第189話 胎動──代償
ネーリの風魔法と私の炎魔法が同一線上で混じりあい。
風で勢いを増した炎が渦を巻き、聖女の幹に届いた。
黒い炎をかわしながら、ピッタリ張りつくヒューイット団長に気を取られて。
聖女のがら空きの脇に私たちの魔法が直撃する。
「……ほんと!」
硬い。
岩のように、鉄のように、壁のように。
自分の手を離れた魔法からも、相手の硬さが伝わってくる。
あれほどに朽ちた肉体にもかかわらず、内に宿す力の底が見えない。
そしてこちらに気づいた聖女がずずずって、体を動かして。
無数の枝がより合わさったような太い腕を、私たちのほうに向けるけれど。
「──ぼん」
暗闇からとつぜん現れた小さな影。
その手元がちかりと光り、そして。
爆発。
突如またたく赤い閃光に、私は目を覆う。
聖女の表皮が内から弾け、焼けた樹皮があたりに巻き散って。
そして闇の向こうから小さな影がこちらに戻ってくる。
「シーちゃん、ないす!」
ネーリがくるくるって杖を回して、フアンシアと手を合わせる。
木の葉みたいな彼女の手には煙が漂っていた。
彼女の術か、あるいは道具だろうか。
その爆弾が、聖女の肉体を内部から破壊した。
「かくじつに、きいてる」
フアンシアの視線の先には、幹の内側から黒煙をあげる聖女。
膨大な魔力と黒炎という最強の防護をもつ怪物でも。
魔物や眷属たちと同様に、肉体の“核”を撃たれれば、大きな負傷を受ける。
黒炎に対して真っ向から対抗するヒューイット団長に。
その隙をぬって魔法を撃つネーリと私と、死角から一撃を入れるフアンシア。
「どうか、存分に!」
隣では治癒師が最高位の防護術を展開し。
その背後から弓兵が術的強化した矢弾を放つ。
そして右腕を失った戦士が、私を守るように立つ。
残った片腕に構えた盾には、幾重にも強化が施されていた。
そしてみんなを支えるのが補給担当。
ここが正念場と、ありったけの魔道具で仲間を支援する。
地面にばらまく小さな魔道具からは、もくもくと細い煙幕が立ち上って。
その煙が肌に触れると消耗した魔力が戻り、防護魔法に似た感覚が張りつく。
魔法の力を研究し、つくりだした軍用魔道具。
私も開発に関わっているけれど、その成果がいまこうして私に還っている。
この一団を組むまで、私は彼らのことを何も知らなかったけれど。
私の知らないところで生きる誰かがいて。
その誰かのおかげが、巡り巡って私を支えている。
私たちは、繋がっている。
ヒューイット団長が勇躍し、聖女カリャーハの黒炎をいなす。
そのもの水流と化した動きは黒炎を寄せつけないように見えるけれど。
それは見た目よりずっと、紙一重の綱渡り。
ときおりジリって不穏な音がして。
団長のまとう装衣の裾が焼けただれる。
周囲に渦巻く精霊の力がその炎を包み、団長は槍で素早く炎を切り離す。
「……団長さん」
熟練の冒険者たちを苦しめるほどの魔物が生息していた迷宮。
その猛攻を受けてなお、団長は傷ひとつ負っていなかったけれど。
その腕や頬には少しずつ黒ずみが生じていた。
団長の洗練された動きと、炎と相性の良い精霊との連携をもってしても。
黒い炎を完全に防ぎ切ることはできない。
だから。
「“第六階”──《竜の通り道》!」
激しく渦巻く旋風が、黒炎の流れを強引に捻じ曲げ、団長からそらす。
風魔法の本質。
風を起こすのではなく、魔法によって空気の流れをあやつること。
直接魔力の塊をぶつけるのでなく、黒炎が流れる通り道をつくってやれば。
一度聖女の手を離れた炎の動きを制御するのは難しくない。
それが可能なのはやっぱり、使い手がネーリだからだろう。
「大魔女様ぁ〜!」
ネーリが開いてくれた隙間に、私は魔法弾をひたすらに撃ちこむ。
エリィによって強化された鉛のような散弾が、聖女の表皮を削りとる。
傷ついたその隙間にすかさず、弓兵さんの連射が放たれて。
信じられないくらいの早打ちで、魔法矢が聖女の肉体深くへと突き刺さる。
──
体の内側で弾ける魔法に、聖女の肉体が激しく震えて。
暗闇そのものを揺さぶるような悲鳴が、私たちの耳をつんざいた。
それはまるで嵐の日に、森の中にたたずむ大樹が暴風を受けて。
天幕のように伸ばした枝葉を、激しくきしらせ呻くように。
聖女の“声”は苦悶に満ちていた。
きっとこの聖女はながく、ずっと長く。
この大陸の片隅の、地下深くに長く誰にも知られることなく。
暗い場所でたった一人孤独に、嘆いてきたのだろう。
その嘆きの根っこにあるものを、私が知ることはできないけれど。
──恩寵。
ネーリは聖女の物語を語る中で、その言葉を使った。
それは螺旋回廊を通じて私とつながった、エスリゥのものと重なる。
はたして彼女は無事に、恩寵を宿すことができたのだろうか。
