7.距離の縮め方
「あのねぇ、婚約者と仲良くしてくれるのは嬉しいの。嬉しいけど常識は持って欲しいのよ。迎えに行ったら、丁度二人が見えて、あ、仲良くしてるじゃん微笑ましいなーと思ってたのよ」
「うん」
「ん?でも、なんかおかしいなってよく見たら家が壊れてるのよ。あ、これナタリアの仕業だって分かった時のお父様の気持ちわかる?驚いて気絶しそうになったのを一周まわって走り出しちゃったから」
「あらま……大人しく気絶してれば良いものを……」
「反省してます?ナタリアさん?」
こっちは婚約をなかったことにしたいんだからこれくらいすると予測しといてくれないと。……いや、事故なんだけど。こんなことするつもり微塵もなかったけど。……やばい……申し訳なさでいま吐きそう……。
泣きそうな顔をしている詩音にため息を吐いて、説教を程々に直ぐに謝りに行きなさいと促す父親。直ぐ様クラージュの両親に謝りに行こうと部屋へ向かう。父親は胃痛が治まったら来るようだ。
……土下座で許してもらえるんだろうか……。部屋は修復出来ても私とご両親との深い溝は修復できなくないだろうな……。
「育ててもらった恩を仇で返すなんていつからあなた偉くなったの?クラージュ」
使用人に案内してもらった部屋に入ろうとすれば女の人の厳しい声が聞こえ、扉を開ける手が止まった。育てたという発言からまだ詩音が会っていない母親なんだろうと予測した。
でもどうして怒ってるのだろうか……あ、もしかして部屋を壊したのクラージュくんのせいにされてない!?それで怒られてる!?いやいや、部屋壊したの私です!
そう思い今度こそ扉を開けようとするが止まってしまう。クラージュの兄達はクラージュに何を言っても口だけだと分かるが、母親となれば話は別で本当にクラージュをどうにか出来る人間だ。しかも詩音は母親がどんな人間か分からない。マルスランの話を聞くだけでは相当やばそうな人である。下手に部屋に飛び込んでクラージュを庇えば自分が家に戻った後に何が起こるか分からない。
「この婚約の約束がなければこの家に留まることも許されなかった人間が随分と呑気なものね。それともこの婚約が正式になったことでアビス家の一員になれたなんて愚かな勘違いしているのかしら?
あなたは兄達とは違って、魔法も半端な出来損ないなのよ?出過ぎた真似をして我が家の恥を晒さないで頂戴」
心無い言葉が聞こえ、詩音はドアノブに手をかけて……離して、悔しそうに唇を噛み、拳を強く握って部屋から離れた。
壊れた部屋にクラージュの父親はいた。誰がこんなことをしたのか、騎士団に相談するかと使用人と話しているところを自分がやったのだと詩音が謝りにいけば顔を引き攣らせてはいたがなんとか許してもらうことができた。まぁ、修理費はテオフィルスに請求されるだろうが。
許してもらえたことで詩音の足取りはほんの少しだけ軽くなる。クラージュに挨拶だけして帰ろうと思ったが先程のこともあり会いづらい。
今日はこのまま帰ろうとテオフィルスを探しているとクラージュ家の使用人に声をかけられる。挨拶だけでは何だと思い、少し話をしてみると思いのほか盛り上がる。楽しく話をしていると部屋に案内され、勧められるままに中に入った。
察しが良い人は気づいただろう。その部屋はクラージュの部屋だった。 そう、帰るつもりがいつの間にか部屋でクラージュを待つことになっていたのだ。詩音はそのことに気づき、あきらめて流れのままにクラージュを待つことにした。その間今日のことを振り返る。
