549話 ヴァルナヘル奪還戦⑦
一つ、歌い終えたネオンは深呼吸する。
熱くなった喉に冷たい空気が流れ込み、頭の中もすっきりした。嵐は過ぎ去り、地面が泥濘となっている他は痕跡も残っていない。
魔族兵は内側から破裂して倒れ、まだ再生できていない。魔石が破壊されない限りは死なない魔族も、極端に魔力を消耗すれば再生できずに死ぬ。数体ほどはすっかり衰弱し、死ぬ寸前になっているほどだ。吸血種も魔力を消耗させられたが、肉体に依存するところが大きいので致命的ではない。瘴血が魔力を阻害する効果を持っていることも幸いした。
だが、これで形勢はひっくり返った。
術師たちは歌の効果で傷も完治しており、一方で帝国側は魔に属する者が多かったために瀕死の者が多い。
「終わりです。ミリアム」
ネオンはそう宣言し、聖王剣を手に取って構えた。更には青白い光の領域を広げる。するとミリアムが周囲に広げていた影が蒸発して消えてしまい、そこから出てきていた餓楼たちも引っ込んでしまった。
「反魔力ですわね。シュウ様にお伺いしたことがありますわ」
「《聖捌》です。私の祝福は魔を滅ぼす神聖なる光。あなたはこの領域にいる限り、本来の力を出すことができません」
術師たちも戦況を理解し、次々と動き始めた。彼らの役目はネオンの歌で瀕死となった魔族にとどめを刺すこと。魔族兵さえ減らせば、数の少ない吸血種はどうにかなる。また吸血種たちも、死にかけ魔族兵を助けたところで無意味と考えたらしい。一切手を出すことなく、固まって迎撃態勢を整え始めていた。
「宮廷魔術師ミリアム……いえ、魔神教団の三導師ミリアム。ここであなたを倒し、悲劇の連鎖を止めてみせます。それが私の、聖守としての使命」
「小娘が吠えますのね」
「あなたは私を侮りました。だから負けるのです。あなたにはサンドラ帝国に魔族化技術を提供した疑惑があります。全て、教えていただきますよ」
「できるものなら」
先に動いたのはネオンであった。
まず《聖捌》を解除し、魔術を扱えるようにする。同時に聖王剣の刃から雷撃が迸り、更には炎が槍のように放射された。見た目こそ剣だが、その本質は魔術の発動媒体だ。他の術師にとっての聖石が、聖守にとっての聖王剣なのである。ネオンは剣を使った近接戦闘より、魔術を得意としていた。
出の早い雷はミリアムに触れる寸前で影が割込み、放たれた炎も影が飲み込んでしまう。
「餓楼、時間稼ぎをなさい」
この一瞬がミリアムにとっては重要であった。彼女は再び神器・聖杯と同化し、幻影の天秤を具現化させる。
代価を支払い、奇跡を引き起こす危険な神器。
そしてミリアムの周りには、まだ代価となり得るヴァルナヘルの人々が残っている。ネオンの歌が彼ら彼女らを治癒していたのだ。
「代価は紐づけられた命を全て」
「ッ! させません!」
「地獄よ開――」
もう間に合わない。
ネオンは見ていることしかできなかった。
天秤に命が載せられる。それと釣り合うだけの事象が発生する。スルザーラ含め、他の術師たちも一斉にミリアムへ攻撃を仕掛けようとしていたが、どう考えても一瞬遅れる。
ネオンの中ではまとまりのない思考が幾重にも流れ、不可能の文字がちらつく。
(だめ……)
傾いた天秤が元に戻り始める。
載せられた命に釣り合う事象が発生しようとしていた。
◆◆◆
スルザーラ・アルテミアにとって神器・劔撃は誇りだ。この神器はアルテミア家の先祖にあたるオスカー・アルテミアが入手したとされている。残念ながらオスカーに子はいなかったので、スルザーラは直系の子孫ではない。しかしながら劔撃はアルテミア家の人間と適合する確率が高かった。
都合上、劔撃は九聖第一席が継承することとなっている。しかし適合者の多くがアルテミア家であるため、第一席という立場はアルテミア家によって占有されていた。スルザーラも劔撃との適合率が主要因で第一席に選ばれたと言っても過言ではない。
『また世襲で選ばれたのか』
そんな声にならない声を、スルザーラは幾度となく聞いた。
直接言ってくるような愚か者はいない。アルテミア家に逆らえるはずもない。なぜならば十年ごとの王選にも出ることができる家系なのだから。何か余計なことを口にして聖石寮から追い出されては困る。だから表向きには文句を言わない。
スルザーラは不満だった。
どれほど成果を出し、実力を示し、自らの相応しさを主張しても家系というラベルが全てを覆い尽くす。良い意味でも悪い意味でも、アルテミアの名が大きすぎる。
(私は努力をしている。私は相応しくあろうとしている。なぜ評価されない。なぜ私は……なぜ私はアルテミア家なのだ)
焦りのような何かが常にスルザーラを追い立てていた。
