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姉様の幸せのために  作者: 藤崎珠里


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39 花火と小さな謝罪の言葉

「あ、いた! ヘルガー、こっちこっち!」


 人ごみの中、淡い黄色の髪の毛を見つけて、姉様がぶんぶんと手を振る。学院の正門のところで待ち合わせをしていたのだが、同じように待ち合わせをする人でごった返していて、お祭り騒ぎのようになっていた。まあ、言ってしまえばお祭りなのだろうが。

 今日は、学院が企画した花火の日だ。

 花火は夜の七時から始まるので、早めにと五時半に待ち合わせしていたのだが、想像以上に人が多い。学院内で花火を見れるのは生徒と先生たちの特権だから、数としてはそれほど多くはないんだけど……待ち合わせ場所が被りすぎたのがいけないのだろう。


「会えてよかったわ。すごい人ね……」


 うんざりした顔のヘルガは、薄いピンク色の浴衣を着ていた。浴衣本体は無地だが、紫の帯には白い花の刺繍がしてあって可愛らしい。普段は無雑作に後ろで束ねられている髪が、今日は少し高い位置でくるりとお団子にしてある。浴衣の布地と同じ質感のシュシュのようなものでくくってあり、ヘルガのその姿はすごく新鮮だった。

 もっとじっくり見たかったのだが、あいにく人ごみに流されそうでそんな余裕がない。


 ひとまずは人の少ないところに行こうと、姉様とエリク、私、ヘルガの四人で学院内に入る。

 焼きそばやかき氷、りんご飴など、私にとっては馴染み深い屋台がたくさんあった。物珍しいのだろう、姉様はきらきらした目であちこちを見ていて、苦笑気味のエリクがその手を繋いでいた。……その間に入って二人と手を繋ぎたい、と思ってしまったのは内緒。


 こういうお祭り! という感じの屋台料理は、世界観的にどうなのかなぁ、とも思うんだけどね。そこはもう、随分前から突っ込みを諦めている。でも焼きそばもかき氷もりんご飴も、この世界に生まれてからは一度も食べていないから見かけるたびにわくわくしてしまう。城の食事はなんというか、上品な料理ばかりなのだ。

 わ、ヨーヨーつりだ! 後でやりたいなぁ。


 しばらく歩けば、門のところの混雑が嘘のように空いていた。密集地帯を抜け、風を感じることができるようになったことで少し涼しくなった。

 汗をハンカチで拭い、日陰で一心地つくことにする。時間的には夕方だとはいえ、真夏の夕方はやはり暑い。見やすいところで見たいのはもちろんだが、できれば日陰があるところがいいな。門がごった返している今のうちに場所取りをしておいたほうがいいよね。


「先に場所取りをしましょうか。いい場所で見たいですし」

「うん、そうしよ! あ、でもどこから打ち上げるんだろう?」


 確かにそうですね、と姉様と一緒に首をかしげる。打ち上げる場所がわからなければ、校舎に隠れて見えない、なんてことになるかもしれない。移動する時間はあるだろうが、どうせなら最初から最後までじっくり楽しみたいものだ。


「魔法訓練場から打ち上げるそうよ。だから……見やすいのは講堂の横辺りじゃないかしら。あそこ、テーブルと椅子が置いてあったわよね? 座られちゃう前に、早めに行きましょう!」


 心なしか、ヘルガのテンションが高い。そう思って姉様の顔を窺えば、目が合う。……同じことを考えていたみたいだ。ふふっと姉様と私が笑い合うと、ヘルガははっと我に返ったように咳払いした。


「ヘルガ、楽しみにしてきたんだね!」

「……そ、そういうわけでもないわ」

「えー、でもその服はどうしたの?」


 不思議そうに尋ねる姉様に、やっぱり浴衣は気合が入っているように見えるのかな、と思って。

 そこでようやく、違和感を覚えた。いや、気づいたというべきなのかもしれない。

 世界観がどうの、とはさっき言ったとおりだが、しかしおそらくこの国には『浴衣』なんてものは存在しない。私が知らないだけの可能性もあるが、授業日でないからどんな服装でもいい今日、浴衣を着ている人はヘルガのほかにまだ誰も見ていなかった。

