73 大嫌いだった世界と大好きな人たち
姉様から、話がしたい、と言われたのはその日の夜のことだった。ヘルガもエリクも行動が早すぎる。もう少し心の準備というものをさせてくれてもいいんじゃないだろうか。
……怒られる、のかな。月から帰ってきた後たくさん怒られたのに、これ以上?
夕食後、緊張しながら姉様の部屋へ行き、ドアをノックする。返事よりも先にドアが開いて、姉様が笑顔で迎えてくださった。勧められるままに姉様と向かい合わせに座り、身を強張らせる。
私の様子に、姉様はちょっぴり苦笑い気味に口を開いた。
「エリクから、色々聞いたよ」
どこからどこまでですか、とは怖くて訊けなかった。……エリクは「なんとなく話しておく」って言ってたし、それほど詳細には話していない、はずだよね。
「ね、セレネにとっての幸せって、何かな?」
その問いが、エリクへの告白についてではなかったことに少しほっとする。
けれどどういう答えが求められているのかわからなかったので、私はためらいがちに返答した。
「姉様が幸せであること、です」
「……うん、ありがとう。そうだよね」
当然、といった様子でうなずいてくださった姉様に、会話の流れは読めないけれど嬉しくなる。姉様は、私の気持ちをちゃんとわかっていてくださった。
エリクの口ぶりでは、私が自分の幸せを考えてない、ということだったけど、やっぱりこれで大丈夫なのだ。私は姉様が幸せなら……もっと贅沢を言えば、私の好きな人たち皆が幸せなら、幸せだ。
この分だと怒られることはなさそうだ、と緊張を緩ませた私に、姉様が小首をかしげる。
「セレネにとっての幸せは、私が幸せになることだけ?」
「……私の好きな人たちが皆、幸せであってほしいと思います」
「それは誰?」
「え、ええっと……エリクや家族、友達皆です」
そっか、と姉様は微笑む。
「それじゃあそこに……セレネは、入ってないんだね?」
どういうことだ、と困惑してしまう。
入っていないも何も、今言ったことは『私の幸せ』だ。それがどうして、その幸せに私が入っていないなんて話になるんだろうか。
けれど姉様の口調は確信しきったものだった。こんなふうに言われてしまっては、否定もできない。困って見つめれば、姉様は質問を変えた。
「私の幸せって何だと思う?」
「……姉様ご自身も、姉様の大事な人たちも笑顔でいられて、その人たちが傍にいてくれること、でしょうか」
「そうだね。それがわかるのに……セレネは自分の幸せに、自分が笑顔でいられることは含めないんだ?」
「そ、れは、でも、好きな人たちが笑顔でいられれば、私だって笑顔でいられますから」
「うん、ちゃんとそう思ってくれてるならよかった――って言いたいところだけど、そうじゃないんだもんなぁ」
姉様の微笑みに、ほんの少し呆れや悲しみが混じる。
「私は、セレネがすごくすごく好きだよ。だから私は、セレネにも笑顔でいてほしい。だけどセレネは、私が笑顔でいられるなら、私が幸せなら……自分なんていなくていい、って思ってるよね?」
「……そう、ですね。姉様が私を大事にしてくださっているのは理解していますが、私一人が欠けたくらいでは、姉様の幸せは揺るがない、かと」
姉様の周りには、たくさんの人がいる。妹という立場はその中でもかなり姉様と近いが、絶対的に必要なものでもない。それどころか、別に不要なものだろう。ゲームに私が存在しなかったというのが大きな証拠だ。
しかし姉様は、「ばか」と小さくなじってきた。
「私はセレネがすごく、すっごく好きだって言ったでしょ! 私の幸せの中には、ちゃんとセレネの幸せもあるんだよ。私は欲張りだから、セレネみたいには考えられない。大事な人みんなに幸せになってほしいし、自分だって幸せになりたい」
姉様は泣きそうだったけれど、向けてくる視線は、なんだか温かかった。
「でもね、私の中で一番大切な『幸せ』は、セレネが幸せなことなんだよ。他の人から見てどれだけ幸せそうでも、そこにセレネがいなきゃ――幸せなセレネがいなきゃ、私は世界で一番不幸なの」
これはお説教だよ、と少しおどけたように言う姉様。たぶん、私の頭がいっぱいいっぱいになっていることを察したんだろう。
姉様の言われたことを反芻しながら、しばし黙り込む。
……幸せな私がいなきゃ、姉様は世界で一番不幸。姉様の中で一番大切な幸せは、私の幸せ?
