534話 レギンレイヴ会戦①
後にレギンレイヴ会戦と称されるその戦いは、始まりこそ小競り合いのようなものだった。しかし封魔連合王国はレギン砦から次々と援軍を送り出し、それに呼応してサンドラ帝国も大部隊を派遣する。その繰り返しによって大規模な会戦にまで発展したのだ。
傭兵として雇われたばかりのカーミラとルークは、まず後方支援に回された。
いきなり最前線に送り込まれるようなことはないらしく、戦場の空気にしっかりと慣れさせてくれる。
「セフィロトに接続。皆を癒してください」
カーミラは野戦病院の主戦力として早速活躍していた。
この場での治療といえば、出血部を水で洗い、布で保護する程度のもの。熱や傷に効く薬草を処方されることもあるが、潤沢とは言えない。魔術による治癒は革命的であった。
「凄い。これでまた戦える! ありがとうよ!」
「随分楽になったぜ。助かる」
「本当にすげぇよ。もう槍を振るえないと思っていたのに」
傭兵たちは次々と礼を言って戦場へと戻っていく。
戦功を挙げればより大金を手に入れることも叶うのだ。こんなところで休んでいる暇はない。そして入れ替わるようにして別の怪我人がやってくる。
(暇だな……)
野戦病院の護衛としてこの場に留まっているルークは、そんなことばかり考える。今はすぐにでも帝国軍を蹴散らし、祖国を救いたい。そんなことで心が占められていた
「暇ですか?」
「ッ! 驚かせるなカーミラ」
心を読まれたのかと思い、ルークは過剰に驚いていた。
しかしルークはあからさまに落ち着きがなく、しきりに嵐唱に触れたり戦場の方へと目を向けていた。言葉がなくとも心情をありありと語っている。
「……仕方ないだろ。もう充分に回復した。俺はいつでも戦える」
「ええ。もうすぐ出番がありそうです。前線が突破されました」
「なんだって?」
ルークが聞き返すと同時に、野戦病院へと傭兵の集団が雪崩れ込んできた。
彼らは興奮した様子で、息を切らしながらも叫ぶ。
「早くもっと後方に下がれ! やばいのが出てきて前線が突破された! すぐにここまで敵が来るぞ!」
「なんだと!?」
「時間がない! 早くレギン砦まで撤退だ! 奴は化け物だ!」
それを聞いてルークはすぐ動いた。
積み上げられた物資の箱をよじ登り、高い位置から前線の方に目を凝らす。すると巨大な何かが地面から突き出て蠢き、連合軍を蹴散らせているのが見えた。
ここからでもはっきりわかるほど蹂躙されている。飛び散った血肉のせいで真っ赤に染まり、それらを踏み越えて帝国軍が迫ってきていた。
さらに突如として空が暗雲に包まれ、ルークの頬に雫が落ちる。
「雨……?」
ぽつぽつと地面を打つ雨音が徐々に強くなり、すぐに体が重くなるほど激しく降り始めた。地面も泥濘となり、これでは撤退も儘ならない。視界も悪く、戦闘に巻き込まれれば方角も分からなくなってしまうだろう。
ルークはすぐに嵐唱を抜き、その力を発動した。刃の表面に浮かぶ黄金の紋様が輝き、小さな電撃が火花として散る。
「小僧、お前は癒し手の姐さんの護衛だろう。さっさと下がれ」
休暇がてらに後方護衛をしていた傭兵団が隊列を作り、ルークを後ろへと押しやる。どこの言葉かも分からないのでルークは反論もできず後ろへと押し流されてしまった。
すでに後ろでは撤退作業……いや、無様な逃走が始まっている。
(俺は……何をしているんだ。こんなところで)
嵐唱を握る手に力が入る。
逃げる者、迫る帝国軍に立ち向かう者で二分されようとしているこの瞬間、ルークはどうするべきか思考に耽った。いや、そんなこと考えるまでもないことだった。
「帝国軍……俺から全てを奪う敵」
『奉げよ。その身を、その魔力を。嵐唱に奉げよ』