 講堂のほうに向かいながら、ヘルガの話を聞く。


「これ、『浴衣』っていうのよ。東のほうの国では、花火の日にはこれを着るのが一般的なんですって」

「へー、そうなんだ!」

「確かアウアーさん、『日の丸弁当』だっけ? 前にも東方の国の話してたよね。好きなの?」

「ええ、なんか面白いじゃない? 浴衣は前から気になってたんだけど、この前近所の布屋さんに布をいただいちゃって。ちょうどいいから作ってみたのよ」


 姉様とエリクはなんの疑問も持っていないようだった。……まあヘルガの説明に変なところはないし、気のせいか。今度図書館で、そっちのほうの文化や歴史を調べてみようかな。

 それにしても、浴衣を作るってすごいな……! 私も前の世界で、花火大会にはよく浴衣を着ていた。――着ていたっけ? うん、着ていたはずだ。茜と一緒に――本当にそうだっけ。


 頭を軽く振って、思考を振り払う。

 花火大会には毎年行っていた。毎回、茜と一緒だった。覚えてる、大丈夫、覚えている。


「私も何か特別な服着てくればよかったなぁ」


 ちょっぴり残念そうに言う姉様が着ているのは、夏らしい薄オレンジのワンピースだ。瞳の色に合わせて私服は寒色系が多い姉様だが、明るい色ももちろん似合う。むしろ姉様の魅力が一層際立つと思う。

 スカートの裾を指先でつまむ姉様に、「あら、そのワンピース似合ってるからいいじゃない」とヘルガが微笑む。


「それにあなたが特別な服なんか着たら、目立って仕方ないわ」


 ……まあ、姉様はそこにいるだけで目立つんだけどね。シンプルなワンピース姿でさえ、天使と見紛うほど可愛らしいのだ。それは私が贔屓しているわけではなく、実際に先ほどから目を奪われる人が続出している。

 どうだ、姉様は可愛いだろう! と高らかに叫びたい気分だった。


 席を取ったところで、私とエリクで何か食べものを買いにいくことになった。

 エリクは姉様の護衛だし、あまり離れないほうがいいんじゃ……とも思ったんだけど、護衛はちょっとの間、近くにいたナタンさんに任せるらしい。偶然、ではなく、花火が始まるまでは近くにいてほしいとエリクが頼んでいたそうで。

 しかしそれより、姉様とエリクが一緒に行くか残るかして、ナタンさんには私についていてもらったほうがいい気がするのだが。

 私がそう提案すると、「これが一番心配いらない組み合わせだと思うよ?」という答えが返ってきた。


「だってセレネ、それだと絶対行く側だよね。もしはぐれたらここまで戻ってこれる?」

「……じ、自信はない」

「うん、だと思った。僕だけが行くって手もあるけど……君たち三人を残すのは、いくらナタンがいるからって心配なんだよね。なら、僕がセレネと一緒に行くのが一番いいかなって。そしたらナタンが守るのはディアナとアウアーさんだけでよくなるし、それに、僕ならすぐセレネを見つけられるしね」


 ごもっともです、と思いながら聞いていたのに、最後で不意打ちを食らってしまった。わ、私をすぐ見つけられるって自信はどこから来るのかな!? ……今までの経験ですね。

 昔から、城内で迷子になってもエリクが見つけてくれた。最近はそもそも別行動が多くて、そんな機会が少なかったので忘れかけていたけど。

 平気な顔を装って、「なるほど」とうなずく。でしょ、と笑ったエリクは自分の発言に特に何も感じていないらしく、こっちだけが恥ずかしくて悔しい。


 エリクと二人で屋台に向かい、よさそうなものを見繕う。こういうときの鉄板はかき氷と焼きそばだと思うので、そこは譲らなかった。かき氷を人数分、焼きそばを二パック買って、あとはエリクがじゃがバターと大きなソーセージ、たこ焼きを一つずつ買った。

 皆で分けて食べるのが楽しみだ。つい頬を緩ませると、エリクに生暖かい目で見られてしまって、慌てて顔を元に戻す。ついでに耳にも動かないように力を入れた。

 ……まるでデートみたいだな、とさっきから考えないようにしていたことが頭に浮かんでしまって、内心呻き声を出す。ただでさえ暑いのに、体温が上がるのは避けたい。もう手遅れだけどさ!