姉様にとっての私がそこまで大きな存在だなんて、思ってもみなかった。
私がいなくなったら、姉様は幸せになれない、と。姉様は今言ったのか。……本当に?
「セレネは、私にも言えないようなことがあるんだよね」
不意に落とされた言葉に、びくりと体が反応してしまった。目を見開くと、姉様は穏やかな口調で続ける。
「それで、そのせいで苦しい思いをしてるんだよね。……そのせいで、セレネはセレネの幸せを考えられないんだよね」
どこまで、わかっているんだろう。
視線が下がる。姉様の顔が、見れなかった。
姉様に言えないことは、色々あって。苦しいこともたくさんあって。でも私はちゃんと、私の幸せを……考えて、いたはずで。
なのにどうして、エリクも姉様もそんなふうに言うんだろう。
「でも私は、セレネに幸せになってほしい。私が幸せになるためには、まずセレネに幸せになってほしいんだ。……わがままで、ごめんね」
なぜか謝る姉様に、慌ててふるふると首を振る。
「いえ、いえ、わがままなんかじゃ、」
「それなら私のわがまま、聞いてくれる?」
姉様のわがままなら何でも叶えたい。
しかしそのわがままは、上手く意味が飲み込めなかった。姉様が幸せになるために、まずは私が幸せになる必要がある――?
『カレン様、シャルル先輩の幸せは、きっとカレン様がお幸せになることです』
『もちろん、お兄様の幸せを私が勝手に決めてはいけないとはわかっているのです』
ふと、そんな会話が頭をよぎった。冬休みにカレン様とお会いしたときの会話。
……あんな会話をしておいて。それでも私は、姉様の幸せを――思い違い、していた、んだろうか。
でも、でも、だって、と心の中で言い訳を連ねる。
私の幸せは姉様が幸せになること、そんなのは当たり前だ。私は姉様のために生きていたんだから。それでも、その逆が当たり前だとは言えない、じゃないか。その逆が成り立つなんて、わかりっこないじゃないか。
シャルル先輩とカレン様は、互いに愛し合っている。私から見てもそれは、一目瞭然、で。
「……あ」
そこまで考えて背筋が凍る。震えながら、口元を押さえる。――それじゃあ私は、姉様からの愛を……信じていなかった? 受け入れていなかった?
こんなにこんなに、私のことを大事にしてくれた人の愛を。私は……否定、し続けて、きた? 『姉様にとっての私がそこまで大きな存在だなんて、思ってもみなかった』なんて思考、姉様の愛を疑っていたも同然だったのだと今更気づいた。
姉様の幸せに私はいらないと思っていたけど、それは勝手な決めつけ、だったのだろうか。姉様の愛を、否定してしまう考えだったのだろうか。……そう、なのだろう。
私は姉様に幸せになってほしかった。そのために私が生まれたのだと思っていたし、私自身がそう願っていた。
だから私は、姉様の幸せを願うなら、姉様の愛を信じていたのなら――私自身が幸せになることが、姉様の幸せに繋がるのだということを理解しなければならなかったのだ。
それなのに私は、その一番大事な部分をわかっていなかった。……馬鹿だ、大馬鹿だ。そんなので姉様を幸せにしたいと思っていたなんて笑わせる。妹失格だ。
……でも。
――セレネは私のために生きてるんだろうけど、私はセレネのおかげで生きてるんだよ。
…………っでも。
でも、でもでもでも、
私は!
