595話 血盟召喚秘術
吸血種にとって血は魔力も同然だ。特に血の魔装を持つカーミラは、血と魔力と自在に変換することができる。そんな彼女の心臓は、いわば絶大な魔力の塊であった。
それほどの魔力は世界を穿ち、封じられた地獄をこの世に開いてしまう。
本来の鍵であるゲヘナの鋲すらなく、地獄をこの世に解き放つことができてしまう。
「カーミラ、まさかこれは闇の皇帝の……」
「これを使っている間、私は酷く弱りますし、回復にも時を要します。ですがミリアムを抑え込めるはずです」
ネオンはこの恐ろしい光景を呆然と眺めるしかなかった。眼下に広がる黒い炎から、次々と不死属の魔物が出現し、玉蟲の業魔を襲っている。ネオンも知っているような個体もあれば、見たこともない個体まで様々だ。
今も空から光は降り続けており、不死属も大量に打ち払われている。
無尽蔵に湧き出る不死属は、恐れもなく玉蟲の業魔へと挑み続けていた。
「ネオンさん、これを」
弱っているというのは本当らしく、声が少し震えている。そんな彼女は、滴る血液から一つの剣を生み出した。いや、これは元より持っていたものだ。血に変えて体内に取り込んでいたのである。
いわゆる血晶武装であった。
「あの、これは……?」
「血翅という剣です。自然を歪める力を持ちます。聖王剣に近い……失礼な言い方になりますが、そのような武器です。魔族の血より生み出されたこの剣は、ネオンさんとも因縁を持っています」
「私とですか?」
「ヴァルナヘルで戦った、あの魔族です」
「ッ! まさか……」
ヴァルナヘル奪還戦では、何体もの魔族と戦った。あの魔族、と言われても候補は多い。だがネオンはカーミラが言わんとしていることをすぐに理解した。
何よりも印象に残り、ネオンとも強い因縁を持つ魔族は一体だけ。いや、ただ一人だけ。
「リィア、なのですね?」
「その通りです。ヴァルナヘルでミリアムに魔族へと変えられた、ネオンさんの御友人です」
「はい。大切な友でした。そして部下でもありました。第二席として九聖のことをよく見てくれていました。彼女にはいつも頼りっぱなしでしたね」
差し出された血翅を受け取り、ネオンはその刃を撫でる。金属質の光沢を放っているが、見る角度によって様々な色を映し出す。玉虫色の奇妙な剣だ。
握ればどういうわけかよく馴染む。
「確かに聖王剣を握ったときの感覚と似ています。リィアが……あの子が力を貸してくれているのですね」
果たして武器に意思が宿るのかどうか、確証はない。しかしながら血晶武装とは、元になった存在の性質を強く引き継ぐものだ。それにカーミラは血を介して記憶のやり取りも行う。血翅にも元となったリィアの記憶が残っていたとして、不思議ではない。
血晶武装とは決して無機質なものではないのだ。
(蛮骨にも血の茨にも、何かの意思は存在しているようです。主と認めない存在には、その力を十全には奮わせてくれないのでしょう。実際、血翅は私を認めなかった。この中に存在するであろう力を引き出すことができなかった)
もしやと思っていた。この予想は間違いなかったようだ。
ネオンが血翅を握った途端、その内に秘められた力が活性化するのを感じる。吸血種のための武装にもかかわらず、ただの人間が使いこなす。奇妙な縁だ。
「ですがどうしてこれを私に?」
「ヴァルナヘルの戦い以降、私の血の中に溶けていました。ずっと主張していたのですよ。ネオンさんの力になりたいと」
「リィア……」
「使ってください。ご友人の願いです」
ネオンが込めるのは魔力ではなく、感謝の思い。そして謝罪の言葉。
すると血翅は応えるようにして鈍い光を放った。返答に言葉はない。しかし何か温かいものが流れ込んでくる。ネオンの周りで風が巻き起こり、重力に逆らって浮き上がった。浮遊の魔術である。
「行きましょうカーミラ。今、気付きました。私たちは皆の思いを背負っています。炎帝は逃がしていしまいましたが、ここでミリアムは必ず」
「はい。必ず討ちましょう。彼女の思想とは相容れません。そうするしかないようです」
「反撃の時です!」
無限の不死属に気を取られ、玉蟲の業魔はこちらから目を離している。
そして時を同じくして、ルークとスルザーラも動き始めていた。
◆◆◆
地獄の蓋が開き、不死属が溢れ出したことでルークとスルザーラも驚いた。しかしながらカーミラは黒魔術ことクリフォト術式の使い手だ。これは元より分かっていた。ゆえにこの現象もカーミラの仕業だろうと、落ち着くことができたのだ。
