649話 聖守宣言
その日、世界は混乱した。
決して大げさではない。人々の中には終末の時が来たのだと叫ぶ者すら少なくなかった。経験したことがないほど大地が揺れ、何よりも『夜』が『昼』に変わった。あるところでは大地が裂け、街一つが深い底へと飲み込まれた。そこに海水が流れ込み、大陸から丸ごと切り離された地域すらあった。ともかく天が逆転し、地上は地図の書き直しを必要とするほど変化した。
「何が起こったのですか!」
ようやく巨大な揺れが収まった頃、各地は状況の把握へと動き出す。そう努める人物の中でも、ミルディ・リンディスは最も早く動き始めた者の一人だった。
誰もが腰を抜かし、恐怖のあまり額を地につけて祈る状況の中だ。問いかけに答えられるものなど一人としていなかった。
「こんな……いったい何が」
そして彼女は思い出す。
いや、違和感に気付いてしまう。大地震による周辺被害など比にならない最悪の事態だと理解してしまう。
「聖フィルの塔が倒れ――魔神封印の結界が!」
言葉通りの天変地異が過ぎ去り、世界中の建造物は被害を受けた。元より地震など滅多にない大陸地域だ。対策などされているはずもない。
魔神封印のため建造された聖フィルの塔が、八本とも残らず倒壊していた。
これが意味するところは、およそ五十年続いた封印が遂に解けてしまったということだ。百十年ほど前より現れ、猛威を振るった魔神バアル・ゼブルが復活してしまうということだった。
「備えなさい! 早く体勢を立て直して!」
そう叫ぶも無意味である。
封印の地で黒い竜巻が発生した。それはあっという間に大きく成長し、天を衝かんばかりにまで到達する。
「――あり得ない。本当に復活してしまった。魔神が……預言通りに」
魔神復活という預言のために、リンディスたちは封印の地へと布陣していた。所詮は聖守すら預言できない最高神官と侮られている部分もあり、半信半疑な者が多数であったことだろう。六聖のうち五人が派遣されている最大級の警戒にあっても、どこか緩い雰囲気が蔓延していた。
だが、その侮りは悔い改めねばなるまい。
『ヴォオオオオロロロッ!』
叫び声、あるいは雷鳴。
どちらとも取れる音が世界を揺らす。体の芯までも震わす絶叫が黒い竜巻の内側から放たれた。それと同時に竜巻は弾け飛び、その内側から魔神バアル・ゼブルが降臨する。
シュリット神聖王国は聖守不在の中、大した備えもなく魔神との決戦へ突入させられた。
◆◆◆
プラハ帝国もまた前代未聞の大災害を前に混乱していた。
震源地から最も近い国家であったにもかかわらず、即座に崩壊しなかったのはセフィラのお陰だった。シュウの呼びかけに従い樹界魔法の根を伸ばし、完全な破壊から免れた。
「ご無事ですか陛下」
「どうにか。リヒトこそ大丈夫なの? 血が出ていますわ」
「この程度、掠り傷です」
ウルディア要塞はその堅牢さから、崩れることなく形を保っていた。何よりセフィラがこの場にいたことも関係しているだろう。彼女の魔法がなければ山岳ごと崩れていたに違いない。
「一体何が……」
本来ならば状況を把握するだけで年単位の時間を必要とするだろう。だがここには世界を把握できる女神が存在した。
「ウルへイスとアルザードが消えちゃった」
「え?」
「それにベリア州も消えちゃったかも」
「はい?」
正気を疑う報告だった。
マリアンヌは事実を受け止めることができず、ただ茫然とする。
「帝都も建物とか崩れたり……道が陥没したり……あと浸水とか……お城も……」
被害の大きさにセフィラですら言葉尻が弱くなっている。彼女の言葉を聞いて想像するだけで気絶しそうになる被害量だ。
マリアンヌは歴代で最も不幸な皇帝だろう。
即位して早々に帝国の分裂を許し、そうして誕生した北プラハ帝国は怪物の巣窟となった。そしてようやく取り戻せるところまで来たかと思えば、この大地震である。
「あぁ……泣きたいですわ」
「元気出してマリアンヌ。私も頑張るから」
「ですわよね……」
逃げ出し、投げ出すことなど許されない。それが皇帝の責務だ。覚悟を決めて、エドリックを押しのけてまでこの地位を得たのだ。何より、マリアンヌこそが旗を振って対処しなければ帝国が回らない。
「まずは帝都に戻りますわ。リヒトは要塞の被害状況を取りまとめつつ待機してください。できることなら周辺基地の状況把握をしてくださると助かりますわ」
