49 テランス君との会話とヘルガの気持ち
「そういえばテランス君、夏休み前の魔法実技の課題はなんでしたか?」
テランス君と友達になってから約一ヶ月、私たちは色々と話すようになっていた。もともと席は前後だから、授業と授業の間の短い休み時間にも話しやすいのだ。私のほうから話を振れば、テランス君は案外たくさん話してくれる。
私のとても今更な問いに、テランス君はやや顔をしかめた。……私と同じく、あまり思い出したくない記憶なのだろうか。
「龍の鱗を一枚以上とってくることだった」
「龍? ドラゴンではなく?」
「ああ、龍だ」
ドラゴンもそうそう見つからない魔物だが、龍となると更に話を聞かない。おそらくは、龍の巣にでも繋がっている転移石を渡されたのだろうけど……。
だとしても、危険じゃないか?
確かにテランス君のグループは、三年生が二人、二年生が二人、そして一年生がテランス君一人という構成で、私たちのグループに比べれば実践に慣れている人が多い。とはいえ、生徒にやらせる課題ではないだろう。龍については本で少し読んだ程度の知識しかないが、とても賢く、とても強く、そして人嫌いだったはずだ。
「とある条件の下、学院に協力をしているらしく、話は通じたんだ。戦闘開始から三分、誰か一人でも立っていたら鱗をやる、と言われた。三分程度なら、と思ったのだが」
心なしか、テランス君のこげ茶の耳が垂れ気味になる。
「……セレネは『逆鱗』というものを知っているか」
渋面したテランス君の言葉で、ああ、と察してしまった。
逆鱗とは、龍のあごの下に一枚だけ逆さに生えている鱗のこと。龍はそこに触れられると激昂し、手をつけられなくなる。おそらく、誰かが偶然そこに何かしらの衝撃を与えてしまったのだろう。
けれどそれなら、本当に危険だったはずだ。夏休み前の課題で重傷・重体者が出たというのは聞かなかったから、大丈夫だったんだろうけど……どう解決したんだろうか。
「悔しいことに、龍はかなり手加減をしていた。俺様はもちろん、それでも気を抜かなかったが、先輩の一人が腑抜けた魔法を使ってな。……それが偶然逆鱗に当たって、気づいた瞬間には身代わり石が砕け散っていた」
「ひっ……な、なぜ大丈夫だったんですかそれで!?」
「リーダーが即座に転移石を使ったんだ。結局普段と似たような、別の課題をこなした」
な、なんて運の悪い……。リーダーさん、ナイス判断だ。リーダーを決めるか決めないかは各グループの判断に任せられているが、テランス君のグループはきちんと決めていたということだろう。たぶん、リーダーだという意識を持っていたからこそ、すぐに行動ができたのだ。
テランス君が無事だったのは、こうして今話していることからも明らかだが、それでもほっと胸をなでおろす。
「しかし、納得しました。魔法コンクールのとき、どうしてドラゴンではなく龍なのか、と思ったんですよね。もしかして、その龍をモデルにしましたか?」
テランス君は不本意そうな顔でうなずく。負けず嫌いな彼のことだ、きっと本来の課題が未達成という事実は心の中でくすぶっているだろうし、その原因である龍をモデルにする、というのも嫌だったのだろう。
けれど、綺麗だと思ってしまったんだろうな、と思う。あの炎の龍も、最後に使った水の龍も、とても美しかった。魔法で表現せずにはいられなかったのだろう。
「……いつかまた、龍に再挑戦できるといいですね」
テランス君は垂れていた耳をぐっと上げる。そして、柔らかく笑って「ああ」とうなずいた。……と同時に、教室の端から小さく黄色い悲鳴が聞こえた。
そーっとそちらに目を向けると、こちらをガン見していたエルザちゃんとニーナちゃんが勢いよく顔を背けた。この二人、二人三脚のペア決めのときに、テランス様とペアになりたいからジャンケンで決めよう、と言い出したあの二人だ。
