39.52ヘルツの泣き声は聞こえるか?
全部思い出した。ここに来る前のこと。どうしてこの姿なのか。
私はナタリアと出会ってあの暗闇からナタリアを迎えに行かなきゃいけない。
だけど今の私にはそれよりも先にすべきことがあった。
「クラージュくん!!」
「わぁ!?ナタリア!?」
詩音は起き上がってすぐに走り出す。
リアムとマルスランは死にかけたようにぐったりしていた詩音が走り出すのを驚いてぽかんと見ていたが慌ててその後ろ姿を追いかけた。
「ナタリアもう大丈夫なのか!?」
「うん!全然平気!」
「いや!お前、自分の脇腹見てみろ!絶対大丈夫じゃねぇよ!」
「全部返り血」
「怖いこと言うな!!」
なんか横からすごい言われてる気がする……!
それよりも、飛んでる時ははっきりとは見えなかったけどさっきの氷魔法はクラージュくんがやったに違いない。だけどあんなにすごい魔法を負担なしでできると思えない!しかも魔力の少ないクラージュくんが使ったとなると……。
「いた……!」
地面に倒れている人影を見つけ詩音は足を更に早める。
「クラージュくん!」
うつ伏せに倒れていたクラージュを抱き起こせば鼻や口から血を流す。
「クラージュくん!!」
こんなに無茶してたなんて…!
詩音は泣きそうになりながらクラージュの手を握り声を掛け始める。
「クラージュくん、クラージュくん…っ!しっかりして…!」
「ナタリア落ち着け」
体を揺さぶる詩音の肩に手を置いたのはリアムだった。隣に屈んでクラージュの状態を確認する。
「血は……もう止まってるな。変な方向で倒れてないのが幸いだったな。だけどかなり無茶したみたいだ。医者に早く見せないと……マルス。背負ってやれるか?」
リアムが振り返った先にはマルスランが呆然と立ち尽くしていた。
「お、れは……」
「マルス」
「あ、あぁ。……いける」
リアムの一声にハッとするとぎこちなくクラージュに近づいて背負う。体勢が安定しているのでリアムはとりあえず大丈夫そうだと判断すると今度は詩音の方を向いた。
詩音は暗い表情で俯いていた。その表情がリアムは気にいらなかった。
「おい」
バチン!!!
「!」
リアムはその沈んだ顔に一喝してやろうと口を開く。けれどそれより先に詩音は自身の両頬を叩くと顔を上げた。その行動にリアムは目を瞬かせる。
「早くクラージュくんを運ぼう」
「……あぁ。クロエ達も待ってる」
先頭に立って歩き始めるリアムの後に続こうとした詩音の足が止まる。
これで終わりじゃない。結局誰がクロエ様とクラージュくんを襲うように指示したのか分からなかった。
二人をもう二度と同じような目に合わせるわけにはいかない。
「先に行ってて!」
リアムの声がするがその声を振り切り走り出す。二人にはクラージュくんの傍にいて欲しかった。
目当ての場所につけばそこは騎士が何人もいてその中心に詩音が話したかった人物はいた。
騎士の間をすり抜けアルゴルの前に姿を見せれば彼はゆっくり顔を上げた。
「お嬢ちゃん……やってくれたわね」
その声音は意外にもとても穏やかなものだった。
「アルゴルさん。聞きたいことがあるの」
詩音の言葉にアルゴルは視線を下げて人の姿に戻った男をじっと見つめて、それから頷いた。
「貴方には借りを作ったからね…。私が知っている限りのことは話すわ」
「ありがとう!」
こちらも先手を打たないと。
◇
「なにをしているの?………ミラ」
潜んでいた物陰から出ればミラは驚愕に目を見開いていた。
それもそうだろう。いると思わなかった人物がいきなり目の前に現れたのだから。
「お嬢……様?どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだよ。どうしたの?こんな時間に」
