600話 秩序星廟
嵐のような光の奔流が全ての蟲を駆逐した。
無尽蔵に蟲を生み出す虚空の穴すらも焼き尽くし、全てを均した。
『そんな馬鹿なことが!』
「星盤祖に祈り求めました。主は応えてくださったのです」
『認めない。認めてなるものですか!』
光の蹂躙は蟲を滅するのみならず、玉蟲の業魔すら焼いていた。
忌々しそうな声には怒りが滲んでいる。
『私の執念を! 積み重ねを! 祈り如きで凌駕するというのですか!』
その叫びのためルークは頭が痛くなるほどだった。ネオンも思わず耳を塞いでいたが、そんなことで防げるものでもない。業火の如き怒りが思念となって木霊している。
『神を騙る偽りの光が! 私を阻むな! 呪われよ! 私が呪ってやる!』
怒りのためか口調すらも変わり、星盤祖を冒涜する。巻き付く厄災の蟲たちも天に向かって威嚇の音を鳴らし、空を震わせていた。
夜の星々を塗り潰すほどの光と共に、強烈な熱波が駆け抜ける。太陽を思わせる巨大な火球が天を支配したのだ。
『滅ぼせ滅びよ滅せよ! 幾百の贄を以て世界を焼くのですわ!』
火球はもはや直視できないほどの輝きを放っている。眩しさのあまり空を見上げることもできない。それほどの強烈な光であった。
徴収した帝国民の命を以て発動した禁呪にも匹敵する破壊の御業。
まともな方法で止めることはできない。
「あなたはかつてエルムレアの民だった。災いに絶望し、祈ることを止めてしまったのですね」
ミリアムは非情な女だ。
数えきれない屍を踏みつけ、贄として己を高めてきた。とても許されることではない、業の深い行いだ。しかしながら尋常ではない努力を積み重ねてきたことも確かである。
だから玉蟲の業魔は、すなわちミリアムは憤慨した。
『計画も積み重ねもなく、ただその場で祈り求めただけの愚者が! ならばこそ! このような世界、国々、人間など――ッ!』
消えてしまえ、と。彼女は叫んだ。
最も強い憎悪を込めて、世界の破滅を願った。聖杯という神器はその意思に応え、無数の命を秤に乗せる。釣り合うとみなされた事象は天を覆う暗黒となって現れた。
それは先も使っていた《湧蟲穴》と同じものである。しかし術はより複雑かつ巨大なものとなっていて、本来の術とは天と地ほどの差があった。
「またあのようなものを。《秩序》――」
「危ないネオン!」
再び光の嵐を解き放とうとしたネオンに玉蟲の業魔は毒を噴霧していた。また真っ白な糸が網となって捕らえようと迫ってくる。
空の大穴に目を向けていたネオンは反応できず、代わりにルークが暴風を以て毒霧を吹き飛ばした。更には糸の網までも跳ね返してしまう。
「助かりましたルーク」
「それよりも空のアレを消せるか? 俺がお前を守る」
「はい。任せてください!」
第三の眼が開眼したことで、今のネオンは魔力に充実している。あれほど苦しかった体は今や羽のように軽い。
そしてルークが守ってくれるという安心感がある。
飛来する火炎や雷撃は全て暴風の壁が防いでくれていた。
『ぐッ……邪魔を!』
カーミラとスルザーラも少し離れたところで戦い、玉蟲の業魔を抑えてくれている。巻き付く七種の蟲の内、下側の四種と戦ってくれていた。
地上には今も地獄が開き、無尽蔵の不死属が玉蟲の業魔を襲っている。そんな状況下にあっても、玉蟲の業魔は空の大穴を完成させることに気力を注ぎ込んでいた。
『あの光! 呪わしい光の刃は使わせませんわ!』
玉蟲の業魔は蛾と蜂の力を使い、範囲攻撃でルークの防壁を破ろうと試みる。だが完全同化にも近づいたルークの力はそれらを阻んだ。嵐の防壁はもはや近づくもの全てを打ち砕く。
ならばと玉蟲の業魔は妖しく第三の眼を輝かせた。
肉の剣に浮かぶその眼を目の当たりにしたルークへと、嵐唱は激しく警告する。
『回避せよ』
「え?」
『避けよと言っている!』
