550話 ヴァルナヘル奪還戦⑧
あけましておめでとうございます
『今も侵略され苦しんでいる人がいる。帝国に実験され苦しむ人もいる。敵には人間を魔族に変える恐ろしい奴が――』
『俺は……家族を、大切な人を魔族に変えられた! サンドラ帝国は支配した街で民を虐げ、魔族を作る実験をする! あの外道たちを俺は許さない!』
スルザーラは朦朧とする頭で記憶を掘り起こしていた。
最近の話だ。印象深かったので覚えている。
(まさか。この魔族たちだというのか)
魔族が人間から作られる。
それはシュリット神聖王国において最重要機密である。その理由の一つは魔神教団の台頭にある。魔神を崇め、人を攫い、素体として魔族へと捧げる狂気の集団。そして彼らはこのように教えている。魔神の役に立てば、自分たちも不老不死に近い魔族へと進化できる。この甘い蜜に誘われて魔神教団へと流れる人々は多い。
だからシュリット神聖王国は徹底してこの情報を隠した。
異端者は確実に殺し、書物は焼き払い、石板は打ち砕いた。
(危険だ。この男がいる限り、魔族討伐を邪魔される……ッ!)
スルザーラはどうにかルークを止める手段を考えるが、絶望的に思いつかない。身体は重く、指先を動かすので精一杯だ。
同情はする。
仮に同じ立場であれば殺せとは言えなかったかもしれない。
「分かっている」
そう、静かに言われてスルザーラは動くことを止めた。
誰の言葉なのか一瞬分からなかった。
「なぁ術師の偉い人。魔族になった人は元に戻るのか?」
「……戻らない。少なくとも……私は知らない」
「そうか」
ルークは無言で神器同化した。第三の眼が開き、無尽蔵に魔力が湧きあがる。嵐の鎧が轟々と音を立て、陽電子の火花が散った。
その見た目とは裏腹に、どこか静けさを感じさせる。
「それと、あの真ん中にある球体に心当たりはあんの?」
魔族たちの中央には、巨大で不気味な卵があった。何とも言語化し難い色彩のそれは、奇妙な圧力を放っていたのだ。ずっと眺めていると頭の内側から破裂しそうになる。今はぴくりとも動かない球体のままだが、放置してはいけないと直感が警鐘を発していた。
ただ、残念ながらスルザーラも正体までは分からない。無言がそのまま返答であった。
「だよな。でも壊した方がいい。そんな気がする」
声に違和感を感じたスルザーラは、首だけを動かしてルークを見上げた。そして息を飲んだ。
ルークの両目からは涙が流れ出ていたのだ。これを目の当たりにしたスルザーラは全てを察する。ルークの覚悟と、自らの浅慮を。
「力を寄こせ、嵐唱」
『承知した』
風は一層力強く吹き荒れ、空を暗雲が覆う。ぽつぽつと天より雫が落ち、雲が鳴る。迷宮神器・嵐唱は天候すらも支配していた。
魔族化した人間が元に戻ることはない。
それは水とミルクを混ぜ合わせ、その後に分離するような行いだ。誰もその方法を知らないし、今から方法を見つける時間もない。
雫が地面を濡らす。
雨はより一層、激しくなった。それはルークの悲しみであった。
『魔族を人に戻す方法はあるのか?』
そんな質問をカーミラに投げかけたことがある。それは封魔連合王国で保護され、少し落ち着いてからのことだった。今後どうするべきか、そう考えている時のことだった。
目の前で家族が魔族化させられた。
魔族とは人間から作られているのだと知った。
だからこの疑問は当然だった。
『方法はありません。魔族となれば、その魂は魔物と一つです。引き剥がす方法は知りません。たとえ冥府の主人であっても不可能なことです』
『冥府の主人?』
『そう、ですね。他の端的な表現をするのであれば、死の管理者です。私たちは死ねば魂となり、冥府へ向かいます。そこで魂を休め、次の生に備えるのです。ですが魔族は死ねば滅びへと向かいます。融合し、狂った魂を癒す方法はありません。滅びの川へと投げ捨てられ、完全な無となるのです』
レビュノスの人々が信仰する嵐神は、天候と豊穣の神だ。『死』の概念とはあまり関係なく、ルークも深く考えたことはなかった。
『魔族とは、哀れな存在です。確かにこの世において不老であり、ほぼ不死の存在といえるでしょう。しかし魂に安らぎはなく、自らを失います』
カーミラの言葉の意味はよく理解できた。魔族化した者は誰一人としてルークのことを覚えていなかった。ただミリアムの命令に従い、ルークを攻撃した。元の自我があるとは思えない。あれでは死んだも同然だ。死にながら、名誉を奪われ続けている。