しかしミラはそんな言葉など聞こえないのかすごい剣幕でこちらに近づいてきた。
「お嬢様が!!!」
「えっ!何!?」
「お嬢様が……賊に襲われてここに運ばれたって聞いて…。重傷だと聞いた時はどうしようかと……」
私の肩を勢いよく掴んでそう言うと力を使い果たしたようにへなへなと座り込んだ。俯いて表情は分からないが手両手を祈るように額に当てる姿に胸が痛くなる。
だけど……
「そうなんだ。ごめんね。なんだか心配かけちゃったみたいで」
落ち着いて返事をする私に違和感を感じているのだろうか。顔を上げたミラは不思議そうに首を傾げた。
「お嬢様…?」
今、私はどんな顔をしているのだろう。しっかりしないと。ここからが正念場だから。
「私さ、アルゴルさんと話したんだよね」
包み込む手に力が入ってしまったことにはミラ自身気づいているだろうか。
「それって誘拐犯のことですか?またそんな危ないことを……」
「ねぇ、ミラ。どうしてクラージュくんとクロエ様が拐われたにあの日、私に誰も来ないって嘘をついたの?」
「え?」
「私の予定を把握してるのってミラだよね」
「………もしかして何か私を疑っているんですか……?」
私の言葉に声を震わせるミラに自分が今からしようとすることに罪悪感を抱く。
私だって……、
「なら、ミラはどうして今この部屋に?」
「それは聞いたお部屋にお嬢様がいらっしゃらなかったので、それならクラージュ様のお部屋しかありえないと思ったんです」
「そう……」
その言葉にミラの両手から逃れて一歩下がる。
「悔しいなぁ…」
私だって信じていたかった。
後手に背後にあったベッドのシーツを引く。ベッドには誰もいない。
「え……?」
だけどミラにとっては想定外のはずだ。ミラの耳にはこの部屋にクラージュくんがいると届いていたはずだから。
「私に一番に会いに来てくれていたならいいなって思ってたのに」
「どういうことですか……?」
「クロエ様のお父様に頼んだの。他の人達には内緒で部屋割りは私達しか知らないようにしてほしいって。クラージュくんの部屋には私が。私の部屋にはお兄様がいるんだ」
ミラはあの日、どうしてクラージュくんとクロエ様が来ることを教えてくれなかったんだろう。どうしてミラがいないタイミングに限って狙われるんだろう。
どうして……、
「確かな証拠はないけど気になることは幾つもあったの。だから私の中の疑いも晴らしたかった。もし、お兄様を連れて此処に来てくれたならミラのことまだ信じていられたかもしれない。だけどここにはミラ一人。真っ先にクラージュくんの部屋に来たってことでしょ?」
「……」
「もう一度聞くよ。ミラ、何をしに来たの?」
「………どうして?」
背筋が凍るような視線だった。ミラは怒りと憎しみに歪んだ顔でこちらを睨みつけた。
「貴方はナタリアお嬢様の為にナタリアお嬢様を振舞っているのでは無いのですか?」
その言葉に少し動揺する。ミラは私がナタリアでないことに気づいていたのだ。
「……一応そのつもりではいたよ」
「だったら何故クラージュ・アビスを守るようなことをされるんですか!?貴方は知らないのかも知れませんけどクラージュ・アビスは……あいつのせいで、あいつが…ナタリアお嬢様を殺したんだ!」
「クラージュくんが……?」
クラージュくんがナタリアを殺した……?私がナタリアの代わりになった後、クラージュくんと出会ったのだからそんなことはありえない。
それなら一体何のことをミラは言っているのだろう。
「意味が分からないでしょうね!私だって、こんな…意味が分からない…なんでこんなことに……!!」
苦痛に顔を歪めさせるミラ。
……もしかしてゲームストーリーでのことを言っている?だとしてもどうしてミラがその事を知っているの…?