「私は、この世界にいなかったはずの、いちゃいけない存在で」
言ってしまった。……姉様には言ってはいけないことの、一つだったのに。
口を閉ざす私に、姉様は安心させるように笑顔を浮かべて、すっと立ち上がった。それから私をふわりと抱きしめ、ゆっくりゆっくり、背中をなでてくれる。
「大丈夫。セレネはちゃんとここにいるし、私にはセレネが必要だよ」
「で、でも、私はこの世界が……大嫌いでした」
「大嫌いな世界のために、セレネは命をかけたの?」
怒ったような声音に、少し怯んでしまう。
それでもなんとか、声を絞り出した。ずっとずっと言えなかった、言うつもりもなかった言葉。
けれどずっと、心の奥で燻っていたもの。
「……姉様のことも、嫌いでした。嫌い、だったんです」
うん、と姉様は静かに相槌を打つ。
「知ってたよ。それがとっくに、過去形だってことも」
「っ私は! 私は、」
大嫌いだった。この世界の、優しい人たちが。温かさが。
「私は」
嫌いじゃなくなるのが、怖かった。
「……私は、」
石月千湖とは決別した。
私は私、だけど、その『私』が誰なのか、何なのか、今の私にはわからなかった。誰かに教えてほしかった。誰かに、誰かに――一番、大好きな人に。
私を抱きしめてくれている温かいひとに、震える手ですがりつく。
「姉様」
ディアナ・ヴァルハーナ・ムーンという人間に対して、私だけが使う、私にだけ許された呼び方。
私はそれを使って、彼女に問いかけた。
「私は、誰ですか?」
「セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーン。一番大切な、大好きな私の妹」
即座に返された答え。
「それで――」
ほんの少しだけ体を離して、姉様は、優しく微笑んだ。
「私は、あなたのお姉ちゃん。ディアナ・ヴァルハーナ・ムーン。頼りなくて、あなたに守られてばっかりだけど……だけど、あなたの幸せを誰より願ってる」
私は、セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーン。
ディアナ・ヴァルハーナ・ムーンの妹。
姉様が、一番に大切にしてくださっている妹。
姉様が誰より幸せを願ってくださっている、妹。
――私はセレネ・ヴィヴァーシェ・ムーン。
目の前のこの優しい人のことが、姉様のことが大好きで、家族のことが大事で、エリクに恋をしていて、マリーちゃんやナタリーちゃん、ベラちゃん、ヘルガ、テランス君、フェリクスさん、ルカ君、カレン様……たくさん友達がいて、シャルル先輩やミミル先輩という、先輩にも恵まれていて、魔法学院で楽しく過ごしていて、兎の獣人で、白髪赤目で、方向音痴で、風魔法が得意で、料理が苦手で、怖いものが苦手で、にんじんが好きで、エリクが作ってくれたキャロットケーキが好きで、前の世界では石月千湖という人間で、この世界ではセレネ・ヴィヴァーシェ・ムーンとして十六年生きていて。
十六年の間に、色々なことがあった。
その全てが、私を作っている。
私は――セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーン。
その事実がやっと、すとんと胸に落ちた。
「セレネ、ほら、笑って?」
「……ねえさま」
「うん。いっぱいいっぱい泣いて、そしたらもーっと笑おうね」
ああ、もしかしたら。
ぼろぼろとこぼれる涙に、声が抑えきれなかった。
「うあああああっ、あああぁぁ、わあああああぁぁぁぁああぁ……っ」
もしかしたら。
石月千湖は、今ようやく死んだのかもしれない。
* * *
私の涙が止まるまで、そう時間はかからなかった。一気に大量に泣いてすっきりしたのかな、とぼんやり思う。
鼻をすんすんすすっていると、ずっと抱きしめてくれていた姉様が体を離し、唐突に宣言した。
「ねえセレネ。私、セルジュ先生に告白するよ」
「……え!? す、するんですか!?」
「うん」
一拍遅れて驚愕した私に力強くうなずいて、ふっと笑う姉様。
「だからほら、セレネも行っておいで。今」
「今!?」
何もかもが唐突すぎではないでしょうか!?
しかし悪戯っぽく笑って続けた姉様に、うっと呻いてしまうことになる。
「あのときよりよっぽど早い時間だよ?」
……確かにエリクに告白したあの日、エリクを呼び出したのは日付も変わった時刻だった。対して今は、二十時半頃。呼び出すのには非常識な時間だというのは変わらないが、姉様の言うとおりあのときよりはよっぽど早い。
いやでも、あのときは非常事態だったけど、別に今はこんな時間に呼び出す必要ないんじゃないか? つ、付き合ってもいない男女が夜二人きりで会うとか外聞が悪いし、いや外聞っていっても身内から情報が漏れることはないんだろうけど、だとしても、やっぱりそれはまずいんじゃないだろうか。
「明日でもいいけど、そしたらセレネ、告白できなくなりそうだから」
「……今だって、できる、というわけでは」
「それに、明日がどうなるかわからない。もしもまた、世界が滅びかけるようなことがあったら? ……今日伝えられるなら、伝えておくべきだと思うな」
私の告白はさすがに明日だけど、と姉様はふっと笑った。
明日がどうなるかわからない、というのは、そうなんだけど。そうなんだけど、それとこれとは話が別というか。……いや、別じゃないのか。私に意気地がないだけだ。
でもやっぱり、何の心構えもなしにいきなりそう言われてもできるわけないんですが!
