636話 ファイの提案
ガレス検問市街を襲った赤い夜の惨劇は、すぐに聖都シュリッタットにまで轟いた。発生した次の朝には第一報が届き、そこから死者行方不明者の情報が少しずつ更新されていく。十五日が経過した時点で死者や行方不明者は八千人を超え、近年の赤い夜と比べても大きな被害であると報じられるようになった。
「そうですか。では娘はやはり」
「はい。赤い夜に巻き込まれ、お亡くなりになられたかと。御息女が会食をされていたはずの料亭でロザリス公、イブリース殿のご遺体が発見されました。アルネ嬢のご遺体は未発見ですが、おそらくは……」
「……死亡届に了承いたします」
ダンカン神官長は意気消沈しているように見えた。
娘を失ったのだから、当然と言えば当然である。この事実を報告した警察高官も、言葉をかけられない。ただ事実だけを淡々と告げ、彼は去っていった。警察の、特に上層部は大忙しだ。
一人になったダンカンは、不意に立ち上がる。
「ッ! どちらへ?」
居室を出ると、側控えの神官たちが扉の前に立っていた。彼らは娘を失ったダンカンを慮り、ここで待っていたのである。
ただ彼らが思うより、ダンカンの顔色は悪くなかった。
「預言の間へ行きます」
「……念のために申し上げます。私的なものではないのですね?」
「ええ。ただガレス市を襲った赤い夜の傷は大きい。そのために行くのです。私は全ての民のため、大いなる力の主へと祈る最高神官。その役目を違えはしません」
「そのお言葉、信じます」
彼らは目を伏せる。
疑ったことを詫びるような仕草だ。
(いいや、違う。違うのです。私は既にシュリット全ての民を裏切っているのです)
ダンカンは罪悪感によって潰れそうになりながらも平静を装った。何事もなく、ただ最高神官としての義務を果たしているように見せかけた。
側付きの神官たちを引き連れて、聖アズライール教会の最も秘された部屋の前に立つ。
そして今回は誰も伴わず、ただ一人で預言の間へと踏み込んだ。
「ふ……私のような偽り者にも主は応えてくださっています。これは罰だったのかもしれません。ただアルネを守りたかったのに、私の選択がアルネを殺しました。預言された聖守を世に出さず、私の心の内に秘したことは過ちでした」
呟く言葉は懺悔の祈りだった。
彼以外は誰もいない預言の間だからこそ口にできる、最大の過ち。
「大いなる星の主は私の浅慮な企みを暴き、欺きを罰せられたのでしょう。新たな聖守を産み落とすため、私の娘を贄として取られたのです。私は悔い改めましょう」
ダンカンは預言石へと触れた。
淡く光を放つそれは、祈りに応えて点滅する。そして彼は星盤祖の言葉を得た。
「……は?」
預言によって告げ知らされた聖守の名に、彼は混乱した。
「二十一代目聖守は、アルネ……? 聖守が代替わりしていない?」
十九年前、ダンカンは二十一代目聖守の預言を受け取った。そして今もまた、同じ名を告げられた。これが示すところは一つである。
「あの子は、アルネは生きているというのですか」
大前提が崩れる話だ。
そしてダンカンはこの事実に気付き、歓喜してしまったことを恥じた。
「……ふ。なんと愚かな最高神官でしょうか。私は最も呪われるべき男。星盤祖の前で悔いたばかりだというのに浅ましい。再び大いなる力の主を欺こうとしています」
愚かしい限りだ。
いつまでも隠し通せるわけではないというのに、足搔き続けてきた。ダンカンとてかなりの老年である。いつ倒れたとしてもおかしくない。実際、体調の悪い日が増えてきた。
もしも倒れてしまえば次の最高神官が選ばれ、ダンカンの大罪もまた公となるだろう。
「ですが後悔はありません。私は嘘を貫き通しましょう。何を犠牲にしてでも。死にゆくとき、星盤祖が私を裁かれるとしても」
決意を新たにしたダンカンは、預言の間を出る。
すると先ほどまでいなかった神官補佐が立っていた。彼は最上位の礼をした後、このように告げる。
「お客人が参られました。ロマノ・スウィフト閣下、そしてクローディア自治領の領主ファイ・セシリアス大公殿下です。重要な話があると。最高神官はお忙しいと申し上げたのですが、セシリアス公が問題ないとばかり主張するものでして」
「伝達ありがとうございます」
おそらくはあの話だろう、とダンカンも推測できた。しかし機密性の高い作戦事項である。わざわざ口に出したりはしない。それに彼からしてみれば、丁度良かった。
(聖守の預言と並び、もう一つ星盤祖の言葉がありました。まさかこれほど時機良く当事者たちが来られるとは)
神官補佐に二人を連れてくるようにと頼み、彼は自室へと戻った。
◆◆◆
