6.君を笑顔にした魔法
クラージュと外に出ることに成功した詩音は思いのほかテンションが上がってきた。外の天気が良いからだけでなく一週間何かと理由をつけて逃げていたクラージュとやっとまともに交流できそうだからだ。喜びでいまにも走り回りそうな勢いである。
何を話そうと周りを見渡した詩音が気になったのは数多くの噴水だった。ちらりと見たナタリアの家の庭とは趣向が全然違っていて緑と水で溢れていた。
「クラージュくんの家の庭は噴水とか水辺が多いね。ナタリアの家は風車がいっぱいあったよ」
「私たちの家系は水属性の人者が多いですし、ミストラル家は風属性の方が多いと伺ってますからそうでしょうね。」
「……………へぇ?」
「……自身の属性に関連する造形物や設備を庭や家に置いておくとその精霊が集まりやすくなると言われてるんですよ」
「あっ!そういうことね!」
詩音が納得したように頷けば、クラージュは残念なものを見る目で詩音を見ていた。どうやらこの世界では常識なことらしい。
「何か言いたげだね。正直に言ってもいいよ」
「あまりにも……無知……いえ、私が思っていた以上に箱入り娘なもので」
「やっぱり!言われると思った!要するにひきこもりって言いたいんでしょ!」
「そんなことは言ってません。外に出なかった分常識が欠けてるとは思います」
「ぐっ!ひきこもりとかさっきの適当な噂のことを言われるよりきつい。………まぁ、でも確かに……」
「?」
「外に出ないなんて勿体ないよね」
ビルのような大きな連なる建物はなく、車や工場から出される煙の臭いもしない。人混みもなくて喧騒は聞こえない。
今感じられるのはキラキラと輝く水の姿、噴水の水が高く高く伸びあがっては崩れていく。池は空と緑を映し出して涼やかな波紋を広げて消えていき、夜はきっと綺麗な星空を映すのだろう。とても綺麗でとても穏やかな場所だ。ここだけではなくナタリアの家も風と花の匂いを身近に感じられる素敵なところだった。
どうしてナタリアがこの世界を嫌ったのか。詩音には疑問だった。
「なんでかなぁ……」
「なんですか……?」
「え?いやっ、あのお姉さん見てたの!」
話を誤魔化すために適当に指さした先には使用人が一人、両手を突き出していた。何をしているのかと詩音が不審に思っていれば、使用人の両手が光りだし球体状の水が現れた。使用人はそこに洗濯物を入れ込むと水がぐるりと洗濯機の中のように回転を始め……、
「えっ!?待って!?すご、すごい!洗濯してる!?」
「そうですね。あの使用人は水属性持ちなので」
当たり前のように言ってのけるクラージュに詩音は衝撃を受ける。
「あれ、お姉さんの大量の手汗じゃないんだよね!?」
「違うのでその表現はやめてください」
「はぁ~、魔法使えるだけでもすごくない?使用人にさせておくには勿体ない。でもこの世界では普通なの……?え、なに?じゃあ、クラージュくんも魔法使えるの!?」
詩音がキラキラと期待の眼差しを向ければクラージュはたじろいで視線を逸らす。どういう言おうか悩んでいる様子だったが一度だけ頷いた。
「………一応ですけど………」
「えぇ!へぇええ!え、すっご!!へぇええ!」
「いや、一応基礎くらいならナタリア様も……」
「それがねぇ使ったことないんですよ!!病弱なので!なんたって病弱なので!」
「そうなんですね……」
訝しげに見られているが詩音は気づかないふりをした。嘘は勢いが大事なのである。
使用人を見ながら詩音はふと、クラージュはどんな魔法を使うのか気になった。
見てみたいなぁ。……頼んでみようか……でも嫌がられるんだろうな…。いや、クラージュくんは押しに弱いから頼んだら嫌そうに見せてくれる!