内心頭を抱えていると、姉様が私の腕を引いて立ち上がらせた。そして「ほらほらー」とドアの方へ連れていこうとしてきたので、慌てて待ったをかける。今さっきまで泣いていたせいで、絶対に顔がひどいことになってる!
「ね、姉様、こんな顔で告白なんて、同情を誘っているように感じないでしょうか!?」
「先にちゃんと告白してきたのはエリクの方なんだから、同情も何もないでしょ!」
……エリク! なんとなく話しておくって、どこまで話してるんだ!?
思っていた以上にばれていることがわかって、また泣きそうになってしまう。うぅ、せっかく泣き止んだのになぁ。
そんな私の様子に気づき、姉様が足を止める。
「……ごめん、意地悪だった。焦っちゃってごめんね。セレネの好きなタイミングで伝えなきゃ、意味ないよね」
「いっ、いえ、姉様が謝られる必要は!」
「ううん、強引すぎたから」
しょんぼりした姉様は、「でも」と真面目な顔で言った。
「私が明日告白するっていうのは本気だよ」
「……姉様」
「どうなるかわからないけど、それがちょっとでもセレネの勇気になってくれたら嬉しいな」
……姉様にここまで言われて、何も行動しないわけにはいかない。
深呼吸を一度。
セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーンはゲームには存在しなかった。でも――この世界には、確かにいる。そして、もしも私がすでに役目を果たしていて、この世界に不要な存在になっていたなら、私が生きて帰ることはできなかったはずだ。
それに。もしゲームの根幹部分である恋愛に、本当に私が関わってはいけないのなら……私がエリクを好きになることはなかっただろうし、告白することもなかっただろうし、ましてや告白を受けることもなかっただろう。
セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーンとしての自分を認められた今なら、そう考えることができた。エリクに思いを伝えることは許されないとずっと思ってきたけど、許さなかったのは他でもない私自身。
だからエリクに告白することに、もう何の問題もない。……な、なくはないけど、うん、ただめちゃくちゃ緊張するのと恥ずかしいのととにかくなんかもう逃げ出したいってくらいだから、私が頑張ればいいだけなのだ。がんばる、がんばろう。
気合いを入れるためにもう一度だけ深呼吸をし、姉様に謝罪する。
「姉様、うじうじしてしまってすみません。これからちゃんと、告白してきます」
「えっ、大丈夫? 無理してない……?」
「む、無理しないといつまで経っても告白なんてできませんし!」
何せ私は、好きな人に素直になれないことに悩むような奴だ。最近は割と素直になれていた、とは思うが、告白なんてハードルが高すぎる。それこそ、死ぬ覚悟をするくらいのことがなければ難しい。
でもそんなことは言ってられない。ぐっと拳を握り、「大丈夫です!」と言い張る。
「では行って参ります!」
「え、え、ほんとに行くの?」
「はい!」
というわけで。
あの日のようにベルにエリクを呼び出してもらって――告白する、ことになったのだった。
* * *
呼び出したのは、また庭園。あの日ほどではないけれど、空には綺麗な月が輝いている。あれのせいで死にかけ、姉様をあんなに泣かせることになったかと思うと複雑な気持ちになった。夜空の月に見惚れることはきっともうないだろう。
……なんて、現実逃避だ。
エリクが来てくれてから数分、私はいまだ何も切り出せていなかった。エリクはちっとも嫌な顔を見せず、私の言葉を待ち続けてくれている。
何の用か、というような質問はされなかったから、私がこれから何をしようとしているのかは察しているんだろう。泣いた跡も見えているだろうに、追及はなかった。私が姉様とどんな会話をしてきたのか、きっとエリクはなんとなくわかっているのだ。
早く言わなきゃ、と思うのに、口は張り付いたように動かなかった。
し、しっかりしろ私。ちゃんと告白するって姉様に宣言したじゃないか。
……あー、うぅ、でもちゃんとした告白ってどうすればいいのかな。いやたぶん私も好きだの一言でいいんだろうけど、それじゃ足りないっていうか。そんなこと考えてないでさっさと告白しろって話なんだけど、なんだけどー……!
