598話 蟲網
封魔王国の死者は恐ろしいほどであった。
何より、封印の塔を破って現れた炎帝の軍は巨兵を以て宮廷を圧し潰してしまった。国の政を司る人間が多く消えてしまった以上、本当の意味での復興は困難を極めることだろう。それでもアポロヌス王という太陽の如き人物は生きている。
彼が生きている限り、必ず封魔連合王国は蘇る。人々はそう信じていた。
まさかその希望すら、冥王が刈り取るとも知らずに。
「セフィラ、準備は整っているか?」
「うん!」
転移魔術で遥か西方の妖精郷より神と崇められる二人が飛んできた。今回はセフィラが要で、伴って現れたアイリスはサポート役である。
手筈は既に整っていた。
シュウが何も言わずとも、予定通りに二人は動き始める。
「空間は区切りましたよー」
「ママありがとう! これで力が使いやすくなったよ!」
樹界魔法が発動する。
奪い、分け与えるという本質を空間へと侵食させ、塗り替える。セフィラのための世界へと作り替えていく。セフィラもまた、シュウで言うところの冥界を作ろうとしてきた。
「《精霊聖樹》、部分顕現」
封魔王国の中心で巨大な木が出現した。それは再臨した封印の塔を飲み込み、周囲の建造物を圧し潰してさらに巨大化していく。歓喜していた民衆は一転して、再び混乱し始めていた。
木は空高くまで枝葉を伸ばし、大いに葉を茂らせる。それによってアポロヌスが放つ光すらも遮り、封魔王国は闇に包まれた。また葉の一枚一枚が星のように瞬き、まるで夜空のように見える。
「大きいな」
「大きいですねー」
「でもこれ枝だよ? 部分顕現しかしていないし」
見たこともないほど高く天を衝く大樹のことを、セフィラは『枝』であると言う。シュウが冥界の一部をこの世に具現化するように、セフィラも自身の世界を部分的に作り出した。
そして領域の境界線となるのが、封魔王国の外周である。
事前にアイリスが空間魔術を使い、ある程度の目印として仕切っておいた。セフィラはそれに沿って世界を広げればいい。
「ん。完成したよ。アトラク・ナクアも捉えた」
セフィラの世界はあっという間に封魔王国を上書きした。それによって封魔王国の民衆、またアポロヌスに受肉した紡ぐ叛威すらも捕獲する。
「これで計画の九割が終了だな。あとは俺が時間を稼ぐ。アイリスはセフィラの守りに入ってくれ。セフィラはアトラク・ナクアの力を奪い尽くすまで《精霊聖樹》を維持しろ。仕上げまで油断なくな」
シュウは浮遊し、受肉した紡ぐ叛威のもとに向かう。この状況に紡ぐ叛威も安穏とはしていられないはずだ。すぐにセフィラの世界を破ろうとしてくるだろう。それをシュウが防ぎきるか、紡ぐ叛威が世界を破り脱出するか。
そんな勝負が始まろうとしていた。
◆◆◆
南の封魔王国で神話の如き戦いが終結し、新たな厄災が訪れたその頃、北のサンドラ帝都でも戦いの流れが変わっていた。玉蟲の業魔となったミリアムを討ち果たすべく、ルークは一撃に賭ける。
「見えたッ!」
玉蟲の業魔は聖杯の力を使い、無尽蔵の大魔術を放ち続けている。空からは光が降り注ぎ、雷鳴が轟き、そして突如爆炎も発生する。だがその全てを振り払い、貫き、ただ一点を目指した。
すなわち玉蟲の業魔を支える炉心、聖杯である。
ルークは今、嵐唱と一つになっている。その導きによって、標的は見えずとも感じることができていた。ただその感覚に従い、飛翔する。
「最大威力だ! 嵐唱!」
この瞬間のため、ルークはほぼ全てを捧げた。神器の力に侵食され、肉体は異形に近づいている。したがって、それに見合うだけの力がルークに宿っているということだ。
今のルークはまるで雷そのもの。あるいは光の具現だ。
何人たりとも止めること叶わない。
『ああッ!?』
鋭い悲鳴のようなものが頭の中で響いた。
ルークは玉蟲の業魔へと、その刃を突き立てたのである。肉が寄り集まったような剣の中心部。玉蟲の業魔が炉心としている神器・聖杯を確かに捉えた。
更にルークはその身に宿す嵐を解放する。
暴風や雷が炸裂し、内側から抉り取った。
『その力ッ! どれほどの犠牲を! そこまでして私を殺したいようですわね』