そうなんだよね……。私がテランス君と友達になったと知って、一番大きな反応をしたのがエルザちゃんとニーナちゃんなのだ。この状況を随分と羨ましがられている。テランス様の色んな表情が見れる、と感謝もされたけど。
「……あの二人、いつも変な声を上げていないか?」
「はは……」
テランス君の隠れファンはそれなりにいる。あの二人が極めてあからさまなだけで、私とテランス君のやり取りをこっそり見てくる子は多いのだ。
まあ、そういうのは一切テランス君に伝わっていないわけだが。
友達になってわかったことだが、テランス君は他人の感情に疎い。ありていに言ってしまえば、つまりは鈍感ということなのだった。
「まあいい。それで、お前はどうだったんだ」
「どう、とは?」
「夏休み前の課題の話だ」
「うっ……いや、その、お話できるようなことは、特には、ないです、ね?」
そろーっと視線を逸らせば、ほう、とじと目で見られた。
「あ、ほら、もう先生がいらっしゃいましたよ! 次の授業の準備をしましょう!」
「……」
「……ま、また今度、お話しますので……」
そんなふうに見られてしまっては、話さないわけにもいかない。話題に出したのは私からなんだし。
しぼり出すように言った私に、テランス君は満足げにうなずいたのだった。
* * *
さて、昼休み。お弁当を食べ終わってから、私は姉様とヘルガと一緒に図書室に来た。今日は不思議さんが図書当番らしく、それを聞いた姉様が、不思議さんとゆっくりお話したいと言ったから。私も何か本を読みたいと思っていたので、ついてくることにした。ヘルガも「それならわたしも行くわ」ということで。
図書室のドアを開けると、もう見慣れた猫がすぐそこで丸まって寝ていた。
「か、かわいい!」
姉様がキラキラとした顔でしゃがみこむ。そうっとその頭に手を伸ばすのを見て、そういえばこの猫、不思議さんが凶暴だと言っていなかったっけ、と思い出す。
「姉様、あまり不用意になでるのは危険では……!」
慌てて声をかけるも、姉様の手はすでに猫の頭に到達していた。「へ?」と首をかしげた姉様は、あ、という顔で手を引っ込める。姉様も思い出したらしい。
睡眠を邪魔された猫はうっすらと目を開け、それから顔を隠すように更に丸くなってしまった。よかった、怒らなかった……。あー、とちょっぴり残念そうに眉を下げた姉様は、気を取り直したように立ち上がり、受付のほうへ視線を向ける。
私たちに気づいた不思議さんが、手を軽く上げた。それに対して姉様はぺこりとお辞儀をすると、「お話してくるね!」と小声で言って、早足で不思議さんのもとへ向かう。そしてすぐに、和やかに会話を始めた。
……もうすっかり仲良しだなぁ。
二人の様子を横目に、おすすめ本コーナーへ向かう。どうしようかな。久しぶりにミステリーとか読みたいかも。
この世界のミステリーや推理小説には、普通に魔法も登場する。ほぼなんでもありということになるので、果たして物語として成立するのか、と疑問に思うかもしれないけど、一応大丈夫なんだよね。DNA鑑定の魔力版のようなものがあるから。魔法を使った犯罪の場合、それをどう潜り抜けるかが鍵になる、かな。ミステリーは普段それほど読まないから、自信を持っては言えないなぁ。
とはいえやっぱり、密室なんかはありえないものになってしまうんだけど。
本棚の本のタイトルや装丁を一通り眺めて、一冊取り出してみる。全体的に綺麗な青色でまとめられた表紙で、『鏡の中の小さな鍵』というタイトルだった。最初のほうのページを試しに読んでみると、初っ端から事件。……ミステリーかな?