 姉様たちのもとへ帰ろうとしたところで、遠くにベラちゃんとトムさんを見つけた。おお、こっちこそ本当の花火デート……! カップルというには二人の間の距離が少し広い気もしたが、それもまた初々しさを感じて可愛い。

 ……エリクと私も今、周りからそんなふうに見えてるのかな。

 ちらりとエリクを見れば、何? という顔で首をかしげられた。


「なっ、なんでもない!」


 エリクも私も学院内じゃそれなりに有名だし、普段から一緒にいることが多い。もし私たちに気づく人がいたとしても、まさかそんなふうには見られないだろう。というか見られたら困る。

 気を取り直して歩き続けていると、今度はルカ君を見かけた。背が高い女の子と二人で回っているようだ。……あっちはカップルというより、歳の離れた姉弟に見えるなぁ。挨拶しにいこうかとも思ったが、そうするには駆け足で追いかけないと見失いそうだったので諦めた。


「誰かいた?」

「あ、うん、ルカ君が。ちょっと遠いから、挨拶は無理かなって思ってたとこ」


 私が指差した方を見て、エリクは「そうだね」とうなずく。

 学院の生徒の数は元々それほど多くない。そして今日は別に来なくてはいけない日というわけでもないため、普段よりも人は少ない。入り口はそりゃあ多かったが、あれは除いて考えるとして。まあとにかく、ちょっと周りをきょろきょろしただけで知り合いがたくさん見つかるのだ。

 前世での花火大会では、約束もしていない知り合いには会えなかったよなぁ。あの人の多さには毎年辟易していたから嬉しいといえば嬉しいが、ちょっと変な気分。


「セレネ、今僕両手塞がってて手繋げないから、どこか行かないようにね?」

「い、行かないし! それに手も繋がないから!」


 きょろきょろしすぎていたせいで、エリクを不安にさせてしまったらしい。はぐれたら迷子になることは確実だから気をつけなきゃと考えて、自分が情けなくなってしまう。言い訳をさせてもらうと、講堂にはまだ四回しか行ったことがないのだ。入学式と、月に一度の集会。普通の人だったらそんなに行けば覚えるんだろうけど、私は無理です……。

 とにかく、誰かに挨拶にしにいくにしても、まずはこの食べものを置いてからだ。エリクの言うとおり、両手が塞がっている状況は何かと不便だしね。いや、手を繋げないのは不便なことではないけど。



 大人しく前だけ見て歩いていると、狐を発見した。エリクも気づいたようで、こっそり二人で顔を見合わせる。

 え、参加してるんだ? もしかして、生徒会長だからこういうイベントには絶対参加しなきゃいけないとかなのかな。勝手なイメージだが、狐はわざわざこんなイベントに参加しないと思っていた。……一緒にいる二人の男子はご友人だろうか。

 ルカ君とは違って、このまま歩いていれば挨拶できそうだ。狐もこちらに気づいたのか、友人らしき人たちに何かを言って、こちらに向かってきた。


「お久しぶりですね」


 まさか狐から声をかけられるなんて思っていなかったから、ぽかんとしてしまう。眉をひそめられかけて、慌てて「お久しぶりです」と返す。


「といっても、別荘にお邪魔させていただいてからそう経っていませんが」

「……そうですね」

「先輩がいらっしゃっているとは思いませんでした。まだどこで花火を見るのか決めていなければ、僕たちと一緒に見ませんか?」


 エリクの誘いに、「申し訳ありませんが、彼らと一緒なので今回は遠慮させていただきます」と狐は友人さんたちに視線を向ける。これ、私が誘ってたら「なぜ貴女と見なくてはいけないのですか」とか返されていたんじゃないかな。……いや、流石にもうそこまではないか。最初期の印象が強すぎて駄目だな。

 だけどエリクに対しての態度が柔らかいのは確かに感じるので、少しむっとしてしまいそうになる。しまいそうになっただけなので、おそらく気づかれてはいないはずだ。

 そのまま別れる流れになりそうだったが、あ、と思い出す。そうだ、言っておきたいことがあったんだった。


「そういえば、カレン様から手紙がきましたよ」

「ああ、確かに書いていましたね。私には見せてくれませんでしたが」


 恨めしげな目をされたって、それは仕方がないことだと思う。しかしこんな反応をされてしまうと、本当にカレン様を溺愛しているんだなぁと思って笑ってしまいそうになる。……人のこと笑えないくらい、私もシスコンなのは自覚してるけど!

