8.キミは悪役だった
詩音がクラージュと婚約を続けると両親に話せば、父親はたいそう喜んだ。どれくらい喜んだかと言うと走って自分の領地の人間に伝えて回るくらいには喜んだ。詩音は喜びすぎだと思った。今では婚約について知らない人はほぼいないだろう。詩音が外に出ると「結婚おめでとう!」など声をかけられるようになってしまった。
いや結婚はしてないから!あとひきこもり脱却おめでとうもやめて!
彼とは仲良くなれた?と聞いてきた母親は花が舞う幻覚が見えるほどに機嫌が良かった。言わなくてもわかっているのだろう。
あれからクラージュは毎日ミストラル家に来るようになった。別に詩音に会いに来ているわけではなく、勉強をするためだ。ミストラル家では兄のリアムの為に先生を家に招いて授業をしている。しかしリアムはよく授業から逃げ出す問題児であった。そこで詩音がクラージュを一緒に授業に受けさせることを提案した。すると、リアムは話相手が出来たと脱走することが少なくなった。
先生と父親泣いて喜び、クラージュは色々は勉強ができ、一石二鳥だった。詩音は言わずともクラージュが魔術の勉強をいつも楽しみにしているのが見てわかった。
そんな生活が数週間続いた。
今日は勉強もないし、お兄様は昨日逃げた分勉強させられて一緒に過ごせないから暇だな……。本でも読もうかな。実はここの文字まだ曖昧なんだよね……。誰かに読んでもらおう……。
と、詩音が穏やかな一時を楽しんでいると、突然ノックもなしに扉が派手な音を立てて開き誰かが部屋に飛び込んできた。
誰が入ってきたのか予測がついている詩音は一つため息を吐いて本を閉じる。
「お嬢様!」
「あぁ、ミラ。ちょうど良いところに、ノックなしに入ってきたことに怒らないからこの本を──」
「嫌です!」
「嫌!?」
「それよりもクラージュ様と私とで市場に行きましょう!お使い頼まれちゃいました!」
「何々…今日の晩御飯の足りない材料か…。ミラ絵が下手だね…」
「失礼な!これでも見てると段々愛着が湧くと評判です!」
お願いを拒否されたことに軽くショックを受けている詩音を気にもせず、目を輝かせながらそう提案してくるのはナタリア専属の使用人のミラだ。キラキラとした表情で下手くそなイラストが描かれたメモを持って詰め寄ってくるミラに詩音はすぐに正気を取り戻し、疑りの眼差しを向ける。
「……何を企んでいるの」
腕を組んで訝しげの声音で問いかければ、ミラは「ぎくり!」と声を出して汗を垂らす。
ミラの提案はいつも突然だ。クラージュが泊まりに来ると詩音が言えば、いきなり「休暇頂きます!」と言って仕事を休んだり、クラージュが遊びに来ると「私、今忙しいです!」と言って仕事を放棄したりと詩音は彼女が何を考えているのか分からない。
お母様が笑って許してるからここにいられるけど本来メイドにあるまじき行為だからね……。そんなミラがこんな提案をしてくるなんて何か企んでいるに違いない…!
「いえ!お嬢様に手を引かれて街を歩くクラージュ様……。婚約者同士の微笑ましいところを後ろから…ゴホッゴホッ!ちょっと荷物が多くって手伝ってほしいんです!」
思惑が口から漏れているミラに口を引き攣らせる。この女、もしやいつも私たちのことをねっとり後ろからストーカーしているのでは……。そう気づいた詩音は常に背後に気を配ろうと心に誓った。
「ストーカーされるのはごめんだし、荷物持ちもごめんだから。第一、ミラはこんな小さな少女に荷物を持たせるの……?」
「え、荷物もってくれないんですか?」
「一応、私はあなたの雇い主の娘でご主人様なんだけど?他の使用人と行きなよ」
「あー……実は私、出自が皆さんと大分違うのでちょっと話掛け辛いというか…」
「え、そうなの?大丈夫?虐めとかないよね?何かあったらすぐに相談して」
「という冗談でお嬢様の気を引いてみたり」
「絶ッッッ対行かないから」
クラージュくんだって忙しいし、そう突き放すように言って読書を再開しようと視線を外せば、ミラは態とらしく一歩後ろによろめき口元に手を当て、大袈裟に声を上げる。
「えぇっ!クラージュ様と街ですよ!?どうしたんですか!?クラージュ様のこと嫌いになっちゃったんですか!?そんなわけないですよね!?お嬢様に素敵な魔法を見せてくれた人で、魔法のまの字も知らないお嬢様に魔法を教えてくれた人で、お嬢様の一挙一動に困って、驚いて、注意して、笑ってくれるそんなクラージュ様を可愛いと思ってるんですよね!めちゃくちゃ良いやつと思ってるんですよね!?そんなの好きじゃないないですか!!好き以外有り得ませんよ!そんなクラージュ様と街へ行かない!?どうしたんですか!?風邪ですか?だってお嬢様に素敵な魔法を──」
「いいよ!わかった!わかったからそれ以上喋るのをやめて!!」
なんで知っている!?あの時いたわけ!?なら、いったいどこから聞いてた!?
