プロローグ それでも、私たちは剣を抜かないと決めた
それでも、私たちは剣を抜かないと決めた
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世界が、ふたりを許さなかった。
本当は敵になんて、なりたくなかった。
手を取り合い、未来を語り合った夜が、確かにあった。
魔王と、勇者。
名を呼び合った、あの記憶だけが――
今も、胸を焦がす。
――これは、終わりを選んだふたりが、
最後に祈った“願い”の物語
――それは、世界がふたりを拒絶し、
すべてが崩れ始めた朝だった。
燃え上がる港。
瓦礫の中、泣き叫ぶ子供たち。
剣を構える兵士の影が、朝焼けを遮り、地に伸びていく。
帝国北部の要所である港湾都市〈レアスタ〉は、昨夜、魔族による奇襲を受けた。
わずか数時間で、都市は壊滅。五千を超える死者が出た。
皇都〈アストリア〉の玉座の間には、重たい沈黙が満ちていた。
人の国を治める皇帝、レイハルト•マルキディウスは、報告を聞き終えると、そっと目を閉じた。
「……分かった。下がれ」
その声に、逆らえる者などいない。
だが、レイハルトの瞳は揺れていた。
強く、深く、誰にも見せぬ苦悩が、そこにあった。
側近たちは声をそろえる。
「これは宣戦布告だ」「反撃を」「魔王に裁きを」――と。
けれど、彼はどの言葉にも頷かなかった。
報告書を手にしたまま、玉座の背後にある小部屋へと足を運ぶ。
重たい扉を開くと、そこには、古びた魔導書と一本の剣が置かれていた。
それは、かつて交わした約束の証――
彼と、あの“少女”との。
「……なあ、君は、本当に……これを望んだのか?」
その問いに、返事はない。
ただ、扉の隙間から吹き込む風が、一通の古い手紙を揺らした。
そこには、震える筆致でこう綴られていた。
――戦争を始めましょう。
私たち自身の手で。
そうしなければ、きっとこの世界は、
また私たちの願いを踏みにじるから。
一方、魔族の国〈リリシア〉でも、御前会議は終わりを迎えていた。
「……よきに、計らえ……」
それは、どんな言葉も届かないと悟ったときに出る、最後の逃げ道だった。
反対の声も、祈りの言葉も、虚空へと吸い込まれていく。
魔王――彼女は、肘掛けに顔を伏せたまま、そっと息をつく。
誰にも見られることなく、肩が小さく震えていた。
静かに流れた涙は、誰にも気づかれぬまま、闇の中へ消えていった。
――これは、魔王と勇者が仕組んだ“終わり”の始まり。
世界に拒まれたふたりが、かつて交わした一つの“約束”に、すべてを賭けた物語である。
だが、それを知る者は、まだ誰もいない。
……そして、物語は遡る。
剣も、憎しみもなかった、あの冬へ――
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
“魔王と勇者”という王道の構図を、少し違った角度から描いてみたくなり、
この物語はあえて「終わり」から始まる構成にしました。
プロローグでは全貌をあえて語らず、
「なぜふたりは戦うのか」「その裏に何があったのか」を
読者の皆さまと一緒に、少しずつ紐解いていけたらと思っています。
次回、第1話では――
まだ誰でもなかったふたりが、“ただの学生”として出会う過去を描きます。
よければ、ここから始まる彼らの物語に、
ほんの少しだけ、お付き合いいただけたら嬉しいです。
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