599話 星の加護
ルークの放った嵐唱の一撃は、見事に天空の魔術陣を打ち砕いた。緻密で巨大な魔術陣は雷撃の貫通を起点として壊れていき、容易く崩壊する。
「やった! やってやったぞ!」
達成感で気が緩む。
力を抜き、魔力にも粗が出る。
『油断をするな馬鹿者!』
そして嵐唱の叱咤で気を引き締めた。だが少し遅かった。
次の瞬間、ルークの周囲に大量の火球が出現したのである。それらは現在進行形で増え続け、また膨張し始める。明らかな危険性を訴える状況である。
だがルークは一度気を抜いてしまい、そこから復帰できていなかった。
「しまッ――」
大量の火球は破裂し、大爆発を引き起こす。
一度や二度ではない。連鎖的に次々と爆発し、熱と衝撃を撒き散らした。ルークは逃れることも防御態勢を取ることもできず、紅蓮の中に飲み込まれていった。
◆◆◆
「ルークッ!」
爆発に呑まれていくルークの姿を目の当たりにして、ネオンが悲鳴を上げた。それで魔術による攻撃を切らしてしまい、玉蟲の業魔による反撃が始まってしまった。
大量の光線が飛来し、雷撃や爆発がネオンを襲う。
『あはははは! 引っかかりましたわね! 空の魔術陣など囮ですわ。まさかお忘れになっていて? 聖杯があれば魔術陣などなくても術を発動できるのですわ』
具現化した光の天秤が揺れる。
空から多数の光線が落ちてきた。聖杯を利用した大魔術の発動である。ネオンは血翅の力を使って周囲の環境を支配し、己を害する魔術を無効化していく。魔術とて所詮は魔力を用いた自然現象の改変だ。反対方向に改変すれば無効化も容易い。
だがそうしている限り、攻勢に出ることはできない。
『闇の古代禁呪だって魔術陣を作る必要などないのですわ! さぁ、ここからですわよ? まずは邪魔な不死属から消えてもらいますわ』
足元で蠢き、よじ登ろうとする不死属たちは煩わしい。玉蟲の業魔はそれに向かって滅びの魔術を放った。取り込んだ聖王剣の力を使い、更には同化した聖杯へとくべた魂で以て即時発動させる。
『刮目なさいませ。《大崩蝕壊》を!』
それは第十二階梯に位置する闇の魔術。
万物を腐敗させ、広域を分解してしまう滅びの魔術だ。地獄より這い出る不死属たちは《大崩蝕壊》の効果で次々と消えていく。それこそ、四割は消滅してしまった。
『あらあらあら。思ったよりは倒せませんのね。黒い炎の力……ですわね?』
「何という魔術を! 帝都にまで被害が及んでッ……」
『そうですわね。失敗ですわ。聖杯のくべる魂が減ってしまいますもの。うっかり、ですわね』
「うっかり……? そんなことをどうして言えるのですか!」
闇の禁呪は地獄の不死属を滅ぼすべく放たれたものであったが、被害はそれより広く及んでいた。そもそも禁呪は一都市を容易く絶滅させる威力がある。こんな帝都の近くで使用すれば、その崩壊が及ぶことくらい想像できたはずだ。
だが玉蟲の業魔は顧みなかった。
路傍の石と見なし、気を遣うこともなかった。
『仕方のないことですわ。戦いながら羽虫の命を気にしまして? 足元を這う蟻に気を遣いまして?』
「あなたは人を! 命を虫と呼ぶのですか!」
『私にとって人間など蟲ですわ』
「違います!」
ネオンは強い光を放射した。
それは《聖捌》の祝福より放たれる聖なる光である。強い輝きは周囲を凪と化し、太陽のように照らしていく。
「人は尊いものです。なぜそれを忘れてしまったのですか」
『いいえ。人は醜いですわ。欲望を抑えきれず、恐怖に打ち克つこともできない。未熟で愚かな生き物ですの。そして大義名分を得れば、どんな残酷なこともできてしまう。獣ですらしないようなことを。これのどこが尊いというのか教えて欲しいものですわ』
「それだけが人の本質ではありません。思いやり、慈しむこともまた人の行いです!」
『そんなものは調子のよい時だけですわ。追い詰められた人は必ず……必ず本能を剥き出しにしますの。獣よりも下劣で、羽虫にも劣る器の小さな本質を浮き彫りにしてしまいますのよ』