装丁が好きだし、そのうえミステリーとくれば今日の気分にも合う。うん、これにしてみよう。
貸出手続きをしてもらう前に、図書室で少し読んでしまうことにして、すでに本を読み始めていたヘルガの隣に座る。
彼女が読んでいる本をちらりと確認して、思わず「あ」と小さく声が漏れてしまった。
「……どうかした?」
「あ、いえ。その本、私も以前読んだんです」
ヘルガが読んでいたのは、アンクリス・フェカ作の『桜の妖精』だった。入学してから初めて読んだ本で、ちょっと記憶が薄れてしまっているが、好みの本だったことは間違いない。
だから、ヘルガが読んでいるのを見てなんだか嬉しくなってしまった。ヘルガも気に入ってくれると更に嬉しいんだけど。
少しテンションが上がった私に対し、ヘルガは変な顔で黙り込んだ。
……あ、あれ、そんな顔をされること言ったかな。
「……面白かった?」
「へ? そうですね、すごく好みでした。同じ作者さんの『終焉の勇者』もおすすめです、よ?」
控えめにおすすめしてみると、ヘルガは思いきり顔をしかめる。しかし、私に悪いと思ったのかすぐに表情を取り繕うと、小さくため息をついて眉間のしわを指でこすった。
「ごめんなさい。あなたが好きだっていう本にこんな反応しちゃって」
「いえ……面白くないですか?」
「面白いからこんな顔をしているの」
よくわからない答えが返ってきた。
面白いから顔をしかめる……? 笑うのをこらえて、とかだったらまあわかるが、そういうコメディ的面白さはなかったはずだ。
「……なんだったかしら、さっき言ってた、ええっと、なんとかの勇者」
「『終焉の勇者』ですか?」
「そう、それ。それも、面白かった? わたしはまだ読んでいないんだけど」
「面白かったですよ。おすすめしたくらいですしね」
少しの沈黙の後、「そうだったわね」と力ない返事。
そして、またため息をついて本をぱたんと閉じた。
「アンクリス・フェカ。昔から思っていたけど、その名前どうにかならなかったのかしら」
「……それほどおかしな名前には感じませんが」
「まあ、それほどはね」
今の会話の何かが引っかかった。……なんだろう、確かに違和感があったんだけど。
私が考え込んでいる間に、ヘルガは「この本、借りてくるわね」と受付のほうに向かっていった。顔をしかめていた割に、きちんと借りて読む気はあるらしい。あ、どうせなら私も今借りてきちゃおう。
ヘルガを追いかけていくと、姉様と不思議さんはぴたりと話すのをやめた。図書当番の仕事のため、と思えなくもないが、明らかに私が近づいたのに気づいて会話をやめたように見えた。
え、なに……!? わ、私の勘違いだろうか。勘違いであってほしい。だってそんなの、仲間はずれみたいで寂しい……。
「エマール先輩、貸出をお願いします」
「……私もお願いします」
自分の貸出カードにタイトルと日にちを書いて差し出すと、不思議さんはこくりとうなずいてそれを受け取った。そしてなぜか、じいっと私の顔を見つめる。
「なんですか……?」
「……なんでもない」
「そ、そうだよセレネ、なんでもないよ」
姉様、目が泳いでいますが!? やっぱり何か隠してるんですね!?
すっごくすっごく気になるが、姉様が訊いてほしくないのなら仕方ない。ちょっと落ち込みはしてしまうが、仕方ない。うん、仕方ない……。
そうですか、と平静を装って言えば、「う、ごめんね……」と姉様がしょんぼりと謝ってくる。
「あのね、ほんとになんでもないからね! 気にしないで!」
「……はい、なんでもないんですね」
「えっと、えっと、うん、ごめん……」
謝っては誤魔化した意味がなくなってしまうと思うのですが……。
隠し事ができない姉様が可愛くて、なんだかもう、隠し事をされたことは気にならなくなった。姉様が私のひどい意味での隠し事をするわけがないし、何かサプライズを考えているのかもしれない。なんのためかはわからないけど。
だとしたら、気づかないふりをするのが正しい。
「わかりました」
微笑めば、姉様はまた謝って、それからほっとした顔をした。
貸出手続きを終えた本を不思議さんからもらい、席に戻る。ちらっと二人のほうを見れば、気のせいか先ほどよりもこそこそと話しているように見えた。……むぅ。
「気になるの?」
ヘルガにくすりと笑われてしまった。
「……気になりますよ。でも何かサプライズをしたいんでしょうし、気にしていないふりをしなくてはいけません」
「そうね……。うん、でも楽しみにしていていいと思うわ」
