05.初戦
さて、戦闘経験を積むために俺は何をすべきだろうか。
実戦経験が必要だとは考えているが、実際にどうすれば実戦経験を積めるのかわからないのが現状だ。
戦う相手すべてが格上だと、成長する前に死んでしまったり戦闘不能になってしまうだろう。逆に格下のみだと格下の敵を倒せるようになるだけで成長がそこで止まってしまう。天才であれば格上との戦闘経験だけでも成長できるだろう。
しかし、あいにく俺は天才ではない。格上の敵と今戦えばすぐにでも死ぬという自信がある。だからこそ、戦闘経験のない俺は弱い相手や同格と戦うことを最優先にすべきだろう。しかし、自分よりも格上の相手と戦う必要もある。
幸いにもこの山には、妖鹿ほどではないが巨大な生物や、他の生物が跋扈していると思われる痕跡があったから、戦い相手には困らないだろう。
戦闘経験を積むための相手と場所に困らず、俺の体も鍛えられているとは言え、この山の生物はどれも違う山の生物と比べて、何倍、何十倍もの力を有しているだろう。妖鹿が良い例だ。たぶんだが、この山で一番弱い兎だとしても他の山の熊と同等かそれ以上の力があるはずだ。だからこそここは、実戦経験を積むのに適しているだろう。
湖の奥か洞窟の裏。俺が今戦闘経験を積むのに適していると思う場所はこの2つだ。湖の奥は妖鹿が水を飲んでいたことから多分スペースがあるだろう。洞窟の裏は妖鹿から逃げるときに脇道があるのを見つけた。俺が戦闘経験を積むために行くのは今のところその2箇所しかない。
湖の近くは妖鹿や巨大な生物や強力な生物の住処になっていると思う。湖や木の実の多い場所は、強い生物が跋扈している。生きるのに適した環境の近くは強い生物の住処になっている。初めて洞窟を出たときは妖鹿にしか会わず、洞窟に戻るまでの間も他の生物には会わなかった。その時は本当に運が良かったと思う。洞窟に戻る前に他の生物に会っていれば、確実に死んでいただろう。
であれば、実践訓練をするのなら洞窟を離れる必要がある。木の実がなく、水場でない場所なら強い生物はほとんどいないはずだ。洞窟の正面には湖があるが、妖鹿から逃げる際に見えた洞窟の裏手に続くであろう山道には、葉の生い茂る木は見えず草も生えていなかったように見えた。そんな場所には強い生物はいないだろう。
洞窟の裏手に行くためには、一度湖の近くを通らなければいけない。危険ではあるが、そこを通ってしまえば山道を通って裏手に行くことができる。
今日の日課である筋トレはすでに終わっており、時間帯もまだ昼になったばかりだ。それに加え、ちょうど重い腰を上げたのだ。今すぐにでも実践訓練に向かうべきだろう。しかし、まだ洞窟の裏手の全容を完全に把握しているわけではない。だから今日のうちは裏手の生物の種類の把握をするべきだろう。
そんなことを思いながら洞窟の入口へと近づいた。
壁の裏に隠れて外の様子を確認してみると、幸い妖鹿は洞窟正面にはおらず、その他の生物もほとんどいない。今の時間帯は昼だからこそ、湖に水分補給にくる生物が多くなる。であれば、すぐに裏手に行ったほうがいいだろう。
素早く湖のほとりに移動し、裏手に続く山道に向かった。山道の地面は多少凸凹していたが、他の生物もその道を使っているのかそこまで歩きにくいというほどでもなかった。膝上まで伸びる草や胸まで垂れる柳など、道を阻むものが多くあったがかき分けながら向かった。
ある程度進むと、少しずつ草木の量が減っていき、裏手に着く頃にはほとんどなくなっていた。洞窟の裏手は洞窟の正面に比べて荒廃していた。草木は枯れ、水たまりすらなかった。
だから油断していたのだ。
草木どころか虫すらほとんどいなかったため、手に持っていた石のナイフは道中生えていた蔓を使って腰に巻き付けていた。しかしそれがいけなかった。
何百年も一人で肉体改造をしていたせいか、他の生物の気配に鈍感になってしまっていた。気配を消して背後から突進してきた兎が、目と鼻の先の距離に近づくまで気づかなかった。
「…ッぐッ、う…。」
この兎は、俺の心臓を一刺ししようとしていたのだろう。肌に触れる寸前に咄嗟の行動で避けることは出来たが、あまりうまく避けることが出来ず左肩を兎が貫いた。肩を貫いた兎は、肩に刺さっていて抜けないのか、抵抗しようと四肢をジタバタさせていた。
体を鍛えていたことが功を奏した。鍛えていなければ、左肩に兎が突っ込んできたのと同時に方を突き抜けて左腕を持っていかれていただろう。そう考えると、左肩に兎が刺さったままで良かった。
左肩で兎が暴れるたびに痺れたような痛みと神経がすり減るような痛みが走り、少し朦朧となる意識の中、腰に巻き付けた石のナイフを抜き兎の体へと刺し、勢いよく外側へと引っ張った。
「…ッぐッ、ぁ゙ぁ…あ…。」
兎を肩から抜くことには成功したが、石のナイフはあまり深く刺さっていなかったのか、ナイフの抜けた兎はこちらに敵意を向け続けている。その久しぶりに受けた敵意…。いや、もう殺気といえるほどの圧を受け、少し体がこわばった。純粋な殺意を真正面から受けたのは、妖鹿の一方的な攻撃以来だったこともあり、足はすくみ冷や汗がだらだらと流れた。
四肢は動かせず、考えることしか出来ない。意識だけしか動かせないこの状況でできることなど限られている。相手の隙、弱点を見つける。今できるのはこの程度だろう。
兎はこちらを正面に向いている。であれば真正面に突っ込んでくるだろう。しかし、相手の行動が読めたからといって、兎の攻撃を避けて反撃することのできるほどの実力は持ち合わせていない。だったら俺にできるのはせいぜい、自傷覚悟で攻撃を受けてカウンターを入れる程度だ。
そう考え終わった時、兎はすでに突進を始めていた。予備動作のない突進。兎に注目していなければ終わっていた。たぶんあと2秒で心臓に角が届く。
どうするべきか。ナイフを持っているのは右手。であれば角を受け止めるとしたら左腕。
心臓に届くまであと1秒。
「ぁ゙ぐっ……。」
兎の角が心臓に届く寸前に賭けで上げた左腕にうまく角が刺さった。腕に刺さった角による傷は痛みが走るものの、肩に比べれば些細なものだった。そのまま腕に刺さった兎に先程ナイフでつけた傷に、もう一度狙いを定めナイフを差し込んだ。最初のように、傷が浅くならないよう力を込めねじ込んだ。
兎は、ナイフによる攻撃に抗おうと肩に噛みついたり足蹴りをしてきた。兎が死にかけだったこともあり、火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。すべての攻撃がとてつもない威力だった。
そして、ナイフを心臓にねじ込み続けていると、兎の大きかった悲鳴が少しづつ小さくなるとともに少しずつ兎の体は動かなくなり、最後はピクリとも動かなくなった。
「…はぁ、はぁ。ぐっ!……。」
動かなくなった兎からナイフを抜いて兎を地面へと投げ捨てると、兎の傷口から血が噴き出し地面と体を血に染めた。
「ふぅ……。」
兎を殺し終えて一息つこうとした瞬間、体から何かが抜け落ちるような感覚とともに膝が崩れた。