 カレン様が見せていないなら、あまり内容については言わないほうがいいかな。狐にとっては色々と都合の悪い話題もあるだろうし。

 でもこれだけはちょっと自慢したい。


「私と、また会いたいそうです」

「……貴女のどこが気に入ったんでしょうね」


 ふふん、と笑って誇らしげに言った私に、狐はわざとらしく首をかしげた。むっ……。


「会長に対してこんな態度の女性が珍しいからでは?」

「ああ、なるほど」

「……そんなにあっさり納得されると、反応に困るのですが」

「納得するほかありませんから」


 それはどういう意味ですかね。言い返せないけど。

 悔しくて思わず唇を尖らせると、狐がほんの少し視線を逸らした。


「ところで……」


 何かを言いかけた狐は、数瞬ためらった後「いえ、やはり何でもありません」と口を閉じる。


「なんですか? そんな言い方をされたら気になってしまいます」

「……ただ、呼び名が『会長』に戻ったな、とそれだけです」

「呼び名?」


 戻ったも何も、会長呼びにしてからそれ以外の呼び方は――あ、してる。そっか、カレン様の前ではシャルル先輩って呼んだんだっけ?

 でもあれは、ご家族の前でわざわざ『会長』と呼ぶのはおかしいかなと思っただけだ。今更シャルル先輩と呼ぶのには少し抵抗があった。

 ……今ここでそう言うってことは、やっぱり会長呼びは嫌味ったらしく聞こえて嫌なのだろうか。呼び始めたときは確かに嫌がらせの意味も込めてたしなぁ。

 抵抗はあるにはあるが、会長呼びにもうこだわりがあるわけでもない。


「ではラベー先輩とお呼びしますね」


 なぜか微妙な顔をされた。ええ……? いやでも、姉様も確かラベー先輩と呼んでいたはずだ。マリーちゃんたちだって、狐が近くにいるときにはシャルル様ではなくラベー様と呼んでいるし、家名で呼ぶのが普通だろう。こんな顔をされる理由はないと思うのだが。

 少しの間のあと、「ではそれで」と表面上は納得したような狐だったが、たぶん何かが気に入らなかったのだろう。


「他の呼び方のほうがいいですか?」

「いえ、別に。なぜですか?」

「微妙な顔をされていたので」

「……私がですか?」


 この会話の流れで、他に誰がいるというのだろう。こくりとうなずけば、怪訝そうに押し黙る。どうやら自覚なしだったらしい。

 何か言われるのを待っていたら、先に口を開いたのはエリクだった。


「僕はシャルル先輩って呼んでるし、セレネもそれでいいんじゃない? 先輩がよろしければ、ですが」

「……お好きなように呼んでくだされば結構ですよ」

「だってさ、セレネ」

「え、うん、わかった……? ではシャルル先輩とお呼びすることにします」


 ええっと、何なんだ?

 不満があるわけではないが、変、なような。にっこりと微笑むエリクの顔からは、なんというか感情が読み取れなかった。

 困惑しているのは狐も同じようで、思わず二人してエリクのことをじっと見つめてしまった。ちょっとたじろいだエリクは、はっとしたように一瞬視線を横にずらして、すぐに私たちへと戻す。取り繕ったような笑顔からは、先ほどまでとは違い焦りのようなものを感じた。


「あまりご友人たちをお待たせするのも申し訳ないですから、僕たちはこの辺りで失礼しますね。こちらも人を待たせていますし。また魔法実技の授業でお会いしましょう」

「……ええ、また」


 未だ困惑げな表情のまま、それでも狐はただうなずいた。私も「さようなら、今日はお会いできて嬉しかったです」と会釈をして狐と別れ、エリクと共に姉様たちのもとへ向かう。

