63 強引な作戦とヘルガの本音
冬休みが明けてから二週間ほどが経った。
毎日増える魔力をどうにかコントロールし、魔法学や魔法実技の授業を内心戦々恐々でこなし……という日々を送っている。もう今年度は学院での大きな行事がないから、基本的に穏やかなものだ。セルジュ先生も徐々に今までの調子を取り戻し始めていて、姉様が嬉しそうにしている。
……魔法学の授業の後ふらついてしまって、テランス君に「最近ずっと体調が悪そうだが、無理をしすぎなんじゃないか(意訳)」と心配されてひやっとしたりもしたけど、まあそれくらいなら問題というほどのことでもないだろう。
そして、問題、と呼ぶべきものなら、現在進行形で起きているのだった。
「……いい加減、しつこいわ。そろそろわたしに愛想を尽かしてもいいころじゃないかしら?」
きっ、とヘルガが睨みつける先にいるのは、当然というかなんというか、フェリクスさんである。
姉様に視線を向ければ、姉様も私のことを見ていた。たぶん、私たちは今似たような顔をしているだろう。どうしよう、と心底困った顔。
冬休み前に決心したとおり、私ももうそろそろ、この二人をどうにかするために行動に出ようと思っていた。お互いがお互いを気にしていることは明らかだったし、フェリクスさんに冷たくした後のヘルガが、だんだん泣きそうな雰囲気になってきたから。
二人の様子を窺うため、このところの昼休みはマリーちゃんたちとよりもCクラスで過ごすことのほうが増えていたのだが……まさかこんなことになるとは。
睨まれたフェリクスさんはといえば、顔を引きつらせつつも、なんとかへらりと笑ってみせた。
「これくらいで嫌いになるわけないでしょ。嫌われたいなら、もっとオレを傷つけるようなことしてみてよ」
「……わたしは、あなたのことが大嫌いよ」
「うん、まあ確かに傷つくけど、嘘だって知ってるしなー?」
「そうやって積極的に嘘をつく相手を、どうしてあなたが嫌いにならないのよ」
いらついた声で言うヘルガに、フェリクスさんが「あっ」と嬉しそうな表情をした。
「認めたね?」
「……何を」
「大嫌い、っていうのが嘘だって。完全にそう取れること言ったの、今が初めてって気づいてる?」
はっと息を呑んで、ヘルガは視線をさまよわせた。徐々にその顔は赤くなっていく。図星を指された、と白状しているようなものだった。……ヘルガについにボロが出た、と二人のやりとりを固唾を呑んで見守る。
さて、ヘルガはどう答えるのか。
数秒の沈黙の後、ヘルガは急に立ち上がった。
「……用事を思い出したから失礼するわ!」
「え、ヘルガちゃん、」
「用事を! 思い出したの!」
弁当箱もそのままにして、教室の外へとものすごい速さで走っていく。
……こ、ここで逃げるかぁ。思わず机に頭を打ちつけたくなってしまった。私は今、見守るんじゃなくてヘルガの逃亡を防ぐべきだったのだ。姉様も私もぽかんとしてしまったのが、今回の敗因だった。
はーー、と長いため息をついてしまったフェリクスさんに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ヘルガを止められずすみません……」
「わ、私も……ごめんね、フェリクスくん」
「んーん、今のはヘルガちゃん追い詰めたオレが悪かったから。あー、そうだよなぁ、ああやったら逃げるよな、ちくしょう……」
後半はほぼ独り言だった。
ヘルガはたぶん、本鈴が鳴るぎりぎりまで戻ってこないつもりだろう。そしてしばらくは、フェリクスさんのことを徹底的に避けるにちがいない。昼休みも、どこか別の場所で過ごすようになるかもしれない。
……とはいえ。
今までもわかりきっていたことだったが、ヘルガはフェリクスさんのことが好きだ、ということがこれで確定した。ヘルガ自身が認めた、というのが大きな収穫だった。大嫌いが嘘である、イコール好きということにはならないだろうが、そこは都合良く解釈しておく。
「……フェリクスさん、すみません。以前手出しをしないことを約束してしまいましたが……もう我慢できません」
「ちょ、我慢してて! もうちょっとでどうにかなる気がするから!」