一瞬呆けていたルークは咄嗟にネオンの手を引いて急下降した。嵐唱は自律的に下方の防壁を解き、道を作った。同化により神器と一つになっていなければ、これほど早くは動けなかったことだろう。それが二人の命を救った。
次の瞬間、嵐の防壁は横一文字に引き裂かれたのだ。
「んなッ!?」
ルークが驚く間に再び玉蟲の業魔は第三の眼を妖しく光らせる。嵐唱は強制的にルークの身体を操り、下へ、右へ、左へ、上へと移動していく。
「ルーク!? 何をして……」
「違う! なんか体が勝手に……嵐唱が勝手に! うおおッ!?」
振り回されている間にも、ルークは目を凝らした
その内に自分たちを襲う攻撃の正体に気付く。黒い風のようなものが通過したかと思うと、雷も風も切り刻まれて霧散してしまったのだ。
「何だこの攻撃!?」
『黒い風は世界をも断つ。防ぐな。避けよ』
訳も分からぬまま嵐唱の提言に従い、ただ回避を繰り返すのみ。もはや空の大穴に目を向ける暇もない。
『あなた方の信じる神が奇跡をもたらすというのであれば、私は更なる呪いによって立ち向かいますわ。より大きな力で叩き潰しますのよ!』
聖杯が出力した大穴からは膨大な蟲が溢れようとしていた。
初めに注入した魔力の分だけ召喚され、大穴の内側では喰らい合いが発生していた。蟲毒の果て、蟲は次の位階へと昇り詰める。
災禍すら踏み越え、破滅の領域へと。
◆◆◆
「あれは……ッ!」
カーミラは思わず見上げてしまった。
目が見えずとも、感じ取れる存在感は間違えようもない。以前、蟲魔域で遭遇した暗黒の甲虫と同じである。
「あの三つの角……あの時のか!」
「そのようですね。私が切札を以てようやく打ち滅ぼした蟲です」
「ならば奴と同じように降りてくるのは……」
「ええ、同格の蟲でしょう」
太陽の如き熱を放つ赫獄燐蛾。
絶死の毒針に加え、高圧電流を操る琥毒死蜂。
鋼すら断つ大鎌を振りかざした深翠蟷螂。
万物を溶かして残さない酸を放つ蒼酸百足。
無限にして夢幻なる紫紺幻蝶。
全身を暗黒の凶器とした淵土鎧蟲。
いっそ神性すら感じさせる輝聖蜘蛛。
七種の破滅級はそれ以下の蟲を従え、地上に降りてこようとしていた。その一つでも国を滅ぼすほどの大戦力である。
「あんなもの、相手にしていられないぞ」
「スルザーラさんはどれほど同化を保たせられますか?」
「この身を全て捧げるまでだ。この戦い、どこまでも私は犠牲を払おう」
そう言いながら、スルザーラは魔力矢を解き放った。玉蟲の業魔が飛ばす糸を全て叩き落とし、そのまま第三の眼を狙う。
だが劔撃の矢には黒の甲虫が割込み、第三の眼を守ってしまった。
「あの時のようにあれを倒せないのか?」
「今、地獄が閉じました。間もなく心臓も回復します。それまでは私も弱ったままです」
「聖守様もルークも攻撃されているようだ。私たちがどうにかしなければ」
破滅の蟲たちは巨大だ。
ゆっくり、じっくりとこちら側へ這い出そうとしている。その全容を目にするのも時間の問題だろう。カーミラは残念ながら解決策を持たなかった。
(召喚秘術を使ってしまったのは早計でした。これならば一か八か、《万象貫通》を使っていれば)
戦場にもしもは存在しない。
ただ漠然と結果のみが支配する冷たい世界だ。
「ならば私を吸血種にすることは可能か?」
迷っているカーミラに、スルザーラは一つの提案を持ち掛けた。
一瞬呆けてしまったものの、すぐに首を縦に振った。
「できます。しかし私と同じになるということは」
「構わない。それが主の教えに背くことだと理解もしている。しかし今の私に必要なのは力だ。劔撃の力を極限まで引き出すことでしか、聖守様を守れない!」
「ネオンさんは悲しむかもしれませんよ」
「そんなことはない。あの方は君とも友人になった器の広い方だ。吸血種ではなく、私として見てくださる。そう信じているから覚悟を決めた」