「……お願いなんですけど!」
「な、なんですか」
詩音は稀にしか見せないキリリッとした顔でクラージュの両肩を掴めば当然のように警戒する眼差しを向けられた。そんなこと構わず詩音は深々と頭を下げる。
「魔法を見せてください!」
「……」
「だめ……?」
恐る恐る顔を上げ、クラージュを見てみれば複雑そうななんとも言い難い表情をしていた。嫌な顔をすると思った詩音はその表情に首を傾げた。
「……えぇ、構いませんよ」
「ほんと!?いいの!?」
頷いたクラージュの目の前をすぐさま陣取る。今の詩音の目はキラキラと幼い子供らしく輝いているのだろう。それを見てクラージュは今日何度目かの呆れたようなため息を吐いた。
クラージュは詩音に片手を差し出すと何かを呟く。するとクラージュの手にゆっくりと水が集まっていく。徐々に水が集まり形を形成していき、小さな水の球体が花の形になった。それはゆらりゆらりと揺れたかと思うと軽く弾けて二人に優しく降り注いだ。
「終わりです」
「……すごい……」
本当に魔法の世界なんだという実感と感動が脳に、心臓にクラージュの水の魔法のように弾けて降り注いでいく。
詩音の呟きにクラージュは不愉快そうに顔を歪めて首を振る。
「何がすごいんですか。貴方からしてみればこの程度、大したことないでしょう」
「うっっっそでしょ!すごいよ!!」
謙遜を詩音が大声で否定すれば興奮のままにクラージュ手を握る。手を急に取られたクラージュは肩を跳ねさせる。
「ッ」
「待って……いま感動してるから……待ってよ!!」
感動のあまり詩音の頬は真っ赤な林檎のようになっていて、体温上がり過ぎて汗もかいている。握った手があまりにも熱くてその興奮と感動がクラージュにも伝わってきた。
どんなに魔法があると言われても、いくら魔法の話をされても魔法のない世界から来た詩音に実感など湧かなかった。それが今実際に目の前で見ることが出来たのだ。騒がないわけがない。
「テンション上がり過ぎちゃった。フゥー……水がシュウって集まって、丸い形になったと思ったら花の形になったし、フーッ、パッて弾けた時、キラキラして……ッ~~めちゃくちゃ綺麗だった!!」
落ち着きを取り戻せない詩音は手を離して、語彙力は消失したまま身振り手振りでクラージュに感動を伝える。
「人間一人の心をこんなに揺さぶることが出来るなんてとってもすごいことなんだよ!ようするに、クラージュくんはめっちゃすごいよ!大したことないわけなんてないでしょ!!」
「……」
騒がしい詩音とは真逆に全く反応がないクラージュを不思議に思い表情を伺ってみれば、彼もこちらをジッと見ていた。しかしその表情はいつも胡散臭い笑みではなく、なんだか泣きそうな顔ををしていた。
それを見た詩音はギョッとして慌てる。もしかして騒がしかったのだろうか?何か嫌なことでも言ってしまったのだろうか?お腹が痛くなったのだろうか?
「鳥肌出たよ。見る?」
「嫌です」
泣きそうな顔が嘘のように真顔で即答だった。大丈夫、元気なようだ。
「ねっ!同じ魔法私も使える?」
「いや……人それぞれに属性がありますから同じようにできると思いませんねぇ……」
「……そうなんだ……」
眉を下げ、がっかりするとクラージュはその表情を見て狼狽えながら言葉を紡ぐ。
「あ、いや、でも、ミストラル家は代々風属性だとお話には聞いてます!ナタリア様は強い魔力を持つと言われる銀の持ち主なので強い魔法を使えるのは勿論のこと青い瞳をお持ちなので風の魔法か水の魔法が使える可能性があります」
「ほんと!?なんか出来そうなのね!」
「まぁ、確証はありませんが……」
「じゃあ、私やってみたい!」
折角のチャンスやってみないわけがない!詩音がそう拳を握れば、クラージュは死ぬほどめんどくさそうな顔をしてた。
◇
「見ててねー!」
魔法の使い方の基礎を教えてもらった詩音は、万が一のことを考え、怪我をしないようにクラージュには詩音の少し後ろに立ってもらう。
まずは目を閉じて集中。魔力が一番溜まっている心臓から手のほうに向かって魔力が流れていくことを意識する。手に魔力が集まったら精霊にその魔力を渡す。精霊は自分が成長するためには人間の魂にある魔力が必要らしい。そして人間の魔力を得た精霊は逆に自分の魔力を与えてる。そうすることで人間は属性魔法を使うことができる。
必ず心臓から離れたところで魔力を渡さないといけない。ある人が精霊に心臓ごと魔力を持っていかれたことがあるんだって……え?怖……。というか、私危ないことクラージュくんにさせてたんじゃないの?もう、興味本意で頼まないようにしよう……。
この魔力移動が瞬く間もなくできる人もいるみたいだけど子供のうちはまず基礎を徹底させることで大怪我しないようにするらしい。
……よしよし、なんかいい感じに集まってきた気がする。後ろはクラージュくんがいて、こっちは庭園があるから……この向きがいいかな。よし、……それで、魔力にどうやって信仰心の込めるのか分からなくて祈るしかできないんだけど、二礼二拍手一礼であってる?