術師を率いて強大な北の魔物を討伐しても、蟲魔域の氾濫を鎮めても、赫魔の群れを滅ぼしても、魔族を討伐しても、魔神教団の団員を捕縛しても、アルテミア家の威光が邪魔をした。そして全てアルテミア家の成果となった。
誰もスルザーラ個人を見ない。
どこにいってもアルテミアの血筋が付きまとう。
「信頼していますよスルザーラ」
だからその出会いだけは決して忘れることはないだろう。
◆◆◆
血飛沫が飛ぶ。
それと同時に腕が回転し、宙を舞った。
すぐ傍には全身から血を流したスルザーラが刃を振り抜いていて、片腕の消失したミリアムがよろめいている。
「死ねミリアム!」
そして背後からは神器同化をしたルークが現れる。
まさしく絶好の瞬間だ。
ネオンも一瞬遅れて動いた。
(感謝しますスルザーラ。身体が壊れる危険を冒してまで劔撃との同化を……)
もうスルザーラは動けない。
神器を同化まで扱える人物は希少だ。残念ながらスルザーラにはその才がなかった。しかし決して不可能ではない。尋常ではない負荷と引き換えに瞬間的だがその力を引き出せるのだ。
お陰でミリアムの腕を奪い、更には決定的な隙までも作り出せた。
正面からはネオンの雷撃魔術
背後から陽電子の電撃をまとったルークの刃。
しかしミリアムは嗤っていた。
『承知した。右腕を代価とする』
宙を舞うミリアムの右腕が解けるように消失する。
その瞬間、ルークの斬撃は空を切り、ネオンの雷撃は何もないところを通過した。
「なッ!」
「え……?」
二人が驚くのも無理はない。
絶対に回避不能な瞬間だったのだ。それが防がれたならばともかく、回避されたとなると理解が及ばない。ルークはすぐに周囲を見渡し、そして何かを感じ取ってゆっくりと見上げる。それに続いてネオンや、他の術師たちも上へと目を向けた。
いたのだ。
姿の消失したミリアムは、上空で影を広げ、その上に立っていた。右腕は切り落とされたままであったが、もう出血も止まっている。
「本当に危ないところでしたわ。油断ですわね。シュウ様に怒られてしまいそう」
空では聖杯の天秤が揺れ動き、釣り合って静止する。
ハッとしたネオンは人質となっていたヴァルナヘルの民の姿を探し、すぐに無事な様子を発見した。先にミリアムが口にしていた契約はなされていない。彼らの命は代価として支払われていない。
「何を、したのですか」
「私の腕を代価に空間転移しましたのよ。天秤の取引は常に対等。彼ら全員の命では空間転移と釣り合いませんもの」
「転移!? そんな伝説級の大魔術まで可能だというのですか!」
「私の聖杯は等価交換。犠牲を支払えばどんな願いを叶えてくださいますのよ」
「その力でエルムレア事件を起こしたのですね?」
「エルムレア。懐かしいですわね。でもその予想は外れですの。私が聖杯を手にしたのはエルムレアを出た後ですのよ。でもいい勘はしておりますわね。星盤祖の導きということですの?」
「どういう意味ですか」
それ以上の会話は途切れてしまう。
ルークが嵐の鎧によって空を飛び、ミリアムに切りかかったのだ。しかし刃は餓楼によって受け止められ、更には複数の餓楼が牙を剥いて遅いかかる。嵐の鎧が餓楼の攻撃を阻んだが、ルークは下がらざるを得なくなった。
「聖杯よ。紐づいた命の全てを以て叶えなさい」
「止めてください!」
「奇襲で殺しきれると考えたのが間違いでしたわ。だから最大戦力を以て叩き潰しますのよ。出来損ないの失敗作でも、聖守と神器使い程度、簡単に殺せるはずですわ」
ルークが、聖守ネオンが、九聖第四席グリムが、他の術師たちも全員が一斉に攻撃を放つ。それは寸分違わずミリアムへと殺到し、そして間に合わない。
「私を帝都へ。そしてヴァルナヘルの魔族をここへ」
『承知した』
揺れ動く天秤が釣り合う。
その瞬間、数々の魔術が着弾して大爆発を引き起こした。
◆◆◆
「ミリアムは逃げたか」
シュウはヴァルナヘルの方を見ながら呟いた。そこには呆れのようなものも浮かんでいる。シュリット神聖王国の奇襲攻撃を見抜き、逆に奇襲を仕掛けたというのに転移で逃げたのだ。間抜けというほかない。
「ミリアムという方は多才なのですね」
「大体は聖杯の能力だがな」
「天秤の形をした魔力の塊のことですか?」
「……そういえば目が見えないんだったな。まぁ、そうだ」
ヴァルナヘルまではかなり距離があるものの、魂の世界を見れば所在地も掴める。それは冥界の加護を持つカーミラも同じだろう。寧ろ普通の視覚を持たないからこそ、魂の眼はよく養われているようだ。
「ただ逃げるだけでなく、恐ろしいものを召喚していったようですね」
「俺としてはさっさとアレを召喚するものと思っていたがな。遊び過ぎだ」
「アレはなんですか? 業魔族のような悍ましい魂です」