死よりも酷い有様だった。
「ずっと考えていた。これは俺がやらなきゃいけないことだって」
次の瞬間、ルークは蝶の翅をもつ魔族を刺し貫いていた。胸の中心を穿ち、魔石を破壊した。その魔族は姉だったもの。今も顔の右側だけは元の面影が残っている。
「姉上。おやすみなさい」
それを皮切りに他の魔族も襲ってきたが、それは暴風と電撃の放射で近づけさせない。通常電子の電撃により身体が痺れている間に、ルークは二の刃を放つ。狙ったのは蟷螂の魔族だった。
「母上。俺が弱かったばかりに……どうか許してください」
目の前で魔族化させられたのは母親だった。
あの時の光景は一生忘れることができないだろう。この記憶は弱さの象徴であり、決意の証だ。そして弱かった自分と決別するため、斬った。
「みんな、今までありがとう。俺が終わらせるよ」
レビュノス家が雇っていた私兵たちは、サンドラ帝国侵略の際に命を懸けて戦ってくれた。その結果は奮わなかったが、お陰でルークは生き延びたのだ。その恩は決して忘れないだろう。このような形でしか返せないことをルークは深く恥じていた。
「父上、後は任せてください。レビュノスは俺が建て直します」
一瞬、父だった魔族が笑った気がした。
しかし呆気に取られる暇はない。父だった魔族は火の粉を振り撒く翅を使い、激しい熱風を巻き起こす。ルークは嵐唱の能力で暴風を生み出し、それを押し返すばかりか圧力で切り刻んだ。そして魔石を貫く。
少しだけ痙攣し、父だった魔族は動かなくなった。刃を引き抜いたルークは、最後の一人へと目を向ける。
「エリシュ。今ここで、君を超える」
かつてレビュノス家が雇っていた私兵の一人であり、よくルークに剣を指南してくれた。優しく頼りになる女性だった。
だが今は面影を残すのみで、すっかり変わり果てている。
身のこなし一つをとってもルークの知るエリシュではなかった。
「がぁッ!」
小さく唸り、まるで地を這う獣のように身を低くして迫る。体表からは大量の火花が散り、空気を伝って肌を炙った。ルークに嵐の鎧がなければ、肌が焼け焦げてしまったかもしれない。そんな熱だった。
風はルークに味方し、エリシュだった魔族を押し戻そうとする。しかし身体能力で風を抉じ開け、速度を維持したまま迫ってくる。
(速い。でも……)
今まで見えていなかったものが見える。
世界が広く開けたようだった。
(エリシュの異能、火花。俺の嵐唱と似ている。あの頃は触れるだけで負けに繋がった。威力はないけど、隙を作らされた)
こうして向かい合うのも懐かしい。
だが、あの頃は戻ってこない。
ルークはギュッと柄を握りしめる。
「エリシュはもっと巧かった。力も異能もあの頃より強力だけど……今の方がずっと弱い!」
数度打ち合い、攻撃を受け流し、そして理解した。容姿の一部にはかつての形が残っていても、もはやルークの知るエリシュではない。
視界が歪む。
降り出した雨は地に落ちるのみ。もう、天には戻らない。
「ああああああああああッ!」
嵐唱の切先から光が飛ぶ。その先にいるエリシュは身を屈めて躱しつつ火花を飛ばしてきた。ルークは嵐の鎧を信じて突っ込み、火花を押しのけながら刃を傾けた。それに呼応して風が轟々と鳴り、エリシュの足を引っかける。
ルークは嵐唱を刺し込んだ。
エリシュは三本の尾を重ねて刃を止めようとした。
「本当のエリシュなら、今のは避けてた! 力じゃ俺に敵わないからッ!」
「ヴヴ……」
男女の間にある筋肉量の差は大きい。同じように鍛えれば、必ず男の方が力も強くなるし体力も多い。だから女戦士は技量を追及する傾向にある。エリシュもその例に洩れなかった。彼女の場合は静電気程度だが電気を放射する魔装を保有していたので、それも加味した特徴的な動きもあった。対面した相手の動きを誘導し、望むように戦いを導くのがエリシュのやり方だ。何度も指南を受けたルークはこれをよく知っていた。
だが魔族化したエリシュは力づくなところが多い。増した膂力で圧力をかけ、効果範囲と威力が増した火花の魔装で押し込んでくる。勿論、純粋な能力値でいえば人間だった頃より遥かに高い。数値化すれば五倍以上に増していることだろう。それでも、ルークは今のエリシュの方が弱いと思った。
「ヴゥ……ガアアアアアアアアアアッ!」
