284話 仕組まれた裏切り
ハイレインが消えた後、イグニアス王は緊張の糸が途切れたかのように大きく息を吐いた。この中で彼だけは戦う力を持たないのだ。いつ危害を加えられるかもわからない状況だったので、ようやく一息ついたというわけである。
「申し訳ありません陛下。侵入者に気づけず……」
「良いスレイ。何か特別な能力なのだろう。それより、我が国はどこまでも平穏を許されんらしいな。よもや大帝国まで……」
コントリアスは二つの大勢力のほぼ境界に位置する。
より勢力を拡大しようとするその二つからの干渉は当然であり、覚悟していたことであった。しかし改めて直面すると頭が痛くなる。動乱の時代は始まったばかりなのだ。
だが、心強い味方もいた。
「先のお言葉……お二人のお言葉は信頼してもよろしいのかね?」
イグニアス王はそう尋ねる。
今、コントリアスには頼れる味方がいない。孤軍奮闘する必要がある。大帝国側は中立を貫く限りは干渉してこないとして、神聖グリニアはそうもいかないだろう。また聖騎士や殲滅兵を送られてくる可能性もある。あるいは暴食タマハミのような化け物が送り込まれるかもしれない。
そして中立を貫くと言った以上、もう大帝国は手を差し伸べてはくれない。あるいは大帝国同盟圏に加入すると言えば別かもしれないが、それでは中立でいられない。
中立国家であり続けるためには、『剣聖』と『聖女』の協力が不可欠であった。
当然ながら二人は頷き、セルアが代表して答える。
「私たちはコントリアスの考えを支持します。それは変わりません。聖堂の中には反対意見もあるかと思いますが、必ず戦います。この国は戦わないことを選択できる強い国ですから」
「……感謝しよう」
「いえ、私たちが至らないばかりにコントリアスには大きな被害が出ました。こちらは謝罪しなければなりません。感謝など……」
「そのようなことはない。しかしそれよりマギアが攻撃されたというのは気になる。お二人のデバイスにも連絡がないのか?」
「いえ。それが通信が上手くできなくて……」
本来、シンクとセルアの持つソーサラーリングには緊急時用の回線が備わっている。しかしそのサーバーはマギア大聖堂にあり、黒竜による放電攻撃によりサーバーダウンしていた。そもそも変電設備が破壊されているので復旧にはかなりの時間がかかる。
尤も、二人の知る由もないことだが。
ただ悪いことばかりではない。
「セルア様、通信ができない現状を利用して今のうちにコントリアスの立場を整えましょう。俺たちは危険な魔物、暴食タマハミを封印するためにここに来たということになっています。ならばその後始末と復興支援のためという名目でしばらく留まることを提案します」
「そう、ですね。ええ、私もシンクの提案に賛成です。陛下はいかがですか?」
「是非もない。スレイ、便宜を図ってやれ」
「はっ!」
だがシンクもセルアもこの状況を侮っていた。
首都攻撃により一時的に連絡がつかなくなっているだけだと、すぐにソーサラーリングの通信網は復旧すると考えていた。二人とも生活に密着するこのアイテムが、何者によって開発されたのか知らなかったのだ。
それが致命的になるとも知らず、不用意な会話を続けてしまった。
◆◆◆
『しかしお二人は名高き聖騎士だ。すぐに戻らなくてよいのかね?』
『問題ありません。今はコントリアスの方が大事です』
『本国が混乱している内に少しでも立て直しましょう。大帝国が宣戦布告したということは、本格的な戦いになるまでそう時間はありません』
『心強い限りだ。スレイだけではどうしても足りぬ部分があるからな。聖女と剣聖が力を貸してくださるなら、私も神聖グリニアと戦うことを決意しよう』
それはマギアに対する爆撃作戦から十八時間後であった。電気設備の復興が急がれる中、ネットワークは魔力による代用で回復していた。当然ながらサーバーも復活しており、市民ですらソーサラーデバイスを使ってネットワークへと接続できる状態となっていた。
だが、その直後に不可解なサイトがウェブ上で公開される。
幾つもの高度な偽装が施されたそのウェブサイトでは、ある録音記録が流されていたのだ。それには解像度こそ低いものの、動画も添付されていた。
「以上だ……『剣聖』と『聖女』が裏切った可能性が高い」
マギア大聖堂の奥の間で、その記録が再生される。
聞かされた司教たちは頭を抱え、深い息を漏らし、あるいは祈るようにして瞳を閉ざす。
まずはケリオン教皇がその報告に対する意見を述べた。
「それは……信憑性の高い記録なのかね?」
「この録音記録と映像記録が掲載されていたサイトには位置情報も記録されていました。ワールドマップで確認いたしましたところ、コントリアスとなっています。『聖女』と『剣聖』の行動はあくまでも独断でしたので、居場所を知る者はおりません。何者かによる悪戯という線はないかと。また声紋照合の結果、あの方々で間違いないだろうという結論に至りました」
「……問題ばかりが起こるな」
サイトの公開は突然のことであった。
聖堂がサーバーの復旧や事後処理で混乱している隙を突くようにして、検閲を縫った公開が行われたのである。本来、魔神教にとって都合の悪い思想を含むウェブサイトは検閲によって非公開にされ、すぐに削除されることになっている。しかしどういうわけか検閲プログラムの隙間を縫って蒔かれた災いの種は、あっという間に市民にまで出回ることになった。