最高神官ともなれば面会を求めてくる者たちも多い。その全ての人物と会談をすれば、本来の『祈る』という仕事ができない。ゆえに最高神官との面会が叶うことは稀だ。
そんなダンカンが事前の約束もなく人と会う、ということは相当な重要人物と言えるだろう。
「預言がありましたので」
突然の面会にもかかわらず通され、困惑していたロマノへと先制して告げる。するとロマノもどこか納得したように頷いた。
「以前より軍部から提案を続けていた件です。天の城を手に入れる、あの計画について」
「やはり。ならば聖教会も全力で後押ししましょう」
「ありがとうございます。ですが……なぜ今になって? 以前は賛成こそされていましたが、消極的な姿勢を見せておられたはず」
「今回は預言がありました。今こそ天空城を手に入れる時だと」
これは事実であるが、建前でもある。
以前まではロザリス公が中核を成す星浄連盟会からの忠言で、消極的な態度を取り続けていた。赫魔討伐のことで空軍を創設したスウィフト家は、今や王政府軍の中で大きな力を持ちつつある。また王政府軍そのものが発言力を増したことで、シュリット神聖王国内のパワーバランスに崩壊の兆しがあった。
聖教会、聖石寮、王政府の三つが均一な力を持つことで自浄作用を持ったまま国家運営をしてきたのがシュリット神聖王国である。聖守不在ということが足を引っ張り、また王政府軍の活躍もあって王政府の権威が抜きん出てきたのだ。
「ダンカン最高神官、僕はあなたと言葉を交わしたかった。今日は会ってくれて感謝するよ」
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。セシリアス家の新たな御当主。まさか自治領を離れて聖都に参られていたとは」
「一つ、交渉をしに来たんだ」
「はぁ……交渉、ですか」
「これから僕の言うとおりにしてほしい。預言があったということにしてね」
思わずダンカンは立ち上がりそうになった。ロマノもまた酷く狼狽した様子でファイに視線を送り、今の言葉を撤回するようにと無言の圧をかける。
しかしファイは飄々としたままだった。
「……私に星盤祖を偽る大罪を犯せと?」
「今更だろう?」
「ッ! 何を!」
「僕は知っているよ。聖守が誰なのか。そして僕の手元にある」
今度はダンカンが狼狽える番となった。この明らかな動揺はロマノにも伝わり、今の会話にダンカンの急所があったのだろうと理解する。
そしてロマノの中で一つ、真実が繋がりかけていた。
(まさか……それが目的でアルネ嬢を引き込んだのか? そういうことなのか!)
これは劇薬だ。
扱いを間違えれば内乱に発展しかねないほどの。そして最高神官という権力者に対する強烈な手札となる。
(やはりファイ・セシリアス・ラ・ピテルは王を継ぐ者。これが『真なる眼』の継承者)
ファイは若き領主だ。流行り病で祖父と父母を続けて失い、転がり込んできた家督であるはずだった。しかし確かに、ファイという人物はセシリアスの血筋であった。
「まもなく魔神の封印が解ける。その備えをしてほしい」
「は? いやまさか。聖フィルの塔が崩れるとでもいうのですか? それに封印が消えるなどという預言はありませんでした」
「うん。これは僕の推測だからね。最高神官の権力を使って、これを星盤祖の預言ということにしてほしいのさ」
「そんな無茶な……」
苦々しい表情を浮かべるダンカンだが、首を横には振れない。ファイは鬼札をちらつかせているのだ。使えばダンカンが失脚するばかりでなく、守りたかったものまで失いかねない札だ。下手をすれば国家そのものが崩壊しかねないほどの重要な情報を握られてしまっている。
(あぁ……何という罰でしょう。ですが決めたはず。私は何をしてでも嘘を貫き通すと)
それでも葛藤してしまうのだから、何とも自分勝手である。ダンカンは自嘲してしまった。
だからファイは彼に対して、飴玉を差し出す。
「もしも僕の言葉を聞いてくれるなら、聖守の座を引き受けるよ。聖守として魔神を討つ使命を僕に押し付けてもいいんだ」
「なッ……!」
驚愕するダンカンとは対照的に、ロマノは困惑するばかりだ。
普通の視点では、ただ最高神官を脅して聖守という絶対的な地位を掠め取ろうとしているだけに見える。しかしながらダンカンの表情変化や態度を見るに、まるで聖守が悪いものかのようだ。
(確かにここ百年の聖守は皆、短命だった。聖守として活動してから四年以内に命を落としている。それを憂いてダンカン最高神官は聖守を隠すなどという暴挙に出たのかと思った。もしや聖守には別の秘密が隠れているというのか? いや、流石に深読みか?)
