10 おしまいのひとひら
目の覚めるような鮮やかなピンク色が窓枠で切り取られ、まるでそこだけペンキを塗りたくったようにひび割れた壁に張りついている。
オレンジ色の夕焼けよりもピンク色の夕焼けがソラは好きだった。ピンク色の方が、空色と混ざった時にずっときれいな色になる。ピンク、紫、水色と、境なく溶け合うその色合いは息を呑むほど鮮やかで美しく、灰色に横たわる街並に彩りを添える。
昼と夜のわずかな合間、世界を丸ごと色水に浸したようなこの時間だけは、良いことも悪いこともなりをひそめて、世界がしばし息をつく。そんな気がする。
廃工場の最上部にある、小さな制御室。くすんだ桃色に染まる制御盤のかたわらで、ソラは膝を抱えて窓の外をぼんやり眺めていた。しゅんしゅんと鳴るポットの蒸気が部屋を満たし、時折ジインのめくる新聞がぱりぱりと渇いた音を立てる。
穏やかな時間。静かな夕暮れ。
少しずつ闇に沈んでゆく世界に誘われるように、ソラは昼間の出来事を思い出していた。
残も朱世も、九呼が殺された理由は訊かなかった。
訊ねられたとしても、答えられなかっただろう。
この街では人が死ぬのに理由なんてなかった。
それは明日晴れるか雨が降るか、そういう類いのものと同じ。
運がいいか、悪いか。ただそれだけのことだ。
九呼は運が悪かった。ただ、それだけ。
そっと脇腹に触れる。かすかに違和感は残るものの、傷はほぼ完全に癒えている。
死なない体。この体のおかげで、自分は生き残った。
ベッドの上でジインが新聞をめくる。靴を脱ぎ露になっているその足首には厚く包帯が巻かれていた。
幸い骨に異常はなく大きな血管も傷ついていなかったが、まともに歩けるようになるにはまだしばらくかかるだろう。
ふいに思い出すのは、花びらに覆われたうつぶせの背中。
空っぽの体に傷は多くなかった。
命を奪った弾丸はたぶん、一発か二発。
指先ほどの鉛玉一つ。それだけで人は死ぬ。
驚くほど簡単に、あっけなく。
もし銃弾が、もう少しそれていたら。
足首ではなく、ジインの胸を貫いていたら。
そしたら、ジインは――……。
がたりと椅子を揺らして立ち上がる。
「うわっ、なんだ?」
膝の下でスプリングがぎしりと唸る。
抱きついたジインの背中は硬い弾力と温もりがあって、しっかりと命が詰まっている感じがした。
生きている。ちゃんと。
「ソラ? 何だよいきなり。どうかしたのか?」
「……なんでもない」
温かな肩に顔を埋める。いつもと同じジインの匂いだ。
この匂いを、ぬくもりを、もし失ってしまったら――……?
ぞくりと背筋が寒くなる。
ジインに銃口が向けられた瞬間を、ソラは今でもありありと思い出すことができた。
全身の毛が逆立ち、血が凍りつくような一瞬。
あの、恐怖。
あんなもの、もう二度と味わいたくない。
「――二度としないで」
肩に顔を埋めたまま、くぐもった声を出す。
「何の話だ?」
振り向いた夜色の瞳を、ソラはほとんど睨むようにして言った。
「あの時、オレだけ助けようとしただろ」
「あの時って?」
「あの白い部屋で、オレだけ隠れさせて自分は残った」
ああ、とようやく思い出した様子で、ジインは肩をすくめた。
「別におまえだけ助けようとしたわけじゃない。あの場はおれ一人のほうが切り抜けられそうだったから、」
「ばっちり撃たれたじゃんか。全っ然、切り抜けられてないし」
わざと刺々しく言うと、むっとした表情でジインは眉をひそめた。
「しかたないだろ、後ろが見えなかったんだから。ちょっとしたミスだ」
「その“ちょっとしたミス”でジインは死ぬところだった」
「じゃ、何? あの場でおれはどうすればよかったわけ?」
自分でも失態だったと思っているのだろう。ふてくされたように言うと、ジインはめずらしく子どもっぽい顔つきでそっぽを向き、乱暴に新聞を閉じた。
「隠れればよかったんだよ。オレじゃなくて、ジインが。オレなら撃たれても死なない。わざと撃たれて死んだフリして、あいつらが出ていくのを待てばよかったんだ」
呆れ顔でジインが振り向く。
「わざと撃たれてって……それで本当に死んだらどうするんだ」