「……国に帰れないかもしれませんよ?」
「承知の上だ。それに私は同化で人ならざる存在に近づいている。今更さ」
「いいでしょう。ただし急ぎですので痛みを伴います」
覚悟は揺るがないだろう。カーミラも彼の望みを聞き入れ、右手を胸元に突き入れた。鋭い爪が肉を抉り、骨を断ち、スルザーラの心臓にまで指先が届く。
強烈な痛みのためスルザーラも呻き声を漏らした。だが、更なる苦痛はここからである。
カーミラは自らの血を流し込み、それを用いてスルザーラの細胞を置き換え始めた。人を吸血種へと変える、始祖だけの御業がここに成ったのだ。
「ぐ……ぐおおおおおおッ!」
「あと少しです」
スルザーラは強い痛みの中、喉の渇きを感じていた。
同時に今まで経験したことのない魔力の奔流に戸惑う。自らの血肉を破壊し、魔力を生成する。それが吸血種の強さであり、同時に弱点だ。力の代償として急激に死へと落ちていく欠陥種族だ。
(理解した。これが吸血種……この渇きを満たすために血を必要とするのか)
だがその一方で、神器の副作用はほとんど消えた。命が零れ落ちていくような感覚は既にない。それどころから今まで以上に劔撃を使いこなせるという確信があった。
弓形態となった劔撃はその力を蓄え、加速度的に威力を増していく。いつもならば打ち止めとなっている威力すらも軽く飛び越え、留まることを知らない。
「私は劔撃をほとんど使いこなせていなかったということか。まったく……人間よりも吸血種にこそ適正があるとはな。神器とは心強いが、厄介なものだ」
「ルークさんのような方は例外でしょう。それよりも体は大丈夫ですか? 吸血種となってすぐで、吸血もしていません。無茶をしないようにしてください」
「問題ない。不思議とこの力は馴染むようだ」
スルザーラが狙う先は大穴より現れようとしている破滅の蟲たちではない。玉蟲の業魔だ。
劔撃は攻撃力に優れるが、点を穿つような攻撃であって、面制圧には向かない。だから狙うべきは玉蟲の業魔。特に力の源泉たる第三の眼であった。
当然だがその行動を見逃す玉蟲の業魔ではない。
邪魔をしようとして白の蜘蛛が粘着質の糸を網目にして放った。
「私が守ります」
「いや、大丈夫だ」
カーミラは糸を断ち切ろうと前に出たが、スルザーラは無用と告げる。そしてそれが真実であることを示すため、霧化してみせた。
吸血種を構成する細胞単位にまで体を分解し、尚且つ意思を保つ高等技術だ。練習でどうにかなるものではない。実際、カーミラは自分以外で霧化を成し遂げた吸血種を見たことがなかった。
だがスルザーラは容易くその力までも使ってみせた。
「まさかそこまで!」
同じく霧化して糸を回避しつつ、カーミラは驚きを声にしていた。
再び実体化したスルザーラは、吸血種化により蓄積容量が増した劔撃を解き放つ。
魔力の矢は閃光と見紛うほどの速さを以て、玉蟲の業魔の第三の眼を射抜いた。
◆◆◆
第三の眼とは、歪な進化の証だ。
本来の第三の眼は額に浮かび、脳と繋がっている。少なくとも脳に類する重要器官があるところに浮かぶのがこの紋様だ。
玉蟲の業魔は赤黒い肉の塊が剣のような形を成し、七種の蟲が巻き付いている。第三の眼の浮かび上がる場所は、その肉の剣の中心付近だ。つまりここが弱点であることを如実に表していた。
『赤! 黄!』
赤と黄の蟲が率先して、身を挺して第三の眼を守ろうとした。だが劔撃の魔力矢は今までのものとはまるで異なる。まさしく異次元の威力だ。
二体の蟲は容易く貫かれる。
その瞬間、玉蟲の業魔は悲鳴のような叫びをあげた。
『そんな! どうして!』
しかしそれは痛みや苦しみによるものではない。赤と黄が消失しようとしていたからである。
『私を守るために……聖杯の……』
第三の眼を穿つはずだった魔力矢は霧散した。
