643話 ロマノの計画③
シンクにとってここ二十四年は困惑の連続だった。戦争を止めるため、神子セシリア・ラ・ピテルの力を借りるべく動いていた。だがそこで黒衣の男と戦い、敗れ、右腕を失い、気付けば燃え盛る屋敷にいた。
利き腕を失い、痛みに耐えつつ状況は理解した。
目の前より迫る暴徒、そして背後では死を覚悟する老人と怯える子供。どちらに味方するべきか、シンクはすぐに判断できた。
「ここはどこかの戦場か? こんなところに飛ばされるなんて」
片腕一本になっても、シンクの剣技は衰えることがない。暴徒はすぐに切り捨て、簡易的な魔術で右腕は止血した。利き腕の喪失はかなり痛い。しかしそれよりも今は急ぐべき事由を抱えていた。
(腕を生やすにしても専用のソーサラーリングがいる。今は我慢するしかない)
魔神教の聖騎士として、業火の中に老人と子供を置いて行くわけにもいかない。仮に敵対国家の人間であったとしても、兵士ではない者とは区別されるべきなのだ。
状況を知るためにも、まずは安全なところで落ち着いてから。かくしてシンクは子供と老人を伴い、燃え盛る屋敷から脱出する。襲い掛かる暴徒を迎撃し、王都ルークから西方へ落ち延びるに至った。
『感謝する、名も知らぬ剣士よ』
「えっと。お礼を言ってくれているのかな。困ったな……」
残念ながら言葉は通じず、シンクは自分がどこにいるのかも分かっていなかった。どうにか身振り手振りを使って今いる場所を何度か問うてみた。西へ逃れる道中、大きな都市に入る度にだ。
だが老人から伝えられた名称はどれも聞き覚えがない。
(レベリオ、パンテオン、アリーナ、ヴァルナヘル、シュリット……どれも全く聞き覚えがない。本当にここはどこなんだ)
道中で言語が切り替わったことをシンクは感じていたが、やはり聞き覚えがない。グリニア語に加えて他の主要言語は幾つか扱えると自負していたが、自信が打ち砕かれる思いだった。この頃には二十日以上が経過しており、シンクの中にも焦りが募り始める。
致命的な勘違いが存在していることに、まだ気付けずにいたのだ。
「くそ。まだ戦争は続いているというのに。一刻も早くセシリア様を説得してコントリアスを救わなければならないというのに」
焦りは視野を狭くする。
この時点で気付ける要素は幾つもあった。少なくともシンクの知る大陸とは事情が全く違うことを悟れたはずだ。言葉も通じない世間を一人無闇に動き回るわけにもいかず、知己となった老人と子供と行動を共にする。
進展がないままシュリッタットという都市に到着し、そこで老人は行動を起こした。
王城で謁見を賜ったときは驚かされたが、それによって老人が名家の人物であることを知った。更にはあの燃え盛る屋敷から持ち出した書物を使い、知識を売り込むことで大きな財を為したのだ。その中でシンクは意図せず真実を知る。
「ッ! 黄金要塞…コントリアスに神罰? 千年以上前から存在している伝説の遺物……? なんだこれは!? もしやディブロ大陸秘匿工廠の………?」
老人はよほどシンクを信頼したのだろう。スウィフト家が守ってきた黄金要塞の文献、更には王呈血統書までもシンクに見せた。そしてシンクはその中身を読めてしまった。
(コントリアスが滅びた? セルア様はどうなった? 続きを、続きを読まなければ。少しでも情報が欲しい)
黄金要塞は終焉戦争から千年以上の間、一つの王国として在り続けた。その間はグリニア語が使われ続け、当然ながら文献もそれによって記述されていたのだ。年月を経て多少文字は変形していたものの、シンクにはそれらが読めてしまった。
残酷な真実を突き付けられ、受け入れざるを得なかった。
「シンク殿、あなたに願われた通り幾つかの言葉を古代研究の資料から探してみた。グリニアという言葉は確かに存在します。またシュリット神聖王国の歴史上、西グリニアという国家が存在しました。関係しているかもしれません」