「そう、だよな。そのためにここまで来た。ここで逃げるなんてありえない! 俺と一つになれ嵐唱!」
降り注ぐ雨がルークの周りでだけ弾かれ始めた。
嵐唱との同化によってルークは嵐の鎧に包まれ、刃は伸びてサーベルとなる。空をも駆ける力を手にしたルークは、自分を後ろに押しやった傭兵団たちの頭上を飛び越え、前に走り出した。
(この騒ぎであれば、私が前に出ても気付かれないでしょうね)
そして同じく、カーミラは激しい雨を利用して身を隠す。元より目が見えないので、視界が遮られたところで困ることはない。人の少ない場所へ移動し、小さな眷属を呼び出す。
魔物と間違われないよう、小さくなってカーミラの衣服の内側に隠れていたウェルスが顔を出した。
「ルークさんを追います。大きくなって、空に上がってください」
「ガァ!」
相棒の竜は小さく鳴いた。
◆◆◆
レギンレイヴ平原にて帝国軍を迎撃するべく、封魔連合王国は軍隊を集結させている。連合王国という性質上、様々なところから部隊が集まってくるのだが、その中で前線指揮を行うのはロンディスという男であった。武勇もあるが、彼の最も優れた部分は用兵術にある。攻めるとき、引くときを的確に見極め、犠牲を最小限に留めつつ的確な打撃を与えることから、名将として名を馳せていた。
だが如何に優れた将といえど、それが最大に輝くためには充分な戦力が要る。
圧倒的な敵の前には、ただの無力な人間の一人に過ぎないのだ。
「下がれ! ここの防衛陣は放棄せよ! あの怪物に近づいてはならん!」
初めは帝国軍を上手く迎撃できていた。
封魔連合は帝国がシエスタを攻め始めた段階で、このレギンレイヴ平原に迎撃陣地を構築し、迎え撃つ準備を始めていたのだ。シエスタ如きに帝国を止めることはできないという確信が、連合の上層部にはあった。そして想定通りサンドラ帝国はシエスタを破り、ここまで南下してきた。
完全に準備を整えていたということもあり、初めの一当ては勝利を飾った。そこからサンドラ帝国は次々と援軍を送り込み、対抗するため封魔連合も援軍を送り、戦いの規模はあっという間に膨れ上がったのである。
サンドラ帝国軍は迷宮から発掘された術符を容赦なく使い、前線を抉じ開けようとしてくる。さらには魔族兵という異形たちも送り込み、かなり苦戦させられた。
だが今回の敵は、これまでが生易しく感じるほどの怪物であった。
「ぎゃあああああああッ!? 誰か! 誰か助けッ!?」
「だめだ! あの蔦に近づくな! 養分にされるぞ!」
「くそ。雨でどこに撤退すればいいのか……」
「耳を塞げ! 発狂するぞ!」
たった一体で封魔連合の最前線は崩壊した。
それは小さな小さな、まるで赤子のような『敵』だった。両脚はなく、背中の小さな羽で浮いている貧弱に見える『敵』だ。あまりの不可解さに連合軍は侮ることすらしなかった。
言葉を失う連合軍に対して、小さな怪物は絶叫を浴びせかけた。
この戦場に出現した最大の脅威、邪妖魔仙アールフォロは一瞬にして前線を崩壊させた。
「ぬぅ……何という声か」
耳を塞ぐロンディスは今にも倒れてしまいそうな感覚に陥った。何とも言い難い恐怖が泉のように湧きあがり、何とか気力で振り払う。だがそれができたのはロンディスの他に数えるほどで、ほとんどは発狂している。
最前線では地面が割れて蔦や木の根が現れ、連合兵士を縛り上げたり貫いたりしていた。
しかもそれは敵味方の判別もしてくれるらしく、帝国軍には一切の被害がない。突破された前線を踏み越え、帝国軍はこちらへと雪崩れ込み、乱戦が始まった。
「敵将ロンディス! 覚悟!」
「くッ」
体幹が戻っていないながらもロンディスは敵兵の攻撃を槍で受け流す。しかし敵は一人ではなく、集中してロンディスを狙ってくる。力任せに槍を振り回すことで近づかせないよう立ち回るも、普段のパフォーマンスを発揮できているとは言えない。