「いつのまにそんな約束してたの、って感じだけど、私ももう無理だな。今日中にどうにかするべきだよ!」
「ディアナちゃんまで……ってゆーか今日中!? なんでそんな急ぐの!?」
あわあわするフェリクスさんに、姉様と私は顔を見合わせる。だってね……という顔の姉様に、うなずき返す。
ここは言わせてもらおう。
「フェリクスさん」
名前を呼べば、なーに、と疲れた声が返ってくる。
「冬休みを挟んだとはいえ、フェリクスさんがヘルガに距離を置こうと言ってからもうすぐ二ヶ月です。私があまりこちらのクラスで過ごせていないからかもしれませんが、その二ヶ月の間、フェリクスさんはヘルガに話しかけて冷たくされて引き下がる……ということの繰り返ししかしていないように見えます。どうお考えですか」
「うわっ、キビシー……事実だからこそ心にくる……」
「あっ、すみません」
「急に冷静になって謝るのやめて? 更にぐさってくるんだけど」
ははは、とフェリクスさんは乾いた笑いを漏らした。……ご、ごめんなさい。ちょっと頭に血が上っていたというか。
こほんと咳払いをしてから、「ま、まあそういうわけで」と続ける。
「協力させていただきたいな、と思うんです」
「私ももちろん協力するよ!」
意気込む私たちの顔を見比べて、フェリクスさんは諦めたように額に手を当てた。
「…………よろしくお願いします、って言うしかないかなぁ、もう」
よし、許可はもぎ取った。正しく『もぎ取った』という表現がふさわしい強引さだが、それはその、大目に見てもらいたい。
「それでは姉様、作戦を立てましょう」
「おー!」
「あれ、もしかしてオレは仲間はずれな感じ?」
「あ、いえ、フェリクスさんも遠慮なく意見を出してください」
クラスメイトに聞かれるのもあまりよくないだろう、ということで三人でひそひそ声で話し出す。
今までとは違って、ヘルガがフェリクスさんのことを嫌っていないということが本人の口から肯定されている。ついに引き出せたボロをつつかない手はない。たぶんフェリクスさんには絶対にこれ以上言わないだろうが、姉様か私なら、もっとはっきりと本音を引き出せる可能性がある。そのために、ヘルガに動揺が残っている今日攻めるしかないのだ。
そしてその本音を、フェリクスさんには隠れて聞いてもらう。ヘルガに言い逃れさせないように。……騙すも同然の行為だ。後でものすごく怒られるだろうなぁ……。
「私とセレネ、どっちがいいかな?」
「セレネちゃんじゃない? ディアナちゃんすぐ表情に出そうなイメージ」
「なるほど、確かにそうですね……では私が行きます」
「え、私も聞きたかった……。フェリクスくん、聞いてる間私が隣にいても平気?」
「もっちろん。ってオレが言うことじゃないけどね」
「場所は……どうしましょうか。フェリクスさんも姉様も隠れていられるようなところですよね」
「空き教室の掃除道具入れの中とか! 二人で入るのは狭いかな?」
「それやったらオレが怒られるやつ」
「エリクも私も怒りますね、それ」
なんてやりとりをしつつ、一応の作戦ができあがった。作戦といえるほど大それたものでもないけど。
まずは私が、放課後ヘルガを呼び出す。ヘルガは六人姉弟の長女だし、家に帰ってやることも多いだろうが、どうしてもと頼み込めば大丈夫なはずだ。しかし私はCクラスではない。六時間目が終わってすぐに帰られてしまったら困るから、私からの呼び出しは姉様から伝えていただく。
呼び出す場所は、小さな講義室。校舎の端のほうにあるいくつかの講義室は、放課後は人が寄りつかない。姉様とフェリクスさんには隣の講義室にいてもらい、風魔法で私たちがいる講義室の音を拾ってもらう。そのくらいの魔法なら、魔力を察知されることもない。たとえされたとしても、隣の講義室で何かしてるんだな、と思われるくらいだ。
そしてヘルガの本心を聞き出し終わったところで、フェリクスさんと姉様が突入。そこからは……少し不安だが、フェリクスさんにお任せすることにした。
「ヘルガ、怒るかなぁ」
「怒るでしょうね、確実に」
「うぅ……後でいっぱい謝ろう」
しょぼんとする姉様の頭を、よしよしとなでる。この作戦の立案者は主に私だ。ヘルガは姉様には甘いし、私がかばえば姉様には怒りは向かないかもしれない。……作戦が上手くいかなかったら、怒られるだけでなく嫌われてしまうかもしれないが。
