285話 聖杯教会①
スバロキア大帝国による神聖グリニア首都攻撃から三十時間後、ようやくマギア大聖堂は声明を発表することになった。
それは大帝国に対し、殲滅兵を以て報復するというものである。またその対象は大帝国同盟圏に属する全ての国が含まれており、この声明から一日以内に魔神教勢力圏へと加入するならば見逃すという内容であった。
「陛下、同盟各国からは迎撃準備は整っていると暗号により報告が寄せられました。こちらからは戦略規定書通り、防衛に徹するよう返答しております」
「そうか。グレムリン空軍大将には連絡したのか?」
「はい。黒竜もメンテナンスを終え、いつでも再出撃が可能とのことです」
現在、クロニカ宮殿では神聖グリニアとの戦争に備えた軍総司令部が設立されており、今後の戦略についての取り決めが行われていた。だが、実をいえば対神聖グリニアを想定した戦略規定は既に定められており、彼らのやることは現状の分析のみだ。
かつて帝国元老院が作成したこの規定は大抵の状況が想定されているため、特別に作戦を考える必要はない。
「情報収集を急がせろ。こちらも神聖グリニアに密偵を放て」
皇帝アデルハイトは命じる。
彼を初め、スバロキア大帝国の貴族たちは誰一人自分たちの勝利を疑っていなかった。三百年の雌伏を過ごした彼らは、完全な準備を整えていた。
◆◆◆
帝都より西の山岳地帯に位置する黒竜の巣では、新しい指令の準備が行われていた。空軍の最高指揮官であるグレムリンは、会議室にて幾人かの人間の幹部と共に今後の作戦について話し合っていた。
「陛下からの命令だ。殲滅兵を迎撃せよと仰せである」
「しかし大将閣下、なぜ防衛なのですか? マギアが回復する前にもう一度攻撃を加えても良いと思うのですが」
「元老院が定めた戦略規定は絶対だ。それを反故にできるのは陛下お一人を置いて他にいない」
ただ、グレムリン以外は初戦での大戦果に酔ってしまったのか、攻撃を重ねて神聖グリニアを攻め落とすという意見が強い。確かに世界初の音速戦闘機ならば不可能ではないだろう。
しかしそれは規定にない戦術だ。
グレムリンはこの規定から外れることを許さなかった。
「まずは殲滅兵を撃退し、別部隊の作戦成功を待つ。そもそも初撃でマギアに大打撃を与えられただけでも充分すぎる戦果だということを忘れるな。奴らは今後も首都への直接攻撃を警戒し、聖騎士を遠くへは出せなくなる」
「それは……そうですが」
「奴らは神を第一としている。マギアを落としたところで、別の場所を首都として新しい勢力となってしまうだろう。それが規定書に記された予測だ。故に少しずつ追い詰めるしかない」
「新勢力、ですか?」
「そうだ」
そんなことも知らないのか、と言わんばかりにグレムリンは頷く。そして仮想ディスプレイを起動し、幾つかの資料を表示した。
「調べによると魔神教とて一枚岩ではない。幾つかの勢力が存在する。大きく分けて熱心党、原典派、過激派、そして異端だ。細かく分類すればキリがない。現在の主流は熱心党だがな」
「何が違うのですか?」
あまりにも基本的な質問に、グレムリンは溜息を吐きそうになる。
しかし仕方のないことだ。この空軍は新設の部隊であり、指揮官として良い人材が回されているとは言えない。また空軍の運用そのものが歴史上初ということで、新人に近い者たちばかりが配置されている。彼らも一応は士官学校を卒業したが、あまり成績優秀者とは言えないのだ。
「熱心党は比較的過激派に近い考えの持ち主だ。信者でない者を信者とすることをいつも考えている。迷惑な奴らだ。その点、原典派は自分たちさえよければという考えの者が多いらしいな。過激派や異端はあまり気にする必要がない」
「分裂を誘うということですか?」
「そうだ。戦略爆撃はここぞという時に使わなければならない。首都攻撃を警戒して奴らが聖騎士を集めている間に分裂を誘い、少しずつ外側から攻略していく。今頃は別の部隊がそれをやっている頃だろう」
グレムリンは当然、知っていた。
その工作をしているのが彼の真の主、シュウ・アークライトなのだから。
◆◆◆
シュウとアイリスは久しぶりに二人で外出していた。訪れていたのは廃墟ばかりの土地である。神聖グリニアの南西部に位置するこの地域は、魔物の災禍によって滅びたとされている。
尤も、その魔物とはタマハミのことなのだが。
「ここも変わりましたねー」
「そうだな」
二人がいる場所は旧エリーゼ共和国の首都アルタだ。
ラムザ王国から脱出した際に立ち寄った都市で、初めて覚醒魔装士と戦った場所でもある。議事堂の美しい庭園が有名だったこの都市は、今や廃墟となっていた。タマハミによって住民の多くは殺され、他国に逃れた難民もかなりの数だと言われている。
「この国の他にもドゥーエとアルべリアが国として成り立たないほど被害を受けているらしい。助けてくれなかった聖騎士や神そのものに対する不信感が溜まっているようだな」
タマハミによる被害は甚大であった。
廃墟となったアルタにもまだ人は住んでいるが、とても良い生活とは言えない。しかしながら、彼らの眼は死んでいなかった。希望を抱えた顔つきであった。
「そしてこの辺りに魔神教異端が根付いているらしい。『鷹目』によると、元はコルディアン帝国の一部で広まっていたものだとか。異端審問部に取り締まられたが幹部を逃していたらしい。それが今、この辺りで力をつけている」
「どんな異端なのです?」
