64 フェリクスさんの告白と一応の前進
「っオレ――ヘルガちゃんのこと、好きなんだ!」
聞いた瞬間、やっぱり、と思った。だってフェリクスさんがこんなに気にする女の子は、ずっとヘルガだけだった。仲良くなりたいと言うばかりだったから、単に友達になりたいという可能性もなくはなかったけど……その可能性はこれで否定された。
今の『好き』には、どう聞いても友情以上のものがこめられていたから。
こそこそと中の様子を窺いにきた姉様が、二人越しに見える。……私は二人から離れた場所へ移動し、姉様に向けて小さく手招きをした。あまり邪魔にならないようにしなければ。
「だから、嫌いになんてなれない。……どんだけヘルガちゃんが嫌われたいって思ってても、無理だよ。だって好きなんだ」
真剣なその顔は、真っ赤に染まっていた。……フェリクスさんのこんな顔、初めて見た。
近寄ってきた姉様の手を握らせていただいて、二人のやりとりをはらはらと見守る。どうか上手くいきますように。ヘルガが、嫌われることを諦めてくれますように。
足を止めたヘルガは、それでもフェリクスさんのほうを振り返らなかった。その表情は、私の位置からでは……フェリクスさんの位置からも、確認することはできない。
「覚えてるかな、最初に会ったときのこと」
ヘルガの足は動かない。言葉も発さない。……どんな顔をしてるんだろう。聞く気になった、ということでいいんだろうか。それとも突然の告白にびっくりして、動けなくなってるだけ? それなら、話の途中で出て行ってしまう、なんてこともあるんだろうか。
どうか最後まで聞いてあげてほしいと、私にはただ願うことしかできなかった。
フェリクスさんが緊張の混じった息を吐く。
「入学式の前、オレすっげぇ体調悪かったんだよね。でも入学初日からそんなカッコ悪ぃこと言ってらんないし、別に我慢できないほどでもなかったから、そのまま式に出ようとしてた」
懐かしそうな目で、彼は語り始める。「そしたら、ヘルガちゃんが気づいてくれた」と、赤い顔のままふっと微笑んだ。
「大丈夫? って今からじゃ考えられないくらい優しい、心配そうな顔で訊いてくれてさ。……正直、オレの顔目当てなのかなってちょっと思っちゃったんだよね。だから大丈夫って笑ったら、ヘルガちゃんに思いっきり顔しかめられた。これでも六人姉弟の長女だから、人の体調には人一倍敏感なのとか、大真面目に言うから……そういうのじゃなかったんだな、って反省した」
「それで、保健室に付き添いまでしてくれたよね。短い距離だったけど、オレが妹とか弟の話聞かせてよってお願いしたら、ちょっと話してくれた。かわいい笑顔でね。その顔見て、家族思いの子なんだなーって思った。……うん、今思えば、きっかけはあそこだったかも」
「自己紹介も忘れてたなって気づいたのは、保健室に着いてからだった。後でちゃんとしようって思いながら、ラウナ先生に名前言ったら――ヘルガちゃん、すっごい青ざめて、そのまま出て行っちゃって。入学式の間ずっと保健室で休んでたけど、なんであんな顔したんだろう? ってヘルガちゃんのことばっかり考えてたんだよ、オレ」
「ちょっと回復したから教室に戻ったら、ちょうど自己紹介タイムで……オレの名前を聞いて、ヘルガちゃんはまた、どうしようって感じの顔してた」
「それからはもう、話しかけても話しかけても、あんな笑顔見せてくれなくなった。……でもヘルガちゃん、オレに嫌いだって言うたび、苦しそうだった。それがわかってたのに話しかけるのやめなかったのは、ほんっとごめんなさい」
「……また、笑ってほしかったんだ。ディアナちゃんとかに向ける笑顔を、オレにも向けてほしかった。だってきっと……ううん。絶対、最初のヘルガちゃんが、ほんとのヘルガちゃんだったでしょ?」
「どんだけ冷たくされても、嫌われてないのはわかってたから無理やり近づこうとした。ヘルガちゃんの優しさにつけ込んでた。……ごめん。でも、見てるとどんどん好きになるし、たまに冷たい顔崩れるのがかわいかったしで、やめられなかった」
