの左右に軒を連ねる店と行き交う人々の連なりには、ロンゴードの活況すら見劣りする。
整然と並ぶ石造りの建物の合間には行商人が市を開いて、テントや屋台が隙間を埋め尽くしていて。
王都ベルクリース。
“この世のすべてが集まる場所”の名に、偽りはなかった。
馬車の中にいても匂ってきた。
香ばしい食べ物の匂いだけじゃない。
この空間の中で混じり合ってくそみそに熟成された、人の匂いだ。
「くらくらする……」
窓から街の様子を覗いていたイアが、目を回して倒れこんだ。
「いくら竜精でもこの人いきれは辛いだろ」
頭を撫でて中に入るよう促すと、イアは素直に霊体になって。
普段の珍しモノ好きで好奇心旺盛な姿はどこにもなかった。
「すごいわね……さすが王都」
ディーネは人の多さに圧倒されながらも、瞳を輝かせていた。
馬車の中から見える建物や店の名前を口の中で繰り返して、忘れないように記憶しているみたいだ。
彼女は俺なんかよりはるかに流行に敏感だし、魔法や術具だけじゃなく様々な文化芸術にも親しんでいる。
ロンゴードにいたときでも流行りのファッションは欠かさずチェックして、貧しい(彼女の言葉)ながらいつもお洒落だった。
そんなディーネには、王都の喧騒も気にならないみたいで。
「遊びに来たわけじゃないのはわかってるんだけど」
声には抑えきれない興奮がにじみ出ていた。
「時間があったら、お店を見て回りたいな」
「う、うん……」
冷や汗が滲む。
出立前に一度、ディーネに付きあって買い物に出たことがある。
支度金をもらったから必要なものはないかと彼女に声をかけて。
それなら不足している触媒や魔法具を買いそろえたいと言われて。
すぐに片付くからってディーネは言ってたけど、ああでもないこうでもないと結局街中の店を巡ることになった。
丸一日ディーネと一緒に過ごせたのは嬉しかったけど。
正直なところ、迷宮攻略よりも大変だった。