 ……確かにもう三十分ほど姉様たちをお待たせしているし、だから焦ってたのかなぁ。かき氷もさっきからとけ始めているし。


「ごめん、立ち話長かったよね。姉様たちもお待たせしてるのに……」

「それは大丈夫じゃない? アウアーさんと一緒なら、ディアナも楽しく待ってるだろうし」

「ああ、確かに。でもそう思うなら、なんであんなに急いで話切り上げたの?」


 きょとん、とエリクは目を丸くして。そして苦笑を零す。


「……シャルル先輩に悪いことしちゃったね」


 情けないなぁ、と小さくつぶやいたエリクは、そのまま何も言わなかった。

 どういう意味なのかわからなくて、もやもやする。情けないって何だ? さっきの狐とのやり取りで、エリクがそう感じる何かがあったんだろうか。でもきっと、これ以上訊いたところで答えてくれないんだろうなぁ。



「おかえりセレネ、エリク! わあ、いっぱい買ってきたねー。ありがとう!」


 そんなもやもやも、はしゃぐ姉様を見て薄らぐ。続けてお帰りなさいと言ってくれるヘルガとナタンさんに「ただいま帰りました」と返しながら、買ってきたものをテーブルに置き……気づいた。


「……飲みものを買ってくるの忘れました」

「あ、本当だ」


 エリクもすっかり頭から抜けていたらしい。まあどうせ、あんなに食べものを持ってたら飲みものまで持てないし、二度手間ってほどでもないよね。

 動力は魔力だが、この世界には自動販売機もある。普段は家から水筒を持ってきているが、今日はせっかくだから自動販売機か屋台で飲みものを買うつもりだったのだ。

 目を細めて辺りを見回せば、幸いにも見えるくらいの距離のところに自動販売機があった。私の視線の先を辿ってエリクも見つけたのか、「買ってくるね」とこちらの返事も待たずに行ってしまった。私たち三人を残すのは心配だって言ってたのに……見える距離だから大丈夫、ということだろうか。


「セレネ、エリクと何かあったの?」


 心配そうに眉を下げる姉様に、いえ、と曖昧に首を振る。何もない、よね?

 ナタンさんの分も含めて五人分のお茶を買ってきたエリクは、もういつものエリクに戻っていた。ほっとして、五人で談笑しながら花火が始まるのを待つことにした。途中でナタンさんが抜けたので四人になったけど。

 久しぶりに食べたかき氷や焼きそばは美味しかったし、同時にとても懐かしかった。そうだこんな味だった、という感じ。なんだか感慨にふけってしまった。

 そんなこんなで、もうすぐ花火が始まる、となったとき、「いた!」と誰かの声が聞こえた。そちらを向けば、そこには息を切らしたフェリクスさんの姿があった。


 ……そういえばヘルガって、体育祭の後からフェリクスさんのこと無視してるんじゃなかったっけ。以前彼から相談を受けて、ヘルガを相手にあえなく撃沈したことを思い出す。その後魔法学の授業で会ったときにも何も言われなかったし、今どういう状況なのか把握できていない。

 たぶんフェリクスさんは、ヘルガを探していたのだろう。一瞬不安げな瞳でヘルガを見つめ、それからへらりと明るい笑顔を浮かべた。


「ヘルガちゃん、久しぶり。皆も久しぶり! いやー、暑いねぇ。走り回ったからもう汗だらだらだよ」

「……フェリクスさん、お久しぶりです」

「久しぶり! 夏休みって、補習くらいでしか学校来ないもんね。会う人皆に久しぶりって言ってる気がするよー」


 姉様はそう言いながら、フェリクスさんとヘルガをちらちら見比べる。先ほどまでは微笑みながら私たちと話していたヘルガは、今は完全な無表情だった。

 ま、まだ無視続けてるのかな? 体育祭からもう三ヶ月くらい経ったんだし、流石にそろそろ口を利いてあげてもいいと思うんだけど……。というか、同じクラスだよね? 私が姉様たちとお昼をご一緒するためにCクラスに行ってもフェリクスさんは基本教室にいないから、そのイメージは薄いけども。

 とにかく、だとすれば三ヶ月も無視って逆に難しいんじゃ……?