「ヘルガちゃんがオレのこと嫌いじゃないのは、今までも知ってたけど。それどころか好きだって言うなら……オレはもう、ヘルガちゃんのこと絶対に諦められない。君の笑顔が見たいんだ」
なめらかに紡がれていた言葉が、一度止まる。
フェリクスさんは少しうつむいて、視線を揺らして。それから顔をあげると、ヘルガに一歩だけ近づいた。その気配を感じたのか、ヘルガが小さく肩をふるわせる。フェリクスさんの告白を受けてから、初めてのはっきりとした反応だった。
近づくことを拒否しているようにも思えるが……しかし、ヘルガはその場に立ったままだ。逃げるつもりはない、らしい。フェリクスさんはほっとした顔で、再び口を開いた。
「さっきも言ったけど、オレ、ヘルガちゃんのこと好きだからさ。……せめて、話すくらいはしてくれたら嬉しいな」
彼はそれっきり、ヘルガの返事を待つかのように黙った。
姉様の手を握っていた手に、思わずぎゅっと力を込めてしまう。……少しでも、フェリクスさんの思いがヘルガに届いていればいいのだけど。
二人しか知らない思い出話は、フェリクスさんの口から聞くだけでも容易に頭の中で想像することができた。だってヘルガは優しいから。フェリクスさん以外には、今までずっと、優しかった。だから彼女にとって、具合の悪そうな初対面のクラスメイトを保健室に連れていく、なんて当然の行為だったんだろう。
名前を聞いて態度を急変させた理由はわからないが……ヘルガは、何か事情があるらしいフェリクスさんの母親のことも知っていた。何かしらの関わりがあったことは確かだ。反応したのは『フェリクス・カアン』という名前か、それとも家名か……。昔どこかでフェリクスさんかその親族と関わりがあって、それがヘルガの頑なな態度の原因になっていたのかもしれない。
沈黙は長かった。その間、ヘルガもフェリクスさんも身動きすらしなかった。
そして。
先に動きを見せたのは――ヘルガだった。
「……なんで、そんなこと言えるのよ」
ようやく彼女は振り向いた。悔いるような、絶望しているような、傷ついているような、そんな顔で。泣いていないのが不思議なくらいだった。
そんな顔で、でも、ハシバミ色のその目はフェリクスさんのことを鋭く射貫く。直接向けられているわけではない私まで、はっとしてしまうほどに。
「わたし、あなたに嫌なことをたくさんしたわ。……たくさん、傷つけた」
なのにどうして? と彼女は訊いた。
「まあ、それは確かにそうだね」
ためらわずうなずいて、だから、と彼は続けた。
「これからはいっぱい喜ばせてほしいな? オレを喜ばせるなんて簡単だよ。ヘルガちゃんがオレの顔見て喋ってくれて、それで笑ってくれたらもう最高! ね、ダメ?」
にっと笑ったその顔は、もう赤くはなかった。照れる段階など通り過ぎたのだろう。彼の声に宿った甘さに、今度はヘルガのほうが赤くなった。
唇を引き結んで、ヘルガは数秒沈黙する。
やがて何かを決心したように、おもむろに口を開く。
「ダメ――」
これでもダメなのか。そう思ったのは私だけじゃなく、フェリクスさんもだったのだろう。顔をこわばらせかけたフェリクスさんに、ヘルガはぷい、とそっぽを向いた。
「って言ったらわたし、ほんとに最低最悪の人間になっちゃうじゃない」
どことなく拗ねた口調だった。
「ああもう……降参するしかないわよ、こんなの。ごめんなさい。今までのこと、許してもらえないかもしれないけど謝らせて。本当にごめんなさい」
背けていた顔をフェリクスさんに向け、ヘルガは真摯に謝罪した。
……それ、って? 内容を理解するまで、少し時間が必要だった。ダメと言ったら、最低最悪の人間になる。えっと、それは、つまり。そうなりたくない、ダメではないということで……フェリクスさんに嫌われることを諦めた、ということ?