「死なないよ」
きっぱりと言い切るソラに、ジインの眉間のしわが深まる。
「そんなのわからないだろ。いくら傷の治りが早いからって、」
「死なないよ。わかるんだ。どんなことがあってもオレは死なない。そういう体なんだ。でもジインは違う。今回だって、オレより浅いはずのジインの傷のほうが治るのに何倍も時間がかかってるじゃないか。ジインはオレみたいに頑丈じゃないんだ。もしもあの時、オレが飛び出さなければジインは――……」
ジインは、死んでいたかもしれない。
不吉な言葉を呑み込んで、ソラは頭を振った。
「……だから、今度からそういう役はオレがやる。危険なことは全部任せて、ジインはオレの後ろに隠れててよ」
「はぁ? なんだよそれ。急になに言ってんだ」
「だってそのほうが“効率的”だろ。オレならケガしても死なないし、傷の治りも早い。そのほうが絶対、」
「だめだ」
ばっさりと切り捨てるように言い、ジインはふいと顔を背けた。
「どうして!」
「だめに決まってるだろ、そんなの」
「だからどうしてだめなんだよ! どうしてオレはケガしちゃダメで、ジインはケガしていいわけ?」
「どっちがケガしていいとか悪いとか、そういう問題じゃない」
ため息を吐きながら、やれやれといったふうにジインが首を振る。
――また子ども扱いして。
ソラの内側にふつふつと湧き上がる怒りを知らずに煽るように、ジインはまるで幼子に言い聞かせるような口調で言った。
「いいか、おれはおまえよりずっと年上で経験もあるんだから、前に出るのは当たり前だろう? 見た目じゃそんなに変わらないかもしれないけど、おれとおまえは十も歳が離れてるんだぞ。おまえ、自分の歳がいくつかわかってるのか?」
――ついこの間までおしめをしていたような奴が、何を偉そうに。
そんな台詞が聞こえた気がして、ソラは頬を染めた。
「オレは特殊体質なんだ。普通の二歳児とは違う!」
「おれだっておまえを二歳児として扱うつもりはないさ。でもおまえはまだ要領も悪いし、前に立たせたら買わなくていいケンカまで買うだろう? 第一、自分の弟を盾にする兄貴がどこにいるんだよ」
「べつに本当の“弟”じゃないだろ」
「っ、血の繋がりなんて関係ない!」
めずらしく声を荒げて、ジインはソラの腕を掴んだ。
本気の怒りを滲ませて、夜色の瞳がぎらりと光る。
「いいか、おまえはおれが拾った。おれが拾って、この手で育てたんだ! 盾にするために育てたわけじゃない。おれにはおまえを守る責任がある」
守る責任?
――なんだよ、それ。
「親みたいなこと言わないでよ」
「親と同じだろ」
「ジインは親なんかじゃない!」
夜色の瞳がかすかに見開かれる。ジインの頬が赤くなり、今度は白くなった。
――言ってしまった。
禁断の一言を口にして心は冷や汗をかいているのに、後悔はなかった。
だって、これはずっと言いたかったことだ。
親子なんかじゃない。兄弟なんかじゃない。
友達とも恋人とも違う、相棒でもまだ足りない、もっともっと特別な。
痛みを分ち、すべてを共有する存在。
例えるなら、“半身”。
そう、自分はジインの半身になりたいのだ。
それなのに。
「……もういい」
不機嫌に言い捨ててジインがベッドを下りる。言い争いを放棄して立ち去るのはケンカをした時のジインのパターンだ。
けれど今回ばかりは、このまま行かせるわけにはいかない。
傷ついた足を庇ってできた一瞬の隙にその手首を掴む。
細い腕だ。もしかしたら、背丈の低いソラよりも細いかもしれない。
ちょっと力を入れれば折れてしまうそうな手首を強く掴んで、こちらを睨む双眸を見上げる。
「放せよ」
「放さない」
夜色の瞳をまっすぐに見返して、わざと挑発するようにソラは言った。
「これくらいも振りほどけないくせに」
「ソラ、おまえなぁ……っ!」
白い手首を締めつける。ジインがわずかに顔を歪めた。
「痛い、放せ! はなせってば、この……っ」
にらみ合ったまま力比べになる。背丈は上でも細腕のジインが人並み外れたソラの腕力に勝てるわけはなく、渾身の力で抗ってもソラの手はびくともしなかった。