雑念が多い詩音は更に二礼二拍手一礼を始める。そんな詩音を後ろから見ているクラージュは余計なことしてる……と物言いたげな目をしていたが大人しく見守ることにした。
「超かっこいい精霊様どうか私に力を……」
詩音は順調に手に魔力が集まってるのを感じながらあとはなんのために魔法を使うか意識する。
私が……私が魔法を使いたい理由は………。
詩音は後ろにいる自分の我儘に仕方なく付き合うクラージュの顔を思い浮かべた。
あの冴えない顔が少しでも……、
「よぉっし!それじゃあ、お願いします!!」
思ったことが少々照れくさくなって誤魔化すように大声を出せば勢いよく右手を何も無いところへ向けた。
途端、自分よりも遥かに大きな何かが音をさせずに手元の魔力を奪っていく感覚に詩音は思わず目を閉じる。
その数秒後詩音の身体が軽く宙に浮き、後ろに吹き飛ばされた。
「は!?」
そんな声が聞こえたと同時に背後に何かぶつかる衝撃と何か壊れる大きな音と地面が大きく揺れを感じたのを最後に詩音の意識は途切れた。
◇
「…………は?」
気づけば詩音は芝生の上に寝っ転がっていた。気絶していたのだろう。体が気怠い。それにしても魔法は使えたのだろうか?詩音は辺りを見回すが特に変化があるように見られない。魔法はそう簡単に上手く出来ないということなのだろう。少し残念に思いながら身体を起こそうと地面に手を着く。
「しまった!」
「うわっ!なんですか!?」
飛び起きれば額から濡れたハンカチが落ちる。誰が乗せてくれたのだろうかなど考えるまでもなかった。詩音の傍には彼しかいなかったのだから。
クラージュは急に叫びながら起き上がった詩音に驚く。気絶した詩音の看病をしてくれたのだろう、感謝すると同時に詩音はクラージュに重要な事を聞かなければならなかった。
「私、気絶してたよね。クラージュくんわざわざ面倒見てくれてありがとう……!」
「いえ……、流石に放っておく訳にはいきませんし……」
「それで……すっごい風吹いたけどスカートの中見てないよね!?クラージュくん後ろにいたけど」
「え………?いや!そんなこと言ってる場合ですか!?貴方、」
「は?そんなこと?乙女のスカートの中見といてその言い様はなんなの?」
すごい剣幕で胸ぐらを掴めばギリギリと音が鳴り、クラージュの顔が青くなるが詩音は気づいていない。
「今日はそんな見せられるようなものじゃなかったのに…!勝負パンツじゃないものを見せたら私もクラージュくんも切腹ものなの分かる?見るほうも見せる方も命懸けなんだよ!?見たか見てないか。見たなら記憶を消さないと……」
理不尽を並べ立てて右手で拳を握ればクラージュは慌てて頭を守り叫びながら弁解する。
「見えてない!!見えてないですから落ち着いてください…!」
胸ぐらから手を離せばクラージュは大きく咳き込む。流石にやり過ぎたと直ぐに冷静になった詩音はクラージュの背中を擦る。
「あれ……を……見てください」
「?」
息も絶え絶えにクラージュはとある方向を指差す。釣られて見てみれば、詩音はその方向の惨状に気づくと驚愕で目を見開いた。なんと婚約者の家の一部に大きな穴が出来ていたのだ。
「敵襲!?!?」
「いや、貴方の起こした突風が抉っていきました」
なんの冗談かとクラージュを見るが何も言わずに詩音を見つめて無言で頷く。