ロマノは何かがおかしいと感じつつも、会話に口を挟むことができない。ただ『預言者』と『予言者』が交わす舌戦を見守るばかりだ。
未来を見通すという点では両者同じに思えるが、その過程は異なる。大いなる存在から言葉を受け取り未来を知らせる『預言者』はどうしても受け身になりがちだ。能動的に未来を見通す『予言者』と比べれば、後手に回ってしまう。
「偶然にも僕は十九歳。本来あるべき聖守と同い年だ。聖守不在の理由はクローディア自治領と揉めていたということにすればいい。僕たち自治領とあなたがたでは信じる神が違うからね。他の人たちも納得してくれるよ」
「……確かに、クローディア自治領は死の神を信仰しているとか。そして死の力の一端を操り、赫魔を滅ぼすと」
「その通りだね。だから自治領はシュリット神聖王国の一部とは認められず、属国に近い扱いを受けてきた。僕たちはそういう関係性だからこそ、聖守秘匿の言い訳が立つ。そうは思わないかい?」
毒のように言葉が浸透する。しかしそれは痛みではなく、甘露だ。覚悟を決めた人は苦痛に強く、あらゆる苦難すらも耐えてみせる。しかしその張りつめた心を溶かす甘さには滅法弱い。
ファイは確信を持って言葉を続けた。
「契約の条件は簡単だ。あなたはただ術師や軍を魔神の封印周辺へと展開させればいい。間違いなく封印は解けるからね。預言と称しても嘘じゃないさ」
「その代わりとして大公殿下が聖守を引き受けるということですね」
「うん。ああ、それと一つだけ注意しておくよ。展開する軍は封印からそれなりの距離を維持したほうがいい。解き放たれた魔神はそれだけで周辺に被害をもたらすだろうから」
ファイの予言が真実であるかどうかに保証などない。もしも騙されていたら、この時点でダンカンは終わりだ。しかし信じるしかない。
最大の弱点を握られてしまった時点で、ダンカンはもはやファイの手駒に過ぎないのだから。
「……分かりました。全て条件を飲みます」
彼はそう答えるしかなかった。
◆◆◆
アルネは身を隠すため、スウィフト家の屋敷に匿われていた。その存在はあらゆる使用人にすら秘されている。だから世話人となるのは彼女のことを知るシンクであった。
「魔装、ですか?」
「そうだ。己の力を支配することが先決だ」
「でも……」
「不可能だと思っている内は魔装を操ることなどできない。信じろ。その力は己の一部だと」
ただじっとしているだけでは暇を持て余す。そこでシンクは魔装の指導を行い、アルネの異形の姿を元に戻そうとしていた。
シンクは手の中に一つの剣を生み出す。
そしてその刃の幅、長さ、形状を次々と変えてみせた。
「魔装は魔術の一種だ。今の時代、あまり知られていないが」
「だって異能は魔族の力だって……」
「そんな迷信は忘れろ」
無茶な言い分だったが、アルネには彼を信じる以外の道がない。今まで信じてきたものを全て打ち砕き、新しい概念に頼る。それはとても難しいことだ。
「俺がこの国の事情を聴く限り、魔装使いを頻繁に殺しているらしいな。それは国力を損ねる愚かな方策だと思っている。お前たちが呪い子と呼ぶ存在こそ、魔装の使い手だろうな」
「呪いは、魔装……」
「そうだ。認識を改めろ」
拒絶ではなく、この異形の姿すらも受け入れる。アルネは心の内で言い聞かせた。
心臓が激しくなる。胸の奥が熱くなり、その熱は全身を巡って暴れまわろうとしていた。魔装を引っ込めようと意識すれば、必ずこうなってしまう。
「気をしっかり持て。魔力は抑え込まず、流れを作れ。下手に抑え込むから暴発する」
「で、でも……そんなことしたら……」
「その魔装は複合的に様々な能力を抱えている。それらを分離するよう意識するんだ」
アルネは必死の制御を試みる。
腕や足には白い鱗が次々と現れ、その代わりとして背中の翅は小さくなった。しかし今度は喉や目の奥が熱くなってくる。簡単ではない。
「段階を踏め。能力を振り分けるようになるところからだ」
最初から上手くいくとはシンクも考えていない。
しかしそれでもアルネは着実な進歩を遂げていた。今日は無理かもしれないが、明日はどうか。明後日ならばどうなるか。そんな期待を抱かせるには充分であった。
トップに立つ人間が私情を挟んではいけない例




