642話 ロマノの計画②
ネロの社員たちは手際よく管制システムを復旧させていく。文献と見比べながら操作していたロマノとは雲泥の差だ。それは術師たちは勿論、アルネにも分かった。
ただ彼女からすればそれどころではない。
「やっぱり、私のことを……」
「分かっていた。お前の状況もな。そう身構えるな」
「……そう、ですね」
暴走しかけた魔装をコントロールするため、シンクから色々と教わった。今は自分に起こったことが呪いではないことを知っている。
いや、そもそも知識としては以前より知っていた。
シュウから己の秘密を指摘され、魔装の知識を得たのだ。ただ心の底から理解し、己の一部として受け入れたのはシンクとの修行を経てからである。
「覚醒はまだか。それでも極めて近い。才能だけでこれとはな」
「……? あの?」
「いや、とにかくネロに戻ってこい」
「でも私はこんな姿です。死んだことにもなっていますし」
「傭兵会社にそんなものは関係ない。その気になれば新しい戸籍を作ることだって簡単だ」
アルネはすぐに頷けなかった。
後付けで様々な理由は考えられる。たとえば拾ってくれたファイへの恩、匿ってくれたロマノへの義理、そして力の制御を教えてくれたシンクへの敬意。同じくネロ社もといシュウやアイリスにも好意的な感情はある。
天秤の両翼のように、質量ある感情は揺れ動く。
「おぉ。これが位置エネルギー変換機関ですか。流石に効率がいいですね。貯蓄エネルギーはオーバーフロー気味です」
「うわ、ほんとだ。もう少し遅かったら自壊していたかも……」
「こういう時のための機能は搭載されていませんね。普通は余剰を排出する機構になっていると思いますけど」
「まぁ終焉戦争中に作られたものですから洗練されているとは言えませんね」
「だから機能を制限して騙し騙し使っていたんですね」
「そのせいで余剰エネルギーが増えすぎたと」
「応急処置で居住区に回しますか」
「いや、それよりも兵装の緊急生産させては?」
「あー……確かに」
悩み抜き、まともに返答できなかったアルネは苦し紛れに問いかけた。
「あの人たちは……本当にネロ社の人たちですか?」
「一応な。人員補強でプラハから引っ張ってきた本当の意味での部下だ」
「常闇の帝国から来た人たち……ッ!」
「そう嫌うな」
シュリット人のプラハ人嫌いは魂の髄にまで染みついたものだ。偏見などないと己に言い聞かせたところで、どうしても態度に出てしまう。七百年の因縁とはそれほど深い。
プラハ資本が流れ込んだことで表向きは偏見も大きく減ったが、どうしても心の底にあるものは変えられない。これはもはや仕方のないことだった。
(まぁプラハ人もシュリット人が嫌いだしなぁ……)
実を言えばお互いの『嫌い』は少し性質が異なる。
シュリット人はプラハ人のこと悪魔の使いの如く嫌っている。そしてプラハ人はシュリット人のことを未開人の一種だと見下している。そういう関係性を何百年と続けてきた。個人の努力ではどうにもならない感情が、二国の間には燻っているのだ。
「アルネ、異端を嫌うシュリットでは生きにくいだろう。俺たちに身を委ねろ」
シュウは選択を突き付けた。
◆◆◆
ラ・ピテルの王座は五百年の間、空位であった。
だがそれは破られ、遂に王座は正当な主を迎え入れた。
「さぁ、七十九代目の王よ。正しき座に」
「うん」
王の間は無機質な光に満たされた、実に空虚な空間に思えた。ファイは王座の前に立ち、軽く埃を払う。五百年の堆積を感じないのは、ひとえに黄金要塞に搭載された空気清浄機能のお陰だろう。
「ちょっと感慨深いよ。こうして戻ってくるなんてね」
「ええ。私もですよ」
ただファイはそれほど感傷に浸るでもなく、あっさりと王座に腰を下ろした。深く背を預け、肘掛けを撫でる。ただ王座と言えど、ただの椅子だ。座ったからといって何かが起こるわけでもない。儀式としての意味合いに限ったものだ。
そしてロマノにとっては、この儀式こそが最も重要だった。
「ラ・ピテルの王。王呈血統書に記された最後の王、ファイ・セシリアス・ラ・ピテル陛下。初代王の予言は成就しました」
「そうだねロマノ。そして君は今からその先を描こうとしている」
「やはり見えていますか。あなたの未来が」
ロマノは懐から銃を取り出した。
銃口はぴたりとファイに向けられ、引き金へと指をかける。
「王位は継承され、最後の王は成立しました。そして私はラ・ピテル王家を打ち倒し、新しい王となるのです」
「予言は絶対だからね。だから矛盾しないよう、自分の願いを叶えた。僕を利用して黄金要塞を手に入れようとしたわけだ」
「ええ。この瞬間を待ち侘びていました」
「僕の護衛にみせかけたシンクも、動きを封じるためだよね?」
「余計なことをされては困りますので」
己を殺しかねない武器を向けられていても、ファイは一切揺るがなかった。それがロマノの心を逆撫でし、また不安にさせる。
(何ですか彼の余裕は。まだ何か私が見逃している? 何が見えている?)