無言で立ち尽くす私に、エリクがふっと微笑んできた。
「……大丈夫? 寒くない?」
……ここに来て初めての質問がそれか。
余裕がありまくるように感じて、理不尽にも腹が立ってくる。私の頭の中がこんなにぐちゃぐちゃで緊張しているのに、エリクはなんでこんな余裕でいられるんだろう。もう告白を終えた強者の余裕? ――ああああ、そうなんだよな、エリクはもう私に告白してて、あのときは喜ぶことも照れることもできなかったけど、な、なんか今更こう、ぐわって! ぐわって!
いやでも私だって一応告白はしたんだよね!? 先に告白したのは私で……うぅ、姉様がおっしゃった通り、先に『ちゃんと』告白したのはエリクで……!
「僕の上着貸そうか?」
「だ、大丈夫!」
動揺で返事が遅れたのを、寒いけど言い出せない、という感じに受け取られたのかもしれない。どこか心配げにされた提案を慌てて突っぱねた。
この状況でエリクの上着なんて借りたら、色んな感情で頭が爆発しそうな気がする。無理だ。確かにちょっと寒いけど我慢するしかない。もっと厚着をしてきて、この高い体温を服のせいにしてしまえばよかった、と少し後悔する。
こ、告白、する、するぞ。振られることがないってわかってるのに、何を怖がってるんだ私!
「あの、ああああの、エリク!」
勢い込んで名前を呼べば、「なに、セレネ」と優しい声で名前を呼び返してくれた。……ただ待ってくれる、というのはありがたくもあり、恨めしくもあった。
小さく唸って、それから私はエリクの瞳をまっすぐに見る。
「あの、ね」
「うん」
「あの……ずっと」
「……うん」
「ずっと、ずっと……」
本当に伝えてしまっていいのか。一瞬だけ不安が心を過ぎる。大丈夫だ、と思っていても、長年の思い込みというやつは根が深かった。
けれど、私はもう、私だから。心のままに、したいことをしていいのだから。
この気持ちを、エリクに伝えたい。
「ずっと、す……!」
――まあ、すんなり告白できるかといえば、それはやっぱり別問題なのだけど。
体中が熱い。エリクの顔をまともに見れなくなってきた。今すぐここから逃げ出したい。今日だけで私、何回逃げたいって思ってるんだろう。それもこれもヘルガが勝手に……と責任転嫁しそうになったのを振り払う。
私が彼女にしたお節介に比べれば、ヘルガがしてくれたことは何てことはない。
悪いのは意気地なしの私だ。でも、今度フェリクスさんにヘルガの気持ちを伝えてしまおうかな、とちらりと思ってしまった。……じ、実行はしないけどね? さすがにひどすぎるから。こういうのは自分で伝えなくちゃ意味がない。
……はぁぁ、特大ブーメランだな、わかってる。
「す……す、」
言葉がどうしても詰まってしまって、代わりに涙が出てくる。ああもう、さっきあんなに泣いたのに。
少しでも頭を冷やすため、目をつぶって下を向く。一瞬息を止めて、吐き出す。落ち着こう、こんなんじゃ告白なんてできっこない。涙を混ぜずに伝えなくちゃ。
さあ言おう、と目を開けると、そこにはにこにこと幸せそうに笑っているエリクの姿があった。
「……何その顔」
「うん? ふふ、頑張ってるなって思って見てた」
余裕綽々としているのも、その笑い方が可愛すぎるのも、とてもとてもムカつく。私のそんな気持ちまでお見通しなのだろう、エリクは「ごめんね?」と可愛らしく首をかしげた。
わ、私を見て楽しんでるな!? そっちがその気なら私だって、私だって……! な、なんにもできないけど、告白くらいはしてみせるんだから! 見てろ!