ナタリアの母親は婚約者と友達になってほしいと言った。もしかしたらこの家族の状況を知っていたのかもしれない。クラージュがこの家で居場所がなく、あんな風に心無いことを言われ続けていることに。なぜ知っていたのか。それは私には分からない。でも八歳の子供一人ではどうにか出来るとは思えない。詩音には母親の考えがわからなかった。
「クラージュくんの父親は良い人そうに見えたし、」
そんなふうに頭を悩ませているとクラージュが部屋に入ってきた。詩音が中にいるとわかると一瞬目を見開くが呆れたような、諦めたような表情に変える。短時間で詩音についてだいたい分かったようだ。
気まづい沈黙に詩音は空笑いをして椅子を指さした。
「まぁ、立ち話もなんですし、座りましょうよ」
「僕の部屋なんですけど・・・」
しまった気まずくて条件反射で言ってしまった。
座るように促したがここには二つも椅子がない。どうしようかと思っているとベッドに腰掛けるといいとクラージュが言ってくれたのでそのお言葉に甘えることにした。詩音が座ればに続いてクラージュもその隣に座る。座った二人の距離は人がもう一人座れるくらい開いていた。
「……」
「どうしたんですか?先程と比べて随分元気がなさそうですが?」
「べ、別に何にもないよ!?」
何気ない疑問に対して詩音は驚くほど動揺していた。声まで裏返っている。そんな詩音をクラージュは訝しげに見る。詩音は心の中で己を叱咤した。
あの部屋で聞き耳を立てたことがバレるなんて余程のことがない限りありえないから私よとりあえず落ち着くんだ……。
「……怒られたのがそんなに堪えましたか?」
「え!?なんでわかったの!?……私が!?私か!そうだね、あー、怒られたの辛かったわー!お父様怖ーい!」
「?」
だから落ち着いて私。バレないと言ってもこんな動揺を見せればすぐにバレるから。
実際、詩音のこの動揺具合にクラージュは何か考え始めてしまった。詩音は慌てる。聞き耳を立てたことバレれば、今よりも関係が気まずくなってしまう。なんとか適当な話題で意識を逸らさないと――――
「あー、そういえば!」
「……もしかして母様との会話を聞いていたんですかね」
「な!?」
詩音のわかりやすい反応に納得したように頷いた。
「ちがっ……いや、ごめん見た。……声聞こえたから……ごめんなさい……」
俯いてしおらしく謝る詩音の姿を横目で見てクラージュは笑う。あの何の感情もない笑顔だ。
「気にすることはございません。むしろ見苦しいものを見せてしまいました」
詩音は横にいるクラージュの顔を見た。向こうは全く気にしていないと言いたげな笑顔をしていた。その笑顔に腹の中がぐしゃりと混ぜられる。胃がムカムカしてきてこれ以上話を続けて欲しくないと思った。それなのにクラージュは話を続ける。
「いずれわかることでしたから。婚約者の貴方には先に伝えた方がよかったかもしれませんね」
「何を?」
「僕の魔力は先程見せたあの程度が精一杯なんです」
詩音は言ってる意味がわからず首を傾げる。
「……そうなの?」
あの程度と言われてもさっきの使用人とクラージュの魔法しか見たことない詩音は基準がよくわからなかった。
「えぇ、僕は兄に比べて不出来な人間で魔力の量も期待できず魔法も半人前以下。それなのに魔法を使おうとすることが母の目に余るのでしょう。よくああやってお叱りを受けます」
いつもあんな風に言われているクラージュを想像して眉を下げる。
「辛くないの……?」
「大丈夫ですよ。逆にお時間を取ってしまうことが申し訳ないくらいですから」
「……」
「……本来ならあなたとの婚約は兄がする予定でした。しかし兄の懇願により代わりに僕が引き受けることになりました」
「え!?」