「承知しました。姉上もご無理をなさらずに」
「ええ、ありがとう」
血を分けた家族としての言葉を受け取り、マリアンヌも少しばかり元気を取り戻す。
この緊急事態を前にしてセフィラも積極的だ。転移魔術を使ってマリアンヌを帝都へ連れていくことになった。
◆◆◆
シュウは冥界へ流れ込む魂の多さに頭を抱えていた。闇の雲を引き剥がしたことによって生じた地殻変動が原因で間違いない。
震源地となるアルザードから遠く離れた統一アスラン王国周辺ですら死者は発生している。文字通り大陸が割れるほどの地震だった。プラハ帝国が消滅していないのは奇跡に等しい。またダンジョンコアが根を張る迷宮周辺も被害は少なく、シュリット神聖王国も消滅は免れているらしい。
「ルシフェル、この惨状をどうするつもりだ」
「陸を丸ごと削ったのでは景観も悪いな。水で満たしておくとしよう」
的外れな答えを返すのはわざとだろうか。
全く悪びれる様子もない。ただ言葉通り、深く抉れた大地からは大量の水が湧出し始めた。この調子ならば今日にでも大穴は水で満たされることだろう。アルザード州やウルへイス地方は文字通り消滅してしまったということだ。
「そう睨むな。間もなく迷宮の時代は終わるのだろう? ダンジョンコアを消し去る算段は間もなく完遂するはずだ」
「こんな大災害を起こされたらその予定も崩れる」
「問題あるまい。どちらにせよバアル・ゼブルとやらを討たせる必要があるはずだ。俺のやったことで自然に封は解けた。もしもこうならなければ貴様が魔神の封を解くつもりだったのだろう?」
「……最悪の最悪はな。黄金要塞の浄化砲で封印を破壊させるつもりだった」
魔神バアル・ゼブルの解放はシュウの計画の中にあった。それによって様々な国家が被害を受け、場合によってはプラハ帝国にまで及ぶことも想定していた。少なくとも国の一つや二つは崩壊することを覚悟した計画だった。
その点、シュウもルシフェルも同じ穴の狢と言えよう。
「だが納得しかねる。ユゴスは逃し、人類文明は再び退化を余儀なくされる。それに新しい虚無の芽も出ているぞ。分かっているのか? 付け入る隙を与えてしまうということを」
「無論承知の上だ。それに俺の世界で何やら暗躍している虚無がいることも知っている。大方、奴であろう。しかしあれもなかなか狡猾でな。俺の怒りに触れるところを理解し、上手く線引きしている」
「振り回されるこっちの身にもなって欲しいものだがな」
「そういったものを観察するための世界だ」
既にルシフェルの姿は掻き消え、黒い羽が散っていた。
『精々、俺を楽しませよ。俺の目に留まる喜劇を、悲劇を描いてみせよ』
頭の中で響く声を強引に消し去る。
気づかぬうちに力魔法で干渉されていたらしい。こうやって弄んでくるところも忌々しい。
「……『黒猫』の奴も今頃発狂しているかもな。あとは大陸管理局の連中と連絡を取って情報収集。妖精郷の被害確認も進めるか。それと宇宙に飛ばされたユゴスの脅威にも備えないと」
目的まで一直線だったはずが、余計な仕事を増やされた感覚だ。どこから手を付けたらいいのかも分からない。全てから目を背けて放り出してしまいたいほどだ。
そういうわけにはいかないからこそ、身体は重い。
「――っと。早速『黒猫』から連絡か」
今も大陸東部、現在の統一アスラン王国を担当する『黒猫』からすれば理解不能の事態だろう。彼女の場合、各所に配置している人形からの情報収集がある。それで大陸全土を襲った歴史上初の大地震であったことを理解したはずだ。
終焉級の『王』がかかわっていると判断するのも当然であろう。
『ちょっとどうなっているのか説明してほしいな!?』
「すまんが俺も状況を把握し切れていない。一つ言えるのは、ルシフェルの奴がやりやがったってことだけだ」
『ルシフェル様あああああ!?』
推測通りの発狂具合である。
最悪の状況ということは嫌というほど伝わってきた。
『こんなのどうやって復興を……このままじゃまた国が分裂しちゃうよ! 折角ここまで育てたのに戦国時代に逆戻りとかどうしろって言うんだよ!』
「そういうの得意だろ。何とかしてくれ」
『僕たちが意図的に国を壊すから簡単なの! こんなの聞いてない!』
「ああ、俺も聞いてない」
終焉戦争によって神聖暦が終わったように、この暗黒暦も大地震が終わらせた。安定しつつあった国家群は混迷の時代を経験するだろう。
