49.再会を貴方に
「ふぅ……」
魔物が完全に消えたのを確認すると詩音は倒れている男の傍に膝をついた。穏やかな寝息が聞こえてくる。その呼吸がこの試練の成功を静かに語っていた。
「もう大丈夫だね」
安堵の言葉を呟けば、牢屋の扉が開いた。
「ナタリア様!」
「お嬢様!」
「クラージュくん!ミラ!やったよ!」
入って来た二人に無事の意味も込めて元気よくピースサインを見せる。しかし返ってきたのは、
「なんか拳に頼りすぎてませんか?」
「あーあ、床をへこませて。これ、弁償じゃありません?」
「あれ?思ってた反応と違うな……」
首を傾げる詩音にクラージュとミラは肩をすくめる。二人からしてみれば彼女がやり遂げるなどわかりきっていたことだ。
それよりもこの後の彼の反応が気がかりだった。
そんな彼らの後ろから全てを見守っていた公爵と着ぐるみが姿を現す。
「公爵」
「クロエ様のお父様!」
二人を見下ろす公爵に詩音は姿勢を正す。
「魔物も取り除いたし、この人は大丈夫です。数日したらきっと目を覚まします。一応まだ拘束はしておいた方がいいと思いますけど、食べられそうなものは用意したほうがいいかも!きっとお腹空いてますよ」
「ちょいと失礼するヨ~」
にこにこと嬉しそうに微笑む詩音の両肩に手を置いて移動させた着ぐるみは男に己の鼻を近づけ匂いを嗅ぐ動作をし、両手を高く掲げた。
「マジか、ヴェルサン!本当に欠片も残ってないぞ!」
着ぐるみが大声で騒ぎ立てるも公爵は何も言わない。
今まで幾度となく繰り返してきた無力感、救えなかった命の重み、諦めざるを得なかった日々。それが今、目の前で覆されようとしている。長い闇の中で初めて見た一筋の光に、胸が熱く締め付けられた。
これならきっと────
「クロエ様のお父様……?」
長い沈黙に詩音は何か間違ったことを言ったのではないかという不安が湧き上がってくる。視線をさまよわせたのち、おそるおそる首を傾け、相手の顔を伺えば、
「クロエ様のお父様……泣いてるの?」
その目の端に光るものが見えた気がした。しかし顔を上げた公爵の表情はいつもの厳しいもので詩音はさっきのは見間違いだったのかと思った。
「いいや、……それより怪我は?」
「丈夫なのが取り柄なので!へっちゃらです!」
「そうか……」
公爵は静かに目を伏せると深く頭を下げた。
「公爵様!?」
その姿にミラとクラージュは思わず目を見合わせる。あの宰相がそんな振る舞いをするとは誰も思いもしなかったからだ。
「謝罪させて欲しい。君たちの実力が本物であることはもはや疑いようはない。私は己の先入観で否定し、話を取り合おうともしなかった」
「頭を上げてください!貴方であろうお方が!」
「君たちが成し遂げたことがそれだけの価値があるのだ」
内容が頭に入ってこない。国を動かせるような立場の人物に頭を下げられていることがクラージュには耐えられなかった。
「やめてください!やめてください!仕方のないことでございます!!そもそも、私どものような未熟者の言葉を、誰が信じてくださるでしょうか!むしろ、このような機会を頂戴し、公爵様には感謝申し上げねばならないくらいでございます!」
「クラージュくんの言うとおりです!……本当にありがとうございます」
公爵は頭を上げると真っ直ぐと三人を見つめた。その目には覚悟が決まっている。
「君達の願いを果たそう」
詩音はその言葉に表情を明るくする。
自分達はその言葉の為にここまでやってきた。しかし──
「本当にいいんですか?バレたらきっと……」
その先を言うなと言わんばかりに公爵は首を振る。彼の表情にもう迷いはなかった。
「何よりも優先されるべきなのは国民の安寧だ。私は今すべき最良を選んだつもりだ。それが間違いだったとすれば私は甘んじて罰も受けよう。君たちにはその力をこの国の人々の為に振るって欲しい」
「はい!」
詩音は力強い返事にクラージュとミラも頷いた。
「しかしこのことは最初に言ったようにここにいる者たちのみが知る情報だ」
ここにいるのは公爵、着ぐるみの研究員、詩音、クラージュ、ミラ、フードルだ。
それはつまり、彼女にも秘密ということだろうか。
「クロエ様にも?」
