632話 赤い夜-ガレス市-②
アルネの行動は咄嗟のものだった。
吸血種たちの動きを目で終えたのは彼女だけで、そしてアルネはイブリースに対して僅かながら好感を持っていた。
(どうしてだろう……)
吸血種の一人が血晶の刃を振りかざし、イブリースの身体を貫こうとしている。アルネは痛めていない左足で飛び出し、その身体を盾とする。
鳩尾に抉り込む刃の感触が死を連想させた。
「う……」
「ッ!? アルネさん!」
鈍い痛みがじくじくと体の内側へと浸透し、上手く呼吸ができない。アルネは蹲って空気を吸おうとするが、意思に反して息は漏れ出ていくだけだ。
「あ、女を先にやっちまったか」
「雑な攻撃を仕掛けるからそうなる。やるなら確実に……だッ!」
そう語る吸血種が無造作に腕を伸ばすと、彼の皮膚が裂けて血が噴き出した。その血は空中で瞬時に血晶となり、枝分かれしながら伸びていく。そしていつでも逃げ出せるようにと庭の側へ少しずつ移動していた給仕たちを貫いたのだ。
全身を万遍なく刺し通されたことで、即死もできず彼らは絶叫した。しかしその悲鳴も長くは続かず、血晶を介した吸血によって全身から生命の源を奪われ息絶えていった。
「逃げるなよ。お前たちは俺たちの糧だ。ただ繁殖するまで生かしてやっているに過ぎない。刈り入れの時が訪れれば、大人しく屠られろ」
「……外道め」
「おいおい。なんつったジジィ。テメェらだって家畜を飼って喰うために殺してるだろうが」
「儂らとお主らと同じにするでないわ!」
「はぁ……うっざ。ジジィの血なんざ不味いから殺すだけ殺すか」
気に障ることを言った。それだけの理由でロザリス公へと刃は向けられる。アルネも、他の皆もただ見ていることしかできなかった。
「苦しんで死ねや。《獄滅》」
血晶の刃の先から黒い炎が噴き出し、ロザリス公を襲った。しかもそれは公のみならず、周囲にいた者たちをも巻き込んで燃え上がる。
精霊秘術クリフォト術式によって地獄から召喚された黒い炎だ。ただ痛めつけ、苦しませるための炎。悲鳴を上げることもできずにロザリス公と巻き込まれた者たちはのた打ち回る。黒い炎にまみれた死の舞踊は自ら生を手放すまで続く。身体が死を望み、生命活動を止めるその瞬間まで苦痛は止まらない。
「おい、あまり地獄の炎を撒き散らすな。折角の血が飲めなくなる」
「いいじゃねぇか。人間はまだまだ沢山いる。ちょっとぐらい無駄に殺したって問題ないさ。それに人間なんてすぐ増えるだろ?」
「まぁそれもそうか?」
「俺たちの親父の時代はもっと良かったらしいぜ。人間共を飼って繁殖させてたんだよ。だから毎日血を飲んでもなくなることがなかったって」
「知ってるよ。サンドラ帝国時代だろ。あまりその話はするな。始祖様から処罰されるぞ」
「わーったっての。流石に五年も血抜きは辛いからな」
アルネはそんな会話をする吸血種たちを睨みつけていた。全身が燃えるように熱くなり、怒りが痛みすらも鈍くさせる。
(これが吸血種! 十代名聖守ネオンと隻腕の英雄ルークが戦った敵……こんなのがこの世にいていいはずがない)
血が沸騰するような熱を感じる。
今まで感じたことのない万能感が胸の内より溢れ出し、全身を満たした。
「消えて……」
強く願う。
すると目頭が痛いほどに熱くなった。
「私の目の前から、消えてよ!」
重く鈍い痛みが目の奥で響くが、それでも瞬き一つせず睨みつけた。すると吸血種たちは突如として体の末端から石灰のような色へと変わり始める。
「は!? なん……これ!」
「くそ! くそくそ! なんだよ!」
騒ぎ立てたところで身体の異変は止まらず、寧ろ侵蝕の勢いを増していく。手首、足首、腕、脚、と四肢は変色して固まった。更に変色は胴体や首にまで及び、そこでようやく理解した。
己に訪れる死の恐怖を、初めて理解した。
「あああああああああ!?」
「やめろ! なんだよこれ! があああああ!」
石化した手足はもはや動かず、藻掻くことすら叶わない。
アルネは目の奥で続く痛みを無視して見つめ続けた。消えろ、消えろと強く念じながら。身体の内側を巡る熱が導くままに力を行使する。
やがて吸血種は物言わぬ彫刻となり、命乞いの叫び声すらも凪となった。
「はぁ……はぁ……」
アルネもまた両目を閉じて痛みに耐える。だが熱は体の内側で暴れまわっており、静まる様子がない。目の痛みは少しずつ引いてきたが、力の奔流で身体が引き裂かれそうだった。
痒みにも似た疼きが胸や首を這いまわり、顔にまで到達する。同じく背中へと伝っていき、右の肩甲骨が酷く熱くなった。
「んぅ……あああッ!」