心の中でだけ宣戦布告して、エリクのことをキッと睨みつけるように見つめる。
もう詰まったりしない。
思いを伝えきろうと、無意味に考えたりもしない。これから何度だって、気持ちを伝える機会はあるんだから。
今はただ、シンプルな言葉でいい。
すぅ、と息を吸う。
「――ずっとっ! エリクのことが好きだった! これまでも、これからも!」
エリクの告白を真似たような、そんな告白。
それでも気持ちは、ちゃんと伝わったようだった。
「……うん、僕も、セレネのことが好きだよ」
ふわっと、心底幸せそうに笑って。
エリクは私を抱きしめ――ようとしてきたのを、私は全力で回避した。ばっと俊敏に動いた私に、中途半端な体勢になったエリクがじと目を向けてくる。
「……セレネ?」
「ひゃっ、な、なに!?」
「なんで避けたの?」
「いきなりそういうのは無理!」
「ディアナとはあんなにしょっちゅうしてるのに?」
「姉様とエリクは違うじゃん!!」
ふーん、とどことなく拗ねたように相槌を打ったエリクは、これ見よがしにため息をついた。
「勘違いだって言われたとき、すごい悲しかったな」
「うっ」
「僕じゃ駄目なのに、ディアナの話だったら納得するんだよね。やっぱりセレネにとっての特別はディアナだけなのかなぁ」
「わ、わかってるくせにー!」
告白のとき、「昔からディアナと僕だけが君にとっての特別で」って言ってきたのはどこの誰だ! 今のは確かに私も悪かったとは思うけど、そんな、こっちの罪悪感を煽るような言い方しなくても……!
涙目でむすっとしていれば、「うそうそ、ごめんね」と笑われた。
……やられてばかりは面白くない。
何か反撃を、と考え、ふと思い出す。
「……そうだ、ちょっと訊きたいんだけど」
「うん、なに?」
「私の勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、」
「うん」
「……あの腕時計って、私とエリクの色で選んだ?」
エリクが笑顔で固まった。それだけで、あっ、そうなんだ……とわかってしまった。…………そっか。そ、そっかぁ。ふーん、そうなんだ。そっかー。
白いベルトに白い文字盤、そこに埋め込まれた金と青の石。部屋に飾ってあるそれを思い浮かべるとにやけそうになってしまって、慌てて頬の肉を少し噛む。
私がにやけるのを我慢している間に、エリクの顔はどんどん赤く染まっていった。うろ、と小さく視線がさまよって、それから私を見て。
エリクはちょっと首を傾けて、恥ずかしそうに笑った。
「……え、えへ?」
「そうやって可愛さでごまかそうとする!!」
めちゃくちゃ可愛かったし、一応は反撃成功みたいだからごまかされてやるけど!
……あの腕時計、時計屋さんで見てもらっても修理できなかったんだけど、やっぱりどうにかして直してもらうべきかな。いや、意図を知ってしまった今、身につけるのは少し恥ずかしいし、今のまま部屋に飾っておいたほうがいいか? うん、そうしよう。
なんて考えているとどうにも口元が緩んでしまった。咳払いしつつ手で隠そうとすれば、エリクの手が私の手をすっと攫っていく。
「抱きしめるのが駄目なら、こっちね」
恥ずかしそうな表情のまま――まま、ま、ま……
「っな、なにす、」
「んー、セレネがディアナにこうしたって聞いたから」
思わず手を振り払ってしまった私に、いけしゃあしゃあと答えたエリクが何をしたかと言えば、その、あれだ。月に行く前、私が姉様の手の甲にしたのと同じこと。……手の甲にまだエリクの、く、唇の感触が残ってる感じが――ああああ、もうむり、だめ、なんでいきなりこんなことするの!?
思わず両手で顔を覆って、その場にへたり込む。
手の甲にキスとか、耐えられるわけないじゃん……。
「好きだよ、セレネ」
くすくす笑いながら言われて、顔を覆ったまままた唸る。
「……私も! 好きだけど!」
「うん、ありがとう。次のセレネの誕生日には、ちゃんと約束通りキャロットケーキ作るからね。あとマカロンも、練習するから」
穏やかな口調だが、声音は驚くほど真剣だった。
それは、果たすつもりのなかった、約束とも呼べないようなもの。
「……ごめん」
「いいよ、帰ってきてくれたんだから」
「…………キャロットケーキもマカロンも、楽しみにしてる」
「うん、そうして。ふふ、こうやってセレネが素直になってくれるなら、これはこれでよかったかもね?」
それでも二度とごめんだ、と言われた気がした。そう言わないのは、私がこれ以上落ち込まないようにだろう。
エリクにはこれからも敵わないんだろうなぁ、と思って。
ムカつくやら幸せやらでふくざーつな気持ちになったので、腹いせに「ばーか!」と言っておいた。……私も、姉様と少しだけ怒り方が似てるのかもしれないな。