ロマノはここまで上手くやったつもりだった。先代セシリアス大公アランデルの時から狙いはただ一人ファイであった。とにかくファイを王座に就け、即座に引きずり降ろす。予言に記された最後の王を己の手で実現するのだ。
余計なことをしてくれる聖石寮や王政府軍は排除した。
憂いはないはずだった。
「シンク君、陛下の傍に」
「いいのか?」
「残念ながらまだ陛下を殺すわけにはいきません。陛下が妙な真似をすればすぐ取り押さえてください」
言われるがままに、シンクはファイの傍へと移動する。すぐ傍に立つ姿はまるで臣下のようだ。しかし実態はその真逆であるが。
「僕が自殺、あるいは右目を潰すことを恐れたのかな?」
「ええ。特に王の眼は継承していただかなくては」
「君にかい? それはできない相談だね」
「構いませんよ。綺麗に殺して抉り出せば済む話です」
黄金要塞は王の眼を鍵として様々な機能へのアクセス権が得られる。それは管制室に座ったファイが証明したことだった。
ただファイを王の座から降ろしただけでは足りない。ラ・ピテル王の証をロマノが手に入れなければ、本当の意味で黄金要塞を手に入れることは叶わない。
「ロマノ、君はなぜ貪欲に王を望む?」
「それが世界のためだからです」
「壮大な言い訳だね」
「何とでも仰ってください。ですが私は本気です。この世界には規律が足りない。人々は欲に突き動かされ、容易く獣に堕ちる。私はそれを見てきました」
ロマノは一歩進んだ。
「貴族の世界とて規律はありません。裕福さなど、人の理性を形成する要素ではないのです。貧民たちは言わずもがな。ただ彼らは生きるために獣としての生き方を選んでいるにすぎませんし、責めるのは酷というものでしょう。王は民を富ませ、法で律しなければならないのです。そして王もまた、法の下で己を律さなければならない」
そして二歩目を踏み出す。
「聖レベリオ王国の重鎮であったスウィフト家がどうしてシュリットへ亡命したのか。ご存じですか?」
「王都の乱で王家が覆ったからだね」
「ラーズ=レビュノス王家に不満を持つ組織が民衆を扇動し、王都ルークで内乱が起こりました。市民革命とは名ばかりの、王家へ不満を持つ貴族たちによるクーデター。そして彼らは国王派閥の重鎮だった我がスウィフト家の転覆を狙っていました」
三歩目。そこで立ち止まり、引き金にかけた指へと力を込める。
「まるで獣でした。扇動された市民は各々が武器を持ち、街に火をかけたのです。狙いは王と、王の派閥に属する貴族たち。彼らは自分たちが正義だと妄信していましたよ。全ての不幸を私たちの責任にして、正義の国家を取り戻すのだと叫んでいました。それがアスラン聖国の謀略とも知らず。彼らが成し遂げたラーズ=レビュノス王家打倒は、レイズ=レビュノス王家に乗っ取られるとも知らずに」
ロマノは泣いていた。
◆◆◆
聖レベリオ王国が倒れるきっかけとなった王都ルーク事変は二十四年前に起こった。暗黒暦二〇八四年のことである。
当時のロマノはまだ幼い子供で、道理を学ぶ途中であった。だから当時の事情について詳しくは知らない。彼の記憶にあるのは、『炎』と『獣』であった。
「スウィフトの血族を殺せ! 根絶やしにしろ! 奴らは俺たちの血税を搾り取る悪魔だ!」
「燃やせ!」
「ガキが一人逃げやがった!」
スウィフト家の屋敷は炎に包まれ、ロマノは訳も分からないまま屋敷の地下へと逃がされた。それは隠居した祖父に連れられてのこと。秘密の地下室はまだ知られていない。
しかし暴かれるのも時間の問題だろう。そもそも火が回る方が早いかもしれない。
「息を潜めなさいロマノ。ここはまだ……うっ」
「おじい様!」
「大丈夫。ただこれでは逃げることもできないか。今は奥へ行こう」
彼の祖父は手を引き、ロマノを地下室の奥へと連れていく。その手は血に濡れていて、生暖かかった。
「お父様とお母さまは?」
「分からん。だが無事だと願うしかない」
「うん……」
スウィフト家は歴史ある家だ。その屋敷は増築を繰り返して巨大化し、地下室もまた同じように増やされてきた。そしてロマノたちが隠れた地下室は特別だ。
秘密の地下室として密かに掘られ、作業をした者たちには大金を渡して遠くへ行かせた。スウィフト家が受け継いできた宝物を隠し、守るためである。したがって地下室の奥には、ロマノが目にしたこともない宝物が無数に並んでいた。
