633話 暗黒の蠢動①
シュウが転移で戻ってきたのはローラニア州であった。かつては不浄大地として畏れられていたが、初代皇帝の手により浄化され、開拓されて一つの州として成立した歴史がある。その経緯からローラニア州だけは地域を治める王が存在せず、かつて皇室より分離したマルヴィース大公家が統治している。
「帝都に救援は?」
「既に。皇帝陛下が急行されるそうです」
「陛下自ら! これで勝てる!」
「ですがどれだけ急いでも三時間はかかるでしょう。それまでは我々でもたせなければなりません」
マルヴィース公は額に皺を寄せつつも、少しだけ心が軽くなった気分だった。まだまだ油断できる状況ではないが、希望が見えたからだ。
「北プラハ帝国を名乗る化け物どもめ……」
「大公殿下、問題は内側にもあります。例の異端団体が各地で蜂起しております」
「ウィス――ウィスなんとか、というやつか」
「ウィスイントルクロッコルです」
「ええい! 覚えられん」
「私も覚えるまで時間がかかりましたから。それより奴らのせいで州軍を鎮圧に回すしかなく、化け物の軍勢を押し留めるだけの戦力が足りていません」
事態が起こったのはつい、昨日のことだ。
哨戒中の空軍によって化け物の軍勢が発見され、慌てて迎撃態勢を整えることになった。しかも発見されたのは州でも最大の都市、ローラニア市の近郊である。平野部ではなく山中を進んできていたので発見が遅れてしまったのだ。
前線は北プラハとの国境沿いだとばかり思っていた州軍は、蜂の巣をつついたような状態となっている。そして翌朝には緊急避難勧告を出そうとした矢先に、異端教団によるテロ行為が散発し始めたのだ。およそ街も寝静まった夜中ということもあり、混乱は大きかった。
「皇帝陛下さえ……マリアンヌ陛下さえ来てくだされば」
祈るような大公の言葉は、皆の思いの代弁であった。
帝国の至宝たる『槍』の解放さえあれば、怪物の大軍勢とて怖くない。とにかく時間を稼ぎ、皇帝の到着を待つ。それだけを考えればよいのだ。
「大公殿下! 緊急通信です!」
「今度は何だ!?」
慌てた通信兵の言葉にマルヴィース公は嫌な予感がした。
「六区の上空に突如として黒い球体が出現しました。そこから次々と化け物が現れています!」
「馬鹿な!」
「例の異端集団が占拠していた放送局は原形を留めていません。黒い球体から触手のようなものが伸びて、悍ましい形状に作り替えられてしまいました」
「映像だせるか?」
「……恐れながら、ご覧にならない方がよろしいかと」
「いや、見せよ」
通信兵は少し迷い、そしてタブレット端末を見せた。そこには州軍が現在進行形で撮影している『放送局だったももの』が映し出されている。
それに目にした瞬間、マルヴィース公は思わず吐きそうになった。喉元まで上がってきた胃液をなんとか飲み込み、すぐに目を離して深呼吸する。
「何だ……内臓や虫に見えた。まるで生きているように……思い出したくもない」
放送局は二つの高層ビルから成る建物だった。しかし今は血管や内臓、そして玉虫色の百足に極彩色の線虫などが張り付き蠢く『ナニカ』へと変貌している。それらの二つの塔は頂上部から黒い触手が伸びて、上空に浮かぶ黒い球体と繋がっていたのだ。
また黒い球体も心臓のように脈動しつつ、周囲に向けて触手を蠢かせている。
「殿下、あれを見て発狂し恐慌する市民も多数。避難が進みません」
「浄化だ。《聖印》で浄化できぬのか?」
「申し訳ございません。軍ですら近づくことができず……今は様子を窺いつつ指示を待たせているとのこと」
何を悠長に、と怒鳴りそうになった。しかし相手は一介の通信兵。そもそも軍を動かす権限がないのだから、怒鳴り散らしたところで意味がない。
(落ち着け。落ち着くのだ)
指示を出すのは州軍司令部の役割だ。そして今はマルヴィース公こそが司令部において最大の権限を保有している。
だから意を決して、再び通信兵の差し出したタブレットへと目を向けた。
「ぬぅ……」
眉を顰め、歯を食いしばる。
全身の毛が逆立つほどの怖気を感じつつも、何とか目視を続けた。
「地獄の眷属どもとも違うようだ。この狂気的な見た目はやはり北プラハの怪物と同じものか。これはいったいどこから来たというのだ。赫魔とも違うし、魔族とてこれほどではない」
敵の正体が分からなければ対応の方法もない。
そしてあの異形が現れたのは都市内である。大量破壊兵器を使うこともできない今の状況で、できることと言えば突入させることくらいだろう。