獣のように吠えたエリシュ……だった魔族。
凄まじい放電により周囲を焼き焦がし、ルークを引かせようとした。とにかく派手で範囲の広い攻撃を行い、距離を稼ごうとしたのだ。
それがルークにより誘導されたものだとも知らずに。
エリシュ放つ火花は、一切ルークに届かなかったのだ。
(よくやったぞ嵐唱)
『無茶を要求してくれる』
嵐唱には空気の層による電撃の遮断を要求した。ルークも嵐唱を手に入れて初めて知ったが、エリシュの魔装は電気に由来するものだった。暴風で空気の壁を作り、絶縁することで防ぐことができる。所詮は少々強い静電気のようなもの。簡単に絶縁し、遮断できる。
「得意な間合いで戦い、勝ちの定石に持ち込む。それが大切、なんだよな」
純粋な力の戦いであれば、神器同化したルークに軍配が上がる。そこに踏み込んでしまった時点でエリシュだった魔族の敗北は決まっていた。
青い刃が貫く。
ルークは決して目を逸らさず、魔石を砕く感触を身体に刻み付けた。刃を引き抜けばエリシュは糸の切れた人形のように崩れ落ち、ルークは完全に倒れてしまう前に受け止める。そしてゆっくりと地面に寝かせた。雨は血を洗い流し、汚れた体を清めていく。しかし心は、今の曇天と同じであった。
「なんて人……たった一人で魔族を倒してしまうなんて」
「聖守様。まだあの球体が残っています」
「分かっています。今の内にスルザーラを回復させます。他の皆さんはあの球体を破壊してください」
「承知しました。では指揮は私が」
「任せますグリム」
ネオンはただ見ていることしかできなかった。より正確に言えば、目が離せなかったのだ。ルークの覚悟と戦いに魅入られてしまった。
しかし今はスルザーラの治療が優先される。ネオンは駆け寄り、意識を失いかけているスルザーラへと治癒の魔術をかけた。
「大丈夫ですかスルザーラ」
「え、ぇ。ありがとう、ござい、ます」
劔撃との同化による負荷で破壊された身体も、目で見てわかるほど癒されていく。そればかりかスルザーラは体力も回復していた。
「回復はしばらく続きます。少し休んでいてください。私は残るアレを」
「……承知しました」
ネオンが離れても回復は続く。術者が離れた後も回復し続けるのがこの魔術、《常回復》の特徴だ。体力や欠損部位すらも回復させる驚異的な術だが、流石に瞬間的とはいかない。特に中身は万全と言えなかった。
無理な同化による内部の損傷こそ、スルザーラにとって致命的だったのだから。
回復中の彼は、最後に倒した魔族を抱きかかえたまま座り込んでいるルークへと目を向ける。
(馬鹿な小僧ではなかったか)
魔族が人から作られるという事実を隠す理由は他にもある。最大の理由は魔族化を求める人を抑制することだが、もう一つは魔族討伐に忌避感を抱かせないためだ。術師の中に躊躇う者が現れても困るし、民衆の中に魔族と共存を願う者が現れても困る。
誰もがかつて人だった魔族に同情を抱かず、確実に殺せるわけではないのだ。理性で言い聞かせても刃を振るう直前に躊躇い、僅かに動きが鈍ったせいで魔族に殺されてしまった術師は数知れない。
(私たちの覚悟を凌駕するというのか。なんという……)
そういえば名前は何だっただろうか。
ここに来て初めて、スルザーラはルークに興味を抱いた。
◆◆◆
「どうですかグリム」
「聖守様! 申し訳ありません。試しに魔術で攻撃してみたのですが、この通りでして」
脳が壊れるような色を発する球体には、一切傷ついていなかった。魔術でも武器でも、全く手応えがない。たとえオリハルコンでもこのようなことはない。表面に傷くらいは付けられる。こんなことは初めてであった。
ネオンは試しに《聖捌》の光を当ててみた。
「光が吸い込まれます。あらゆる魔を分解するはずなのですが」
対魔物、対魔族において絶大な威力を誇るのが《聖捌》だ。しかしこの球体に対しては一切の反応がなく、ただ吸い込まれるだけで終わる。見たことのない反応であった。
「聖守様、どうされますか?」
「ミリアムの残していったものです。必ず破壊します」
結論は変わらない。
色々試してみようと、ネオンは続けて聖王剣を振りかぶった。剣での戦いはそれほど得意ではない。しかし立ち止まり、静止物体を切り裂く程度の訓練は積んでいる。勢いよく振り下ろされた剣が球体に触れた瞬間、球体に無数の亀裂が走った。




