36.手を伸ばす先にあるのは
「意外と粘るわねぇ」
どんなに鞭で痛めつけても走り出す。奪った鍵を絶対に手放さない。魔法を使おうとした瞬間だけちまちまと氷でいやらしく攻撃してくる。鬱陶しくて面倒なことこの上ない。しかしアルゴルはそれを見て目を目を細める。
「やだわ~昔の自分を思い出しちゃう」
場に応じた対応が出来て頭が回る。きっと彼に魔力がもう少しあればやられたのは自分かもしれない。だけど魔力がない。それだけ。でもそれだけで彼の世界は狭まる。
そのことを哀れに思いながらも猛攻の手を緩めることはしない。クラージュはそんなアルゴルのほうをちらりと一瞥すると足を止め懐に手を入れた。
「させないわよ」
「!」
しかしそれを見逃すアルゴルではない。鞭をしなやかに動かすとクラージュが取りだしたものを巻き取って奪い取る。奪ったそれを見ると目を丸くした。
「あら、霊薬じゃないの。鞄はちゃんとチェックしたのにこんなもの一体どこに隠し持っていたのよ。没収!」
試験管を傾ければピンク色の液体がゆらゆらと揺れる。それを見て目を細めるとクラージュのほうへ見せつけるように掲げた。
「確かに貴方にはおあつらえ向きの代物ね。だけどこれを使うの辞めておいた方がいいわよ」
俯いているクラージュの表情は伺えない。その反応を見てもう次の手はないのだろうとほっとする半面、残念だと思うアルゴルがいた。もっと早くに決着がつくと思っていた。だが蓋を開けてみればこの有様だ。だから彼は無意識にクラージュに期待をしていたのだ。その期待に裏切られたからこそ、彼は残念がっていたのだ。
しかしそれはアルゴルの思い違いだったとすぐに気づくことになる。
「もう遅いです」
「え?……貴方、まさか!」
辺り一面が凍えてしまいそうなほどの冷気にアルゴルは思わずその場から飛び退いた。と同時にそこから氷の柱が地面を突き破って生える。
その瞬間、強烈な痛みが襲いクラージュは思わず胸元を抑えた。
「なるほど……これはすごいわ」
自分の身長よりも大きな氷の柱を眺め、クラージュに視線を向ける。荒く肩で息をするクラージュにもう一度自身が手に持っているものを見つめた。
「霊薬は一時的に強力な力手に入るけれどその代償に剥ぎ取るような痛みが走る……。そんなことも知らずに使った訳では無いでしょう?」
荒く息を吐いてばかりで返事のないクラージュにアルゴルの瞳がだんだんと冷めていく。
無鉄砲ってわけ?
「はぁ……私が貴方を過大評価し過ぎたみたいね。……もう、まともに動くこともままならないなら嬲りがいがありそう、ね!」
よろめくクラージュにアルゴルは容赦なく鞭を振りかぶる。
「クラージュ!!!」
そんな声が聞こえたと思えばクラージュの体は宙を浮いていた。
「クラージュ無事か?」
銀色の髪をきらきらと輝かせながらこちらを伺う青い瞳にクラージュはようやく来たと息を吐いた。呆れではなく安堵から吐いた息である。
「全く無事では無いですけど降ろしてもらえますかリアム様」
横抱きにされたままいつも通りの様子のクラージュにリアムは嬉しそうに笑う。
「お前らが攫われて肝が冷えたが思ったより大丈夫そうだな!」
「それはご心配をお掛けしました。ですが今は僕よりもナタリア様のほうが……」
その言葉にリアムの顔つきは険しくなる。
「……ナタリアは?」
「おそらくここよりも更に上のほうに」
「そうか」
そう言ってクラージュを下ろすと肩に手を置き耳元に口を寄せる。
「こいつは俺らに任せて行け。魔法をそう易々と使うなよ。ナタリアのところに行った時にお荷物状態にならないようにな」
「わかりました」
その返事に満足そうに頷くと背中を押す。
「すぐに行くからもう少し頑張ってくれ」
「……言われなくても」
押された勢いのままよろよろと一歩二歩、その後は痛みも忘れたように走り出す。リアムと共にいたマルスランはただその背中を見つめていた。
「……」
「どうしたマルス?ってかまた寝てくれるなよ~。俺運ぶの大変だったんだから」
「うるせ!もうあんなミスしねぇよ!」
クラージュが走っていった道を塞ぐように立つ二人にアルゴルは呆れたかのように鞭を持った手を軽く振る。
「あんた達もしつこいのわねぇ。私の煙まんまと吸わされておネンネしたのにまだ足りないの?」
「あぁ、足りないな。あんたがまだおネンネしてないからよ!」
「あら、そんなことを言うなんてお仕置が必要みたいね。やってみなさいクソガキ共。」
◇
「滝だ!」
人狼と追いかけっこを続けていた詩音は轟々とした音に引き寄せられて大きな滝にたどり着いた。かなりの高さがありその下には広い水辺。
「水の深さがあれば飛び降りて逃げるっていう手も考えてたんだけど…」
流石に水の深さがあれどこの高さから生身で飛び降りたら怪我だけじゃあ済まないだろう。
崖の縁に立ち、目の前には人狼。絶対絶命である。
虚ろな目でこちらを見つめる人狼に今更必死に声を掛けたとしても届くはずがないだろう。
こんなところで……
『シなないで』
「え…?」
思わず周りを見渡す。何も見えないのに魔法は使えないはずなのになにかの力は感じる。クスクスと笑い声が段々と鮮明に聞こえてくる。
突然のことに意識が散漫になったのは良くなかった。人狼は詩音の視界から外れいつの間にか目の前に現れる。詩音は咄嵯に身を捻って回避しようとしたが人狼の攻撃はその程度で避けきれるほど甘い攻撃ではなかった。
人狼の腕が詩音の脇腹を掠める。
「……っ!」
掠めただけにもかかわらずあまりの痛みに一瞬気を失いかける。そのまま倒れそうになるのをなんとか踏み留まった。
だが、そんな隙を見逃すような敵ではない。人狼はさらに追撃を加えるべく腕を振り上げる。
詩音はほぼ反射で頭を腕で覆う。
きらり。人狼の背後で何かが光った。
あれは……?
