第39話 霧に向かって
街を出発して間もなく、派遣された領主の手勢と合流した。
騎士団長率いる軍団は想像以上の人数で危機感の高さが窺えた。
「なんか大きな話になってきたな」
増えていく同行者に冒険者たちがざわつく。
まだ不安というには小さい波だけれど。
十分な覚悟が決まらないまま眷属に対峙すれば、崩れるのは一瞬だ。
「大きな話だよ」
ファーガスの声にみなが静まった。
「もう一度確認しておく。私たちが目撃した魔物は、おそらく皆の想像を超えて強大だ。中途半端な覚悟では命はない。離脱するなら今だ。むしろ賢明な判断だろうよ」
馬と獣の足音だけがしばらく響いて。
離れるものはいない。
「感謝する。共に戦おう」
ファーガスの言葉で一団の空気が一気に引き締まった。
改めて凄い人だと思う。
単純な強さだけではない、持って生まれそして磨き上げた威厳がこの人にはある。
ディーネと同じ失うわけにはいかない人だ。
絶対に、死んでほしくない。
□□□
冒険者たちがロンゴード門前に集まるまでに俺はファーガスと話をした。
「来てくれて嬉しいです」
言うと、ファーガスは声を出して笑った。
強がっている様子はなかった。
「私が意気消沈して引きこもってしまうと思ったかね」
「いえ、そんな……」
あの落胆した姿を見て精神状態を危ぶんだのは確かだけど。
大丈夫だ、とファーガスは言う。
「私はまだ自分の“役割”を果たしきっていないからな」
そして俺に、「“盾の究極”とは何だと思う」と訊いた。
分からない、と答えると。
「“犠牲”だよ」
そこにためらいはなかった。
「“防ぐ”だけでは足りない。己の全て──命を引き替えにして仲間を守る。それが“盾”の理想であり奥儀。全て“盾”たらんとする者が目指すのは、つまるところそこなのだ」
そう言って俺に向く表情は──
「私が歩みを止めるのは、死ぬ時だよ」
──驚くほど爽やかで。
「……死ぬのが怖くはないんですか」
訊くと、ファーガスは空を見上げた。
「恐れがないとは言わない。だが受け入れてはいる。エリーシャと約束したからな」
強い愛で結ばれた二人が誓った約束。
──互いに死が訪れても、いつかどこかの“彼方”で再び見えよう──
「昇天か輪廻か。あの世ででも、生まれ変わってでも、あるいははるか遠く最果ての地でも。どんな場所でもどんな形でもいい。必ずもう一度会おうと約束したんだ」
だから、とファーガスは俺を真っすぐ見る。
「たとえ命を失おうと、私はきっとどこかの“彼方”でエリーシャに会えるだろう。ゆえに死とは私にとって“祝福”でもあるのだ」
ファーガスと会ってから、俺の頭の中にはずっと霧のようなもやもやがあった。
今彼の曇りのない瞳に見つめられて、その答えが見えた気がした。
この人はずっと、死に場所を探していたんだ。
エリーシャと再会するにふさわしい舞台を。
□□□
見ろ、と誰かが前方を指さす。
陽が高くなりそろそろ湖が見えてくる頃だった。
「あれは──」
目を見開く。
「もっくもくだね!」
背中のイアが声を上げた。
俺たちの前には噴煙のような霧の壁が広がり、東から差す陽光を吸いこんでいた。
進行を停止すると、領主軍の騎士団長が指揮を執って部隊を周囲に展開させた。
小規模戦闘の経験があるようで、寄せ集めの冒険者たちを五人一単位に分けて素早く配置させる。
「術師たちは後方に待機。防護と迎撃魔法を準備してくれ」
ファーガスも加わって皆に指示を出す。
高圧的な態度の領主兵に反感を覚えながらも、冒険者たちはファーガスに従って動く。
「ところでカイル」
戦闘準備が整ったところでファーガスは俺に向く。
「勝算はあるか?」
……答えられない。
頭の中には様々な考えが湧いているけど迂闊には口に出せない。
相手は眷属。
神話の存在、人知を超えた怪物。
どんな希望も目算も通じない、圧倒的未知の存在。
正直なところどうなるか想像もできない。
「分からないです。すみません」
それでも既に犠牲が出ている以上、立ち向かわなければならない。
これは否応なく迫りくる“災厄”。
俺たちに選択肢はないのだ。
「大丈夫だよ!」
一人元気なのは俺の相棒。
「カイルにはイアがいるよ! おじちゃんも強いし、岩さんも凄いでしょ!」
不安をぬぐえない俺たちを鼓舞するようにイアは小さな体をぱたぱた弾ませて腕を振る。
その姿を見ていると自然と落ち着いて笑顔さえ浮かんでくる。
「イア……」
そうだ。
俺には最強の竜精がいて、みんながいる。
そしてもう一度会いたい人がいる。
楽観してはいけない。
侮ってはいけない。
けれど怯えてはいけない。
恐れすぎてはいけない。
今できることを見定めて。
今の自分をまっすぐ見つめる。
その先に勝利があると信じるんだ。
「ありがとう」
頭をなでると、イアはくすぐったそうに体をふるふるさせた。
霧の壁は少しずつ広がって俺たちをも飲みこんでいく。
ややあって、体を押しつぶすような悪寒が襲ってきた。
「面白かった」「続きが気になる」など思ってもらえたら、
下にある評価やいいねを入れていただけると嬉しいです。
ブックマークなどもよろしくお願いします!