婚約者である伯爵令嬢について(クラージュ視点)
「やだね。約束なんて俺には関係ない。引きこもり令嬢の世話なんてごめんだ」
「僕も将来、自由にするつもりやからお相手はんを困らせてしまうんやないかなぁ」
そんな会話を偶然聞いた次の日、兄達に来ていたはずの婚約話が僕の元にもやってきた。相手であるミストラル家とは家格は違うが祖父の代から仲が良い。両親からすれば良好な関係を継続させていきたいだろう。なのにあの兄たちは何も考えず自分の都合で断り、困り果てて僕にも回って来たと。
どうしてあの二人が強く否定したのか、確か風の噂でミストラル家の長男は魔力なしで長女は引きこもりらしく、なんでもその姿は醜い魔女のようだとかなんとか。そんな話を間に受けているなんて……しかしチャンスだと思った。
『貴方はアビス家の汚点ね』
ミストラル家に婿入りすればいずれあの人の元から離れることができる。ミストラル家の当主の補佐にでもなれれば僕の将来は安泰だ。二つ返事で婚約に了承した。
顔合わせの予定もあったが向こうが何かと理由をつけて延期になった。父が言うには婚約者は病弱らしい。まぁ、そのほうが僕には都合がいい。
────それから一年後、その日は唐突だった。婚約者がやって来たのだ。
初めて彼女を見た時には驚いた。噂など元々話半分にしか聞いていなかったがそれにしても話と違い過ぎる。痛みのない長い銀髪。濁りのない青い瞳。緊張した様子が見られるがそれすら周りに好印象を与えているようだった。生まれ持ったものの違いを見せつけられる。
しかし、そんなのは今は関係ない。まずは当たり障りなく自身の名を名乗った。
────途端、彼女は自身の目を己の手で突いていた。
「痛っーーーー!!!」
何をしてるんだこのお方は!?
咄嗟のことで暫くは痛みにのたうち回る姿をただただ見ていることしかできなかった。
「挨拶遅れてしまって申し訳ありません。初めまして、ナタリア・ミストラルです」
その後、彼女は何事もなかったように名乗るが正直恐怖でしかない。あんな何をするか予測できない方だったとは。このまま彼女のペースに持っていかれるのはごめんだ。病弱が本当であるのなら帰った方がいいとも遠回しにも伝えてみた。なのに──
「……私は貴方のその瞳も綺麗だと思います。とても」
何も気づかず、悪意も悪気もないようだからタチが悪い。何も特徴のないこの髪の、瞳の、何がいいというのだろうか。
両親たちがいらない気を使わせて二人っきりにすれば彼女は健気にも幾度となく話しかけてくる。
見たところ彼女の両親は婚約に積極的だった。それなら僕達が何をしようとももうこの婚約は親の都合で進められるだろう。なら、彼女の好感は別に必要はない。顔色を窺わなくてもいい。
少し話したがそもそも彼女とは価値観が合わない。そう思って素っ気なくはした自覚はある。
「お腹が痛ーーーーーーい!!!!!」
本当になんなんだこの人は!?!?