その代わりとして玉蟲の業魔は最も信頼する存在のうち、二つをも失ってしまった。それによって発狂したような叫びを発する。音ではなく思念として、それは解き放たれた。
「今度は何だよ!?」
「わかりません!」
ルークは片耳を塞ぎつつ、ネオンを抱えて可能な限り離れていた。黒い風のような攻撃も止まったので、今の内に体勢を立て直す。
残る五体の蟲たちも騒めき、空に向かって慟哭する。
大穴より降りてくる破滅の蟲へと、祈りを捧げるかのように。
そんな中、不愉快な音を鳴らし続ける玉蟲の業魔へと流星のような赤い軌跡が迫った。
「召喚は止めます!」
カーミラは体を半霧化することによって騒音を無効化し、無差別な思念は加護の防壁で防ぎ切った。そして手元に血のような赤い槍を現出させ、投げつける。
それは青の百足が自ら盾となり、防いだ。更には毒液をカーミラへ吹きかけようとする。しかしそれは叶わなかった。なぜならば赤い槍は、茨に変化して青の百足に巻き付いたからだ。締め上げられた青の百足は悲鳴のような軋りを発する。
次の瞬間、青の百足は光の粒となって消失していく。
『青よしなさい! あなたの代わりはいないのですわ!』
玉蟲の業魔は縋るような声だ。
しかしこれを皮切りとして残る四体の蟲たちも次々とその身を光に変えていく。それと同時に玉蟲の業魔から黒い暴風が放たれた。
『緑、紫、黒、白……』
消えていく蟲たちの名を呼ぶ声が思念として発せられるも、ルークからすればそれどころではなかった。
黒い風は刃のように万物を断つ。敵も攻撃も寄せ付けない嵐の鎧ですら、紙切れのように引き裂くほどだ。先ほどまでの単体攻撃であれば、連続で放たれようと回避の余地があった。だが今はそんな隙間もない。
「ぐッ……」
「ルーク! 腕が!」
同化によって異形となった腕が、半分ほど千切れていた。ただ驚くべきことに腕は自然と繋ぎ合わさり、元通り動かせるようになる。
それに気づいたルークの行動は早い。
自らを盾としてネオンの前に立ち、黒い風を全て受け止めたのだ。ネオンも驚くが、彼を守るため光の魔術で壁を作る。ただそれも嵐の鎧同様、容易く切り裂かれてしまった。
「ぐ、おおおおおおおおおおおお!」
「ッ! 治しますルーク! どうか耐えてください」
単体でも厄災となり得る蟲たちが贄となり、聖杯にくべられた。それと釣り合う事象が、この黒い暴風で済むはずもなかった。
同化を果たし、光の天秤となった聖杯はあらゆる等価交換を可能とする。
「いけません。このままでは……」
カーミラもまた空を見上げつつも黒い風を避けるのに精一杯だった。霧化を使って透かし続ける限り、玉蟲の業魔を止めることはできない。
――赤は託す。
――黄は慈しむ。
――緑は断ち切る。
――青は捧げる。
――紫は願う。
――黒は礎となる。
――白は紡ぐ。
ミリアムを主と仰ぐ災禍の蟲たちは、己を代価として聖杯の秤に乗せた。その魂のひとかけらに至るまで、あますところなく彼女のために使い尽くした。
聖杯は無慈悲なまでに正しく、忠実だ。
厄災に匹敵する魔物たちがその全てを費やして得られる質量を、望む通りの形にして与えてくれる。
『……応えないわけにはいきませんわね。私が背負う新世界のために。私を守り続けてくれたあの子たちのためにも』
玉蟲の業魔は進化する。
己を形成する魔を捧げ、その代わりとして更なる魔を得た。空の大穴より召喚された破滅の蟲が引きずり降ろされる。聖杯の力で玉蟲の業魔と融合していく。
「ありがとうルーク! 《秩序星廟》!」
そんなことをさせるわけにはいかないのだ。
ルークを盾として治癒の魔術をかけつつ、反撃の準備をしていた。ネオンは玉虫色の剣を掲げて神に願う。祈りは星の光となり、無防備となった玉蟲の業魔に降り注いだ。
エヌマ・エリシュ
某英雄王で有名ですが、本来は叙事詩のことですね。マルドゥーク神にとっての古事記みたいなもん。