背中が突き破られるような酷い感覚と共に熱は抜けていく。息苦しさから解放されたような、そんな爽快感と倦怠感が同時に襲ってきた。
もはや痛みも熱もない。
挫いたはずの足首も、刺されたはずの腹も。
「あれ……」
アルネは立ち上がろうとして、バランスを崩す。右肩のあたりに引っかかるような感触があったからだ。付け加えて今までに感じたことのない奇妙な重さもある。
転んだ拍子に何か白いものが舞った。
空気抵抗に翻弄されながら重力の通りに落ちていくそれは、鳥の羽のようだと気付く。そしてはらりと髪も垂れてきた。簪が外れてしまったらしい。
「私、何……? 白?」
上手く言葉が浮かばなかった。髪は全ての色素が抜けて真っ白に変わっている。呆然としながら周囲を見渡すと、生き残った者たちは後ずさりをしていた。
それは婚約者であるはずのイブリースも同様だった。
「ま、魔族」
「まぞく……魔族? どこに……」
引き攣った表情のイブリースはもはや弾など入っていない銃を構える。その先はアルネだ。だからアルネは後ろを振り向いた。
しかしそこには何もない。
ただ中庭へと繋がるガラス張りの扉や窓があるだけだった。赤い月の光が差し込むとはいえ、ガラスは鏡のようにこちら側の光を反射する。アルネはそこに白い異形を見た。
「……なんで?」
顔はアルネ自身だ。折角のドレスはほとんど破れてしまい、半裸になってしまっている。だが恥ずかしさなど感じている場合ではない。
右肩の後ろから鳥のような羽。腕や首元を這う真っ白な鱗。そして蛇のように縦割れした瞳。変色してしまった髪など気にならないほど、異形の姿へと変わり果てた姿がそこにあった。
「なんで、わたし、どうして、なんで」
覚束ない足取りでガラス戸へと近づいていき、手を伸ばす。すると反射して映る異形の少女もまた、同じように手を伸ばしていた。
やがて指先がガラス戸に触れると、その勢いのまま扉が開かれる。アルネは倒れ込むように庭へと出ることになった。真っ赤な月の光が降り注ぐ中、アルネは現実を知る。
「ああ……いやあああああああああああああ!」
絶望した彼女は喉が枯れるほど叫んだ。
それは衝撃となり、ガラス戸を粉砕してしまう。舞い落ちるガラスの破片は赤い光を乱反射し、イブリースたちは己を守るために伏せた。しかし彼らはアルネの金切り声に心を揺さぶられ、徐々に狂気へと蝕まれていく。
恐怖のあまり衣服を引き裂き、爪で肌を引っ掻き、自ら舌を噛み切る。
しかしそれらの傷は瞬時に再生してしまう。自殺すらできない。
(どうして! どうしてどうしてどうして!)
アルネ自身も訳が分からない。
何が起こったのか、どうすればいいのか分からない。混乱して無造作に力を解き放ち、それを制御する術すら得られていないのだ。
そしてこの異常は近くにいた吸血種を呼び寄せることにもなった。耳にすれば発狂する叫びも、強い魔力を持つ吸血種には効果が薄い。何とか正気を保ちつつ、その根源たるアルネを発見した。
「あら、魔族が紛れ込んでいたみたいね。どういうことかしら」
「面倒だな。魔族は獣の性質を持っている。吸血の対象外だ」
「上手く選り分けすれば血晶武装になるのに」
「私たち若手には無縁の技術ね。始祖様や長老方ならともかく」
姿を見せたのは三人の吸血種だ。それ以外にも遠巻きに観察しようとしている吸血種もいたが、すぐに興味を失ってどこかへ行ってしまう。
「どうするラミィ?」
「そうねぇ……邪魔になりそうだから殺すでいいんじゃない?」
「いいね。なんか部屋の中から血の匂いもするし、丁度いいかも」
「お、そりゃいいな。休憩ってところだ」
「私は生きている人間がいたら吸血するわ。生き血派だもの」
「出たよ潔癖」
彼らもまたアルネを魔族と勘違いする。
だが吸血種たちにとって目的は血を奪うことだけ。狂気的な叫びが煩いから殺しておこうと考えただけ。心の奥底には面倒だという思いや、明らかな油断があった。
アルネは振り払うようにして身悶えし、背中の翼から大量の羽が散る。それらは風も吹いていないのに四方八方へと撒き散らされた。
「え?」
吸血種の一人、ラミィと呼ばれた女は目を疑った。羽が押し寄せてきたかと思えば、仲間二人の上半身が消し飛んでいたのだ。
そこでようやく気付く。
己の右半身もまた、消失していることに。
「何、これ」
美しく整えられていた庭は見るも無残なほど荒れていた。生垣の通路は引き裂かれ、花壇は抉られ、果実を実らせる大木も圧し折られている。
倒れたラミィは首だけを動かし、何が起こっているのか理解しようとした。
(ぁ……再生しない、じゃないの。もしかして、死――?)