痛みでぼんやりとしてきた頭が人狼の叫び声により覚醒する。詩音が驚いたように顔を上げれば身を捩る人狼の背中に何かが突き刺さっている。
そんな人狼の頭上をキラキラと光に反射しながら刃が襲いかかる。人狼は腕を振って攻撃を薙ぎ払う。バラバラと散らばった刃の残骸一つ一つが詩音を映し出す。
「これは切り裂き魔の……」
破片に気付いたのは詩音だけではなかった。その刃を見た瞬間、人狼は目を見開くと詩音など目に入らなくなったかのように辺りを見回す。詩音にはその姿が必死に何かを探しているようにも見えた。
しかし間髪入れず人狼の足元が凍りついた。氷魔法。そんなこと出来るのは詩音は一人しか知らない。
「ナタリア様!」
「クラージュくん!」
鍵を持って走るクラージュに詩音は直ぐさま走り出す。対面したクラージュの傷の多さに自分が傷ついたように痛ましげに顔を顰める。
「クラージュくん怪我が……」
「馬鹿なんですか!?」
「ひぇ!?」
クラージュの恐ろしい剣幕に思わず詩音は後退る。
「自分の怪我を見て言ってください!魔法も使えないのにそんな無茶をして…!」
「ご、ごめん……」
「ッ……言いたいことは山ほどありますが帰ってからです」
バキバキと砕ける音に二人は顔を上げる。
「鍵を開けます!」
「う、うん!」
『ハヤくハヤく』
また声が聞こえた。詩音は思い出す。この声はクロエの家で聞こえたあの声であると。その声は今までで一番はっきりと聞こえて私たちの様子を楽しんでいるかのように爛々とした声で私に言葉を届けてくる。
「開いた!」
首元が解放されれば心臓の鼓動が急激に早くなる。急いで魔力を移動させなければすぐにでも心臓ごと持っていかれそうだった。
脇腹から流れている血がまた溢れる感覚、すぐにでも倒れてしまいそうだ。だけど、
『マモらなきゃ。マモらなきゃ。ダイジなそのコをマモらなきゃ』
「クラージュくん!」
クラージュはその呼びかけで巨大な氷の塊を作り出し、詩音はその塊を風の力で人狼に吹き飛ばす。
「!」
「落ちろ!!!」
ゴッと鈍い音をさせて巨大な質量とぶつかった人狼は氷を押し戻そうとするが風の力は勢いは全く衰えず人狼をそのまま押し飛ばし崖の縁から落とす。
しかし人狼は落下しながら抱えていた氷をぐるりと下の方へ向けると足場に変えて跳び目の前の崖の壁へと爪を立てた。その瞬間、二人の立つ地面がぱっくりと割れる。二人の足は地面から離れて宙に浮かぶ。
あの人狼。地属性持ちだったんですか!?
悔しそうに顔を歪めるクラージュを■音は迷わず突き飛ばした。突き飛ばされたクラージュは地面が割れなかった場所へと倒れこむが詩音はそのまま落ちていく。
「ナタリア様!?」
笑い声が聞こえる。
私が前にクラージュくんに言ったことはどうやら間違えではなかったらしい。精霊も私たち人間みたいに面白い人や感謝してくれる人に力を貸してくれる。
『私たちの声をよく聞いて。力を使って。大丈夫、絶対助けてあげる』
ただし魅入られ過ぎてはいけなかったのだ。
『────その代わり貴方の魂を頂戴』
その時、ようやく彼女たちも自身の味方ではないと詩音は確信した。
人狼は落ちる詩■を待ち構えていたようにその爪を振るう。
■■は迷わなかった。
「風乙女の鉄槌!!」
一番早く、一番強く、真っ直ぐに。
一陣の風となった彼女を人狼の爪が捉えること等叶うはずはなく衝突した二人はそのまま下の水辺へ突っ込んだ。
「ナタリア様!!」
■■は沈んでいく。
体を押さえつけられているような感覚。傷の痛みのせいで抵抗も出来ない。笑い声が聞こえる。きっと精霊なのだろう。
沈んでいく。その時、ふと思い出す。■■は泳げなかった。
人狼の姿は水が深いのか見えない。
心臓を何かに撫でられる感覚がして気持ち悪い。
何も見えなくなり思わず目を閉じる。
──本当に?
劈くような悲鳴が聞こえた。
それがあまりに煩くて閉じていた目を開く。
鏡だ。それが水底の代わりになるかのように、私と人狼の姿を映すかのように鏡がそこにはあった。そこに映っていたのは────私だった。
『他の世界なんてどうでもいいから…どうか……どうか私の願いを叶えて……!』
《あぁ…なら契約成立だ》
見えないんじゃない。見たくなかったのだ。
忘れてしまうんじゃない。忘れてしまいたかったのだ。
自分がなんて愚かなことをしてしまったのか気づいてしまうから。
思い出したからにはもう逃れられない。
沈む人狼に手を伸ばす。鏡にだけ映っている黒く滲む泥に覆われながら僅かに輝く光に触れる。
手を伸ばして、そして────
『─────シオン様……!』




