30.二度目の敗北
その夜詩音は一人寝室から抜け出した。
「……一階は子供達もいるし……やっぱり二階かな……」
施設は二階建てで意外と広く、見回りをする者もいる。小さな体と運動神経でその目を掻い潜り二階へ忍び込む。
「見つかったりしませんように……」
周りを警戒しながら部屋を一つまた一つと覗き、詩音が目をつけて中へ忍び込んだのは書斎のような場所だった。
部屋の中は暗い。が、明かりは付けず目当ての物を探していく。
まずは机の上、次は引き出し。そこになかったらその次は……
「一番怪しいのは金庫なんだけど………あった!」
見つけたのは鍵穴と取っ手だけある立派な鉄で出来た金庫のようなものだった。随分頑丈そうで一番重要なものはここに保管されていそうだ。鍵はやっぱりアルゴルが持っているだろう。
「どうしようかな……」
風魔法で鉄は壊せないかな……?流石に無理か。
そう考えている詩音の後ろで影が動いた。
──またあの匂いがする。懐かしいあの匂い──
────俺達を置いていった───
詩音は突如感じた悪寒と同時に聞こえた唸り声に咄嗟に身を屈めた。
次の瞬間、頭上から鈍い音が響いた。
「な、なに!?」
顔を上げれば金庫が殴られ少し歪んでいた。高さは丁度さっきまで自身の頭があったところでそれを見て詩音は冷や汗が流れる。
まさか────
金庫を殴った腕を辿り振り返ればあの人狼が立っていた。
「やば……」
詩音は思わずそう呟いた。
自分は一度この人狼に負けているのだ。なのに今出会うのはとてつもなくまずい。外への脱出を阻止されたら今度は容易に子供部屋からさえ出られなくなるかもしれない。
詩音はどうするべきかと滲み出る冷たい汗を拭った。
「……なぜ置いていった」
「え……?」
恨みがましげなその声に詩音は戸惑いを見せるが人狼はそんなことお構い無しに続ける。
「お前は一人貴族の元へ行った。俺達を置いて!!共に作ろうと約束をしておきながら!俺達を裏切った!なのに!!」
────あの笑顔がずっと焼き付いて離れない────
「何を言ってるの……?」
詩音はそう言葉を絞り出すことしかできない。当然だ。詩音もナタリアだってこの人狼のことを知らないのだから。
「ここには俺達を傷つけるものは何も無い!!その為に俺は強くなった」
誰かと勘違いしてる……?
こちらを見ているようで全く見ていない。人狼は自分を通して誰かに伝えたがっていることに詩音は気づいた。だけどそれを誰に向けて言い聞かせたいのか分からない。
しかし、これは良くない気がすると詩音はなんとなく気づいた。
「ちょっと落ち着いて……一度話を」
宥めようとする詩音の手を逃れ、人狼は頭を抱えよろめく。
蹲るその体にいつの間に存在していたのだろうか、黒い靄のようなものが吸い込まれていく。
「何……あれ……?」
すると、人狼の纏う空気が一段と重苦しいものに変わった。
「なのになのになのになのに!!!!」
「ッ」
危険だと悟った詩音が一歩下がればそれを目敏く見つけた狼は詩音に向かって吠える。
「逃げるな!!去るなら殺す!!!動くなら殺す!!!」
「な……」
「ここでその魂を朽ちらせることを約束しないのなら、今ここで死んでくれ!!!!!」
その言葉に詩音はブチ切れた。
「さっきから聞いてれば守るって言っておいて殺すとか矛盾してるでしょーが!!自分の思い通りにならないからってそんなことを言うなんてクロエ様より傲慢よ!!」
そんな言葉聞こえていないのか人狼は頭を振り、掻き毟る。
詩音は決意した。この人狼に必ず一発入れてやろうと。
……金庫が壊れかけてる。それなら……!
金庫の前に立ったまま人狼の方を向くと己の拳に魔力を籠める。
「来い!!」
その声に反応して人狼は遠吠えを上げると詩音に向けて腕を振う。
それを擦れ擦れで右に避けるとガコンと後ろから何かが外れるような音を詩音は聞いた。
壊れた!
「風乙女の鉄槌!!!」
音を確認したナタリアは魔力を溜めた右腕を全力で人狼の脇腹に振る。
突き出した拳に集中していた魔力は荒々しい暴風に変わり人狼を壁まで吹き飛ばした。
「死ねなんて簡単に言うな!この馬鹿!!」
そう言葉を投げるとナタリアはすぐさま金庫の中の紙束を適当に引っ掴んで部屋を飛び出す。
「!」
パラパラと書類を確認しながら周囲に警戒するが……、
こんなに騒いでるのにまだ人が来ない…?