「く……っ!」
「ほらね、ほどけないでしょ?」
ジインが悔しげに唇を噛む。わずかな優越感に浸りながら、勝ち誇ったようにソラは言った。
「オレのほうがジインよりもずっと頑丈で力も強いんだ。だからこれからはオレが……あっ?」
ジインの腕から、ふっと力が抜ける。一瞬の隙に胸ぐらを掴まれ、ふわりと体が浮き上がった。
くるりと世界が回転する。
次の瞬間、背中から床へ叩きつけられていた。
「ぐえっ」
痛みも感じないほどきれいに投げられて天井を仰いだ額に、今度は鋭い痛みが走る。
「うぎゃっ!」
強烈なデコピンに思わず額を押さえると、鋭利な光を帯びた双眸が逆さまにのぞき込んできた。
「おれに勝とうなんて、十年早いんだよ」
「いっ……てぇぇぇ! いま魔法使っただろ、ずるいよ!」
反則だ、と恨みがましい声を上げると、
「ケンカに反則もクソもあるかよ」
べぇ、とジインが舌を出す。その手首にくっきりと浮かぶ赤い痕を見て、ソラはぐっと拳を握った。
あれっぽっちの力で、あんなふうになるなんて。
ジインの体は自分よりずっと脆いのだ。
どうしてそれをわかってくれないのだろう。
魔法さえあれば、危険を回避できると思っているのだろうか。
「魔法なんて……」
背を向けたジインを睨みつけると、ソラは跳ねるように飛び起きてその腰に体当たりを食らわせた。
「うわっ!」
がっちりと腰に抱きつき、手指をもにょもにょと動かす。
途端にジインの頬がひくついた。
「ちょ、バカ何すんだ! やめ……っく、は、ハハッ!」
引き離そうともがきながらも、堪えきれずにジインが身をよじる。バランスを崩したジインをベッドに押し倒すと、ソラは馬乗りになって手当り次第にジインをくすぐった。
「わ、わ、わっ!? ちょ、ばかやめろ放せぎゃああっ!!」
「こんなふうに集中力を乱されると使えないんだよね、魔法は。目隠しされてもうまく使えないし、精神を消耗するから長時間は使えない。ちょっと使いすぎれば熱が出て数日は寝込む。弱点だらけじゃないか、魔法使いなんて」
「あっ、や、やめて、ほんと、それだけは、あっ、うっ、この、放せ、って、ば……ッ!!」
眉を八の字に曲げ耳まで真っ赤になりながら必死で手を引き剥がそうとするジインの抵抗をものともせず、ソラはその脇腹あたりをくすぐり続けた。太ももの上のあたりを股でがっちりと挟み込み、絶対に逃げられない体勢でジインの弱点を容赦なくせめまくる。
「く、うっ、うぅううぅ!! ……も……だめ……っ! 頼む、から……やめ、て……くれ……ッ!!」
涙目の懇願にソラはようやく手を止めた。ぜえぜえと息を切らしながら、ジインがぐったりと四肢を投げ出す。
「……ひどい……最低だ……人でなし……こんなの、反則だろ……」
「ケンカには反則もクソもないんでしょ?」
太ももの上に乗ったまま、ソラは冷たく言い放った。
そう、この街に反則なんてない。
ちょっとした言い争いの果てに丸腰の相手をナイフで刺すなんて、理由があるだけまだマシなほうだ。何の理由もなく絡まれて殴る蹴るの暴行を受けるなんてことは日常茶飯事で、単なる暇つぶし目的でよってたかって嬲られるというのもまま見る光景だ。たとえ相手が女や老人、子どもだろうと、ふりかかる不運は容赦しない。むしろ『ノラ』などはたとえ死んでも咎める人間がいないという理由から、貧しい暮らしの中でたまりにたまったフラストレーションの格好の捌け口となることが多いのだ。
命が助かればまだいい。数人がかりでいたぶられてそのまま命を落とす人もいるし、どこからか飛んできた流れ弾に当たって絶命する人もいる。路地に引きずり込まれてそのまま行方知れずになり生死すらわからないことも、この街ではよくあることなのだ。
いつどこで何があるのかわからない。この街は、そういう街だ。
「……ソラ?」
まだ頬が上気したままのジインが、怪訝そうにこちらを見上げる。
吸い込まれそうなほど深く澄みきった夜色の瞳。それを縁取る長いまつ毛。よくできた人形のような目鼻立ち。やわらかな唇。ゆるい曲線を描く頬。透きとおるような白い首筋。その下を流れる温かな血潮。ほっそりとした体。すらりと長い四肢。美しい形の手指。闇より濃い黒髪。少し低めの体温。静かな呼吸。そしてその全身から溢れる、何か。