衝撃の事実に詩音は驚きの声を上げた。クラージュは依然として前を見たままだ。
「だって、お兄さんたち引きこもり令嬢のところに捨てられるとか、お前は運が悪いとか言ってたじゃない」
「僕がそのことを知っていないと思ったのでしょう。しかし考えてみればナタリア様の家に婿養子に行くことはメリットのほうが多いですよ。その考えが回らないほど僕も馬鹿ではありません」
確かに引きこもり令嬢と結婚するのは気が引けるがそれさえ目を瞑れば手に入れることのできる利益は多い。ミストラル家には長男のリアムがいるので爵位は彼に引き継がれる。しかし彼は一つの大きな問題を持っていた。なので妹の夫という名目で彼の補佐に収まれば伯爵としての権力を後ろ盾に色んなことができる可能性が高かった。そうすれば未来は安泰のはずだ。詩音はそれをテオフィルスから聞いていたが、そのことに自分で気づいたクラージュはやはり頭が回る。
「……でも急にそれを伝えてどうするの?こんなはずじゃなかったから婚約解消したい?」
「いえいえ、謝罪をと思いまして」
笑みを浮かべたままのクラージュのその言葉続きを詩音は聞きたくはなかった。
「先程見せてしまった不愉快な光景と共にこのような人間が婚約者であることの謝罪を。あなたには申し訳ないと――――」
鈍い音が響いた。
クラージュは大きな音に驚いて詩音を見た。見ればベッド脇にある棚がへこんでいた。詩音が思いっきり殴ったせいだ。右手が酷く痛んだ。強く握り過ぎたせいで手の平が爪で傷ついた。でもそれ以上に心が痛かった。あんな話を聞いていたくなかったし、あんな顔させ続けたくはなかった。いい加減こっちを向いてちゃんと話してほしかった。
「自虐も過ぎれば笑えないんだけど。あと謝罪するならもっと申し訳なさそうな顔をしたら?何がそんなに笑えるの」
幼い令嬢が棚を殴ってへこませるという行為に唖然としていたが、詩音の言葉にすぐに表情を元に戻して続ける。
「自虐?そんなつもりございませんよ。笑っているのは申し訳と思います。ですがこれは癖のようなものでして誰にでもこのような顔なのです」
「……」
「なんですか……?痛たたた!!本当になんですか急に!?」
詩音は無言でクラージュの左手首を掴むと思いっきり捻った。二人は力の差がないようで赤子の手を捻るように婚約者の手首も捻った。痛みを訴える声に聞こえないふりをしてクラージュの左手の平を無理やり広げる。そこには詩音の右手と同じような爪の痕が数多くあった。
「なら、この左手は笑うのを堪えるためにつけた傷なわけ?その割には加減を知らない傷の深さと傷の量だけど、後で手当てしてもらったら?」
痛みに耐えているのか、悔しいのか。ぐっと口を一文字に引き結ぶクラージュに詩音がため息を吐いた。
「マジでイライラするんだけど。自分を痛めつけて無理やり笑う必要なんてないのに。教養も作法も日頃から厳しく鍛えられてんでしょ。それなのにこんな風になってまで馬鹿にされてんのが悔しくないわけ?」
「教養も作法も必要最低限のものであって階級や魔力の量のほうが重要なんです。いくら知識があっても力がなければ耐えるしかない。貴女は知らないでしょうがそういう世界なんです」
「……そう言って逃げ道を作ってるだけでしょ」
詩音はもう泣いてしまいそうだった。
「魔力がないから家族に無下に扱われるのを我慢するしかない。魔力がないから馬鹿にされても黙っているしかない。クラージュくんは自分が傷ついても喧嘩を避けて本音を隠して、逃げてばっかじゃない……」