叫びながらお腹を抑えて床を転がり始めれば当然人が集まってくる。彼女が難癖をつけて僕を陥れるのかと冷や汗をかいたがそうではなかったようだ。早く帰りたかったのならそう言ってほしい……。
流石にあんなことをしておいてまたここへ訪れることはないだろうと思ったが────
「クラージュくん!」
「…………ナタリア様……」
彼女はずいぶん面の皮が厚いらしい。よくもまぁ、病弱だと言った体で四日間も我が家に通い詰めて来るものだ。
一昨昨日と一昨日は彼女は室内で大人しく過ごしていたが何度も話しかけられ、視線を向けられ、自分のことに集中が出来なかった。昨日は別々の部屋で過ごすが何かと理由をつけて部屋に入って来たので鬱陶しかった。だからしっかりと彼女の行動を制しておく。これでやっと落ち着いて───
「クラージュじゃん」
今度はこっちの相手か。
兄二人に視線を向ける。何か言っている気がするがこの人たちはどうして気に食わない人間にわざわざ突っかかってくるのだろう。相手にするのも時間の無駄だと思わないのだろうか。
「お前やっと婚約者にあったらしいな」
反応を示さないことが気に食わないのか別の方向から攻めてきた。
「最悪だな。そんなやつと婚約なんて俺なら死んでもごめんだね」
「いやー、クラージュはほんと運が悪かったなぁ。可哀想になぁ」
侮蔑の目を向けるマルス兄さん。口先だけの同情をするダグラス兄さん。根も葉もない噂を信じる兄二人には呆れた。先に婚約を駄々をこねて拒否をした人達が何を……。
「……噂はただの噂でしかありませんね。全く……」
自分に被害の及ばない婚約者の噂なんてどうでもいいのだが……。
「まぁ、噂に流されて事実を知ろうとしない姿勢は恥ずべきことだと思いますねぇ。僕は」
うっかり、ほんとにうっかり言葉が滑り出ていた。婚約者だからと庇うつもりは微塵もなかった。
婚約することに意味はあれど婚約者に興味はない。今は毎日健気に家に通う婚約者も放置しておけばそのうち関わろうとするのをやめるだろう。この家族と同じように。
だから言葉が出たのは兄二人が思ったよりも鬱陶しかったのかもしれない。
「なんだと……?」
「兄さん方、未だに僕の婚約者に挨拶していないんでしょう?なら、実際にご覧になったらよろしいのではないですか?」
そうにこりと笑えば、マルス兄さんは怪訝そうに眉を上げ、ダグラス兄さんは口元を引き攣らせる。
「気構えるほどではありません。流石に噛みついたりは致しませんのでそんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
あまりにも面白い表情をするものだから言葉を続ければ、胸倉を掴まれよろける。が、まだ言い足りない。
「そんなに会いたくないですか?駄々こねて婚約を回避したご令嬢に少しはまともな姿を見せたらいかがですか?」
「この……口だけは回りやがって……」
「ちょっと兄さん」
止めようとする声が聞こえるがそれだけではマルス兄さんは止まらない。
「勉強?ただ記憶力がいいだけで、実際に使えなきゃ意味がないんだよ!魔法をまともに使えないこのアビス家の恥晒しが!あの引きこもり令嬢の婚約者になんでお前も選ばれたかわかるか?お荷物を捨てるためだ!お前にさっさと出ていって欲しいんだ!お前は母様に捨てられるんだ!」
「だから何だと言うのです」
今更過ぎて笑いすら出てくる。捨てられるのならこちらも捨てるまでだ。
目の前で強く握られた拳が迫ってくる。
「くたばれ!!!」
────いないはずの彼女がそう言って飛び出してきた時、思わず手が伸びた。
……ほんとにとんでもない人を婚約者にしたかもしれない。
そう考えながら吹っ飛んだ兄を見つめていれば力強く手を引かれた。
◇
兄達を置いて外を飛び出した彼女は世間知らずであるのは確かなようで、使用人の魔法をまるで初めて目の当たりしたのか驚いていた。楽しそうにしていたと思えばその好奇心はなんと僕にも向けられる。
魔法が見たいだなんて僕を笑いたい口実なんじゃないかそう思ったが────
「すごいよ!!」
興奮したように握った手があまりにも暖かいから、拙い感想が本当に心の底からそう言っているように見えたから、彼女の傍で色々考えているのがバカらしくなった。
その後、ナタリア様自身も魔法を使ってみれば凄まじい音と共に家を破壊されたが両親の部屋だったのでもう笑いしか出なくて、母の言葉も少しも気にならなかった。
たまたま聞いていた彼女はかなり気にしていたようでそれでまた一悶着あったが。
彼女は変な人だ。
家に押しかけてくるわ、拳を振るうわ。口は悪いわ。家を破壊するわ。人の境遇を目の当たりにして自分のことのように泣きそうになるわ。
無邪気な人だ。お節介な人だ。なんて生きづらそうな人だ。
それでも彼女を知りたいと少しだけ思った。