数年も経てばシンクもこの時代の言葉をおおよそ話せるようになっていた。何なら、聖レベリオ王国の言葉よりもシュリット神聖王国の言葉の方が覚えやすかったくらいだ。それはまさしく、グリニア語の系譜を継いでいるからに他ならなかった。
スウィフト家もシュリットで築き上げた資産を使い、上流社会へと早期に食い込めるようになった。他国とはいえ王家に近しい側近の家系だったのだ。ノウハウはいくらでもあった。ロマノの祖父は十数年をかけてスウィフト家を大きくし、ロマノ自身も王政府軍に士官として入ることで地位を確立した。
やがてスウィフト家は若くしてロマノが継ぐこととなる。
「シンク君、祖父を看取ってくれてありがとう」
「彼には世話になった。あんなことで恩を返せたとは言えない」
「いいえ。私たちにとってシンク君は命の恩人です。あなたが聖杯から現れなければ、私たちは今頃死んでいました。だからシンク君が過去へと帰るための手伝いをしたいと思っています」
「そのためにはまず聖杯を取り戻さなければならないな」
「ええ。スウィフト家の立場を固めるためとはいえ、リンディス家に聖杯を引き渡してしまったことが今更悔やまれます」
「仕方ない。あの時はあれが最善だった。それに俺もまさか二千年以上未来へ飛ばされているとは思いもしなかった」
あまり気にしていないシンクとは対照的に当主を継いだばかりのロマノは悔しさを滲ませていた。聖レベリオから逃れてきた幼い日のロマノはもういない。しかし大人になり、知識を身に付け、それでも『炎』と『獣』の記憶は鮮明に刻まれたままだった。寧ろあの当時の事情を理解し、卑屈な感情を覚えるに至ったほどだ。
「私は力が欲しい。私たちスウィフト家の祖が生きていた黄金要塞が欲しい。誰にも崩せない絶対的な力で律しなければ、世界は良くならない」
「ロマノ、その考えは危険だ。力による支配は歪みを生む」
「ええ。私もよく知っています。力の支配など、一時のものでしかありません。瞬間的には市民革命を成し遂げた聖レベリオも、アスラン王国の介入によって斃れましたから。だから私は法による律を掲げます。統治者である王自身すらも法の下に律され、平等な基準を持つ世界へ進化させます」
表面上、ロマノは理知的に見えた。
だが心の内に黒いものを抱えていることはシンクの目から見て明らかであった。
「シンク君、私は君に隠し事をするつもりはありません。君の危惧は分かっています。王都ルーク事変で私は父も母も、兄も妹も、祖父を除く近しい人の全てを失いました。思い出すだけで胸の中が熱くなります。これは決して消えない怒りの炎です。そしてスウィフト家を存続させるため祖父がしてきた苦労も知りました。シュリットの蛮人共は私たちから搾取してきたと知りました。宝としていた知識を吸い上げ、脅して聖杯を奪い取り、外来人だからと差別し、それだけのことをして下級士官に留めています」
「ああ。お前の祖父は理不尽に耐え、託して逝った」
「正直に言います。私は全てを破壊してしまいたい。黄金要塞という力を我が物とし、世界へと復讐したいと願っています」
「あれが登場した俺の時代、黄金要塞はそれ一つで百万以上の軍勢を押し返したと記録にある。国を滅ぼしたとも。十全に扱えずとも、ロマノの望みは叶いそうだ」
「ええ。私は破壊します。今の世界の全てを打ち壊します。でもそれで終わりにはしません。世界を終わらせた者の義務として、理知と法に支配された新世界を創造します。必ず私は成し遂げます」
ロマノの野望には危険な思想も含まれている。それはシンクとて承知の上だ。だがそれを許容するほど、今の世界は遅れていた。特権階級者は明文化されていない法を施行し、その時の都合に合わせて捻じ曲げる。国家が定める法にも特権階級者が強権を振るいやすいよう、忖度している文面が多く見られるほどだ。
しかし権威の分散と固有化は何も悪意だけが醸成したものではない。
「今の時代は魔族や赫魔という脅威もある。魔物に脅かされない日はない。どうしても現場の意思が強くならざるを得ない。ロマノが望む一本化と規格化は末端を疲弊させるかもしれないぞ」