詩音が勢いよく承諾すればミラは悪びれもせずに両手を合わせ喜ぶ。
「お嬢様これはチャンスですよ!市場デートで是非ともクラージュ様のハートも買い占めましょう!」
「ちょっと訳わかんないし、そういうのいいから」
「なんでですか!?まぁ、天才ですからお相手様の胸をこう、ガッと、ギュッとしてハートを掴んでやりますよ。うん、いけるいけるって自信満々に豪語してたのは嘘だったんですか!?」
「記憶力がいいよね!わかったから!過去の私の発言を掘り返すのをやめて!!」
楽しげに鏡を取りだしたミラを横目にこれから起こりそうな苦労を想像して詩音は肩を落とした。
◇
クラージュくんいつも勉強ばかりだし、たまには自分の家で休みたいと思うだろうから断るんじゃないかなと思ってたんだけど……なんと来てくれました。本当は本を読もうとしてたけど二匹の羽虫がいて集中出来なかったらしい。いったい誰のことなんですかね……。
三人で市場へ行くことになり、馬車に乗る。市場に着く間、ミラが隙あれば恋愛アドバイスをしてくるのが詩音は鬱陶しかった。
「……人が多いね……」
雲一つない晴天の下、さまざな露店が並んでおり、楽しげな声や賑やかな声が人混みに溢れていた。予想よりもずっと明るくて眩しい所に詩音は自然と目を細めてしまう。
「この都市は商業、貿易が盛んですからね。海外からの秘蔵のコレクションやなかなか見れない貴重な素材などが手に入りやすいんですよ。なので平民だけではなく貴族もこの市場に注目していて一般の市場よりもかなり人が多いんです」
「………そうなんだ」
覇気のない詩音の返事にクラージュは不思議そうにする。
「どうしたんですか?今日は随分大人しいですけど」
「いや……なんか既にもう疲れが……」
そう言って、後ろをちらりと見れば、
「ほら、お嬢様!クラージュ様!ここは人が多いんですからしっかり手を繋いではぐれないように手を繋いで!ほら、手を!繋いで!あ、そこのうらみちは人気がないですよ!」
「……」
少し離れたところでそんなことを大声で叫んでいるミラに頭が痛くなる。近づけば良いものを市場に来てからずっとあの距離なのだ。
「元気な方ですね……」
「あの歳くらいは恋愛話が好きだから。今はうるさいけどほっとけばそのうち静かに──」
「お嬢様ぁあああ!なぁあにやってるんですかぁああ!初々しくて良いですが恋は戦争なんですよぉおおお!そんなことでクラージュ様の心を陥落させることが出来ると思ってるんですかぁああああ!ほら、デート、デート、デート!」
「ミラァァアアア!いい加減にしなさぁああい!!」
「あの……ちょっと離れて歩いていいですか?」
今にも離れて歩きそうなクラージュの服を咄嗟に掴めばミラは叫びだし、心做しか周りの目も優しくなった……気がした詩音は恥ずかしさで額を抑えた。
こんな様子では今日はまともに露店は見られないなと思っていたが、時間が経つとミラも冷静になってきたのか、それともふざけ過ぎて時間がなくなってきたのか真面目に商品を選別し始めた。
そうなれば自然と詩音たちも市場を見る余裕が出てきた。
*
「あのお姉さんすごい!炎を浴びたと思ったら一瞬で煌びやかな衣装に!めっちゃ綺麗!」
「あぁ、大道芸人ですね」
「うわぁあ!マジック?そういう魔法なのかな?すごいすごい!熱くないのかな?私も炎だけでも浴びたい!はーい!」
「どうして手を挙げるんですか!?危ないからやめてください!」
*
「おまけしてもらっちゃった!クラージュくんも一緒に食べよ!」
「ありがとうございます」
「ポップクリームケーキって言うんだって!あっ、そう!これ花火みたいにクリームが弾けたら食べるんだっ―――あー……」
「……それを早く言ってくれませんかねぇ……」
「ごめん!」
*
市場に売ってるものは魚、野菜、果物くらいしかないと思っていた詩音は様々な目新しいものに心弾ませて新たな露店へ進む。久々に友達とショッピングをしているようでつい、気持ちも浮ついてしまう。
「あ、あのアクセサリー屋気になる!」
いろんなものに目を奪われ過ぎて、
「……あら?え!?お嬢様は!?」
「え?……嘘でしょう!?」
クラージュはミラの声に振り返ればそこに先程までいた詩音の姿はなかった。
◇
「嘘でしょ!?」
可愛らしいブレスレットに惹かれた詩音はミラに声を掛けて店に入り、なけなしのお小遣いでブレスレットを買って店を出た。しかしそこには誰もいなかった。声を掛けたつもりだったがミラには聞こえていなかったのだろう。
なんてことだ。クラージュくんはちゃんとミラについて行ったのに……。絶対二人とも探してるよ!