「だからって今何もしてないクラージュくんやクロエ様を傷つけるの?」
「害を未然に防ぐには当然のこと!これが一番の最善じゃないですか!ねぇ!」
悲痛なミラの叫びに詩音は首を振る。
「私はそうとは思わない!」
「あ……あは、は……なにそれ……ならあんたはナタリアお嬢様の皮を被ってこれからものうのうとクラージュ・アビスと一緒にいるっていうの?────ふざけるな!!」
絶叫が部屋の外まで響いたのかこちらに近づいてくる音が複数聞こえてくる。
「ちょっ!そんなに騒いだら────」
そんなミラを落ち着かせようと一歩踏み出すが突然三方を鏡で囲まれる。そこ映っていたのはナタリアではなく紛れもない詩音の姿で、
「────」
その姿に動揺してしまった詩音は近づいたミラに気づかず鏡の方へ突き飛ばされた。
「うわっ!」
ぶつかる衝撃に身構えるが鏡とは衝突せず、ずるりと通り抜けた。しかしバランスは取れずに転ぶ。
「いたた……!……ここは……?」
鏡の先はミラといつも買い物に行く街だった。驚いて辺りを見渡す詩音の背後で別の鏡からミラが現れる。
「ミラ!」
「あんたがナタリアお嬢様じゃないことはすぐに気がついた。最初はクラージュ・アビス、クロエ・ダルティフィスを懐柔する為にナタリアお嬢様が用意したと思ったけどあんたはそんなこと一向にしない。だから私が始末してしまおうと思った!なのに何度も何度もあんたは!いつもいっつも邪魔をする!!」
鏡に写る詩音の姿が黒く濁った人の形をした何かに変わる。
「人じゃ無いくせに!ナタリアお嬢様に取って代わって生きてるのに!邪魔をしないで!」
鏡はミラの激昂に合わせるようにヒビが入り、割れる。パラパラと破片が落ちて詩音に小さな傷ができる。
────ミラは全部知っていた。私がナタリアでないことも私がどういう存在かということも。私よりも先に知っていた。
詩音は手の平を見つめる。傷からは黒い靄が湧き、少しすれば元々怪我などしていなかったように元通りになっていた。
私がこの事実に未だに気づいていなかったらきっと傷ついていたかもしれない。
「……そうだね。ミラから見ればそう思うのは当然なのかも」
そう一言、詩音はミラの言葉を肯定し頷く。肩で息をしながら目を見開いたミラに泰然たる態度で一歩、また一歩と近づく。
「元々こうなったのは自業自得でこうやって過ごすのは本当はいけないのかもしれないと今も思う。……だけどこんな私を助けてくれた人達がいる」
「やめて……」
「だからこそこのままクラージュくんやクロエ様、ナタリアを殺させたりしない。この世界を終わらせたくないミラのことも────」
「やめて!!!」
これ以上言うなと声を荒らげて言葉を遮ったミラは何かに怯えているかのように身体を震わせている。詩音から見てもはっきり分かるほど今のミラの状態は不安定だった。
「いらない!!そんな必要ない!!貴方は奪われる側、貴方はただ巻き込まれただけ。誰かを救う必要なんて全くない!!!」
頬をひきつらせながら、震える両手を伸ばした。
「貴方のこと嫌いでは無いんです!私が全て壊しますから!もう私、平気なんです!痛いのも苦しいのも壊すことも落ちていくことも!私のおかげだと言うのなら。貴方は何もしないでほしい。ね?お願いだから……」
ミラは潤む瞳で必死に懇願する。その瞳を詩音は揺るぎのない真っ直ぐな瞳で見つめて、告げる。
「ダメだよ」
詩音の否定にミラの目から光が失って黒く濁る。伸ばしていた手が素早く細い首を狙う。
「それじゃあ、死────」
「んだりもしません!いい加減にしなさい!!」
そんな事分かりきっていたかのように詩音はそれよりも早くミラの頭をはたいた。
「え……?」
はたかれた頭を押えて呆然としているミラの前で詩音は仁王立ちで腕を組む。
「私はねぇ、怒ってるの。どうして一人で抱えてたの?どうしてこんな方法しか思い浮かばなかったの?どうして言ってくれなかったの?……とかは言えない。私もそうだから。
……言えないよね。こんなこと」
こんなこと言ったってどうしようもできなくて、きっと苦しめるだけだ。別に同じように苦しんでくれる仲間が欲しいわけじゃない。
「でも今私は知った!知ったからミラに寄り添うことができる!」
「よ、寄り添う……?」