「そのための黄金要塞です。下地はおじい様が整えてくださいました。そしてラ・ピテル王家の真なる継承者、セシリアス家の存在も確認しています。夢に届かせるための努力は惜しみませんし、シンク君という圧倒的な個の武力もあります。幸運もまた私に味方したということです。これはもはや運命だと思っています」
「……運命か。セシリア様はこれすら見えていたのかもしれないな」
「どうでしょうか。初代王様は千年、二千年を見通したと言われる伝説の王です。ないとは言い切れませんね」
「ならば俺も覚悟を決めて、真意を探りたい」
シンクとて過去への帰還を諦めたわけではない。
古代技術の集合体たる黄金要塞であれば、可能性を探るにも有用だ。そして何より知りたかった。この時代に飛ばされた意味を。
◆◆◆
黄金要塞の玉座にて、ロマノは夢を掴む寸前まで辿り着いた。思えば長い道だったと感慨深くもなる。だが決して気を抜いていない。
ファイには銃を向け、傍にはシンクを置いている。シンクの役目はファイの制圧というより、彼が自殺することを防ぐ目的が強かった。
「初代の王の眼を渡して、その座を引いてください」
ロマノはそう要求する。
王呈血統書の通りにファイを王座に就け、ただ物理的に引きずり降ろせばそれで終わりではない。最も重要なことは、王の証たる右眼を手に入れることだった。
「ロマノ、預言の眼はあるべきところへ行くようになっている。これはもはや初代王様の意思だ。王とはセシリア・ラ・ピテル様の願いを運ぶ箱でしかない。それは奴隷のようなものだよ」
「それがどうしたというのですか。そんなものは甘えです。ファイ陛下が成し遂げないならば、私がやります」
「考えを変えるつもりはないんだね?」
「ありません。そのために生きてきました。黄金要塞へ辿り着き、その王座を私のものとすることで世界を制する。そのために!」
ここはロマノにとって正念場だ。
計画における最大の問題点は眼の継承である。こればかりはファイの意思が必要だ。抉り出して奪うこともできなくはないが、残念ながら現代には移植技術がない。少なくとも移植した目を繋げるため高度な治癒の魔術が必要だ。
ならばこれまでセシリアス家はどのようにして目を継承してきたのか。
「ラ・ピテルの右眼は世界を見通す。でもそれだけじゃない。代々に渡って継承され続け、やがて新しい力が宿った。継承者たる王は自らの意思によってその力を受け渡すことができる」
「やはり。古文書に記されていた通りだったのですね」
「でも君に目を渡すつもりはないよ」
「そうでしょうね。陛下は目の継承という切札を持ち続けておられた。だから未来を知りつつも私の望む通りに動いてくださったのでしょう」
突き付けている銃など、何の効力もない。
王の右眼は継承すれば遺伝子情報ごと置き換わり、寸分違わず初代王の右眼と同一存在となる。黄金要塞の封を解いたように、眼の認証がなければあらゆる機能にアクセスできない。鍵を握っているのはファイの方だ。そういう認識でなければならない。
だからポーズにしかなっていない銃も降ろす。
「私の意思は伝えました。陛下、どうか世界を見てください。利を貪る豚どもが蔓延り、大いに乱れています。統一アスラン王国は未だ併合の混乱から抜け出せず、諸侯の叛乱や農民の一揆が頻発している。封魔首長国連邦はかつての盟約を忘れ、裏では覇権を狙っている。プラハ帝国は二つに割れ、戦乱の最中だ。そしてシュリット神聖王国とて軍部の台頭が激しく、王の治世は揺らいでいる。聖教会や聖石寮の中には私腹を肥やす愚か者までいる始末」
「……なるほど。だから?」
「世界は王を欲しています。一領地の諸侯、一国の王ではありません。世界の全てを一つにする王が」
「この城は争いのもとだよ。消してしまう方がいい」
「一時は争いもありましょう。ですが恒久の平和、千年の王国には必要な犠牲です」