兄に馬鹿にされたままのクラージュが理解できなかった。母親に何を言われても黙ったままのクラージュを有り得ないと思った。詩音はいつだって自分が理不尽な状況に置かれれば抵抗してきたから。そのせいで喧嘩になるし、状況が酷くなることもあった。でもいつだって何もしなければ何も解決しなかった。誰も助けてなんかくれなかった。
「私、悔しいよ。どうして何も言わないの……」
震える声で詩音がそう呟けば、クラージュは無言で詩音の腕を引いた。体が傾くと同時に頭に衝撃と痛みが走った。
「い、痛ったぁあ!!」
なんと頭突きをされたのだ。右手で痛みを訴える頭を抑えながら涙目で婚約者のほう見ると
「貴方に……何がわかるんですか?」
クラージュは詩音を睨みつけていた。怒りで燃え上がりそうな赤色と失望したと言わんばかりの冷たい青色がぐちゃぐちゃに混ぜられた瞳がこちらを見据えていた。その目に思わず次に言おうとしていた売り言葉を飲み込む。何も言わない詩音に婚約者はやがて目を細め、自嘲気味に笑った。
「銀の髪に不自由のない家柄……貴方は家族にも才能にも恵まれているからそんなことが言えるんでしょうね。だから持っていない人間の気持ちがわからない」
その言葉に詩音は張り手一発食らわせてやろうと思ったが傍から見ればクラージュの言う通りで、詩音から見てもナタリアは恵まれた環境に置かれていると思った。だからなんとか冷静を装って淡々と告げる。
「…やっぱり魔法にこだわり過ぎて視野が狭いんじゃないの?もっと広く外に目を向けてみれば?」
「ひきこもりにとやかく言われたくはありませんね。暗い部屋に引き篭もりすぎて外の光も現実も見えないんでしょうか?」
「どうやら喧嘩を売られているみたいだね。買ってやるわ。ってか、ようやくひきこもりって言いやがった!ずっと遠回しで長ったらしい言い回ししやがって、言いたいことがあるんならもっと端的に分かりやすく言ったらどうなの!こんの……口だけ回る卑怯者!!」
立ち上がってクラージュを指をさせば、さすがに心外だと言わんばかりに顔を思いっきり引き攣らせ、同じく立ち上がって噛み付くように発言し始める。詩音相手に取り繕う必要もないと思ったのか遠慮がなくなってきている気がする。
「じゃあ言わせてもらいますけど!あなたは視野が狭いというよりはあまりにも常識が無いんじゃないですかねぇ!驚きました。こんな慎みも恥じらいもない女性がいるなんて!」
「八歳児らしく歳相応に無知で元気が良いだけだから!歳不相応の胡散臭い笑顔してる人に言われたくないです~!初めて見た時から胡散臭さと怪しさでプンプンしてたわ!」
「歳相応の子供が人の家を破壊しません!同じ歳の子供に謝ってください!貴女なんて令嬢じゃありませんね野生児でしょうが!」
「はぁ~!?」
クラージュの一言一言に声を大きくして言い返す詩音。しかしそれはクラージュも同じで詩音の声に釣られるように荒々しい声へと変えていき、言い合いは激しく続いていく。
「卑屈!陰キャ!そんなんで友達いるの!?」
「ひきこもりで人間関係を絶っていた人に一番言われたくない言葉なんですけど!」
「ざぁんねぇんでした!今の私はひきこもりに在らず!この愛らしい容姿さえあれば友達の一人や二人作るくらい逆立ちで庭園回るよりも簡単に決まってんでしょ!ばーかばーか!」
「ほんっとにムカつく人ですね!なんで魔法のまの字も知らないこんな野蛮な方が婚約者に!」
「それは私が一番聞きたいわ!なんで私なんだよ!」
なんで知らない人の身体に入って誰かの代わりを努めなきゃいけないの!本当は今すぐにでもナタリアがいる場所突き止めてはっ倒して引っ張り出したい!でもそれが出来ないから困ってんじゃん!