「お前は俺が止める! これ以上、無辜の人々を犠牲にはさせない!」
『殺すと言い切れないところが覚悟の甘い所ですわ!』
致命的な傷を負っても、まだまだ玉蟲の業魔には体力がある。ルークの一撃は弱点を射抜き、聖杯の力を揺さぶった。しかし完全破壊とまではいかない。
魔族の再生力が傷を埋め、肉の剣に巻き付く蟲たちがルークを攻撃する。巨大な百足がうねってルークへと巻き付き、毒の抱擁で殺そうとした。だがルークは目が潰れるほどの雷光を放ち、押しのける。痙攣する巨大な百足から脱出し、一度距離を取った。
(危なかった。祝福がなかったらどうしようもなかったかもしれない)
ルークは《耐電》という祝福を授かっている。その名の通り、電撃に対する耐性だ。これにより嵐唱の力で自らが傷つくこともない。度々の戦いでルークの祝福も大きく成長している。だからこそ、強烈な雷を身に宿すような攻撃も叶った。
ただ脱出こそしたものの、玉蟲の業魔による追撃は止まらない。再び聖杯を用いた大魔術を連発し、更には巻き付く蟲たちも自律的にルークを狙い始めた。毒、業火、雷鳴、そして幻惑、あるいは空から降る光の柱。無尽蔵にも思える高密度の攻撃が襲い来る。
「そんな程度か嵐唱! もっとできるはずだろ!」
『小僧め。生意気な奴だ。よかろう。滅亡の雷を以て蟲どもに返礼してくれる!』
今のルークと嵐唱はまさしく一心同体。幾度となく同化を繰り返し、此度は体のほぼ全てを差し出したほどだ。思うがままに雷撃を解き放ち、怒りを覚えれば暴風が蹂躙する。ルークは大自然の暴虐となり、玉蟲の業魔を力づくで押し込もうとする。
だが相手は厄災の蟲を取り込んだ最大の業魔族。そして同化した聖杯の力で帝都市民の魂を吸い取り、大魔術を無尽蔵に放っている。正面からの力勝負は分が悪かった。
『聖杯に求めますわ。我が敵の力を削がんことを!』
そして玉蟲の業魔には聖杯の天秤がある。
同化した神器・聖杯は、代価を支払うことであらゆる願いを叶える。聖杯に紐づけた帝国市民の魂を贄とし、それに釣り合う結果をもたらす。
「ッ! 同化が剝がれた!?」
『聖杯の能力である。再同化を望むか?』
「当然だろ」
落下するルークは鋭く答える。
嵐唱との同化が消えても、ルークの頭部には角が残っていた。また捧げた体のほとんどが戻っていない。見た目だけでは同化が解除されたのかどうか分からないほどだ。
逆に言えばそれだけ神器と馴染み、一つになっているということ。再同化も一瞬で終わる。象徴となる青い剣には雷が宿り、その余波が玉蟲の業魔にも及ぶ。
『ふふ。もう魔族みたいですね』
「お前と一緒にするな! 諦めたお前とッ!」
『諦めた?』
「お前は絶望の中で諦めたんだ。魔族なんて方法に堕ちた」
『見解の相違ですわね。あなた如きが何を知っていると? これは諦観ではなく悟りですわ。救いは魔族にしかありませんのよ?』
玉蟲の業魔は業火を放つ。その炎は無数の蛾となり、群れとなってルークを襲った。また炎の蛾は地上を埋め尽くし、這い寄る地獄の不死属を焼き尽くしていく。
『人間はどうしようもない生き物ですわ。己の欲望を管理できず、恐怖に打ち克つこともできない。有象無象が世界のほぼ全てを占めているのです。だから必要なのですわ。選別が!』
七つの蟲たちが咆哮する。
光の天秤が揺れる。
『愚か者を排除し、ただ選ばれたものだけが魔族となって千年の王国を創る! 魔神様という救世の象徴に集い、太平を為す! それこそが私の願いですわ!』
空に巨大な魔術陣が浮かび上がった。
それはとにかく巨大で、緻密で、震えるほどの魔力を放っている。あれは発動させてはならない。ルークは一目でそう感じた。
「させるか!」
『止めさせはしません。闇の古代禁呪を以て私の正しさを証明しますのよ。この戦いの勝者こそが次の世を治めるのですわ!』
ルークは勢いよく上昇した。
炎の蛾が群れとなってをそれを阻もうとするが、嵐の鎧で突破する。暴風が一切の熱を近づけず、全てを薙ぎ払ってひたすら上へと進む。
だが突破した途端、蜘蛛の巣が眼前に現れる。
(しまった! 炎の蛾は目くらましだったか!)