そのすべてが特別で、そのすべてが愛おしい。
こんな人は、他にいない。
たったひとりの、ぼくのジイン。
そっとかがみ込むと、ソラはジインを覆い隠すようにその体を抱きしめた。
このままこうして。
降りそそぐすべてから、ジインを守れたらいいのに。
ジインの腕がぽんぽんと背中を叩く。
「どうしたんだ。今日のおまえ、ちょっとおかしいぞ」
「……おかしいのはこの街だよ」
ぽろりと言葉が出た。
そう、おかしいのは自分じゃない。
たとえるならこの街は、どこもかしこも穴だらけで。
目には見えないその穴に、人は突然落っこちる。
そして、こつ然と消えてしまうのだ。この世界から。
「……怖いんだ」
「え?」
「ジインが、死んじゃいそうで」
今まではジインを失うなんてこと、考えてもみなかった。
けれど、知ったのだ。
人は死ぬ。
九呼のようにある日突然、あっけなく。
人は、死ぬのだ。
「死なないよ」
穏やかに笑ってジインが言う。
「おまえを残して死んだりしない」
「……嘘だ、そんなの」
「嘘じゃないよ」
「嘘だよ! だってジインはオレと違うんだから!」
体を起こし、その双眸を睨んで噛みつくように言葉をぶつけた。
「百発撃たれようがめった刺しにされようが、オレは死なない。でもジインは違う!」
ジインは死ぬ。
たった一発の弾丸で。
一振りのナイフで。
「オレよりずっと簡単に、何でもないことで死んじゃうんだ……オレを置いて」
自分の言葉に心臓を掴まれて、ソラは声を詰まらせた。
死なない体。傷つかない体。それは自分の命を守ってくれるだろう。
けれどもしジインを失って、ただ一人生き残るようなことになったら?
――ひとりは こわい。 ひとりは かなしい。
そう泣き叫んでいたあの老木のように、孤独な時を耐えなければならないのだろうか。
氷のように冷たいこの街で、たった一人。
「ソラ」
顔を上げる。くすんだ薄紅に染まる部屋の中でもその鮮やかさを失わない夜色の瞳が、まっすぐにソラを見ていた。
「手を貸してみろ」
ソラの手を取ると、ジインは自分の胸にそれを押しあてた。穏やかに上下する胸の下に、とくとくと命が脈打っている。
「心臓、動いてるだろう?」
「うん」
「これはおまえのものなんだ」
「……え?」
きょとんと目を丸くするソラに、ジインは微笑んだ。
「おまえを拾った日に、本当はおれ、死ぬはずだったんだ」
「ど……どういうこと?」
驚いて目を見張るソラに、ジインはどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「おまえを拾ったのはひどい雪の夜だった。何日も続いた飢えと寒さでおれのいた群は全滅してさ。どういうわけか、おれ一人だけが生き残った。住処も仲間も失って雪の中を行く当てもなくさまよううちに、何もかもどうでもよくなってさ。もうこのまま死んでもいい、そう思った。……おれにはもう、何もなかったから」
ジインの眼差しがすうっと遠くへ向けられる。澄みきった瞳の底に、宇宙の果てのような闇を垣間みた気がした。
「どんなに強く手を繋いでも、大切な人たちは次から次へといなくなった。ひとつ失う度に、魂が削がれていく気がした。疲れたんだ、失うことに。だからもう、終わりにしようと思った。生きることに比べたら、死ぬのはずっと簡単だよな。もう何日もろくに食べてなかったし、雪は相変わらず降り続いていた。おれはただ、歩くのを止めさえすればよかった。それだけで、命は消える。そのまま静かに、終わってしまおうと思った。ところがさ、あと一息で死ねるって時に、うるさい泣き声が聞こえたんだ」
「泣き声?」
「おまえの泣き声だよ」
ジインが、にっと笑う。
「あんまりぎゃーぎゃーうるさいんで、おれは仕方なく騒音の元を探しに行った。おまえは母親の腕に抱かれてて……その時のことは、少し話したよな?」