「まったく。やってくれるなカーミラ。こんなものまで隠していたか。反撃するぞルーク」
「ああ。でもどうするんだ? あれじゃどこを狙えばいいのか分からないぞ?」
「まずは奴の能力を削る。神器をどうにかするぞ」
玉蟲の業魔はすっかり不死属に気を取られている。しかしながら同化した聖杯の力は健在で、空からは光が降り注ぎ、また火炎や雷撃、毒など蟲たちの特性を利用した攻撃も無作為に放たれ続けている。攻撃方法も攻撃範囲も尋常ではない。
つまりスルザーラは少しずつ力を削ぎ落そうと提案しているのだ。
「確か、聖杯だったっけ?」
「そうだ。これほどの大魔術は聖杯の力を使っているに違いない。どれほどの代価を捧げたというのか」
「じゃ、いつも通りだな。俺が前に出る。スルザーラは援護を頼む!」
「聖杯の場所は分かるか?」
「神器が教えてくれたよ。なぁ、嵐唱?」
そんなこともできたのか、とスルザーラは驚かされた。ルークの神器適合率は驚嘆すべきものである。古今東西、ルークと嵐唱ほどよく嚙み合った者はいないのではないか。そんなことを考えてしまうほどだ。
嵐の鎧を再展開したルークは、刃の先を使って指し示す。突き立てられ、聳える肉の刃の中央付近。青い百足が巻き付いているあたりだろうか。
「あそこなのか?」
「感じるんだ。あそこに聖杯がある」
ルークが指差した先は、カーミラがミリアムの魂を感じた場所とも一致していた。
すなわち、第三の眼である。
「一撃だ。嵐唱、一撃でやるぞ」
『よかろう。何を捧げる?』
当然のように犠牲を強いる嵐唱に対し、ルークはただ告げた。
「何でもいい。何でも持っていけ。俺に力を……あれを貫く力を寄こせ!」
激しい雷光と暴風が発生した。
青い刃に空間を歪めるほどの雷撃が宿る。高密度の電撃は万物を瞬時に融解させ、塵になるまで破壊することだろう。ルーク自身、《耐電》の祝福を保有していなければ自滅していた。
その代償として、ルークの頭部には二本の巻き角が生えている。また頬から顎にかけて鱗のような模様が肌に浮かび上がった。少しずつ、肉体が異形に近づいている。しかしルークは躊躇わなかった。
「この一刀で終わらせる」
流星の如く、軌跡を残して飛び出した。
降り注ぐ光も、舞い踊る炎も、雷も、毒も、鱗粉も、全てを一直線に貫いた。彼自身が一振りの鋭い刃となり、玉蟲の業魔へと迫った。
◆◆◆
アポロヌスと炎帝の戦いは熾烈であった。
それは天を割り、地を裂くと表現するほどのもの。アポロヌスは十の神器を次々と射出し、その異能を以て炎帝を追い詰める。そして炎帝は支配した悪魔たちに火の加護を与え軍勢を為し、暗黒点を射出することでアポロヌスを近づけさせない。また炎帝が浮かび上がらせた巨大な紋章の効果か、風までも炎帝の味方をする。
「俺の国で好き勝手を……ッ!」
封魔連合王国は滅亡も同然だ。
連合の内、半分はサンドラ帝国によって攻め落とされた。そして首都であり盟主国である封魔王国はこの有様である。
アポロヌスの中に燃え盛る怒りは、神器に更なる力を与えた。
彼は天を仰ぐ。
「もし俺に天命があるのだとすれば、俺が世界を太平に導くのだとすれば! 今ここで力を! あの邪悪共に裁きを与えてくれ!」
まるで神にでも祈るかのような、必死の叫びであった。言葉の選びは粗暴で、神官たちが聞けば卒倒してしまうようなものである。だが真摯な願いと意思がそこにあった。
強い願いは天に届く。
真っ白に染められた空の果てから、黒い糸のようなものが垂れてきた。それは一つ二つではない。百、二百、あるいは千。いや、数えきれないほどになる。
「そうか。運命は俺を見捨てないか」
黒い糸は、地獄域より現れた悪魔たちへと繋がる。巻き付くでもなく、突き刺さるわけでもなく、ただ黒い糸のようなものが付着した。それだけで悪魔たちの様子は変化する。
悪魔たちは突如として反旗を翻したのだ。
その一部は炎帝を襲い始め、その他の悪魔たちは地上へと降りていく。それらは生き残りの市民を襲うのかと思いきや、そうではない。全ての悪魔が紅の兵団を襲い始めたのだ。または火災を消し、瓦礫を除き、市民を救出していく。
『貴様! 我の下僕を奪い取ったか! 簒奪者がッ!』
「侵略者に敬意などないさ。俺は守るぞ。こんな状況でも愛する民を! どんな手を使ってでも! それが王という存在だからだ!」
『王を嘯くか。世界の帝王たるこの我に!』