肉の剣に巻き付く蟲たちは嘲笑うかのように唸り声を響かせる。
『選別と教化を以て愚かな蟲どもを導き、美しき魔族の世界に変える! それが私の使命ですのよ!』
「そんなことはさせない!」
空から雷が降った。
未だ天を満たしていた爆炎を突き破り、ルークが降ってくる。全身には火傷の跡が残っているものの、動きは鈍っていないらしい。
「ミリアム! お前の野望は止める! たとえどんな過去があったとしても、無関係の人を巻き込んで世界を壊していい理由にはならない!」
『救済! そう何度も言っているでしょう? あなたもしつこいですわね』
空間が歪み、ミリアムの意思が滲みだしていく。玉蟲の業魔の元になった、彼女の思いが空間を作り替えていく。空には数えきれないほどの穴が生じ、そこから無数の蟲が召喚され始めた。
七種の蟲が高位級までで生み出され続け、群れを成し、その全てが玉蟲の業魔によって従えられる。炎の蛾、雷光の蜂、大鎌の蟷螂、毒の百足、幻惑の蝶、堅固な甲虫、白糸の蜘蛛、それらが互いに喰い合っていく。
「何を……?」
「止めてください! ルーク、蟲系の魔物は共食いによって進化するのです! このままでは凶悪な魔物が誕生してしまいます」
「なんだと!?」
空の穴は《湧蟲穴》という召喚魔術だ。高位級以下の蟲系魔物を無尽蔵に召喚することができる。一切の制御を手放すことで、大量召喚を実現した術だ。
欠点は二つ。
第八階梯という高等魔術のわりに召喚される蟲が弱いこと、そして制御不可能なことである。だが玉蟲の業魔はこれを克服した。蟲が弱いことは魔力に任せた大量召喚で数を揃え、共食いによって進化させている。また制御不能という点もミリアムが保有していた異能が解決してくれた。
『私の言葉を聞きなさい。喰い合い、力を示すのです』
蟲たちは声に従い、命懸けで喰らい合う。
殺すことで魔力を奪うという魔物共通の特性が、蟲たちを急激な進化へと導いた。本来、高位級から災禍級への進化は一つの壁だ。単体にて厄災となり得る存在へ至る、その階は決して低くない。
だがこれほどの数が揃えば話も変ってくる。
今この場は蟲魔域よりも狂気に染まった魔境だろう。
「《大放電》!」
「嵐唱!」
ネオンとルークの息を合わせた雷撃で蟲を始末していく。だが減らすよりも増える方が早い。そして蟲の進化は想像を絶する。
『飲み込みなさい。全てを! 喰らい尽くすために!』
周囲を覆い尽くす蟲は、玉蟲の業魔の命令を聞いて一瞬だけ止まる。そして次の瞬間、天蓋が降る如く一斉に地上へ殺到し始めた。
ルークはネオンを引き寄せて暴風の壁を張り、雷撃を放つことで蟲を寄せ付けない。ネオンも邪魔しないよう、血翅の自然改変能力で支援した。
「なんて数だよ」
「ミリアムはこれほどの力を……いけますかルーク?」
「ああ。力がどんどん湧いてくるからな。まだいける!」
嵐唱と同化したルークは、常識では考えられない風と雷を操る。その姿はまるで嵐の化身だ。いまや同化も進み、その身体は異形へ近づきつつある。
(私が……私の弱さが周りの人々の犠牲を生む。もう、弱くはいられない。だから力を貸してリィア。もし剣の中にあなたの心が残っているなら……お願い!)
そう強く願っても、ネオンは限界だった。一度は魔神教団に捕らえられ、かなり衰弱させられていたのだ。多少回復したとしても、これほどの連戦に耐えきれるわけがなかった。元より魔力は限界だ。今はただの気合いで限界を引き延ばしているに過ぎない。
精魂尽き果てる本当の終わりが、すぐそこに見えていた。
(何でもいいの。お願い……だから!)
疲労と魔力消耗で視界が歪む。閃く雷のせいで目もおかしくなりそうだ。
(星盤祖に願います。私が聖守として選ばれたのなら! 今こそ私に力を……あの魔族を打ち倒すための力を与えてください!)