小さく頷く。ジインを何ものにも代え難いたった一人の家族として敬愛しているソラだったが、顔も名前も知らない両親の消息について興味がないわけではなかった。物心がつき始めた頃、ふとした拍子に両親の消息を訊ねたソラに、ジインは今のような静かな口調でその時のことを教えてくれたのだ。
十歳のジインがソラを拾ったのは、二千人以上の死者を出したという記録的な大寒波の最中。降り続く豪雪であらゆる供給がストップし、街は壊滅的な被害を受けた。『貧困街』では略奪が横行し、人々は暖と食料を求めて街を彷徨いそのまま雪に埋もれるようにして死んでいった。ソラの母親と思しき人物も、雪の降り積もる道端で赤ん坊のソラを抱いたまま息を引き取っていたという。
「吐く息も凍る寒さだってのに、おまえ、すげえ元気でさ。抱き上げると、めちゃくちゃ温かくて。おまえが気持よさそうに腕の中で寝始めるもんだから、何だかおれまで眠くなってきてさ。そのまま近くのゴミのタンクにもぐり込んで、目が覚めたら朝だった。たぶん、おまえを抱いてたから助かったんだと思う。ゴミタンクにもぐり込むぐらいじゃ、とてもあの寒さを乗り切ることはできなかったはずだから」
記憶に向けられていた瞳が、ふいにソラを捉えた。
「あの夜、死ぬはずだったおれを生かしたのはおまえなんだ。だから……」
ひんやりとした両手が頬を包み込む。
「腕も声も心臓も、おれのすべてはおまえのものだ。おまえが望む限り、おれは死なない。銃で撃たれようが、ナイフで刺されようが、おれは死んだりしないよ。絶対だ。約束するよ」
そう言って、ジインはふわりと笑った。
澄みきった笑顔が胸に満ちて、一瞬息が吸えなくなる。
約束なんて。
明日すらおぼつかないこの街では、何の意味もないけれど。
目の前の笑顔が、ささやく声音が、あまりにも綺麗すぎて。
「約束するよ、ソラ」
この言葉を、約束を、偽りにしたくない。
そのために、自分ができることは。
微笑む唇の端に残る傷を見て、決意する。
前に出て守れないというのなら。
ジインが受けるはずの傷をすべて。
横から奪ってしまおう。
自分なら、それができる。
この不死身の体と、ずば抜けた五感があれば。
そう、たとえジインがそれを許さなくても――……。
「……――あ、」
その瞬間、胸につかえていた何かがすとんと臓腑に落ちた。
飛び方を知った鳥のような心持ちで、自然と笑みが浮かぶ。
なんだ、そうか。そういうことか。
最初から了解を得る必要なんてなかったのだ。
ぼくはジインの盾になる。
この腕で、この体で、命をかけてジインを守る。
たとえそれをジインが拒んだとしても。
ジインの言葉に逆らって、ぼくはジインを守ってみせる。
それでいいのだ。
胸の奥に強い光が灯る。炎のように熱く輝くそれは、決して揺らぐことのない太陽のようにソラを内側から煌煌と照らした。
そんなソラの耳に届くか届かないかの声音で、ジインが呟く。
「だから、おまえも――」
まなざしがわずかに揺れる。声にならない呟きが、かすかに空気を震わせた。
「――おれを、置いていかないでくれ……」
「……え? いま、なんて?」
きょとんと首を傾げるソラの頭を、ジインはくしゃくしゃと勢いよく撫でまわした。
「なんでもないよ。さ、晩飯にしよう。今日は肉味スープだぞ!」
「えっ肉入ってんの!?」
「いや、“味”だけ」
「……あっそ」
部屋を染めていた薄紅はいつの間にか群青へと変わり、世界は闇の中に沈もうとしていた。四角い窓の隅では、新市街の白く冷たい光が上等な宝石をちりばめたようにきらきらと瞬いている。
かすかに残る西の陽もすぐに消え失せ、数分もしないうちに明かりが必要になるだろう。夜盗に狙われないよう、漏れる光を遮るための板を窓に張らなければならない。
ふと思い出してポケットを探ると、指先にかさりと何かが触れた。
あの時の花びらだ。
空から降ってきた幸せの色は、ポケットの中で茶色にひからびて粉々に砕け散っていた。
昨日あったものが、今日は消え失せる。
確かなものなど、何もない。
理不尽な運命は、きっと明日もぼくらに降りそそぐだろう。
それでも、ぼくらはこの街で。
明日も、生き抜いてみせる。
了