「お前なんて王じゃないさ。他者に敬意を抱くことのできないお前にはその資格なんてない」
『違うな。敬われ、恐れられる存在こそが王! この我こそが運命の王となる存在である!』
「君はここで倒される。それが運命だ」
炎帝は暗黒点を射出し、更には頭上に巨大な重力を発生させる。アポロヌスの動きを制限しつつ、暗黒点をぶつける算段だ。だがそれら重力の特異点は、アポロヌスが召喚した糸に絡めとられる。
これまでにはなかった、あり得ない現象だ。
思わず炎帝は驚き、固まってしまう。
「よし。頼むぞ」
アポロヌスがそう呟くと、糸は鞭のようにしなった。そして絡めとった暗黒点を炎帝へと投げ返したのである。この究極魔術は万物を瞬時に破壊し、飲み干す。触れればそこで終わりだ。
回避を選択した炎帝に対し、アポロヌスは追撃を仕掛ける。
「旭陽、火滅、雷霆花」
太陽の如き爆発、爆炎の海、雷撃の槍がそれぞれ放たれる。一切の逃げ場を奪うような攻撃だ。炎帝も回避しきることができず、ある程度を星環の能力で吸収させ、その他は受け切った。全身を焼き焦がす灼熱のため、苦悶の声を漏らす。
それでもすぐに再生していたが、痛みの記憶だけは取り除けない。幻痛として皮膚に残り続ける。
「海楼、地鋼」
巻貝のような先端の槍、巨大な両刃斧が順次射出された。激流を伴う海楼が炎帝を渦によって抑え込み、また黒い糸すらも巻き込む。気付けば黒い糸が炎帝にも絡みついていた。他の悪魔のように操られることはなかったが、完全に動きを止められてしまう。
そこに地鋼が叩き込まれる。回転しつつ迫る両刃斧は、異形の肉体となった炎帝へと大きく食い込んだ。左側から腹部を半分ほど断ち切り、おそらく背骨も破壊されている。そのままアポロヌスは遠隔で地鋼を操り、そのまま両断してしまおうとした。
『ぐッ……が……』
「なんだ? 押し戻される……」
噴き出す炎帝の血は、瘴血の霧となって周囲に散布されている。この霧は魔力を阻害するため、遠隔でのコントロールを阻害していた。また炎帝は意識を保ち、暴風をアポロヌスに叩きつける。
「くッ! 耐えてくれ!」
飛行を可能とする天駆がどうにか空中での姿勢を制御し、暴風から逃れてくれる。しかしその間に炎帝は地鋼を完全に引き抜き、逃さぬようにと握りしめていた。更には無限炉で生成した火球を飛ばし、牽制もする。
アポロヌスは麗讃飾の光で炎を打ち消し、反撃として旭陽より星焉を放った。
『効かぬわ!』
そんな牽制の、当たりもしない星焉へとわざわざ対処してしまう。これは炎帝が戦闘慣れしていないが故の失策であった。
(やはりそうだ。炎帝は戦いが上手くない)
こういった光景は何度も見受けられた。
生まれながらの王であった炎帝に対し、アポロヌスは地獄域を制覇して成り上がった冒険王。政よりも戦こそが本分である。二人は王として対極であった。
その在り方も、思想も、王としての経歴も。
(俺たちは戦う運命にあった。そして武の戦いに持ち込んだことが失敗だったな!)
神器たちを結集させる。
多彩かつ多数の神器による制圧こそ、アポロヌスの本領だ。空という広大な戦場には利がある。
『刻命! 刻命! なぜだ! なぜ悪魔どもを支配できぬ! 我を謀ったか!』
炎帝は恨み言を叫び続け、魔力の限り星環の力を振るい続ける。無尽蔵に放たれる暗黒点、また強烈な重力球を設置してアポロヌスの動きを制限しようとする。その行動にはどこか必死さがあった。
思わずアポロヌスは笑ってしまう。
「地獄域の悪魔たちはもはや俺の支配下だ。この手は使いたくなかったけれどね」
『貴様ァ! 貴様ァ! なぜ神器が通じぬ!』
「俺には運命の神がついている。俺の勝利は決まっているよ。それに俺だって一国の王。国をこんな惨状にされた怒りもある。恨みは晴らさせてもらうよ」
重力は万物に等しく降り注ぐ。だがその猛威の中、アポロヌスは涼しげに浮遊していた。神器も影響を受けた様子はなく、淡泊に炎帝を狙い続ける。
『馬鹿な! なぜだ!』
「この見えない力のことを言っているのかな? もう俺には効かないよ。その向きを変えさせたからね」
『我を愚弄するか!』
「本当のことなんだけれど」
アポロヌスはすぐ傍に八つの細剣、虚呪針を呼び寄せる。それらは円形に並び、世界に穴を穿った。深い深い、深淵の昏き底から糸が這い出る。
「そうだろ?」
『Nm Lkt kaBiN? gRoL RosC』
それは酷く耳障りな声を吐き出した。
虚無言語
gRoL:賞賛、栄誉
RosC:肯定