「あれは魔神教団が初めて作り出した人工の業魔族……に、なる予定だったやつだ。残念ながら出来損ないだ。出来損ないでも普通の魔族より遥かに強いがな」
カーミラはウェルスの背中を軽く叩いた。するとウェルスは小さく鳴き、高度を取り始める。またカーミラが叩いた箇所が小さく裂けて、そこから剣の柄が現れた。カーミラが手に取り、抜き放ったのは血晶武装の一つ蛮骨であった。
それに対してシュウは動かず告げた。
「行きたければ行けばいい。止めはしない。既に目的は果たした」
「どういうつもりですか」
「まぁ、シュリット神聖王国軍を潰せれば何でもよかった。《暴食黒晶》で大方始末できたからな。お前さえいなければ帝国軍だけで充分な損害を与えられたものを」
「……私にはシュウ様の目的が理解しかねます」
「そう怒るな。別にお前の行動は否定しない」
「私は怒っていません」
いや怒っているだろ、と言いかけてシュウは口を閉じた。
確かに何の説明もなく、一見すると不可解な行動をしている。サンドラ帝国に与し、周辺国家に侵略を仕掛けているのだ。しかも魔族をも支援しているように見えた。カーミラでは詳しい背後関係まで推察することができない。それだけの情報を与えられていない。
二百年前はあれほど親身になってくれたシュウが、このような態度では怒りも無理はなかった。
「少しくらいは教えておいてやる」
シュウは目の前に暗闇を作り出す。
それは冥界へと通じる世界の裂け目だ。
「封魔連合王国は信用するな。特にアポロヌスとかいう王はな」
「どういう意味ですか」
「知りたければ自分で調べろ。あるいは情報に相応しい代価を支払え。それが独り立ちをするということだ」
そう言うと、シュウは冥界へと消えていった。
◆◆◆
ミリアムは大量の魔術に囲まれ、それらが着弾する直前で姿を消した。聖杯に捧げた代価としてヴァルナヘルの民たちは死に絶えて崩れてしまっている。そして代わりに、ミリアムは恐ろしい化け物たちを置いていった。
「嘘、だろ……」
ルークは絶句した。
そこにいたのは異形の怪物たち。蝶の翅を持つ魔族、顔の潰れた蟷螂の魔族、硬い甲殻を有する魔族、火の粉を散らす魔族、四肢が百足の魔族。
「姉上、母上、父上、ゲーリック、アルムス、レア、ヘレン……」
思い出す。
嵐唱を手に取った理由を。
激しい憎悪を抱いたあの瞬間を。
「……なんで、エリシュ」
そして最も面影を残す魔族もまた、ルークの前に現れた。獣の耳と三本の尾という異形の姿になってもなお、ベースとなった姿形は変わらない。
三尾の魔族エリシュは全身から紫電を散らし、ルークを睨みつけた。
「魔族!? そん、な……」
そして絶望的な声を出したのはネオンも同じだ。しかしそれはルークと同じ理由ではない。スルザーラはミリアムへの決定的な一撃を与えるため、同化という切札中の切札を使った。そして力尽き、今は倒れている。残念ながらミリアムは聖杯との契約により消え去り、入れ替わるようにして魔族の群れが現れた。
つまりスルザーラは今、魔族たちの足元に倒れているのだ。
死が差し迫っているのだ。
ネオンはすぐに聖王剣を掲げ、光を灯す。それは《聖捌》の祝福を起点とし、聖王剣の力で底上げした聖なる光。密度を調整し、人体には影響がなく魔を対消滅させる威力だ。スルザーラを巻き込むように放っても魔族だけにダメージを与えられる。
「皆さん、スルザーラを救出する用意を!」
仲間たちへと指示を出しつつ、ネオンは光を放った。振り下ろされた聖王剣が形作る軌跡に沿って膨大な光が放射される。直線上の魔族は滅せられる、強烈な光だ。
術師たちもすぐ動けるように準備をしていたが、彼らは驚愕のあまり動けなくなった。
聖なる光が魔族たちへと届こうとした寸前、ルークが割り込んだのである。嵐の鎧は光と打ち消しあい、飛び散る雷の火花も消失する。
「あなた何をッ!」
「こうすりゃいんだろッ!」
《聖捌》の光を打ち消したルークは体を反転させ、飛び込むような勢いでスルザーラの足を掴んだ。同時に脚、腰、そして背中へと魔力を集めて暴風を発生させた。
多少不格好ではあったが、ルークはスルザーラを掴んだまま魔族の傍から離脱できた。
二人は絡み合いながら地面を転がり、崩れた瓦礫にぶつかって止まる。
「無様な奴め」
「意識あったのかよ」
「戦闘中だ。気絶するような温い鍛え方はしていない」
しかしながらスルザーラに立ち上がる元気はないらしい。同化の負荷による出血量も多い。辛うじて気を失っていないだけで、限界だった。
「ハァ、ハァ……それより、何の、つもりだ。魔族を庇う……などッ!」
「うるせぇよ。黙って見てられるか。家族が殺される瞬間を!」
ルークは力いっぱい、そう叫んだ。