勿論、兵士を直接派遣するなど論外だ。黒魔術師団に不死属を召喚させ、派遣するのが最適解だろう。
「異端共を鎮圧している黒魔術師団を六区に集結させるのだ。穴埋めは機甲師団を使え。占拠された建物は幸いにも無人の場所ばかりだ。砲弾で壊してしまって構わん! 保障は私がなんとでもする!」
「よろしいのですか公?」
「致し方あるまい。放送局の二の舞は避けねばな。あれで終わりとは限らんだろう」
「確かに……通信兵、とにかく黒魔術師団を六区に集結させるよう命令を回せ。機甲師団は一時待機し、新たな命令を待て」
「はッ!」
放送局に現れた怪物は思い出すだけで震えてしまう。忘れたくとも脳裏に焼き付き、目を閉じれば瞼の裏に浮かび上がるほどだ。
映像越しですらこの有様である。
直接目撃することになる現場は、より凄惨な状況になっていた。
◆◆◆
シュウが転移で駆け付けたとき、既に阿鼻叫喚の地獄と化していた。ローラニア州都ローラニア市は各地で悲鳴が途絶えず、そして死した魂が次々と煉獄に流れ込んできている。
しかもそのほとんどが自殺者だった。
「どうなっている?」
「シュウさん! 多分あれが原因なのです」
アイリスが指差す先には触手や虫で構成された二つの塔があった。塔の上空には黒い球体が蠢いており、触手を伸ばして塔と繋がっている。
目を細めたシュウは苛立ちのままに術式を展開し、そして途中で止めた。
「ふぅ……都市ごと消しそうになった」
「気を付けてくださいよ。それよりあれってもしかして……」
「ユゴスの部分顕現だ。遂に直接攻めてきたか」
「あれで部分なのです?」
「ルシフェルいわく、ユゴスは受肉するとかなりの巨体になるらしい。あの二つの塔でも、人間に例えれば髪の毛一本分くらいだ。いや、それより小さいかも」
「そんなにですか」
「完全顕現すると惑星そのものになる。ルシフェルの言葉が大げさじゃなければな」
四年前より出現した闇の雲はこれまで比較的大人しくしていた。プラハ帝国を半分に引き裂いたことを差し引けば、それほど激しい動きをしていなかった。後手に回ってしまったことは明らかな失態であった。
とはいえ、これにはルシフェルとの契約も関係してるが。
「俺は四年間、手出しできない条件を付けられている。期限まであと数週間残っているから何もできん」
「ローラニア州軍ではどうしようもないのですよ」
「分かっている。仕方ないからアイリスで対処してくれ。俺は援護する」
「私ですか?」
「一時的に死魔法への接続を無制限化するからそれで何とかしてくれ」
「……それって抵触しません?」
「白か黒かでいえば、黒寄りの灰色だな。だが四の五の言っていられない。そもそもアイリスは俺の眷属扱いだから、要は俺が眷属を最大限支援した形になる。表面上はな」
やっていることはセフィラが皇帝に対して無制限の加護を与えているのと同じことだ。あれが許されるならば、問題にならないだろう。
「やってみるのですよ」
アイリスは確かめるために手元へと魔力を集める。すると黒い液体がどろりと溢れた。信じられないほど軽い代償で死魔法を操ることができている。本来は死魔法の主たるシュウへと魔力を捧げ、その法則を借り受ける加護だ。当然ながら魔力収支はシュウが得するようにできている。
今回の場合、シュウにとって大赤字となるほどのバランスへと変更されている。
「冥域の怪物を召喚」
空に黒い魔術陣が浮かび上がる。
闇の雲が部分顕現した触手の塔の真上だ。黒い球体よりもさらに上空で術式は広がり、やがて漆黒へと染まっていく。今は夜空であるためほとんど夜と同化しているが、それでも空に穴が空いたように見えた。
冥界の門を守護する怪物が、三つの眼をぎょろぎょろと動かしつつ現れる。
「うわ……全然魔力を消耗しないのですよ」
「代わりに冥界の魔力をガンガン消費しているからな」
「じゃあもしかして《万象貫通》も?」
「今なら使い放題だな」
「大盤振る舞いですね。行ってくるのですよー」
その瞬間、アイリスの姿は消えていた。
触手の塔が激しく歪んだかと思うと、黒い閃光に貫かれて崩れ始める。更には冥域の怪物が脈動する黒い球体へと張り付き、鋭い牙を使って齧りついたのだ。
死の法則は瞬く間に侵食し、悍ましい二つの塔と黒い球体を消滅させ始めた。
「んー……何かしてきましたね」
当然、闇の雲とて大人しく滅びを受け入れたりはしない。崩れ去る触手の塔から黒い靄が噴き出し、その内側から新しい触手や気味の悪い虫が現れる。触手や虫は肉の塊によって繋がっており、血管のようなものが這っている。