アルネの翼は無作為に動き回り、羽を散らす。そして羽の一つ一つが何かに触れると、その部分を粉々に粉砕して消し飛ばしてしまう。
あれは見た目通りの羽ではない。破壊を孕んだ異能だった。
ゆっくり、ゆっくりと羽は落ちてくる。そのうちの幾つかは倒れて動けなくなったラミィの上に降り注ごうとしていた。
「死に、たく……血……」
無慈悲に羽は落下し、吸血種の肉体を破壊する。再生すら許さない圧倒的な破壊の力が、吸血種を容易く屠った。
そして叫び続けていたアルネもまた、ここでようやく動きを止めた。立ち尽くし、この破壊の惨状を呆然と見つめ、そして己の身体を這う白い鱗に再び絶望する。
「私って、何なの?」
その答えは簡単だ。ただ魔装を生まれ持った人間というだけのこと。アルネはその知識を持っているはずだった。しかし化け物じみた変貌は彼女から冷静な思考力をすっかり奪ってしまう。
しばらく蹲っていたアルネは、やがて亡霊のように立ち上がる。
「行かなきゃ」
どこへ行くべきか、アルネは知らない。
それにもかかわらず幽鬼のようにふらふらと、歩を進め始めた。まだ赤い月は天上で光を放っている。霧はガレス市を覆い、逃げることを許さない。
当然、魔族のような風貌のアルネを、ガレス市民も吸血種も敵とみなす。
「魔族までいるぞ!」
「そんな馬鹿な!」
出動していた軍は、アルネの視線を浴びて石となった。
「おいおい魔族なんて聞いてねぇぞ」
「邪魔されたら面倒ですね。殺しておきましょう」
吸血種たちは破壊の羽で塵にされた。
(どうしてこんなに気分がいいんだろう。こんなことになっちゃったのに、凄く高揚してる)
アルネは困惑していた。理性ではこんなことをするべきではないと己を諭している。しかし身体は闘争を求めているのだ。全てを壊してしまいたいという欲が渦巻き、体を熱くしている。
赤い霧のせいで視界ははっきりしないが、それでも彼女は歩き続けた。そうしているうちに霧は濃くなっていき、やがて一寸先すら未明となる。冷静ではないアルネも、流石におかしな状況だと思い始めていた。
(何か、変)
霧は更に濃くなっていき、更には周囲から生き物の気配も消失していく。まるでこの世から隔離されてしまったかのように。
警戒を強めるアルネはそれでも歩みを続け、そして不意に霧が消えた。
「え?」
思わず振り返る。
するとそこには赤い霧の壁が存在していた。空を見上げれば無数の星々と、普通の月が輝いている。アルネは駆け足で霧の壁から離れ、改めて振り返った。
「……そっか。私、赤い夜から逃げきれたんだ」
赤い霧は広大な範囲を覆っているため全貌は分からない。しかし推察するに、ガレス市を覆う霧で間違いないだろう。
それだけ理解して、アルネは背を向けた。
わざわざ厄災『赤い霧』の中に飛び込む理由もないのだから。
「……シュウ部長に会おう。あの人なら私のこと、理解しているはず」
冷めた風が身体を冷やし、今まで思い出せなかったことを思い出させてくれる。身体の異変のことはシュウに指摘されていた。ならば今の自分の状態を理解し、導いてくれるかもしれない。そんな期待を抱き、孤独な夜の道を進んだ。
◆◆◆
「カーミラがアルネを外に出したか。過保護なことだ」
少し時を置いて、霧を破りつつシュウも外へと出てきた。念のためにとアルネの様子を見守っていたが、彼女は暴走しつつも最後まで飲み込まれることはなかった。そしてほとんど本能任せとはいえ、力を以て吸血種すらも打ち破った。
「あとは時機を見て接触するだけ……」
『シュウさん、問題が起こったのですよ! すぐに戻ってきて欲しいのです!』
何とも間の悪い。シュウは天を仰ぐが、話を聞かないわけにはいかない。アイリスが緊急の通信を寄こしたほどだ。何か大きな問題が起こったのだろう。
「わかった。すぐ戻るから話を聞かせてくれ」
仕方なく、アルネのことは煉獄の精霊に監視を任せることにした。