二人を見つけるために駆け出すが、今の詩音は背が小さいため見える景色が低く、どこに行けばいいかわからない。しかも市場は人が多い。人の波に押されて行きたい方向と違う方向に進んでしまう。それでも詩音は足を止めない。なんだか知らない場所で一人でいるのは心がざわめいた。
「早く……」
きっと二人も探しているだろう、心配しているだろう、そんな焦りから周りを見ていなかった。肩に思わぬ衝撃を受け、詩音の体が後ろへ倒れそうになった。何とか足を前に踏み出し転ぶのを防ぐ。しかしぶつかった相手のほうは倒れてしまった。
「わっ、ごめん!大丈夫!?」
咄嗟に謝り、ぶつかった相手に手を伸ばす。ぶつかった相手は身なりの良い女の子で、詩音はもしかしたら貴族の子かもしれないと思った。
尻もちをついたせいで綺麗な服は砂で汚れ、林檎のように艶やかで真っ赤な長い髪が地面に散らばってしまっている。俯いているせいで表情はここからは見えないが怪我などしていないだろうかと心配になった。
「この───分際で」
「怪我してない?立てる?」
女の子は何か呟いたようだったが詩音にはうまく聞き取れなかった。女の子は差し出した手を見て、ポケットからハンカチを取り出すとそのハンカチで自分の手を覆ってから詩音の手を掴む。
潔癖症なのかなと思い、女の子を立ち上がらせようと腕に力を込めようとした。その瞬間、女の子はいきなり両手で詩音の手を力の限り引っ張った。その勢いは詩音のバランスを崩すのには十分で、詩音は膝を地面に引きずりながらつく。
突然の出来事に愕然としている詩音に女子は追い打ちをかけるようにハンカチで地面の砂を掴んだと思うとそのままぐりぐりと詩音の顔に擦り付けた。
「え!?何!?ってか、目が目がぁ!!」
詩音は目の痛みで顔を抑える。その間に女の子は一人で立ち上がり、砂を払うと顎を上げ、座り込んだ詩音を見下した。
「庶民の分際で見降ろすなんて不愉快だわ。庶民は庶民らしく汚れて地面を這ってなさいな」
子供特有の甲高い声で言うことは超高圧的で詩音は引いた。顔を見たくても砂のせいで目を開けられない。あんなに人がいるなか小さな子供がこんな目にあってるのに誰一人近づいて来ないことに詩音は違和感を感じた。
なんとか目が開くようになり、周りを見渡す。見ると通りかかる人達は皆、一度はこちらを注目している。しかし詩音の前に立つ女の子の顔を見るとギョッとしてそそくさと通り過ぎて行くのだ。
詩音は気づいた。この子絶対に関わっちゃいけなかったタイプだと。
それにしても普通の子なら癇癪を起こすにしても手を叩く、殴るのどちらかだったのにこの子砂で目を潰してきた……。自分の非力さを理解したうえで相手に最大にダメージを与える術を知っている……だと……?この子なかなか出来る……。嫌がらせのプロフェッショナルだ。
……それにしてもこの子どこかで見たことがあるような……。
「私に気安く触れ、あろうことか転ばせるなんてお父様がいたのなら貴方だけでなく貴方の一家共々路頭に迷わせて差し上げましたのに本当に残念だわ」
「……はぁ……そうですか……」
その詩音の漠然とした態度が気に入らなかったのか真っ赤な瞳で睨みつけ、扇子を手のひらに打ち付けてて音を響かせる。
「なんなのその態度。反省しているの?」
「え、あ、はい」
詩音は彼女のことを思い出すのに必死だ。ゴミを見るような目つきで記憶が蘇る感覚。詩音はもどかしく思った。
「だったらそれ相応の態度を示すべきではなくて?」
「あ!……いや、違う近所の黒江さんは関係ない……」
「……貴方ねぇ!さっきから私を誰だと思っているの!私は──」
「待って!あともう少しで出てきそうなの!あと少しだけ!」
あと数秒で完璧に思い出せるからネタバレはやめて!