動画と録音記録はすぐにコピーされて転載され、既に元のサイトを閉鎖した今でも完全に消すことができていない。
「一番の問題はこれがマギアの市民……いえ、神聖グリニア全土へと公開されてしまったことです。他国にまで知れわたるのは時間の問題でしょう」
「これでは庇いきれん。だからといって秘密裏に処理することもできんだろう」
「ええ。このような例外を認めてしまえば、我々は正しい教えを失ってしまいます」
正直、魔神教の権力を以てすればこの程度の揉み消しは容易い。だが、それによって信者たちの納得を得られるかどうかは難しいところだ。下手をすれば過激派を筆頭として内部分裂が起こってしまう。大帝国に宣戦布告された今、魔神教は分裂している場合ではないのだ。
ならばこそ、どちらを捨てるかという話になる。
「仕方あるまい。『聖女』と『剣聖』は神を裏切り、異端に堕ちた。そう断ずるに充分な証拠もある。我々は決断しなければならない」
司教の一人が重々しく告げた。
それに他の何人かが同意する。
沈黙が流れる。だが、やがて教皇も一つの結論を出した。
「では『聖女』と『剣聖』は大帝国融和派の異端になったものとする。以後は一級異端者として……可能ならば捕らえよ。異端審問部に通達するのだ」
かつて『王』を殺した英雄の聖騎士は、この日から堕とされた。
正しき教えから外れた異端者として指名手配されることになってしまった。
◆◆◆
マギア大聖堂は機密性の高い情報を扱う場として、厳重なセキュリティが組まれている。司教たちが使用するソーサラーデバイスも特別な暗号通信を可能とするものであり、また聖堂そのものにもクローズドネットワークが敷かれている。
秘密の会話をするには最高の場所だと思われていた。
「上手くいったようだな」
「これでは私も出番なしですね」
「情報の拡散はお前がやったんだ。充分働いただろ」
だが、それは残念ながら聖堂の勘違いである。
そもそもソーサラーデバイスによるネットワークはハデス財閥が生み出し、世界へと普及させた。その際に基礎的なセキュリティも敷設されていたのだが、実はそれが抜け穴となっている。
「ネットワーク基礎システムに組み込んだ裏口を使えば、どんな場所にあるソーサラーデバイスにもアクセスできる。俺の持つマザーデバイスだけの機能だ」
「羨ましい限りですよ。私にもいただけませんかね?」
「お断りだ『鷹目』」
「それは残念ですよ『死神』さん」
シュウと『鷹目』は順調に計略が成功したことを分かち合っていた。
ソーサラーリングにネットワーク機能を付随させた頃から、シュウはワールドワイドウェブの構想を練っていた。ネットワークとはあらゆるデバイスのあらゆる情報へとアクセスできてしまう危険な機能であり、当然ながらシュウはセキュリティシステムを組み上げていた。つまり暗号化によってプライバシーを保護する機能である。
だが実はこのセキュリティにはとんでもない穴がある。
いや、敢えて穴を残していると言った方が正しい。
「ソーサラーデバイスはデータ空間上で暗号化ネットワークを形成しているが、そもそもこのデータ空間を維持しているのは俺の魔術だ。より正確には、このマザーソーサラーデバイスだ」
そう言いながら、シュウは首飾りの賢者の石へと触れる。
「だからどれだけ厳重にクローズドネットワークを構築したとしても、俺の展開するデータ空間の一部を借り受けるという形になる。独自にデータ空間を設定しようとしても、そのためには俺のデータ空間と繋がったデバイスでプログラムする必要があるからな。しっかり組み込ませてもらった。つまり、基礎の段階で俺に隠し事はできない。こちらからアクセスすればどのソーサラーデバイスにもアクセスできるし、その記録を盗み見ることができる。当然、不用心にあんな会話をする『聖女』と『剣聖』の会話も勝手に録音してこちらに送信させることもできるわけだ」
「ふむ。それがあればアゲラ・ノーマンも見つけられそうなものですが」
「流石に奴は気付いているらしいな。奴が独自にデータ空間を作り、幾つかのデータ空間を経由して俺のデータ空間に介入してきている。プログラム機材も使わず自前の演算力で魔術データ空間を作ったんだろうよ」
「特定は可能ですか?」
「無理だな。奴の使っている量子暗号が厳重過ぎて解けん。アルゴリズムパターンを解析して暗号解読するくらいなら地道に探したほうが早いぐらいだ」
「そう上手くはいきませんか」
ネットワークという基礎を生み出した時、シュウは賢者の石をその核とした。その願いを伝えれば自動で魔術を生成するこの石は、全てのデバイスの王である。全てのデバイスはネットワークを経由して賢者の石が形成するデータサーバーへと情報を自動送信している。つまり例外なく全てがシュウの監視下ということだ。
仮に新しいネットワークを生み出そうとしても、そのためにはデバイスを使ってプログラムする必要がある。賢者の石はそのプログラムを検知し、サーバー内に取り込んでしまうのだ。
つまりシュウの持つマザーデバイスが始祖のデバイスである限り、絶対に逃れることはできない。
例外はシュウのように完全自前で新しいデータ空間を構築することである。
「まずは戦略爆撃で神聖グリニアを揺らがせた。次は情報戦だ」
「ええ」
シュウはそう断言した。
『鷹目』は肯定した。
やっぱ印象操作って大事なんやな
 