蜘蛛の巣は暴風でも千切れず、雷光でも焼き切れず、ルークを受け止めてしまう。また糸は粘着し、身体に酷くまとわりついた。咄嗟に嵐唱で糸を断ち切ろうとしても、藻掻く際に腕にまで糸が粘着して動けなくなってしまう。
そんなルークを一飲みにしようと、巨大な蟷螂が大口を開けた。
「一人で戦っているわけではありませんよルークさん。私もいます」
「カーミラ!?」
突如として蟷螂の首が爆発に巻き込まれ、大きく仰け反った。続けて霧がルークの体を覆い、糸を溶かしていく。瘴血の毒が糸に練り込まれた魔力を阻害し、分解したのである。結合が緩くなれば、ルークも力づくで突破できた。
「早く上に。少なくとも四体の蟲は私が抑えます。急いでください。血盟召喚秘術の発動中は、私も思うように力を使えません」
「わかった。頼む」
カーミラはウェルスに跨り、蛮骨を手に、玉蟲の業魔へと立ち向かっていく。突き立てられた肉の剣に巻き付く七匹の蟲の内、相手をするのは四体。半数以上だ。そのどれもが厄災にも匹敵する。
『やはり立ち塞がりますか始祖!』
「ミリアム。あなたの怒り、絶望、失望……それらは私には想像もできないものだったのでしょう。ですが世界を滅ぼしてよい理由にはなりません。ここはあなただけの世界ではないのです」
『心外ですわ。救い。救いですのよ? 理解していただけないのですね。悲しいことですわ』
「僅かな者のために、多くを殺すつもりですか?」
『ならば多くを救うため、少数を犠牲にすることを赦すことが正義だとでも?』
「争いの中に正義はありません」
『その通りですわ。勝者こそが正義。勝利の先にこそ正義はあるのです!』
蛮骨、そして赤い霧。
その二つの武器を以てカーミラは果敢に挑む。玉蟲の業魔は厄災の蟲の力を以て迎撃する。
『時間は私の味方ですわ。禁呪さえ完成すればッ!』
「させない! 俺が止める!」
『そう簡単に辿り着かせると思いまして? こんな魔術もありますのよ! 《湧蟲穴》』
上昇するルークの前に、今度は三つの穴が空いた。光に照らされ白く染まった空の中に浮かんだ黒い穴。そこから大量の蟲が出現する。高位級までの蟲系魔物を大量に生み出す、召喚の魔術である。
湧出した蟲は一斉にルークを取り囲み、檻のように舞い始めた。
蛾、蜂、蝶、甲虫といった空を飛ぶ魔物が主体となり、道を塞いだ。
「こんなもの!」
嵐唱の雷撃と暴風が蟲たちを消し飛ばす。だがそこを周囲の蟲が埋めていき、ルークの脱出を許さない。
『脱出は許しませんわ。私は魔物を従えることができますのよ? 彼らは忠実なしもべ。私のために命すら差し出しますわ!』
「くッ!」
『さぁさぁさぁ! 禁呪は間もなく完成しますわ!』
羽音と彼女の声が耳障りだ。
蟲の檻は少しずつ小さくなっている。このままルークを圧し潰す気なのかもしれない。
『我が力、嵐の力を呼べ』
「ああ。塗り潰せ、嵐唱!」
ルークはあらん限りの魔力を使い、雷光を解き放った。閃光は瞬時に蟲たちを焼き焦がし、轟音は煩わしい羽音を掻き消す。巻き起こる暴風で遺骸を吹き飛ばし、蟲の檻を無とした。
しかしながら蟲を殲滅しても、また新しい蟲がルークを取り囲もうとするのみ。全力を放ったルークはすぐに対応できず、そのまま取り囲まれてしまいそうになる。