真っ先に歓声を上げたのは、私の隣にいた姉様だった。
「わー、ヘルガ! ほんとに!?」
「もうこうするしかないでしょう。……というかディアナ、あなたもぐるだったのね」
「うっ……ご、ごめんね……でもよかった!」
じと目にたじろぎながらも、姉様は心底嬉しそうに笑った。
ようやく呑み込めた私も、姉様の後に続く。
「ほ、本当に良かったです! 騙すようなことをしてすみません!」
「まったくだわ。あとでほっぺたつねらせて」
「はい、いくらでも!」
どうしよう、すごくにやけてしまう。謝っておきながらこんな顔……! ああでも、嬉しい! やっとだ、長かった。ずっと、この二人が上手くいけばいいのにと思ってきたのだ。
喜ぶ姉様と私とは違い、フェリクスさんはいまだに呆けていた。あんなフェイントをかけられたのだし、当人であるフェリクスさんがそうなるのも無理のないことだろう。そろそろ正気に返らせてあげたほうがいいだろうか、と考えているうちに、ヘルガが「それじゃあそういうことで、帰るわね」とすたすた歩き始めた。
「わっ、ま、待って待ってヘルガちゃん!」
ようやくはっとしたフェリクスさんが、その肩を掴んで止める。今度は振り払われなかったし、ヘルガはすぐに振り向いた。
フェリクスさんは、どんな顔をすればいいのかわからない、というような、形容しがたい表情をしている。
「え、あの、あれ? すっげぇオレに都合のいいこと聞こえた気がするんだけど……」
「そう聞こえたならそうなんじゃない?」
ふん、とヘルガは鼻を鳴らす。けれどそんな態度とは裏腹に、その表情は優しいものだった。きっとヘルガも、ずっとフェリクスさんにそんな顔を向けたかったんじゃないか……なんて思ってしまうほどに。彼女の顔を見つめたフェリクスさんは「マジかぁ」とへなへなとしゃがみこんだ。
「ごめ、今オレ超カッコ悪ぃ……ち、力抜けた……」
「あなたのことをかっこいいなんて思ったこと、あんまりないから気にしなくていいわよ」
「あんまり!? ってゆーことは何回かあるんだ!? いきなりのデレ心臓に悪い!」
「……そうやって揚げ足を取ってくるところ、好きじゃないわ」
「図星指されると照れ隠しに悪態ついたり逃げたりするとこ、オレは好きだよ?」
ぐっとヘルガが言葉に詰まる。頬をわずかに染め、ばつが悪そうに視線を逸らしたのを見て、フェリクスさんはにへっと緩みきった笑みを零した。わかります、今のヘルガすごく可愛いですよね。好きな人のこんな顔見たら、そうなっちゃいますよね。
こっそりうんうんうなずいていると、気づいたヘルガがちょっぴり睨んできた。本気ではなさそうだったので、笑顔を返しておく。睨みが強くなった気がした。ごめんなさい……。
「あのね、ヘルガちゃん。もしよければ、さっきセレネちゃんに言ってたようなこと、オレに直接言ってくれたら嬉しいなーって」
立ち上がってにこにことお願いしたフェリクスさんに、ヘルガは眉をひそめた。重苦しいため息をついた後、ほんの少しその表情を和らげる。
「……好きよ、あなたのこと。今までひどい態度を取ってしまって、本当にごめんなさい。でもわけは言いたくないし、これからもつい癖で素っ気なくなることはあると思うの。……それでも、いいかしら」
「いいよ! 全然!」
力一杯うなずくフェリクスさんに、ヘルガは小さく吹き出した。
「あなたも物好きね」
「ヘルガちゃんは優しいし可愛いし、好きになる理由なんていっぱいあるんだよ?」
「そういうところが物好きって言うのよ」
「はは、なんとでも。どう言われたって、オレがヘルガちゃんのこと好きだってゆーのに変わりないからさ」
完全に開き直ってるなぁ、フェリクスさん。あんなに顔を真っ赤にしてたフェリクスさんはいったいどこに行ってしまったのか。
おかしそうに笑って、ヘルガはフェリクスさんに向けてすっと手を差し出した。おそらく握手のためだろう。フェリクスさんはそれに応じようとし――
「……ありがとう。友人として、これからはよろしくね、フェリクス」
続いた言葉に、ぴしりと固まった。
時が止まった気がした。
微笑んだヘルガだけが、私たちの反応に首をかしげる。不安げに私たちを窺ってきて、「やっぱりそんなの許されないかしら……?」「厚顔無恥だったわ、ごめんなさい」なんて謝り始めた。
「い、いや、そういうこと、じゃないんだけど……」
徐々に理解したのだろう、フェリクスさんは情けなく眉を下げて顔を覆った。
「あー、うーん、そっか、好きってそっち、そっちか。うっわハズ……オレ思いっきり……あー!」
いきなり大きな声を出した彼に、ヘルガが目を瞬く。
「初めてフルネームじゃなく呼んでくれたのは嬉しいんだけど、めっっちゃ嬉しいんだけど! 素直に喜べない!」
て、てっきり私も、そういう意味の『好き』かと思っていたんだけど……違ったのか? え、でも今までのフェリクスさんとのやりとりを見る感じ、確実に恋愛感情込みだよね? でもそうだとすると、どうしてこんなことを言うのかがわからない。
二人は両思い、じゃないの?