「私もここまでか……だがただでは死なぬ!」
陣形は瓦解し、分断されて囲まれ、帝国軍は後方にまで雪崩れ込もうとしている。
敗北を悟りつつも、ロンディスは命尽きるまで一人でも多くの帝国兵を道連れにすると決意する。凄まじい気迫を放つロンディスに、帝国兵は少し怯んだ。それが彼の命を救った。
突如として天より雷が降り注ぎ、帝国兵たちを穿ったのだ。
同時に降り立ったのは一人の少年。すなわち嵐唱と同化したルークである。
「なッ!?」
「帝国軍……お前たちはまたこんな虐殺を! 許さない!」
ルークは嵐唱を振るい、強烈な衝撃波で帝国兵を弾き飛ばす。数十人の鎧を着た兵士が宙を舞う光景は、非現実的にも思えた。しかし超常に慣れているロンディスは、すぐに気を持ち直す。
「君は傭兵か? 助かった。撤退を助けてくれ」
「ごめん。俺、こっちの言葉分からないんだ。けど分かったよ」
嵐唱は暴風と閃光を解き放ち、帝国兵を近づかせない。さらには地面から現れた奇妙な植物たちをも焼き尽くし、あるいは切断し、一時的な優位を取り戻した。
その光景は連合国兵を力づけ、ロンディスの言葉を聞く余裕を与える。
「皆聞け! 今は仲間と合流し、引き下がるのだ。乱戦を避け、各個撃破されぬようにせよ。既にいくらか帝国兵が後ろに抜けている。引くべき方角は決して見誤るな」
その命令を聞いた兵士たちはいくらか持ち直し、一塊となって下がり始めた。追撃しようとする帝国兵の一団もいたが、それはルークが衝撃波を飛ばして対処する。またルークが嵐唱を天に掲げると、暗雲渦巻く空から雷が雨のように降り注いだ。それは帝国兵の集団に向かって的確に落ちるため、連合国兵には一切の被害がない。
ルークという一人の人間が、戦場をひっくり返してみせた。
「ロンディス将軍。あの少年はもしや……」
「ああ。陛下と同じ神器使いだろう。間違いない。しかもあれは同化だ。額に目の紋様がある」
「なんと。まさか……幸運でしたな」
「確かに幸運だ。しかしどちらにせよここは我々の負けだ」
ルークの登場によって連合国軍は全滅こそ避けられた。
しかし敗走中であることに変わりはない。前線は崩壊したままで、こうしている間にも帝国軍は後ろに抜けている。ロンディスがすべきことは反撃ではなく、上手に撤退して立て直すことだ。状況に流されず、それを理解できている点は流石と言えた。
一方のルークは、この場において最も脅威的な敵と対峙していた。
「ァァア?」
「こいつは……なんだ? 赤子の魔族?」
業魔族、邪妖魔仙。
七仙業魔の一角であり、邪妖魔仙の称号を与えられた強大な存在だ。見た目こそ羽の生えた赤子であるが、見る者が見れば絶大な魔力を秘めていることも分かるはず。ただ、残念ながらルークに詳細な魔力を感知する能力はなく、警戒しきれない。侮りこそないが、油断していた。
油断してしまった。
「キィィィイイイアアアアアアアアアアッ!」
魔力を含む畏怖の叫びが拡散した。
それは連合国兵だけでなく帝国兵にまでも効果を及ぼし、戦場を一時停止させた。その中で動くことが叶ったのはほんの僅か。神器同化で第三の眼を解放しているルークもまた、その一人である。
しかし至近距離で絶叫を浴びせられたルークは、音波で脳を揺らされ動きが鈍い。
多方より木の根が押し寄せ、ルークを貫こうとした。
「ア?」
ところが邪妖魔仙の方が驚かされる。
木の根はルークの体にまで届かず、嵐の鎧に弾かれてしまったのだ。またルークの持つ嵐唱から雷光が放たれ、木の根や蔦を焼き尽くした。
持ち直したルークが嵐唱を振うと、閃光が邪妖魔仙を襲う。直撃した光は体表を溶かし、酷い火傷を負わせる。しかしながらそれらの傷は瞬時に修復され、元の姿へと戻った。