「分かっているのかいロマノ。君の考えは、君が嫌う横暴な特権階級者と同じものだ」
「あんなものと一緒にしないでいただきたい。私には理想と志があります。だから託していただきたい。陛下が捨て去るこの城を」
ファイは言葉を返さず、じっと見つめる。宝石のような青い右目が射抜くようだ。
「……これは予言ではなく、僕の個人的な予測だよ」
「は?」
「初めの数十年は君の理想が実現すると思う。でも君が死に、次の世代、また次の世代へと交代すれば理想は失われていく。黄金要塞の民は特権階級者となり、地上を虐げるようになるだろうね。その圧倒的な武力で支配を盤石なものとするんだ。そうして訪れるのは恐怖の時代だよ。誰もラ・ピテルには逆らえない、そんな時代がね」
「そんなことは!」
「ないといえるかな? かの英雄ルーク王が建国した二国はどうなった? アスラン聖国と聖レベリオのことは君がよく知っているはずだよ」
ロマノは咄嗟に言い返せなかった。
英雄ルーク・レビュノスは悪逆とされた吸血種の帝国を打ち倒し、あるべき姿を再建した。だが三百年の時が経ち、本来あった志は失われた。いや、ルーク王の子供たちへと引き継がれたときから国は歪み始めていた。
「人は傷つき、痛みを思い出し、ようやく強くなる。一歩ずつだけど、自分たちの足で進んでいる。ロマノのやり方は人からその足を奪う行為だ」
「そのようなことはッ! 大きな躍進の何が悪いというのですか!」
「黄金要塞は僕たちのものじゃない。迷宮の遺物も同じだよ。僕たちはそれらを捨てて、自分たちの足で立つべき時が来たんだ。それが最後の王となった僕の役目だ」
「あくまでも予言を是とするのですか? それこそ自らの足で立っていないではありませんか!」
「僕たちセシリアス・ラ・ピテルとはそういう存在だよ。この血筋は初代王の眼を運ぶ箱。そして来たるべき時、すべきことを実行する手足。黄金要塞も同じこと。使われる時が来たんだ」
歯ぎしりするほど強く奥歯を噛んだ。ロマノはとても理解できない。いや、納得できないというべきか。
「ロマノ、僕は君の考えもまた尊いと思っている。ラ・ピテル王家は今日、終わる。初代王とアラフ王の仕組んだ運命に君はただ巻き込まれた。今ならまだ間に合う。僕と共に来て欲しい」
ファイは王座から立ち上がり、手を差し出す。
距離はまだ十歩分くらいか。ロマノはその場から動かなかった。彼は降ろしたはずの銃を向け、引き金に指をかける。
「あなたは何も分かっていない! 世界は今! 今変わらなければならないのです! いつかを信じて小さな一歩に留めておく方があり得ない。陛下が捨てるならば私にください! 私には理想があるのです! これは私の生きる意味。だから私に託してください」
「……本当に、僕たちは袂を分かつしかないんだね? 君は黄金要塞の王となる道しか考えられないんだね?」
「はい」
「僕は……君のことを好ましく思っていたんだけどね。残念だ」
「私も残念です。説得できないのであれば、私も強硬手段を取らせていただきます」
言葉による決着は不可能だと、ロマノも諦めた。
こういったことも予想はしていた。だから切札は残しておいた。
(余計な借りを作りたくはありませんが、冥王様と魔女様に頼るほかありません。一度管制室に戻って――)
ロマノの思考が途絶えた。
背中から衝撃を受け、息が止まる。
「――ぇ?」
視線を下ろせば、胸から巨大な刃が突き出ている。流れ出る血を見て、思い出したかのように痛みが襲ってきた。それはロマノに耐えられるものではなく、一瞬で頭の中が真っ白になる。
ゆっくり、首を回して振り返った。
(これが、報いですか……無念です――)
王座の間の入り口に、鬼のような形相を浮かべる女がいた。それは黄金要塞防衛機構に敵と定めさせた六聖第六席、オリガであった。
完璧だと確信したものでも客観的にはガバガバなこと、あるある。
「最高のプロットができた」
〜3日後〜
「なんやこのゴミ(^^)」