何も言わずにここに連れてきたやつにもナタリアにも詩音は怒っていた。だからこそここに来て一番に決めていることが詩音にはあった。それをしなければナタリアを見つけたとしても帰るわけにはいかなかった。
「ここに連れて来たやつ一発ずつ殴って、泣いて謝るぐらいには後悔させてやる!」
そう思いっきり叫べば、詩音は全てを不満は口にしたようで肩で息を吸う。喉が痛い。でも、大声で言いたいこと言ったので詩音の気分は少し良くなった。
ぽかんとしているクラージュを見て挑発的に笑う。
「それで……婚約者様はこんなところで終わるわけ?負け犬のように地べた這ってずっとあの家族の言うこと聞いてるの?」
「……だろ」
「なに?小さくて聞こえないんだけど!」
「こんなところで終わらないに決まってるだろ!お前達とは違う!!」
部屋中に響く声。今日一番の大声でこれがクラージュの本心で本当の言葉だ。
「ふざけた顔して笑ってくる兄達も、僕を認めない母親も、綺麗事しかいわない父親も全員踏み台にしてやる!そのためならなんだって利用してみせる!意味無いなんてもう誰にも笑わせない!ここで終わるなんて冗談じゃない!!」
そこまで言うと限界なのか大きく咳き込みはじめた。あんなに大声を出したのは生まれて初めてなのか、なかなか咳き込んだ状態から元に戻らない。詩音は無言で背中を擦る。
こんな状態のクラージュが心配なはずなのに詩音なぜか心がふわふわ軽くなるような気持ちになっていた。
「……何が……おかしいん……ですか……?」
詩音はどうやらいつの間にか笑っていたらしい。そんな詩音をクラージュは息絶えだえに憎たらしそうにを見つめていた。その顔に更に目尻が下がる。
「ずっと胡散臭い笑顔が気に食わなくて、言い方が回りくどくてわかり辛いし、嫌味言ってくるし、卑屈のくせに腹の内を一切晒さないところなんか本当にムカつく」
「まだ言い足りないんですか……?」
もう反抗する余力もないクラージュは詩音の好きに言わせることにした。詩音もそれが分かっていて好きに言わせてもらうことにした。
「けど……それ以上に良いところが目につくからさ、思ったより私ってクラージュくんのこと好きなんだと思うよ?」
「――――」
この言葉を聞いた婚約者の間抜けな顔があまりにも面白かったので我慢出来ずに詩音は声を出して笑いだしてしまった。
詩音はクラージュのことを胡散臭いと理解出来ないと思っても嫌いではなかった。だからこそ彼のことをよく知りたかった。
「家族を見返すんでしょ?協力するからさ、私にも協力してよ」
いつナタリアがこの身体に戻るか分からない。ナタリアが死にたいと思うほどこの婚約を受けたくないと言ったのなら詩音はその意思を組みたかった。けれど……それ以上に詩音は今目の前にいる彼を見捨てておけなくなっていた。
「私はクラージュくんを利用する。クラージュくんは家族より登り上がるために私の家を利用する!つまりは便宜婚約!win-winな関係!どうよ!」
「どうよ……と言われても……」
「私は婚約解消して違う人宛てがわれても困るからとりあえず婚約はこのままで自由にやらせてもらう!クラージュくんはうちの家で今まで出来なかったことをするの!家族がさせてくれなかった魔法の勉強とかね!それで結婚するまでには家族を見返してやるくらいになろう!」
「見返すとは簡単に言いますね。何か考えでもあるんですか?」
「なんにもない!」
「ですよね……」
クラージュはやはりこの短時間で詩音という人物のことをよく分かってきたらしい。そう言うと分かっていたと言わんばかりに頷く。そんなクラージュににんまりと笑う。
「でもクラージュくんは私にとってすごい魔法を見せてくれた人で、魔法を初めて教えてくれた人で、私の一挙一動に困って、驚いて、注意して、笑ってくれる人だよ?私はクラージュくんのことすごい良いやつと思ってるんだよね。なら、他の人が見たって魔力がないことうんぬん差し引いても惹かれるものがあると思うの」
「……」
何か言いたげに口を開いたり閉じたりするクラージュは魚のようで面白い。
「つまり何が言いたいかというと、クラージュくんはとても素敵な人だから絶対に大丈夫ってこと!」
「───なんですか……それ……。……そんなこと言うのは貴方くらいですよ……」
婚約者はぎこちなく笑うと力無くベッドに座り込んだ。詩音も続いてその隣に座る。
クラージュはぽつり、ぽつりと呟いた。
「あいつら全員蹴落としてやる…」
「うん」
「でも僕にはそんな力ないから、たまたま婚約することになった貴方の家を利用するだけ」
「うん」
「それで……ッ……」
耐えきれなくなったクラージュは嗚咽を漏らしてその続きは言葉にならなかった。今まで我慢してきたことも悔しい思いをしてきたことも沢山あるのだろう。でも慰めの言葉など必要ないと詩音は知っていたからクラージュの言葉が途切れ途切れになってもただ前を見ていた。
「うん、大丈夫だよ。よろしくねクラージュくん」
空いているのは拳二つ分、これが今の二人の距離だった。