津波のような蟲の殺到のため、ルークの嵐すら押し込まれていく。暴風の化身などと比喩しても、所詮は風なのだ。空気の流れでしかないのだ。圧倒的な質量の前には無力でしかない。
「く……そ……嵐唱」
ルークの両腕に裂傷が生じる。
かなり深く裂けたのか、血が噴き出していた。桁外れの同調率を誇るルークでさえ、神器の力を受け止め切れていない。器以上の力を引き出し、自滅しかけていた。
神器の力を過剰に引き出せば寿命を縮める。炉の長、ハーケス老の言葉が過った。それでもルークは止めない。第三の眼が受信する魔力を片っ端から注ぎ込む。
「こんな……諦めて! たまるか! 俺はお前の考えを認めない!」
もはやルークとて限界であった。
ネオンは朧げながらそれを理解し、己の無力を恥じる。そしてより強く超常存在へと縋る。
(どうか示してください。私が生まれた意味を……ッ!)
聖守の存在意義は、国を守ることではない。魔を滅ぼし、人々に安寧をもたらすことだ。聖教会の教えは国をわたって広がり、聖石寮も各国に配置されていた。しかし歴代の聖守は、国を越えて魔より人々を守るという使命を果たしてきたのだろうか。
実を言えばそんなこともない。
常闇の帝国には敗北し、サンドラ帝国にも同盟国を滅ぼされ、魔神を討つこともできず、蟲魔域の攻略も成らない。
(だからお願いです! 星盤祖よ!)
『その祈り、聞き届けよう』
声が答えてくれた。
◆◆◆
一切の隙間もなく蟲が落ちてきたとき、スルザーラは死を覚悟した。劔撃は一撃に特化した扱いの難しい神器だ。そして同化も長くは持たない。第三の眼が途切れれば、いよいよ危険だ。
死をも覚悟したが、それは訪れなかった。
「無事ですかスルザーラさん」
「カーミラか! 助かった。それよりも聖守様は?」
「わかりません。ルークさんを援護していたようですが」
押し寄せる蟲はカーミラが霧で防いでくれていた。
赤い霧は魔力を阻害する。その濃度が濃ければ、通過を不可能にしてしまうほどだ。かつてのヴァルナヘルを覆い尽くした赤い霧と同質のものによって、蟲の侵入を阻んでいたのである。
だがこうしてしまうと外の状況がよく分からなくなる。
「スルザーラさん、心配はよく分かります。ですがあの二人も弱くはありません」
「分かっている。しかし」
「私も地獄を解き放つ禁呪を使ってしまいましたから、弱体化しています。無理はできません」
術のため捧げた心臓はまだ回復していない。
この程度で死にはしないが、心臓の損傷は弱体化を招く。本来ならば街を覆い尽くす霧の結界も、今や自身の周囲に展開するのみ。ウェルスも瘴血の息を吐くことで蟲を寄せ付けないようにしてくれているが、押され気味だ。
だからルークとネオンを助けることもできず、ただ信じて待つことしか叶わない。
「ッ! この魔力……」
もどかしく思っていたところで、カーミラは強烈な魔力の発露を感じる。目が見えないからこそ敏感になった魔力への知覚能力だ。だからその魔力がネオンのものであるとすぐに気付いた。
「どうしたカーミラ?」
「ネオンさんに何かがあったようです」
「聖守様が? どういうことだ? どうなっている!」
「分かりません。魔力が……暴走している? いえ、そうでもないような……」
それは神器と同化した時と似ていた。カーミラも思わず困惑してしまうような、渦巻くような魔力の放出である。
何が起こっているのか。
その疑問への解答は世界を引き裂く光の奔流によって示された。
◆◆◆
ネオンが『声』を聴いた瞬間、世界が開けたような気がした。底を突いていた魔力は今や充実している。それどころか飽和するほど湧きあがっていた。
『開闢の時、来たれり。星は光によって平衡をもたらす。星盤祖の神話を体現せよ』
何が起こるか、何を為すべきか。
一切のことがネオンへと流れ込んできた。彼女は溢れる魔力を血翅に注ぎ込み、今この瞬間、授かった力を行使する。
その名は始まりの神話。
あるいは力の象徴。
星盤祖を称えるための歌。
「始まりの光よ。偉大なる主の光よ。どうかここに顕したまえ」
空間が歪み、光が屈折し、そして束ねられた。
無尽蔵に瞬く閃光が嵐のように蟲を蹂躙していく。光に触れた蟲は瞬時に弾け飛び、跡形もなく散らされた。視界いっぱいだった蟲は光に塗り潰され、星々のような淡い輝きだけを残す。
「《秩序星廟》!」
歌うようにその名を知らしめたネオンの額には、第三の眼が発現していた。