思わず問い掛ければ公爵は眉間に皺を寄せ厳しい表情を向ける。そこには複雑そうな感情が入り混じっていた。
「…………これは君たちを守るためだ」
「それなら致し方ありませんね。公爵様がそう提案したのは私達を案じてのこと。その配慮無駄になどしませんよねナタリア様?」
「うーん……」
彼女との間に秘密ごとは無しにしたい。けれど、その思いが伝わったのか、あるいは読み取っていたのかクラージュは言葉を重ねてくる。
「ナタリア様?これはきっとクロエ様を巻き込まないという意味も含められています」
「…………わかったよ」
詩音は小さく息を吐き、視線を逸らしたまま首を縦に振る。
公爵はそれで充分と判断したのか、眠る男へと視線を移す。
「あとのことは私達に任せなさい」
「じゃあフードルくんはこのまま連れて行ってもいいですか!?」
「え」
「あぁ」
「え」
「ほんとのほんとにいいんですか!?」
「時間は有限だ。早くしなさい」
「やっ、やったーーーーー!!!」
詩音はその場で飛び跳ねてミラとフードルの手を取る。その仕草には、これまでの緊張が嘘のように消え去っていた。
その言葉をどれほど望んでいたか。
「よし!ミラ、フードルくん行こう!」
先ほどから同じ言葉しか発しないフードルは公爵と詩音を交互に見ながら手を引かれる。
「え?え?」
「フードルくんったらまだ脳の処理が追いついてないみたい。私が担ぐよ」
「いいえ、ナタリア様はお疲れでしょう?僕が連れていきます。ほら、早くして下さい」
「ぐぇ!!クラージュ!首!締まってる!」
◇
馬車の中、揺られながらフードルは当初から気になっていた疑問をようやく口にする。
「キミはどうして僕をあの場所へ連れてきたんだい?」
「ええっとね……」
体の疲れか、それとも安堵からか、詩音は馬車の窓枠に寄りかかり、目蓋を何度も瞬かせながらぽつりぽつりと問いに答えていく。
「ふむ……つまり、聖女の加護がある人間は魔物を浄化出来る。加護があるのは今のところナタリア、クラージュ、第二王子とボク。だが、キミは浄化魔法を使えるが激しい痛みを伴った。だから魔力の少ないクラージュに使わせるより先に僕を実験台にした。そういうことだね」
「そういうことになっちゃうね」
「酷い子だね。ボクにだって被害が出る可能性もあったんだろ?」
「でも、私みたいにはならないと確信してたから」
その返答にフードルは首を傾げた。
「……どうして、そんなことが分かったんだい? そもそもどうして僕が聖女の加護を受けてるなんて思ったの?」
「ん」
左腕の袖を捲り、ひび割れたような火傷をまた見せる。その痛々しさに周囲の人間は自然と目を細める。
「この傷だけは治らなかったから」
シリウスに引っ掻かれた腹も、あの騎士団の隊長に吹き飛ばされた右腕も今は綺麗に治ったのにフードルの魔法で傷ついた火傷の箇所はいまだに治っていなかった。それはフードルが魔物に傷を与えられる人間、つまり聖女の加護を与えられた人間だと、詩音はそう考えた。
「他に傷つけられても治ったのにキミのつけた傷は治らなかったから、そう思ったの」
聡い彼なら気づくだろう。それでも別にいい。それよりはフードルには自分自身の能力を理解していてほしかった。
案の定、何かを考えていたフードルは驚いたように顔を上げる。
「…………それってつまり、キミってさ」
その先の言葉は続かない。短い沈黙が馬車の揺れとともに流れる。
フードルは小さくため息を吐き、肩の力を抜いた。
「いいや、なんでもないよ」
詩音は意外そうにフードルを見つめた。
「聞かないの?」
「女の子に秘密は一つや二つ、つきものだろう?」
「でも私は聞きたいことあるんだけど!ストロベリーブランドに金色の目の女の子見てない!?見たでしょ!どう!?元気そうだった?」
「えぇ?…………知らないなぁ」
「嘘だ〜!」
詩音の追及に何故かフードルは笑って誤魔化しのらりくらりと交わしていた。やがて、言葉を重ねるうちに、詩音はいつの間に隣に寄りかかりすよすよと眠りに落ち寝ていた。穏やかな寝顔を眺めて、その隣に視線を向けた。
「で、キミはどう思ってるんだい」
「僕ですか?」
「だって隣の使用人さんはずっと無視するんだもん」
