6.いざ、大海へ
波の音で林原は起きた。潮の匂いもする。
ああそうか、もう出発したのか。上半身をあげると、頭を天井へとぶつけてしまった。
「あいてっ!…そうだった、2段ベッドだったっけ。」
軍服に着替え、艦橋へと向かう。なんだか不思議な感じだ。軍服を着ているというのは、高校時代の制服を着ているような感覚を覚える。
「遅くなってすいません。」
一礼して、艦橋へと上がる。
「おう林原大尉、よく眠れたかね?」
艦橋では艦長と航海長が指揮を取っていた。海面から太陽が照りつける。
「おお…これが第二艦隊…」
眼前には、艦隊が整然と航行している。旗艦の長門、僚艦陸奥、扶桑、山城…
「林原大尉、君は軍艦を見るのは初めてかね?」
冗談交じりに石野航海長が訊く。
「大きな艦隊を見たのは初めてですよ。これだけいると爽快ですね。」
日本海軍第二艦隊は戦艦4隻を基幹とする計20隻の艦隊である。
「大西洋に行けばアメさんの艦隊とも合流する。みんな集まったら林原大尉殿は倒れてしまいそうだな、ハハハ。」
艦長が笑い飛ばす。林原は恥ずかしくて顔が真っ赤だ。
「じゃあ林原、指揮を変わってもらおうか。…問題ない、旗艦についていけばいいだけだ。よろしく頼むぞ。」
「はっ!艦、いただきました!」
突然、指揮権が回ってきたおかげで、林原は冷や汗が出てきた。
「なに、わからんことはそこの航海長でも水兵にでも聞け。航海長はケチだから教えてくれるとは限らんがな。」
「艦長、減らないもんをケチるようなことはしませんよ。」
ハハハと笑い飛ばし、艦長は艦橋を降りていった。
「さて林原大尉。」
石野が林原に詰め寄る。
「今、午前9時だ。10時から艦内訓練がある。そこで君の力量を見せてもらおうか。」
「え?訓練…ですか?」
ふふ…と薄笑いを浮かべながら石野は頷いた。
「満点首席卒業の実力、見せてもらうよ。」
ポンと肩を叩かれた林原の顔は、もう冷や汗でグシャグシャだった…
同じ頃、大谷・秋原の部屋――
最初に起きたのは大谷だった。
「う~ん…」
大きく伸びをしようとして、手がぶつかった。二段ベッドの下段、スペースはそう広くはない。
「!今何時!?」
携帯に手を伸ばしたが電池切れ。この携帯、この世界に飛ばされる前(つまり3ヶ月前)から持っているが、当然充電できない。かといって捨てるわけにもいかず、一応肌身離さず持ってる、というわけだ。
カバンをガサゴソやって出てきたのは懐中時計。士官学校優秀卒業者の証だ。まさかこんな役立ち方をするとは…
パカッと開けて、午前10時。
「ちょっと!秋原さん起きて!もう10時よ!」
いそいで秋原を叩き起こす。が、
「お願い許してぇ…」
どうやら起きそうにない。こうなれば布団をひっぺがえしてでも…
「訓練、水中より推進音感知。方位0-4-5、距離4500。」
「対潜戦闘用ー意、総員配置につけ。」
艦内放送だ。直後、廊下からあわただしい靴の音が聞こえる。
「え?え?」
頭の中が混乱している。「訓練」の一言を聞き逃してしまったがために、大谷は潜水艦の奇襲攻撃を受けたと勘違いした。
「秋原さん!お願い起きてぇっ!」
思いっきり揺さぶると、秋原はようやく目を覚ました。しかし意識はどこへいったのか、首がすわっていない。
じれったいくなり、連れて行こうとしたが、大谷は通信科、秋原は主計科だ。部署が違う為、どこに連れてっていいかわからなかった。
「敵潜、距離4300に接近!」
「見張り員、海面の雷跡に注意!」
艦内放送が一段と逼迫してくる。いよいよ大谷は焦り始めた。
秋原を半分引きずるように連れて行く。行き先は艦橋、林原のいるところだ。うろ覚えの艦内図を頭から引っ張り出し、ラッタルを上がる。
「ハァ…ハァ…」