それは明らかであった。
◆◆◆
未曾有の大地震にあっても、その被害を一切受けていない者たちが僅かながら存在した。それは黄金要塞と共に空へと浮かぶ者たちであった。
大陸が割れるほどの地揺れであっても、宙に浮けば感じることすらできない。
だが天が歪めば異常も感知できる。彼らは突如として夜が昼に変わったという点でのみ、異質さを感じていた。
「何があったかと思えば……ですが荒唐無稽とは言い難いのも事実ですね」
眠っていた六聖のオリガは当然起こされ、状況の説明を受ける。初めこそ幻覚や勘違いを疑った彼女だが、夜中を示す時計に対して空に太陽が昇っている状況を見れば黙るしかなかった。
また突如として出現した海も彼女たちを戸惑わせた。
「それと南に現れた海ですか。我々はヴァナスレイ方面に帰還する途中でした。南側と言えば常闇の帝国……今は北プラハの領地でしたか。それが海とは何の冗談ですか?」
「ですが事実です。要塞の機能を使った周辺探索でも海。実際に外に出て南方を観測すると確かに大海が広がっていました」
「転移で別の場所に移動してしまった可能性は? それならばすべて説明つくはずです」
「要塞の機能を操れるネロ社の者たちに確認させました。ですがあり得ない、という答えをもらっています。彼らも酷く戸惑っているようでした。嘘ではないでしょう」
何が起こっているのか説明できず、調べる方法も分からない。
どん詰まりの中、状況を動かすためにファイが現れた。聖石寮の監視にあってもこの異常事態ではどんな些細な情報も欲しい。ファイが事情を説明できると告げれば、それだけで術師たちを動かすことができた。まさに藁をも縋る思いだったのだろう。
「ファイ・セシリアス大公殿下。どういうことか説明を願います」
「そうだね。細かく説明すると色々経緯があるんだけれど、今は時間もない。最も伝わりやすいよう、こう言わせてもらうよ。魔神バアル・ゼブルが復活した」
「は?」
オリガも、他の術師たちも理解が追い付かなかった。それは背後に控えるシンクとアルネも同様である。ネロ社の面々も少しばかり反応していたが、声を漏らすほどではなかった。
「……最高神官殿の預言通りになったということでしょうか」
「そういうことだね」
「くっ……なぜこんな預言ばかりを。最悪の預言は当てる癖に聖守様の預言をできないなんて」
黄金要塞の入手という作戦は、ある預言への対策を覆い隠す意味もあった。それは魔神バアル・ゼブルが封印を破るという預言である。聖フィルの塔によって得た安寧が、壊されるというのだ。五十年前まで魔神バアル・ゼブルは各地で破壊の限りを尽くしていたこともあり、まだ記憶に新しい。
当時の記憶を持っている老人たちがまだ生きているくらいだ。とてもではないが公表できる預言ではなかった。だからひっそりと、魔神復活に備えて布陣をしていた。オリガ以外の六聖はそちらに引っ張られ、待機することになっていた。
「さて、状況が変わったからね。僕たちも動くことにしよう」
ファイはシンクへと目配せした。
すると彼は腰帯から剣を取り外し、それをファイへと引き渡す。ぎこちないながらもファイは剣を装着し、周囲を困惑させた。この行為が意味するところを、誰一人として理解できなかった。
事情を知るシンクだけが、これからファイの告げる言葉を知っていた。
「では秘密を明かそう。僕はファイ・セシリアス。クローディア自治領の領主であり、ラ・ピテルの血筋として黄金要塞を正しく継承する者。そして二十一代目聖守さ」
彼の人生最大の嘘にして、渾身の演技。
誰もが混乱する今この瞬間だからこそ騙し通せる。
「僕たちは黄金要塞を使い、復活した魔神バアル・ゼブルを討つ。そのために僕は預言されないまま生きてきた。全てはこの日、この瞬間のために!」
あり得ないとは言わせない。
信じられないとも言わせない。
普段ならば妄言と捉えられかねない大言も、この状況では事実となる。いや、事実であってほしいと皆に願われる。
(どういうことなのですよ!?)
一人混乱するアイリスを差し置いて、要塞内部は歓喜した。
魔神復活という厄災を前に現れた希望に目を焼かれていた。
つまりこういうこと
ルシ「マンネリだから地震を起こしてみました。面白くなりそう(わくわく)」
黒「!?!?!?!?」
ファイ「思い通りにするため聖守を詐称するね」
アイリス「!?!?!?!?」