片肩の重みをそのままにクラージュは眉間に皺を寄せた。
「全く、散々ですよ。今後は公爵の名をお借りしてある程度自由に動けそうではありますが……もっと他の手があったかもしれないと今でも思わずにはいられません。これではとても釣り合いが取れたとは言えませんね」
片手で額を抑える姿は後悔が滲み出ている。
「聖女だってミストラル家の力を使って見つからないなら穏やかに暮らしている、とは考えにくいでしょう。仮に見つけたとして何かしら厄介ごとを運んでくるとしか思えません」
「それでも彼女が望むのなら叶えたいのだろう」
「放っておけば無茶をする人です。手綱を握られるのは僕だけですから」
クラージュのその返答にフードルは窓の外へ視線を滑らせる。
移り変わる景色に未来を見据えるように。
「お互い、大変になるだろうね」
◇
そうして港に着いた一行。潮の香りが鼻をくすぐる。空は既に茜色に染まり始めていた。約束の場所には誰の姿はなく、ただ波の音だけが静かに響いている。
「いない……?」
フードルは海の果てまで眺めるように目を細めると踵を返す。
「ま、そうだろうね。もう何日も経ったんだ。じゃ、今度はクロエの家まで頼むよ」
馬車に戻ろうとするフードルを詩音が咄嗟に引き留めようとした。その時、
「……あれ?」
ふわりと漂ってきた甘い香りの煙。それには覚えがあった。
「!」
「あ、フードルくん!」
煙を追いかければそれは人気の少ない路地裏まで続いていた。息を切らしながら奥へ向かうと、
「バカね。そんなところに大っぴらにいるわけないじゃない。私達、手配書張り出されちゃったのよ」
煉瓦の壁にもたれ腕を組んだその姿はアルゴルそのものだった。不機嫌そうな口調だが、表情には確かな安堵の色が浮かんでいる。長年の付き合いがあるフードルだからこそその微妙な変化も見逃さなかった。
「アルゴル!」
「おっそいのよ!あんたたち!」
「ごめんね!私がよく眠ってて」
「ったく、……怪我はなさそうね」
アルゴルの視線がフードルの体を上から下まで確認する。表面的には毒づいているがその瞳には心配の色が濃く滲んでいた。
「キミたちとは違って歓迎されてしまったよ」
「あら、なら置いていけばよかったわ」
「やだなー」
「でも、もう出発してるかと思った」
「アルが言ったんだ。必ず連れてくるだろうからもう少し待てと」
アルゴルの後ろからシリウスが現れる。
「シリウスさん!体はもう大丈夫?」
「あぁ、お前も無事で何よりだ。それにしてもお前たちよく、王子を連れて────」
シリウスの視界にミラが映る。
「────」
夕暮れに染まる港の空気が、一瞬静まり返る。潮風もその動きを感じ取ったかのように止まった。
シリウスは狼男の姿に変わり、詩音たちの横をすり抜けその後ろに控えていたミラを押し倒した。
「シリウス!」
制止の声は聞こえていないようで鋭い牙を剝き出しにして今にも食らいつきそうなシリウスの姿を見て詩音たちの動きが止まる。ミラは抵抗も助けを求めることもせずただ目の前の瞳を見つめ返していた。
この子になら首を噛みちぎられても構わなかった。それほどのことをしてきた。優しい彼の心に深い傷を刻み込んだ。その報いを受けるのは当然のことだった。
「シリウス……」
せめて別れの前に見納めておきたい。
こちらを真っ直ぐ見る瞳が初めて会ったあの頃と同じように澄んでいて、
「綺麗」
それだけが救いだった。
一瞬の冷たい感覚。引き千切られるような痛みがくると思ったがそれはやけに柔らかかった。
「……シリウス?」
鋭い牙ではなく温かな顔が首筋に埋めるように押し付けられる。そこから聞こえてきたのは嗚咽のような声だった。
「変わらないな」
大きな体を子供のように丸めてミラにしがみつきながらまた涙を零した。
「俺が憧れたあの凛々しい姿のままだ」
ミラはその言葉に息を呑んだ。
頬に温かなものが流れる。震える手を伸ばし、シリウスの頭に触れその毛並みを優しく撫でる。
あの頃は小さかった頭が、今はこんなに大きくなっている。言いようのない幸福感が胸の奥で静かに広がっていくのを感じた。
「シリウス……、貴方は…………随分と大きくなったわね」
私はその姿をずっと見たかった。