「駄目かッ!」
蟲たちは率先して壁となり、往く道を阻む。元凶たる黒い穴からは今も無尽蔵に蟲系魔物を召喚し続けており、一切止まる様子がない。
滅しても滅しても、新しい蟲が湧いて出てくる。
ならばとルークも刃を差し向け、黒い穴を穿つべく雷撃を放とうとした。それを察するかのように蟲たちも道を塞ぎ、盾となった。このままでは先の焼き直しとなってしまうだろう。
「まったく。先走るなルーク。私もいるのだからな」
流星のようなものが空を駆け抜けた。それは蟲の群れを容易く突き破ると、黒い穴の一つを貫いて破壊してしまう。そればかりか、貫通した流星はもう一つの黒い穴すらも破壊した。
「スルザーラ! 助かった!」
「油断するな。もう一つは私が対処しておく。この程度なら抜けられるだろう?」
「ああ!」
「私の同化は長く持たん。少し体を捧げたとはいえな!」
助けになったのは劔撃の矢であった。それはまさしく一撃必殺。今まさにルークが欲していた突破力が、スルザーラにはあった。
この場を彼に任せ、ルークは更に飛翔する。
空を覆い尽くす魔術陣は目前だ。
『よもやここまで突破するなんて。私も驚きましたわ! でもここからは――』
「その余裕、砕いてみせます」
称賛を送ろうとした玉蟲の業魔を遮り、攻撃を加えたのはネオンであった。ルークも思わず目を向けると、彼女は見慣れない玉虫色の剣を手にしている。そこを起点として多数の光が生じ、玉蟲の業魔に向かって放たれていたのだ。
光弾は玉蟲の業魔に直撃すると、その体表を溶かしてしまう。肉の剣、またそれに巻き付く蟲に明確な傷を与えていた。
反撃するべく爆炎を放つ蛾が羽ばたき熱風を送り込むも、ネオンが剣を掲げるだけで凪となった。
「あなたの多様な攻撃は脅威です。ですがもう効きません!」
『魔術を無効化する反対魔術! そんな高度なものをどうやって!』
「これが人の力です! あなたが踏み潰してきた人たちの! 愚かと断じた人たちの!」
『訳の分からないことを!』
「分からないのであれば教えてあげます! リィア、お願い」
ネオンは玉虫色の剣――血翅――を掲げる。
これは彼女にとって友人の形見だ。ミリアムによって魔族へと変えられた、九聖第二席リィアの残してくれたものである。カーミラの手によって血晶武装となったそれは、何の因果かネオンの手に渡った。そしてカーミラ自身よりもよく馴染んだ。
「古代魔術を呼び起こして、リィア! 《大竜巻》」
発動したのはアポプリス式の風属性魔術だった。しかも第十階梯の大規模魔術である。ただ一度の発動で一軍すら壊滅せしめる威力と規模だ。玉蟲の業魔ほどの巨体にも有効である。
発生した竜巻は天地を結び、砕き、巻き上げる。
「これに乗ってルーク!」
「無茶苦茶だな。でも最高だ!」
ルークは躊躇いなく竜巻の中に飛び込んだ。
そして己を守る嵐の鎧と《大竜巻》の暴風を同調させ、巻き上げる力を自らのものとする。ルークは風に乗り、今までの何倍もの速度で駆け上がった。
「嵐唱! ぶっ壊せ!」
ネオンの生み出した竜巻に乗せて、最大最強の雷撃を放った。それは爆発にも紛う轟音と、失明を覚悟するほどの閃光であった。