「聞いて欲しい。ミラ、私は自分が人じゃないことを知った。だからこそミラが今悩んでる意味わかんない出来事をなんとかできるかもしれない可能性の塊ってわけ!わかる!?これからはミラ一人じゃなくて一緒にどうにかできるかもしれないってこと!」
「一緒に……?」
まるで初めて聞く単語だという表情に詩音の怒りはますますヒートアップする
「それなのに何もするなとか言うし、一人で壊すとか言うししかも殺そうとしてくるなんて!あー辛い辛すぎるミラは私のことめちゃくちゃ好きだと思ってたからほんとに辛い」
「な!?べ、別に好きじゃないですけどぉ!?」
「好きじゃないのに傍にいて欲しいの?へー、ふーん。そぉ~なんだ」
「ぐ…」
ぐぎぎ、と悔しそうに歯ぎしりするミラを見て詩音はいつも通りのミラに戻ってきたと内心安堵する。
「……アルゴルさん言ってたよ。二人のこと殺せとかじゃなくて救って欲しいって言ってたって」
どうしてミラはアルゴルにそう頼んだのだろうか。元々アルゴル達は本当に子供たちを助けたいと思い動いていた集団だった。ミラはそれを知っていたはずだ。確かに初めはクラージュくんとクロエ様を殺すつもりでいたのかもしれない、だけどその選択肢を増やしたのなら私は、
「私はその選択をしたミラのことを信じたい。クラージュくんのところに行ったのも私が止めに来ると思っていたって信じたい。壊すんじゃなくて新しく作ろう。一人じゃ難しいけど二人ならちょっと難しいくらいになるよ」
ミラは目を丸くして詩音を見つめていたがその瞳はまた陰り諦めたように俯いてしまう。
「もう沢山のものを壊してきた。私はきっと貴方の期待に応えられない。どうせまた……」
「……一人で悩んで決断してきて不安だったよね。それが一度きりじゃなかったんだよね。苦しかったよね。でも今度は私がいるよ」
手を強く、痛むぐらいに握る。
「これからはこうして手を握ってるから。ミラが良くないことしたらすぐにでも止められるよ。だから大丈夫」
優しく微笑んだ詩音にミラはぽかんと口を少し開けてしばらくそのまま呆然としていたがやがて目元を嬉しそうに細め、けれど寂しそうに眉尻を下げた。
「アア……、そう、それも一つの手だったんですね。もっと早く、あの子達ともそう……頼んでたら……。私、マチガえちゃいました……」
「まだ遅くなんか…」
その言葉をを遮るように首を振る。
「泣き声が聞こえるんです。ナタリアお嬢様の声が。助けてってそれがずっと止まなくてだから私、ラクになりたくて道を踏み外したんです。これがワタシのジゴウジトクってやつですよね。なのに頭はまだ痛くて、イタくてクルしくて」
握った手が音を立ててヒビが入る。
「ヒビが…!?」
力強く握りしめ過ぎたのかと顔を上げるとミラの顔もよく見れば体中にヒビが出来ていた。しかしミラは痛がる様子はなく微笑む。
「ナマエもシらないアナタ。アナタと過ごす時間、ワルくなかったです」
詩音の背後に鏡が一枚現れる。と同時にヒビに耐えられなくなった身体が音を立てて割れた。
「ミラ!!!」
破片が散る。しかし詩音はそこから一歩も離れなかった。ミラを一人にしてはいけないと思ったから。
破片は容赦なく襲い掛かり身体を傷つける。
キラリ。
輝きが目に入る。その痛みだけはどうしても耐えられず詩音は目を閉じた。
「ッ──!」
目を開ければそこにはミラが立っていた。しかしそれは今までの彼女の姿とはまるで違った。
死んでいるかのような血の気のない青白い肌、暗闇に混じって溶けてしまいそうなほど黒々とした髪や瞳。それはもう詩音を映していなかった。虚空を見つめる黒い瞳から一筋、黒い涙が流れる。
「アァ……」
「ミラ!?どうしたの!?」
ミラは唸り声を上げて蹲る。一体どうしたのかと詩音は慌てて近寄ろうとするがそれを妨げるかのようにミラは大きく口を開くと人間とは思えない耳を劈くような高音を発した。
「ぐぅ!?」
その叫声は街中に響き渡る。耳を塞ごうとした詩音だったが叫声と共にゴキリと嫌な音までしてきた。何かが軋むような、砕けるような音が。
その音の正体を目にしようとした詩音だが突然背後から襟首を掴まれすごい力で引っ張られた。
「うげっ!?」
地面に転がると同時に何かを叩き割る音。痛む体を擦りながら起き上がれば、
「いたた……」
「あんたなにしてんのよ!」
そこには慌てた表情のアルゴルがいた。