「ヘルガは何か聞いているんですか?」
「聞いていないけれど、なんとなく想像はつくもの」
……それはなんだか、ちょっと悔しい。姉様のことで、ヘルガに想像がつくのに私に想像つかないなんて。
ますますむむむ、と難しい顔になる私を、ヘルガはなんとなく楽しそうに見ていた。
「……うん。ありがとうセレネ。ちょっと和んだわ」
「え、どこに和む要素があったんでしょうか。いえ、ヘルガが和めたのならそれでいいんですが……」
「ふふ、やっぱりあなたたち姉妹には敵わない、っていう話なのよ」
そう言ってから、ヘルガはふう、と息を吐いた。ため息というよりは、たぶん深呼吸に近かった。
「セレネは、あいつのことどう思ってる?」
唐突な質問に、目を瞬かせる。……あいつって誰のことだろう? 姉様や不思議さんに対して、ヘルガが『あいつ』なんて言葉を使うとは思えないし。
そう疑問に思ったのが伝わったのか、ヘルガは「フェリクス・カアンよ」と続ける。
「どうと言われても……」
アバウトな質問すぎて、どう答えていいのかわからない。というか、どうしていきなりフェリクスさんの話になったんだろうか。さっきまでヘルガが不機嫌そうだったのは、フェリクスさんが原因だった? そんな話の流れではなかったと思うんだけど。
とにかく、考えてみる。ヘルガがどんな答えを求めているのかはわからないが、私が答えないことにはヘルガの中の何かに整理がつかないのだろう。そんな気がした。
「……不真面目に見えて、案外真面目ですよね。授業にもちゃんと取り組んでいますし。まあ、ことあるごとに褒めてくるのは、今はもう気にしていないとはいえ、少し苦手でしたね。そこ以外は好ましいです」
「……へえ」
「ありきたりなまとめ方になってしまいますが、優しい人、ですよね」
同意を期待するような語尾になってしまったが、ヘルガはしばし無言になった後、「そうね」とぽつりとうなずいた。もう大分長い間、ヘルガはフェリクスさんと同じクラスで過ごしてきた。さすがに同意せざるをえなかったのだろう。
そして、心底嫌そうな顔をしてテーブルに突っ伏した。あまり彼女らしくない行動に感じたが、考えてみれば、フェリクスさんに関わることでは前からそうだった。
「ヘルガ?」
「優しいなんて、知ってるの。ムカつくし、ウザいし、本当に嫌いだけど。……優しい、わ」
体はテーブルにつけたまま顔だけ少し上げ、けれどうつむいたまま、ヘルガは小さく続ける。
「優しいから、」
泣きそうに、顔をゆがめて。
「――わたしのことを、嫌いになってくれないの」
そんなことを言うつもりはなかったのだろう、ヘルガははっと目を開いて体を起こすと、「違う」と首を振った。何が違うんですか、なんて無粋な質問はできなかった。
……そっか。ヘルガは、フェリクスさんに嫌いになってほしかったから、あんな態度を取っていたんだ。理由まではわからないけど、それでも、そうでないといけない理由がきっとあるのだろう。
「……そうですね。フェリクスさんは、優しいですもんね」
なんて返そうか迷って、結局それだけしか言えなかった。黙ってしまったヘルガの頭に、そっと手を伸ばす。何度か優しくなでると、ヘルガの表情がほんの少しだけ穏やかになった。
それを見てから、私は借りてきた本を開いた。図書室でおしゃべりしすぎるのはよくない……というのは建前で、本当はこれ以上何を言えばいいかわからなかったから。
姉様と不思議さんが話しているのは、あれはまあ、本を読んでいるスペースからは少し離れているし、声もほとんど聞こえないからいいんじゃないかな。……ごめんなさい、姉様相手だから擁護してしまっています。
隣のヘルガからも、本のページをめくる音が聞こえてくる。この話はここでやめておきましょう、という私の意図が伝わったんだろう。
「……何をすれば嫌われるかは知ってるのに。どうしても、できないのよね」
そのつぶやきは、聞こえなかったふりをした。
何をすれば目的を果たせるのか知っていて、それでもそれを実行できないのは。気づいていないだけで、本当はもう、答えが出ているときだ。
ヘルガが気づいていないのなら、私が教えるわけにはいかない。今はただ、こうして静かに隣にいることしかできなかった。
姉様ならどうするだろう、と頭をよぎった考えは振り払う。……姉様ができることは姉様にお任せして、私は私ができることをするべき、だよね。
結局私たちは、昼休みが終わるまでそのまま本を読み続けたのだった。