「傷が治った? だったら!」
ルークはより魔力を込めて閃光を放った。
邪妖魔仙は盾として木々を生み出し、軌道を逸らしてしまう。さらに地面が盛り上がり、ひび割れ、その下から巨大な球根のようなものが出現した。それに呼応して次々と球根が現れ、ひげ根で繋がっていく。すると突如として大地は渇き、草花は枯れ始めた。
寄生群体という邪妖魔仙が生み出す厄介な植物であった。
球根は蠢いてルークを捕らえようとしたので、空を駆けて逃れる。それでも追跡してきた球根を、嵐唱を使って焼き尽くした。激しい雷撃は暗雲の空からも落ちてきてルークを守ってくれる。
「ふぅ……はぁ……よし」
息を落ち着け、邪妖魔仙へと集中する。
侮っているつもりはなかったが、簡単な相手ではないということがよく理解できた。雨はますます強くなっており、視界は悪くなる一方である。これ以上距離を取れば邪妖魔仙を視認することもできなくなるだろう。
(戦いにくいな)
嵐唱と同化しているお陰で、足が泥濘に取られず済んでいる。空を駆ける能力がなければ動きが鈍り、さらに体力も奪われていたことだろう。雨を嵐の鎧で弾けていることや、空から落ちてくる雷が自動迎撃してくれることも大きい。
実戦経験などほとんどないルークが、邪妖魔仙にここまで食い下がれるのは全て嵐唱のお陰であった。
息を落ち着け、魔力が回復するのを待つ。
(嵐唱、あいつを倒せるよな)
『我を信じよ。我に魔力を、その身を捧げるのだ』
青い刀身から火花が散り、触れた雨水が蒸発する。
邪妖魔仙も寄生群体を操り、球根を紡ぎ合わせることで植物の巨人を生み出した。絡み合う球根を骨組みとして蔦が絡みつき、土を鎧として纏う。
球根の巨人はあっという間に数を増やし、ルークはいつの間にか囲まれてしまっていた。
「くッ……」
「無事かね少年!」
助けに入ろうとロンディスが部隊を率いて近づこうとするが、彼らの目の前に突如として赤い槍が突き刺さる。それがいったい何なのか、分からないロンディスではなかった。
「吸血種か!」
「その通り。封魔連合の将軍ロンディスよ。我が名はデュール。千人隊長の吸血種である」
「デュール、だと? まさか『赤き槍』のデュールか!」
「ほう。帝国語を話せるとは。ならば話は早い。理知の言葉を理解できぬ蛮族共の相手は疲れるのでな」
「貴様……シエスタでの虐殺! 許されることではないぞ!」
「許す? なぜ? 炎帝陛下が許されたことを、なぜ貴様から改めて許しを得なければならない?」
吸血種のデュールは手をかざす。
するとロンディスたちの目の前に刺さっていた槍が勝手に抜けて、デュールの手元にまで戻っていった。この赤い槍こそが彼を象徴する武器であり、畏怖の象徴。
シエスタで起こったデュールによる虐殺劇はよく伝わっており、その名を聞くだけで恐れる連合国兵士も少なくない。ロンディスの率いる部隊の兵士も、半数ほどは腰が引けているようであった。
「封魔連合王国を攻め落とし、地獄域を手中に収めることこそ炎帝陛下の願い。もしも貴様ら劣等種が命乞いをするのであれば、寛大な陛下は生きることを許されるであろう。残念ながらシエスタ人は陛下のご慈悲を無碍にしたのだ。滅びは仕方のないことであった」
「……本気でそのようなことを考えているのか」
「当然であろう」
「欲深い怪物め……」
「そうか。貴様も炎帝陛下のご慈悲を賜らぬと言うか」
デュールは赤い槍を手元で振り回し、逆手に持って投げの構えを取る。
「血を啜れ、赤の茨よ」
「いかん! 全員逃げ――」
ロンディスは嫌な予感に押されて叫ぶも、既に槍を投げられた。
赤い槍は飛来する途中で解け、無数の茨となって広範囲を襲う。薔薇よりも赤い深紅が咲き誇り、ロンディスたちを襲った。