「……いやいや、確かにあっちのほうに向かって使ったけどお家からだいぶ距離あるから大丈夫って言ったじゃん……!」
クラージュがいる方向はだめ。庭がある方向もだめ。この方向は遠くに家があるがまぁ、大した威力は出ないだろうとクラージュと決めたのだが……。
「………」
「……本当なの……?」
クラージュはもう一度頷いた。事態は思った以上に深刻なようだ。詩音は被害の確認をすることにした。物置とかなら多少は大丈夫だろうそんな一縷の希望を抱きながら。
「ちなみにあの部屋は誰の部屋かな~なんて」
「あー……、……あの部屋は両親の寝室ですね」
「私今日死ぬのでは?いやいや、もしかしたら使用人か家族のうちの誰かが偶然同じタイミングでお部屋に穴開けたとかさ……」
「そういう高等な技術者はないですねぇ……」
「待って。嘘だと言って……誰がこんなことを……」
「……ナタリア様ですねぇ」
情け容赦ないクラージュのトドメによろよろと両膝と両手を芝生につける。家を壊すところを見られてしまった……。しかも壊したのはクラージュの親の部屋。
顔を真っ青にして身体を震わせた詩音はクラージュに全身全霊の土下座をする。
「……ごめんなさい!!!」
「うわっ!?なんですか急に!?」
「親御さんの愛の巣をぶち壊してすみませんでした!!」
「頭下げないでください!なんか普通に怖いんですけど!」
「魔法教えてとか軽々しく言ってすいませんでした!!」
「本当にあなた令嬢としての誇りはないんですか!?」
こっちは中身最初から令嬢じゃないから!平々凡々一般家庭の女子高生だから!
「ど、どうしよう!お父様に怒られるぅあ゛あ゛!!」
今朝、テオフィルスに口を酸っぱくして色々言われていたことを詩音は思い出す。今の惨劇見たらきっと胃痛どころではないだろう。もしかしたら倒れてしまうかもしれない。
どうしよう……私もお父様も救われる唯一の方法それは……!
「隠蔽工作………」
「……ふ」
真面目な顔で詩音がそう呟けば、頭上から何か噴き出すような音がした。驚いて顔をあげれば、耐えきれないと言わんばかりにクラージュが笑っている。
笑っていたのだ。あの胡散臭い笑みではなく、屈託の無い笑顔で。
「ふふ……、はは。はははっ!!」
「!」
「待ってくださ……ッ!なんなんですか貴方ほんとに…ははっ!」
笑い過ぎて目元に涙を浮かべるクラージュにただ目が離せなかった。
家を壊したし、多分今から怒られるし、どこに笑う要素があったのか全く分からない。でもいつの間にか詩音もクラージュと同じように笑みを零していた。
「どうしよう私、天才かもしれない」
◇
「あー、すっきりした……」
クラージュはひとしきり笑うと詩音の手を取り立ち上がらせる。
「いいんですよ。むしろ僕的には再生不可能にしてやってもよかったんですがねぇ」
「え……?いや、ていうか、これからどうしよう……まだ部屋に戻ればバレないかな」
さっさと元の部屋に戻ろうとした時、どこからか怒声が響いた。
「ナァタァリィアァア!!!」
「え!?お父様!?なんで!?足はやっ!え!?足速い!!」
顔を真っ赤にさせ阿修羅の如き顔で走ってくるテオフィルスの顔が見えた。もう帰る時間だったのかと詩音は気づくと回れ右をして走り出す。しかし捕まるのは時間の問題だろう。
「こわっ!怖い!追いつく追いつく!ア゛ー!!」