わ、私も不安になってきた。しかし一番不安なのは、当事者であるフェリクスさんだろう。私が不安を見せるわけにはいかない。
「フェリクスさん、頑張ってくださいね」
私たちがこれからもヘルガと友達でいられるかは、フェリクスさんにかかっている。とはいえプレッシャーはできるだけ減らしたいので、応援の言葉だけに留めておいた。
うん、とうなずいたフェリクスさんは「ほんとありがとう」と笑顔を浮かべた。
「二人がこんなに一生懸命考えてくれたんだから、成功させなきゃ男が廃る、ってもんだよね」
「その調子だよ、フェリクスくん!」
話が一段落したところで、私は自分の教室に戻ることにした。予鈴が鳴るまであと数分あるが、早めに戻るに越したことはない。
二人に挨拶してから、Cクラスの教室を出る。左右をきょろきょろ確認してみたが、ヘルガの姿はなかった。……やっぱり本鈴ぎりぎりに帰ってくるつもりなんだろうな。
ヘルガが冷静になりすぎていませんように、と少しひどいことを願いながら足を進める。
この作戦、絶対に成功させたい。
* * *
六時間目が終わって、私は即座に講義室へ向かった。マリーちゃんたちやテランス君に「また明日!」と慌ただしくも一応挨拶したのだが、声が届いていたかは自信がない。明日はちゃんと挨拶しよう。
ほぼ走っているような歩き方だったからか、講義室にはヘルガより先に着いた。
乱れた息を整えるため、そして緊張を和らげるために深呼吸をする。ヘルガはたぶん渋るだろうから、あと五分くらいは待つことになるだろう。
なんて思っていたら、予想に反してすぐにドアが開いた。
「……ヘ、ヘルガ、来てくださってありがとうございます」
やばい、不意をつかれた。声が裏返りそうになったことに、はたして気づいているのかいないのか……ヘルガは真顔で、中に入ってきた。
「……あまり、長居はできないのだけど。話って何かしら?」
隣の講義室からも、ドアの開閉音が聞こえる。どうやらフェリクスさんたちも来たらしい。幸い、ヘルガがその音に何か異変を感じた様子はなかった。
私の前で立ち止まったヘルガの顔を、じっと見つめる。
五、六時間目の授業の間、ずっとどうやって話し始めようか考えていた。色々考えて――結局、直球が一番ヘルガも動揺するだろう、という結論を出した。
「ヘルガがフェリクスさんをどう思っているのか、もう一度だけ聞きたかったんです」
「……あなたには今まで、結構話してきたつもりよ? ディアナよりも知っているでしょう」
「ええ、そうですね。何をすれば嫌われるか知っているのに、どうしてもできないのだと言っていたことも」
以前の話を持ち出せば、ヘルガははっと息を呑む。
「……っ聞こえないふり、してくれたなら貫いてくれればいいのに」
「すみません、なりふり構っていられなくなったというか。今日のヘルガを見て、本当にどうにかしたいと思ったんです」
「それはありがとう、でも気にしないでほしいの。これはわたしとあいつの問題なんだから」
「これ以上、ヘルガに自分が傷つくような嘘をついてほしくありません」
「……傷ついてなんかないわ」
ぽつりと吐かれたその言葉は、どう聞いても嘘だった。
私はヘルガに近づいて、彼女の右手を両手で包むように取った。冷え切った体温が伝わってくる。単にヘルガが冷え性なだけか……緊張、しているのか。
「聞かせてくれる、だけでいいんです。ヘルガの本音を」
「……聞いたところでどうするの? わたしはあなたに何を言われたって、あいつと仲良くするつもりなんてないわ」
「それでも、お願いします」
ヘルガの目をまっすぐ見つめる。少し怯んだような雰囲気に、いい感じに動揺させられているんじゃないか、と内心小さくガッツポーズを決める。……ごめんなさいヘルガ、後でどんな非難も受けますので。
見つめ続ければ、ヘルガははあ、と重いため息をついた。
「あいつに伝えないって約束するなら、話すわ」
「ええ、約束します」
私が伝えるわけじゃない。ヘルガの言葉を、フェリクスさんが直接聞くだけだ。……だから嘘ではない。一応、一応、約束を破るわけではないのだ……!