呻いていたフェリクスさんは、ヘルガのことを恨めしげに見やった。
「ヘルガちゃんの小悪魔……」
「……なんのこと?」
え、と三人一緒に声を上げてしまった。胡乱げに首をかしげるヘルガは、フェリクスさんの言葉の意味が本気でわかっていないようで。
……もしかして、告白されたことも理解してないんじゃ? なんてことが頭をよぎる。
流石にそれはないか、と思ったものの、ヘルガの顔を見るに本当にわかっていないようだった。
な、なんで!? と思わず叫びたくなった。
フェリクスさん、今確かにヘルガのこと好きだって言ったよね!? あの語りの流れで、君の笑顔が見たいんだとまで言われて、それでわからないとかある!? 自分のことに関してだけ絶望的に鈍感、なんだろうか。私の中の恋愛鈍感筆頭である姉様すら、隣で言葉を失っているというのに。
「あー……はは、ははは……まあ、今は友達でいいや。よろしく、ヘルガちゃん」
「その言い方は納得がいかないけれど、ええ」
乾いた笑いを漏らすフェリクスさんに、ヘルガは不承不承といった様子でうなずく。
「えっと、ヘルガ? フェリクスくんは」
「いーよ、言わなくて。だんだんわかってもらえばいいんだし。友達認定してくれるだけでも大進歩だと思わない?」
「そ、それはそうだけど……でも本当にいいの?」
おずおずと尋ねた姉様に、フェリクスさんは「いいんだよ」とうなずいた。強がっているようには見えなかった。……まあたぶん、勝ち戦のようなものだろうし。焦らずじっくり近づいていったほうがいい、と考えたのかもしれない。
「ねえ、さっきからなんの話してるの? ……わたしが何かしちゃったなら、教えてほしいんだけど」
「大丈夫、いずれわかることだから」
「それなら今教えてもらっても同じじゃない?」
「こーゆうのはタイミングってものがあるんですー」
むっとしたヘルガは、聞き出すことはしぶしぶ断念したようだった。反撃の糸口を探すように視線をわずかに上に向け、それから「そうだ」とどことなく得意げに口を開く。
「わたし、あなたの書く物語、結構好きよ」
「……え、うわ、ちょっ、ま、な、」
「ふふふ、さて、なんででしょう。いずれわかる……こともあるかもしれないわね」
そう悪戯っぽく笑った彼女は、なんだか子どものようで愛らしかった。
そんなふうに、一応二人のことが丸く収まったその日の夜は、満月だった。ヘルガたちの問題が解決したし、なんだかいつもよりすっきりした気持ちでルナ様と会えそう……と、思っていたのだが。
いくら待っても、庭園のいつもの椅子にルナ様が座ることはなかった。
ルナ様が満月の夜に現れないのは、初めてのことで。
――そしてその日の満月は、少し怖いくらいに美しかった。
* * *
ルナ様のことが心配でも、ルナ様が自ら会いにきてくださるのを待つしかない。会えるのも満月の夜だけだし、私たちには、次の満月の日に説明してくださるのを願うことしかできないのだ。
不安はあったが、あまり心配しすぎてもルナ様に怒られてしまう。頭の片隅には置いておきつつ、私は翌日、ヘルガに関することの顛末をテランス君に報告することにした。相談というには一方的すぎる話を聞いてくれたのだから、結果を知らせるくらいはしたかった。
「……随分と嬉しそうだな」
最後まで聞いてくれたテランス君が初めに言ったのは、そんなことだった。
う、と思わず頬に手を当ててしまう。……またにやけている自覚はあった。一夜明けたというのに、しかも気がかりなことがあったというのにはしゃぎすぎかもしれないが、それほど嬉しかったのだから仕方ない。
気まずさをごまかすために咳払いを一回。そして今度はちゃんとテランス君の顔を見て……びっくりしてしまった。とても柔らかく、微笑んでいたのだ。これほど柔らかい表情は、友達になってからも滅多に見られていないレアなものだ。今までで一番、レベルかもしれない。
……私が嬉しそうだから、かな。自惚れかもしれないがそう思ってしまって、勝手に少し照れてしまった。いや、うん、ヘルガたちの結末に対しての表情、というほうが可能性としては高いんだろうけど!
「……テランス君も、喜んでくださるんですね」
「喜ぶ?」
「お気づきではありませんでしたか? 今、とても柔らかい表情で笑ってらっしゃいますよ」
指摘してみれば、どこかぽかんとしたように目を瞬くテランス君。しだいに、その眉間には皺が寄っていった。どうも本当に気づいていなかったらしい、と思わず小さく笑ってしまった。
「気のせいだろう」
「ふふ、そうですね、気のせいだったようです」
むっすりするテランス君に、こらえきれず声を上げて笑う。文句は言われなかった。
さっきの表情が消えてしまったのは残念だが、これからもっとああいう顔が見られるようになったらいいな、と思う。
「私が嬉しそうだったからテランス君も嬉しく思ってくださった……という解釈をしてもいいでしょうか?」
調子に乗ってそう訊くと、更に眉間の皺を深くし、テランス君はため息をついた。
「友人とは、そういうものだろう」
「……ええ。そうですね!」
相手が嬉しそうにしていたら、自分も嬉しい。そうやって感情を共有できるのが友達というものだ。テランス君がそう認識していた、ということ自体が嬉しい。
にこにこしていれば、テランス君がまた少し笑ってくれた気がした。