違和感を感じた詩■が一階に意識を向ける。
その時、詩音が飛び出た部屋の壁が破壊された。
「嘘ぉ!?」
崩れた壁から腕が伸び、驚いている詩音の細い首に手が掛かり壁に強く押し付けられる。
「ぐッ!?」
唸る人狼は徐々にその手に力を込めていく。
首を圧し折られる…!
なんとかして逃げ出そうと藻掻くが力の差は歴然だ。
「ッ……」
ぼやける視界。また負けるのかと諦めかけたその時、
確かこの服……
何かを思い出した詩音は遠くなる意識と戦いながらポケットから取り出した物を人狼の腕に突き刺した。
それは切り裂き魔に襲われた時に拾った刃だった。
力が上手く入らず深手にはならなかったそれでもダメージはあったようで人狼は痛みに呻きその手は離れる。
「悪いわ──」
人狼から離れようとした時、詩音は握った刃に……鏡の破片に映る世界を見た。人狼の心臓付近にある何よりも美しく輝く光に纏わりつくどす黒い塊を。
何これ……?
それに気を取られてしまったから
「────やっぱりお前なんじゃないか」
寂しそうな泣き出しそうな声にハッと顔を上げる。
鋭い爪は既に眼前に迫っていた。
「あ────」
死────
「シリウス!!」
そんな悲鳴のような叫び声が聞こえたかと思うと人狼の腕に何かが巻き付きそのままバランスを崩す。
「抑えて!!!」
詩音は咄嗟に風を上から絶え間なく送り人狼に重圧を掛け無理矢理伏せさせる。
「シリウス!良い子だから眠って……」
飛び込んできたアルゴルは抑えられた人狼の頭を強く抱きしめる。すると何故か徐々に人狼から力が抜け大人しくなる。近づいてみればどうやら寝ているようだ。
もしかして誰も起きてこないのもアルゴルさんのせい……?
安堵の息を吐いたが未だ安心出来るわけがなかった。今度はこちらを見つめるアルゴルと対峙する。彼は深い怒りを顕にしていた。
「貴方……」
「ごめんアルゴルさん。でも私、ここを出る」
詩音のその言葉にアルゴルは無表情で先程振るった鞭を握り直した。
「可愛い子ちゃんが大人しくしていたら何もしないつもりだったんだけど……ねっ!!」
床を跳ね壁を跳ねる不規則な鞭の動きをギリギリで見極めて詩音は避け、更に距離を取る。
これを見て何もしないなんて有り得ない話だ。
「本当に子供の為だけの場所だったのね……」
抱えた書類を強く抱き締めた。
保管してあったのは契約書と受領書だった。契約書にはここで一定の年齢まで育てた子供を他国へ送る代わりに資金を払われるという旨が書かれていた。ここにいる誘拐された子供達は成長したその後他国へ売られていたのだ。
詩音の悲しげな声音を聞いてアルゴルは耐えるように目を閉じて自嘲気味に笑った。
「綺麗事ばかりの理想なんて叶いやしないわ」
「どうして……」
「最初から無理だって分かってた。けれどシリウスは諦められなかった。私はそれを止めることが唯一出来る場所にいたのにこれは私の責任。だから……だからこそ……どんな形であれ彼の理想を叶える!それが私のせめてもの償い!」
「本当にそれでいいの?それが正しいの?このままじゃ皆不幸のままだよ!」
詩音は声を限りに叫ぶ。
「あんなに苦しそうなのに!彼の為なんて言って自分がやってる事正当化してるだけ!そんなの許されるわけがない!」
その言葉に顔を歪めるが
「非難ばかりだけど貴方はどうかしら?」
「え?」
「貴方がそうやって無茶をするのは、飛び出していくのは、守りたいからとか助けたいからとかではなくて、」
「私と同じようにそうやって頑張っているから許してくださいって誰かに何かを見逃してもらいたいだけじゃないのかしら」
「そんなこと……」
ないとはっきり否定しようとした。
『──────たい……!』
記憶の遠いところで誰かの泣き声が聞こえてそれは出来なかった。
「え……?」
呆けていた詩音にアルゴルは容赦なく鞭を振るう。雑念を払うように頭を振り、アルゴルに手のひらを向ければ荒々しい風が彼に襲いかかる。
「くっ……!」
「悪いわね!」
視界を妨げられているうちにナタリアは外に出るため廊下の窓から飛び出し────
鋭い閃光が彼女を貫いた。
「─────」