途中で息が切れる。これだけ引っ張っていながら、相変わらず秋原はボーっとしたままだ。
「魚雷、左舷30度方向より接近!」
魚雷の二文字が頭を駆け巡る。秋原を渾身の力で抱きかかえ、艦橋へと続くラッタルを一段抜かしで駆け上がった。
「取り舵一杯!機関最大戦ー速!」
「魚雷、左舷500に接近!命中します!」
ドゴッ
艦橋に鈍い音が響く。
「えっ?」
本当に魚雷が当たったのかと振り向くと、大谷と秋原が倒れていた。
「な、何が…?」
びっくりしていると、大谷が顔をあげ
「魚雷は!?魚雷は!?」
と大声で叫んだ。
「あの、大谷せ…あ、いや大谷少尉、これは演習です。」
大尉が少尉に敬語とはあきらかに変だが、周りも特にとがめないほどびっくりしていた。
「え、演習?」
大谷が信じられないといった顔で周りを見渡す。
「魚雷、左舷中央部に命中!」
「機械室浸水!」
「防水作業急げー!」
ラッタルの奥から艦内の叫びが聞こえるくらい、艦橋は一瞬静まり返ってしまった。
「…そ、総員演習を続けろ。」
沈黙を破った石野が言い、艦橋にいた兵員は持ち場に戻った。
「あ、あの…主計科の持ち場はどこでしょうか…?」
弱々しい声を大谷が絞り出す。
「主計科?機銃の補欠だから…後檣あたりだろう。」
「あ、ありがとうございます。」
ペコリとお辞儀をすると、大谷は秋原を引きずりながらラッタルを降りていった。
「…なんだったんでしょう?」
「…なんだったんだろな?」
林原と石野は互いに顔を合わせた。
艦橋の通信士席で、大谷は通信機にうっぷして寝ていた。
後檣への行き方がわからず、ウロウロしているうちに艦尾まで来てしまった。そのまま艦尾の機銃員に秋原を預け、自分は艦橋へと戻ろうとしたが今度は艦橋への戻り方がわからなくなり、艦内で迷子になってしまった。結局、訓練が終わるのを待って艦内電話で林原に迎えに来てもらうという始末であった。
「なんだ、大谷少尉は船酔いかね?」
艦橋に戻ってきた岡野が訊く。
「あ、いえ、寝坊した秋原二水を連れまわしまして…」
「寝坊か、困ったものだな。」
雪風は月光の下、太平洋を進んでいく。こんなに月が明るく見えたのは初めてだ。
「副長はどこの出身かね?」
岡野が訊く。
「私ですか?山梨ですが…」
「ほう。そちらのお嬢さんもか?」
「はあ、大谷せ…大谷少尉は、たしか神奈川だったかと。」
「そうか。はるばる、呉まで来るとは熱心だな。」
別の世界からきたのは伏せておいた。混乱させてはならない。
本当にこの世界は元いた世界とは違うのだろうか?地名を言えば通じるし、目の前にいる岡野艦長はごく普通の人間、日本人だ。ふっと気づいたが、文字も左から右への読みで、現代と同じである。
「アメさんに会うのは初めてかい?」
岡野が再び訊いてきた。
「はい、初めてです。」
「そうか。俺も初めてだ。お偉いさん方は結構な頻度で会ってるらしいがな。」
「艦長は英語できるんですか?」
「できるわけなかろう。第一、向こうも使ってるのは日本語だぞ?」
日本側陣営だから、向こうが合わせてくれる。英語なんぞいらない、と言われた。
後を振り向くと、大谷の寝息が聞こえた。暗くてよく見えないが、わずかに見える寝顔が可愛く見え、あわてて顔を背けた。
「可愛らしい通信長だな。」
林原の心の中を読み取ったかのように岡野が言う。
「え?」
「駆逐艦はずっと男の世界だった。新しい風が入るのも心地よいものだ。」
毛布を持ってきてくれ、と岡野は近くの水兵に命令した。毛布がくると、林原に渡し
「かけてやりなさい。」
とやさしく言った。暗いので見えずらいが、岡野は笑顔であったことだろう。
林原は、ゆっくりと寝息をたてる大谷に毛布をそっとかけた。