「……ヘルガちゃん、久しぶり」


 もう一度、フェリクスさんがゆっくりと言葉を繰り返す。ヘルガはそれに対して、思いきり顔をしかめた。


「ええ、久しぶりね。何か用かしら?」


 ……よかった、無視はしないんだ。

 だけどどうにもはらはらしてしまって、ぐっと拳を握る。ヘルガの味方にはなりたいが、心情的にはフェリクスさんの応援を優先したいのだ。だってヘルガ、きっとフェリクスさんのこと、本心では嫌いじゃないのだ。

『ヘルガって、フェリクスくんのことが好きなの?』と、姉様が以前訊いたとき。ヘルガは顔を真っ赤にさせて否定していた。あの反応って、好きだからとしか考えられないよね?

 とはいえ、ヘルガでない私が『ヘルガの本心』なんてわかるはずもないから、迂闊なことは言えない。だからただ、二人を見守ることにした。頑張れフェリクスさん。


「もし良かったら、オレと一緒に花火見てくれないかなーって思ってさ」

「申し訳ないけど、先約があるのよね」

「あー……うん、わかってるけど。えっと、じゃあ、ここで一緒に見るのもダメ?」

「駄目よ」

「えええ、ダメなの……?」

「駄目」


 取り付く島もない。きっぱりと首を振るヘルガに、フェリクスさんはそれはそれは悲しそうな顔をする。泣いてないのが不思議なくらいだ。


「そもそもなんでわたしなんかと一緒に見たいの?」


 流れが変わった。しかもヘルガから質問するのか。

 でも、わたし()()()という言い方が妙に引っかかった。まるで自分がフェリクスさんに相応しくないと言っているような……ヘルガって、そんなに自己評価が低い子だっただろうか。


「『わたしなんか』なんて言い方しないでよ」


 どうやらフェリクスさんも、同じところが引っかかったらしい。


「わたしがわたしのことをどう言おうとわたしの勝手よ。それで、どうして?」

「……どうしてって。そんなの、」


 ちょっと口ごもって、


「ヘルガちゃんと、仲良くなりたいから」


 照れたように言うフェリクスさんに、私が言われたわけでもないのに気恥ずかしくなってしまう。いや違う、私が言われたわけじゃないからこそ、か。

 しかし当人は、「意味がわからないわ」と不満顔である。えっ、今のでその反応って、それがわかりませんよヘルガ!?


「ま、まあまあヘルガ、もう花火始まっちゃうし、席も空いてるし、フェリクスくんがいてもいいんじゃない? ええっと、魔法訓練場で打ち上げるってことは、ほら、こことここに私と隣で座って、フェリクスくんにこっちに座ってもらえば、視界に入らないし!」


 ちょうど、あと一分で花火の打ち上げが始まるというアナウンスがかかった。ヘルガは姉様の提案にしぶしぶとうなずいて、席を移動した。三人三人の六人がけの席なので、姉様とヘルガが訓練場に近いほう、その向かい側に私とエリクが座ることになる。

 立ち尽くすフェリクスさんに、ヘルガは心底嫌そうに座るよう促すと、彼以外に向けて謝罪を口にする。


「空気を悪くしてごめんなさい」

「い、いえ、大丈夫です」

「気にしないで、アウアーさん」

「……ヘルガもフェリクスくんも、花火見て一旦色々忘れよう? ね?」

「……そうね」

「うん、ありがとーディアナちゃん」


 笑顔を浮かべて、フェリクスさんはエリクと私の隣に座った。

 少しの静寂の後、ひゅうぅぅう、という音。ぱっと空を見上げれば、赤色の光が花開いた。すぐにドン、と重い音が響く。……獣人になった今だと、この音かなりきついなぁ。前世との違いをはっきりと感じてしまった。ひそかに風魔法を使って少し遮音し、ちゃんと花火を楽しめる程度の音に聞こえるようにしておく。


 まだ薄らと明るい空に、いくつもの光が打ち上げられていく。赤、緑、黄色、紫。ユニークな形のものはなかったが、シンプルだからこそ美しく、そして懐かしくて、瞬きも忘れて見入ってしまう。姉様が上げる歓声が、どこか遠くに聞こえた。

 あと三十分もすれば、花火がもっと映える夜空になるだろう。今のままでも十分綺麗だが、早く真っ暗になってほしいと思った。




「ごめんね」


 小さな小さな呟きは、花火の音に紛れて。

 きっと、彼女が本当に伝えたかった人には届かなかった。






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