ただ当時の彼は宝物の価値を理解していなかったが。
「本……? 巻物?」
「ああ、そうだよ。スウィフト家が守り抜いてきた大切な宝物だ。これらも守らねばならないな」
「えぇ。これが宝なの?」
「金銀財宝とは趣が違うね。でも知識は宝だよ。いずれロマノにも分かるさ」
祖父は浅いながら傷を受けていた。しかし老体には浅い傷すらも致命的となってしまう。若い時のように体力はなく、傷の治りも遅い。実を言えばかなり消耗していた。
(スウィフト家の秘密は守り通さなければ。せめてロマノに託せるように)
流れる血を拭い、彼は一つの巻物を手に取る。スウィフト家に伝わる最大の秘宝、王呈血統書であった。その他、幾つかの書物や巻物をまとめていく。スウィフト家が保有する古代の知識だ。危険と断じ、サンドラ帝国にすら献上しなかった知識も多くある。
その中には飛行船の技術も含まれていた。
(いつか我ら父祖の地へ戻るため、技術が追い付いた時に建造できるようにと秘匿してきたもの。これは置いて行くわけにはいかない)
そうしている間、ロマノは宝物の中に一つ興味を引くものを見つけた。書物ばかりが並んでいる中、唯一宝物らしいものがあったのだ。それは黄金に輝く杯である。
手を伸ばし、ロマノはそれに触れた。祖父は資料を選別しており、目を離していた。
「あ」
しかしその瞬間、地下室が激しく揺れた。耳を劈く爆発音が腹の底にまで響き、天井からは石の破片が落ちてくる。ロマノもまたその場で体勢を崩して、思わず黄金の杯を掴んだ。ただそれは支えとならず、結局は転んでしまった。
その後も爆発は鳴りやまず、ロマノは恐怖に震えながら体を丸くする。
「ロマノ、無事か」
「おじい様!」
祖父は覆い被さることでロマノを守ろうとする。連続する爆発はおそらく魔術によるものだ。隠れたスウィフトの血族を徹底的に殺そうとしているのか、忌々しさ故に八つ当たりしているのか。このままでは地下室も危ぶまれる状況だ。
そして彼の危惧は現実となる。
突如として天上は崩れ、熱風が吹き込んできた。
「わああああああああああ!」
「ロマノ! 大丈夫だ! 私が守るからな!」
幸運なことに、天井が二人の上に落ちてくることはなかった。どうやら崩落の中心はすぐ隣の通路だったようで、宝物庫は余波で壁付近が丸ごと崩れる。
問題は隠されていた地下が、暴かれてしまったということだった。
「おい! 地下を見つけたぞ!」
「やっぱりあったか」
「スウィフトの隠居ジジイと当主の次男が見つかっていない! 探せ! 絶対そこに隠れている!」
「こんなところとはな。使用人共を拷問しても見つからないはずだぜ」
暴漢となった市民たちは松明を掲げ、斧や手作りの槍を手にしている。屋敷が激しく燃え盛る中、彼らは熱風に肌を焼かれながらも探していた。自分たちが根絶やしにするべき血族の生き残りを。
瓦礫を滑り落ちながら降りてきた彼らは、ロマノと覆い被さる彼の祖父を見つける。
「見つけたぞ! ジジイだ!」
「ガキもいやがる! 殺せ! 絶対に殺せ! 俺たちから搾取を続けてきたゴミカス共だ!」
覆い被さる祖父の隙間から、ロマノは見てしまった。獣のように歯を剥き出しにし、醜く顔を歪める暴漢たちを。そして彼らの掲げる槍に吊るされた四つの首を。
「お父様、お母様、それに――」
「見るなロマノ! この外道どもめが……ッ!」
咄嗟に眼を塞がれたが、はっきりと見えていた。
苦痛と悲痛に歪む父と母。恐怖を浮かべる兄、そしてまだ四つになったばかりだった妹。両目を抉り出され、舌を引き抜かれ、尊厳を凌辱された首を彼らを掲げていた。
「――――ぁぁッ!」
悲鳴にならない声が出た。
恐怖よりも悔しさが。絶望よりも怒りが。混ざって分からなくなった感情の中に、確かな願いが灯る。
(誰か――)
火と獣の悪魔を討つ英雄を渇望する。
(誰か、助けて)
暴漢たちは斧を振り上げている。
祖父はロマノを背に隠し、自らを盾にしようとしている。
願いは黄金の杯が受け止めた。
「なんだ! 眩しい!」
一瞬の閃光が足止めになり、訪れるはずだった死を免れる。幼いロマノが見たのは、大きな背中と、流れる黄金の髪。
『どこだ、ここは? セシリア様はどこに? 奴はどこに?』
その男は見知らぬ言葉を口にし、血を流す右腕を押さえつつ困惑していた。