そんな詩音の願いは虚しく、腹を立てた女の子は扇子を広げて口元を隠しながら荒らげ声で自分の名を名乗った。
「はぁ!?本当に生意気ね!私が未来の国王の妃であるクロエ・ダルティフィスと存じての狼藉なの!?」
「あーー!!……え?え、えぇええええ!?!?」
「貴方本当にいい加減にしなさいよ!次は口に砂を詰めるわよ!」
睨みつけながらそう脅す女の子に慌てて詩音は膝を曲げ、頭を深々と下げる。
「いや、ダ、ダルティフィス家のご令嬢、クロエ・ダルティフィス様とは思わなかったものでびっくりして……。いままでとんだご無礼を……大変申し訳ございませんでした」
詩音のその縮こまった態度にようやく満足気に鼻を鳴らした。詩音も安堵の息を吐く。かなり危ない綱渡りをしていたようだ。
「あら、汚らしい庶民にも貴族に対する礼儀の心得はあるようね。ま、見るに堪えない稚拙な振る舞いだけれども……で?」
「はい?」
「はい?じゃないのよ。私が名乗ったのに名乗らないわけ?」
一家路頭に迷わせると言ってる人に本名はちょっと。帰ってこの子のお父さんにチクられたら困る。いや、本名じゃないことがバレるともっとやばいけど……。
「………ハーナー・ヤマーダーです」
すこし迷ったあと詩音は偽名を名乗ることにした。
「貴方のような家畜風情、子馬で十分ですわ」
じゃあなんで名前聞いたんだよ。聞くな。
ぐっとその言葉が出るのを耐えて、目の前のクロエを見つめた。
MAGIC×SPIRIT、略してマジスピ。友情あり、恋愛あり、バトルありの魔法学園恋愛ゲームだ。友達に勧められたので私もやっていた。
今目の前にいるクロエ・ダルティフィスはそのマジスピのサブキャラクターだ。国王を補佐する宰相の一人娘で性格はかなり我儘で高慢。気に入らないものは容赦なく排除する非道な子で陛下に気に入られたヒロインを憎み、陰湿な虐めで追い詰める悪役令嬢。なるほどあの嫌がらせもクロエ様なら思いつくわけだ。
……コスプレじゃないんだよね?
「何をジロジロと見ているの。庶民の臭いが移るからやめてくれる?」
うん、本物だ。
それが分かれば、詩音はすぐさまこの場から走り去りたかった。
クロエの嫌がらせは本当に悪質なのだ。自分の手を汚さず、金や権力の力で物を言わせたり、他人の弱みを握って支配して、利用する。ヒロインはクロエによって精神をギリギリまで傷つけられた。そんな心のない人間に目をつけられればタダでは済まないだろう。
……そういえばいたな…。クロエ様とは別にもう一人の悪役にいいように利用されたサブキャラクター。しかもその子は悪役二人と一緒にストーリー中死んでしまう……。
「………」
詩音はずっと脳の片隅にあった違和感の正体がようやく分かった。気づいた事実に手が震える。
隣にいるようになった彼は……、
「ナタリア様!」
声に振り向けばそこにはクラージュが肩で息をして立っていた。詩音の顔を見ればほっとしたように息を吐いて、膝に手を着いてその場で乱れた息を整える。
いつもの詩音ならすぐさま駆け寄り、クラージュの背中を擦るが今はそんな余裕もなかった。ただただ呆然とクラージュを見つめる。
「ナタリア様……?」
そうだ。彼は悪役だったのだ。
「嘘……」
ヒロインと攻略キャラクターである殿下が仲を深めるところを見て嫉妬に狂った悪役令嬢クロエ・ダルティフィス
クロエやミストラル家を利用して陰では王家転覆を計るクラージュ・アビス。
二人に虐げられひきこもりになるがヒロインの健気な姿に心打たれ、二人の罪を告発する不憫令嬢ナタリア・ミストラル。
何の縁なのか死んでしまうサブキャラクター三人が集まってしまった。