「聖杯教会を名乗っている。楽園をこの世にとか、魔力を捧げよとか、まぁ……魔神教の本来の教えにはないものが盛り込まれているそうだ。それで異端扱いされたみたいだな。聞いたことあるか?」
「ないですね。少なくとも私が聖騎士をしていた頃はなかったのですよ」
「まぁそうだろうな。お前が聖騎士だったのは三百五十年くらい前だし。なら、聖杯も知らないか」
「いえ、それは知っていますよ」
アイリスは事もなげに告げる。
「でも実際に聖杯というものがあるわけではないのです。聖杯とはすなわち最も聖なる器。この世界が終わるとき、エル・マギア神が降臨され楽園を創り出すとされているのですが、その際に神の宿る器こそが聖杯です」
「どういうことだ?」
「聖杯とは人なのです。ですから魔神教に携わる人たちは、常に清くあろうとします。人を愛し、人を尊重し、知識と知恵によって理性的となる。そして終末の日に備えるのです」
「つまりその終末の日とやらには聖杯となった人間は乗っ取られると?」
「そうですよ」
「……真実を知っている身からすると滑稽だな」
これにはアイリスも肩をすくめる。
エル・マギア神の正体とは七大魔王の一柱、傲慢王ルシフェルだ。そもそもこの世界に存在しているし、正体は魔物である。
ただ、それはシュウには関係のないことだ。
故に話を戻す。
「となると、聖杯教会の言う聖杯もそれに準じたものだったのか」
「どういうことです?」
「聖杯教会は聖杯という魔導具を保有している。そして信者はそれに魔力を捧げ、やがて神をこの世に呼び出すという教えだ。奉げた魔力が多いほど楽園の世界で良い思いができるというのが売りらしい」
「それは確かに異端対象にされますねー」
「だが絶望している者たちにとっては縋りたくて仕方ない教えだろうな。だからこそ、この国で聖杯教会が盛んになっている」
シュウとアイリスは通りから外れ、暗い廃墟を歩いていく。破壊されつくした街並みのせいで裏路地は瓦礫に埋もれ、非常に歩きにくい。しかし二人は軽々と瓦礫を飛び越え、あるいは魔術で押しのけて進んでいく。
目的地はあらかじめ『鷹目』から聞いていた。
寄せ集めの木材と石材で作られた聖堂を模した建築物。それが目的の場所だった。シーツを縫い合わせた幕が入口に飾られており、その両側には神官服の男が立っていた。
「見ない顔ですね。もしや礼拝に参加ですか? もう始まっていますよ?」
「まだ聖杯の儀は終わっていませんから、どうぞ中へ」
「ああ、通らせてもらう」
「お疲れ様なのですよー」
神官服の男たちからは特に警戒されることもなく、普通に中へと通される。シュウとアイリスは訳知り顔で堂々と中に入り、その奥を目指した。
中では厳かに、静かに儀式が行われていた。
参加している信者と思しき者は百人もいないだろう。狭い部屋のなかで鮨詰めになっていた。またその奥では神官服に加え、首飾りを下げた男が一人。彼の側には濃紺の杯が台座に置かれていた。
「……これより聖杯の儀を始めます。心ある者はこの神の器に魔力を捧げなさい。命の限り捧げる魔力は必ず神に届きます。これによってあなたがたは楽園の世界に宝を積み上げることになるのです。今富むことは止めなさい。神の作る楽園の世界でこそ富むべきなのです」
神官がそう告げ、濃紺の杯……聖杯へと手を翳す。
すると青白い光が聖杯の中へと吸い込まれていった。それから暫くその光景が続き、神官は額から汗を流しながらもまだ魔力を流し続ける。シュウのように莫大な魔力を持つ者、アイリスのように実質無限の魔力を持つ者からすれば大した量ではない。しかし普通、魔力とは生命力から精製する魂の力だ。限界を超えてそれを消費するということは、すなわち命を削ることに等しい。今の神官は明らかに限界以上の魔力を注いでいた。
「シュウさん」
アイリスは小声で話しかける。
「あれって大丈夫なのです? 死んじゃいますよ?」
「どうやらあれで聖杯に魔力を注ぎ込むらしいな。あの魔道具、魔力を溜め込むことに特化している。見る限り霧散率も抑えてありそうだ」
「興味なさそうですねー……」
魔術の研究もするシュウは聖杯そのものが気になるらしい。じっと見つめ、その仕組みを考察していた。その間に神官は魔力を注ぎ終え、顔を青くしながら魔力を注ぐのを止める。彼は努めて笑顔を保ち、信者たちに語りかけた。
「さぁ、儀式を。前の人から順に」
そう言われるや否や、信者たちはきっちり並んで魔力を注いでいく。彼らは魔術師ですらないため、それほど魔力を保有できるわけではない。全力で注ぎこんでもあっという間に限界が訪れてしまう。中には泡を吹いて倒れる者すらいた。
だが、それでも彼らは魔力を注ぎ続ける。
恐れはなく、希望を抱いているように見えた。
やがてシュウとアイリスの番がやってくる。
「手加減しろよ?」
「分かっているのですよ」
まずはシュウが聖杯の前に移動し、手を翳す。すると眩いばかりに光が溢れ、大量の魔力が聖杯へと注がれることになった。シュウからすれば大した量ではなかったが、彼らにとっては驚くべき魔力量であった。
だが驚きはそれで終わらない。
アイリスが同じく手を翳すと、やはり大量の魔力が注がれたのである。それに応じた光が溢れ、信者たちは勿論、神官ですら驚き、喜んだ。
「素晴らしい! 素晴らしい! きっと神の降臨も近くなったことでしょう」
彼らにとって、シュウとアイリスは絶望の中に現れた光だ。
その日、静かな廃墟が少しだけ賑やかになった。
異端とかをそれっぽくするため、現実の異端とかカルトについても結構調べたんですよね。まぁ、闇が深いなって・・・