そう自分に言い聞かせなければ、罪悪感が顔に出てしまいそうだった。こんな間近で、そんな感情を表情に出すわけにはいかない。
座っていい? と尋ねられたのでもちろんとうなずき、私も座ることにする。ヘルガが座った席の前に、椅子を反転させて座る。
「……知ってのとおり、わたしはあいつ――フェリクス・カアンに嫌われたいの」
ぽつぽつと、彼女は語っていく。
「言ったわよね、ああいうチャラチャラした人、嫌いだって。ヘルガちゃんとか呼ばれるのも、馴れ馴れしくて無理。可愛いってうっとうしいくらい言ってくるし、ほんっと勘弁してほしかったわ」
「体育祭ではお姫様抱っことかしてくるし。穏健だとはいえファンクラブまであるのに、考えなしよね。そういうところも嫌い。ファンクラブの子に絡まれかけたとき守ってくれたけど、元はといえばあいつのまいた種でしょ。……裏でもなんかやってくれてたみたいだけど、まあ、それくらいやって……当然よ。迷惑かけられたんだから、わたし」
「誕生日にお米なんてくれたのも嫌い。女子の扱い慣れてるはずなのに、なんでお米なのよ。美味しかったけど。家族も喜んでくれたけど! そういう、わたしのこと見透かしてます、みたいなところも気にくわないわ! 食べものを粗末にするわけにはいかないし、受け取らざるを得なかったじゃない、あれ。卑怯よ。嫌いだわ」
「嫌いよ、大っ嫌い」
「……嫌いだった、はずなの。だって嫌いな要素の塊みたいな奴なのよ? 好きになれるはずない。関わりたくもなかった。なのにあいつ、どれだけ嫌な態度取っても……離れて、いかないし」
「わたし、散々悩んだのよ。いくら嫌われたいからって、あいつを本当に傷つけることを言っていいのかって。……言っていい、わけがなかったんだけど。最低だって罵られることだって覚悟してたのに、あいつ、全然変わらないじゃない。いくらなんでも優しすぎるでしょう。馬鹿だわ、あいつ」
「もうこれ以上、何をしたらいいのかわからないわ。なんで諦めてくれないのかも全然わからない。諦めてくれたら、わたしだって……あんな態度、取らなくてもいいのに」
「それでも、どうしても嫌われたいの。本音って言われても、やっぱりそれだけだわ」
私は、黙って彼女の話に耳を傾けた。だんだんと涙が混じっていくその声を、フェリクスさんたちはどう思って聞いているだろうか。
……これだけでも十分、彼女の気持ちはフェリクスさんに伝わっているだろうけど。あと一歩、足りない。
「ヘルガ。ヘルガがフェリクスさんに嫌われたがっている理由を、まだ聞いていません」
ぴく、とヘルガの肩が揺れる。意図してそこを話さなかったのだろう。
視線をさまよわせ、結局諦めたように口を開いた。ここまで話せば、もうなんでも一緒だと思ったのかもしれない。
「……嫌われたら、」
震えた声。
「だって、嫌われたら……好きって気持ちも、消せるかもしれないでしょう。わたし、あの人のこと好きになりたくない……っていうのは違うわね。もう好きだから。好きでいたくない、って言うのが正しいか。……悔しいけど、認めたくなかったけど――好きなのよね」
ヘルガがそこまで言い切ったところで、隣の部屋で人の動く気配がした。そしてドアが勢いよく開けられる音が一回。もう一瞬後には、この講義室のドアが開けられていた。
音に驚いたのかびくりとしたヘルガは、ドアの方を見て目を見開いた。呆然としている彼女に、フェリクスさんがつかつかと近づいていく。
「ヘルガちゃん」
その声に我に返って、ヘルガは恨めしげに私を見てきた。こんなタイミングよくフェリクスさんが通りかかるなんてこと、普通はありえない。私が謀ったということがわかったのだろう。
謝罪は後でいくらでもする。けれど今は何も言えなくて、代わりにそっと目を伏せれば、ヘルガが立ち上がる気配がした。
「待って、ヘルガちゃん」
歩き出そうとしたヘルガの肩を、フェリクスが焦り顔でつかむ。
「どこから聞いてたのか知らないけど、悪趣味ね。あなたと話すことなんて何もないわ」
「それはほんとにごめん! でも話したい、行かないで、オレの話聞いて」
「しつこい」
ぱしり、と乾いた音が響いた。ヘルガがフェリクスさんの手を払い落とした音だった。
悲しそうな表情で硬直したフェリクスさんに、ヘルガのほうが傷ついたような顔をする。口を開いて、けれど何も言わずにゆっくりと歩き出した。口の形的に、ごめんなさい、と謝ろうとしたのかもしれない。
「っオレ――ヘルガちゃんのこと、好きなんだ!」
ヘルガの足が、止まった。