そしてこの聖女がかつて宿した恩寵は、どうなってしまったのだろう。
「たたみかけるぞ」
団長の静かな声が、この狂騒の中でもはっきりと響く。
仲間の信頼を一身にひきうける彼の一言で、全員がひとつの塊みたいに動く。
つねに聖女に張りつき縦横無尽に撹乱するヒューイット団長と。
風魔法で黒い炎を散らして支援するネーリ。
私の魔法と弓兵の魔法弓がそうしてできた隙を狙って。
聖女へとダメージを蓄積する。
ときおり周囲に散る炎を、治癒師さん渾身の防護障壁が防ぐ。
障壁が破られてもすぐ元通りになるのは彼女の力量と、補給さんの支援。
術士隊の様子をよく見て、懐から魔道具を取り出してぽいぽいっと投げる。
含まれているのは充填魔力。
中からもくもく湧きあがる煙に触れると、魔力が補給されていく。
おかげで私たちは魔力消費を気にすることなく、高位階の魔法を連射できた。
間断なく、休む間もなく浴びせられる波状攻撃に、聖女は釘づけにされて。
黒い炎の勢いが弱まり、さらに魔法弾が肉体を削っていく。
いける。
私たちでも、この神話の怪物に対抗できる。
パーティの全員の確信が伝わったのだろう。
団長の力が膨れあがり、半分焦げかかった装衣を激しい水流が包む。
薄まった黒炎の壁をかいくぐり、聖女の首根っこへと降り立って。
銀の槍を深く、聖女の身に突き立てようとして。
「──!」
瞬間、聖女の体から黒炎が凄まじい勢いで放たれた。
「団長!」
ネーリの叫びはほとんど悲鳴に近かった。
そして自分の風魔法が、黒炎にあっけなく呑まれて消えていくのを。
呆然とただ、見ているしかなかった。
黒い炎が厚い緞帳と化して、ヒューイット団長の姿を覆い隠してしまって。
間一髪、炎から逃れたフアンシアが戻ってくる。
体の焦げ目を確かめるよりも、目の前のことが信じられないみたいに。
身動きもできずに瞳を震わせ、恐怖と驚愕で押しつぶされそうに。
私たち全員があっけにとられ、その一瞬動きを止めてしまっていた。
「エリィ!」
“二重詠唱”で魔法の出力を上げようとするけれど。
それよりもずっと速く、黒炎が迫ってきた。
いったい聖女は、溜めていたのだろうか。
その炎の勢いはこれまで放ってきたものより遥かに大きくて。
巨大な津波が岸に押し寄せるみたいに。
この暗闇全てを呑みこもうとするように私たちに襲いかかる。
「──あぁっ!」
治癒師さんが術を全開にして、肌に血管が浮き出て、出血するくらいに。
魔法防護で黒炎を受けた。
ポーターさんもありったけの魔道具で彼女を支援し、私たちにも保険をかける。
「シーちゃん、下がって!」
その場にヘタっていたフアンシアを叱りつけて。
ネーリはどすんと煤の地面を力強く踏みつける。
そして全力の風魔法を黒炎の波にぶつけるけれど。
黒炎は私が放つ魔法もろとも風を呑みこんで。
なおも勢い止まらず、私たちへと覆いかぶさるように。
──焼き尽くす。
──この世の全てを。
その先には、何も。
「──“超階”」
治癒師が手にした触媒を捨て、胸の前で両手を握りしめる。
その姿はまるで、神に祈るように。
「《天上の祝福》」
瞬間、私たちの頭上に降り注いだのは光の帷。
まるで天井が開いて、陽光が差しこんだかのように周囲が輝きに包まれて。
防護障壁が砕け散ってなお、その光が黒い炎を押し留めた。
──超階。
本来なら“第十階”と呼ばれるべき最高位術式が。
あえて第九階までと区別されるのには理由がある。
それは人が扱える領域を超えた、人あらざる力。
その力を発現させるためには、犠牲が必要となるから。
「ヒーラー!」
みんな分かっている。
祝福の代償は、彼女自身。
治癒魔術を扱うヒーラーの多くは聖職者。
その強い信仰を天上の神に捧げ、癒やしの力を降ろす。
力の糧に燃やすのは自分自身。
信仰とはそも、自分のすべてを神に差し出すことなのだから。
「お構いなく──神のもとに召されるは本望。これこそが私の役割なのです」
どうか皆様、勝利を──
その声はすでに遠く。
まるで彼女自身が光と化したかのように眩しく、その姿は見えなくなって。
祝福の光が周囲の全てを道連れにして、黒い炎の猛威が収まる。
残されたのは私たちと、暗闇の向こうになおも健在の怪物。
渾身の炎が失われるも、すでにその肉体には新たな炎が立ちのぼりつつある。
この暗闇が、この穢れた大地があるかぎり、無限に生まれ続ける悪しき力が。
「ネーリちゃん!」
私は杖を構え叫ぶ。
団長を失い、ヒーラーを失い。
心乱れた彼女が、涙にぐっしょり染まった表情で振りかえって。
「やるよ!」
それでも叱るように私は声をあげた。
私がこの場にいる理由。
私に託された、使命を果たすために。