先ほどまで聳えていた塔と同じものだった。
闇の雲の一部は闇を放出し続け、どこまでも巨大化していく。いや、受肉の範囲をどこまでも広げている。
「暴れていますねー……」
『大丈夫そうか?』
「何とかしてみるのですよ」
通信を使って心配の声も届くが、アイリスは問題ないと返しておいた。時間停止や飛行魔術を使って回避を繰り返しているため追い詰められているようにも見える。実際、それだけのことをしなければ回避など叶わない密度だ。
(邪神の使う呪詛はつまり魔法ですからね。触れたらまず終わりなのですよ)
念には念を入れて大げさな回避を続けているのはそういった理由だった。
「そろそろ反撃なのですよ!」
アイリスはまず、《縮退結界》を発動させた。
時空を湾曲させて領域の境界を繋げるという結界だ。つまり領域を踏み越えた瞬間、指定領域の反対側へと戻ってしまう性質を持つ。小さな世界として完全に時空を孤立させる高度な結界だ。そのためこれを扱うだけでアイリスは他の魔術を使う余裕がほとんどなくなってしまう。
しかしこれでよかった。
「召喚」
時空属性を応用した亜空間から、筒状の金属塊を召喚した。形状としては金剛杵に近い。両端には鉤爪を思わせる三つの刃がそれぞれ存在しており、黄金の輝きがオリハルコン製であることを知らしめていた。
両端の爪から一瞬火花が散り、それからすぐに巨大な光が伸びた。両端から伸びる光によって、まるで槍のような形状となる。よく見れば光は稲妻のように小さな火花を散らし続けている。
「光の礫!」
そしてアイリスはそれを投げた。
無造作にも見えたが光の槍は真っ直ぐ飛び、直線状にある触手や虫や肉塊を全て貫いていく。光の礫は闇の雲が部分顕現した土地へと落ちていき、即座に炸裂した。激しい光が雷のように連続して閃き、闇の雲の受肉体を吹き飛ばしていく。
ほんの僅かな時間で雷撃は止まったが、それだけで闇の雲は大いに削られていた。またそこから生み出された虫に似た怪物たちも塵となる。
「雷魔力が《縮退結界》を貫かなくてよかったのですよ……大丈夫だとは思っていましたけど」
領域を《縮退結界》で覆っているため、拡散した雷撃は結界の反対側へと戻ってくる。領域そのものを一つの世界として閉じてしまった結果だ。
これがただ固いだけの結界ならば、光の礫は容易く破壊してその威力をローラニア市に及ぼしていたことだろう。
「次なのです。召喚」
そう、一言唱えるだけで再びアイリスの手元へと光の礫は戻ってきた。続けて彼女は天へ突き上げるようにして掲げる。
すると先端部へと光が集まり、目が潰れるほど激しい雷撃が集中し始めた。
『アイリス、拡散形態は試作中だぞ。雷魔力の拘束が外れたら危険だ』
「危険は承知の上なのです!」
雷が集約した先端を未だ蠢く闇の雲の残滓へと向ける。すると光の奔流が雨のように降り注ぎ、地上一帯を蹂躙した。触手や虫や肉塊は悲鳴にも似た奇怪な音を響かせ、それを耳にしたアイリスは思わず身体を硬直させてしまう。
だが全てを貫く雷が止まることはなく、万象を破壊し、大地すらも抉った。
光の礫はガタガタと震え、端部の爪が少しずつ塵に変わり始める。
(出力制御機構が壊れる寸前なのです。耐えるかどうか、ぎりぎりですね)
雷撃の奔流は一切の減衰を受けることなく、常に最大威力を誇る。光の礫はあくまでも雷魔力を制御するための拘束具であり、頸木から解き放たれようものなら辺り一帯を破壊し尽くしてしまうことだろう。勿論アイリスとて無事では済まない。
壊れるぎりぎりのところを見極め、限界まで雷を放出してから停止させた。
「あ」
しかし光の礫へと亀裂が走る。
慌ててアイリスは時間を止め、更には時の流れが極端に遅い亜空間へと封印した。
「……危なかったのですよ」
「本当にな」
「あ、シュウさん」
「ともかく暴発しなくてよかった。あとで冥界から引き取るからもう使うなよ」
「分かったのですよ。でもこれでユゴスの部分顕現は滅ぼせたのです」
「危うく邪教の儀式を完成させるところだった。だがまだローラニア市の乱は続いている。第二の召喚儀式を完成させないうちに鎮圧しないとな」
未だ邪教による動乱は続いている。
しかしアイリスの戦いは六区へと集結しつつあった州軍に目撃され、その士気を果てしなく高めることへと繋がった。秩序の魔女がその手を下したという事実が彼らを勇気づけ、勝利を確信させたからだった。
今回のSAN値チェック




