エピローグ
魔族たちをアルカディアへ迎えてから、数十年が過ぎた。
長い年月のはずなのに、鏡の中の俺は、相変わらず年齢相応の貫禄を身につけていない。ホムンクルスたちもエンシェントドラゴンたちも、俺の見た目など今さら気にせず、毎日いつもの調子で話しかけてくる。おかげで、どれだけの時間が流れたかを実感するのは、自分の顔を見るときより、窓から街を眺めるときの方が多かった。
初めは数百人だった魔族も、今では随分と増えている。
ネフィリアが地上に残る同胞を探し続け、かつて側近を務めていた魔将たちの生存を突き止めたからだ。もちろん、連れてくる前には俺へ相談があった。
「王よ。また一人、同胞の消息が判明いたしました」
片膝を突いて報告して来るネフィリア。王と呼ばれたのはアルカディアにやって来てから間もない頃だった。他の魔族たちも、俺を王と呼ぶので、今ではもう諦めている。
「それで、今度は何人だ?」
「本人と、彼が守っていた者たちを合わせて百人ほどです」
「一人って言っただろ」
そんなやり取りを何度したか、もう覚えていない。
最初は角も傷跡も立派な魔将たちに囲まれ、握手をするだけで肩が凝ったが、彼らも暮らし始めてみれば、案外話の通じる連中だった。
大戦を生き延びた魔将が学校で子供に読み書きを教え、かつて部隊を率いていた男が工房の仕事を覚える。強面のまま焼き菓子を売る者まで現れ、今では子供たちが店先へ集まっているのだから、人は見かけによらない。いや、魔族なのだが。
住民が増えるたびに新たな機能が解放され、生活用魔力の供給や資材の輸送、設備の点検も、以前より細かく管理できるようになった。家を並べるだけだった居住区には店ができ、学校と診療所ができ、人々が腰を下ろして話す広場ができた。
そして今日も、その小さな街の報告が、俺の前へ持ち込まれている。
「今季の収穫量は、予定を上回る見込みです。新たに植えた果樹も順調に育っております」
ガーデンエリアの白いテーブルで、新たなホムンクルスのアインスが報告書を開いた。
エルノアの隣には、初期に作った七人のホムンクルスたちが座っている。必要な管理権限を渡し、それぞれの担当を任せて久しいが、こうして顔を合わせると、七人分の名前をつけるだけで悩んでいた頃が少し懐かしくなった。
頭上の花棚から甘い香りが降り、風に揺れる葉が白いテーブルクロスへ影を落としていた。俺の膝にはミモザが収まり、小さな皿の焼き菓子を、どれから食べようかと真剣に見比べている。
「食べきれる量で頼むぞ。また倉庫を増やすことになる」
「加工用に回す計画です。果実酒やジャムにいたします」
「あるじさま、いちごの……ほしい、です」
「だそうだ。苺も頼む」
「承知いたしました。ミモザ様のご希望として記録します」
「せっかくだから全員分頼む」
エルノアが紅茶を注ぎながら、微かに目元を緩めた。茶葉の香りに誘われてカップを持ち上げると、今度は工房の報告を終えたドライが、困ったように書類をめくる。
「訓練用の木剣の注文が増えています。リザ様と魔族の将の方々が、合同で鍛錬をなさっているためです」
「仲良くしてるなら結構なことだけど、壊す量は減らしてくれないか?」
「リザ様からは、壊れない物を作れば問題ないとのご意見が……」
「作る側へ全部押しつけるなよ。まったく……」
「手加減を覚えさせよう。私の部下たちも、張り切りすぎているようだ」
ネフィリアが苦笑した。その隣ではヴァルグが、自分には関係のない話だと言わんばかりに紅茶を飲んでいる。
「ヴァルグ。お前も参加してるだろ?」
「……指導役として、少々」
「少々で訓練場の地面を掘り返すな。ゴーレムたちは穴を埋めるためだけにいるんじゃないんだぞ」
「……以後、気をつけます」
神話に名を残すような連中が、俺の庭で揃って反省している。
その横でミモザが菓子を齧っているのだから、威厳というものは置き場所を間違えると簡単に消えるらしい。
「それと、今年の収穫祭についてだ」
ネフィリアの声に、俺はカップを置く手を止めた。
「子供たちが、王に歌を聞いてほしいと言っておりました」
「見るだけか? 壇上に立たせたり、挨拶させたりしないよな?」
前に連れていかれたとき、全員立ち上がって礼をしただろ。あれ、心臓に悪いんだよ。
「でしたら、今回は目立たないお席をご用意します」
エルノアの返事を聞き、ようやく頷けた。
人間が苦手なのも、大勢の視線を浴びたくないのも、何十年経とうと変わらない。けれど、自分たちで舞台を作った子供たちが、俺を待っていると聞けば、顔を出すくらいはしたくなる。
「……じゃあ、端っこで見させてもらう」
「喜ぶでしょう。皆、王に見せたいものがあります」
ネフィリアはそう言って笑った。
焼けた街で歯を食いしばっていた顔を思い出すことは、今でもある。それでも、最近の彼女を思い浮かべるとき、最初に出てくるのは、こうして肩の力を抜いて笑っている姿だった。
報告会が終わると、皆はそれぞれの持ち場へ戻っていった。
俺はしばらく紅茶を飲み、ミモザと菓子を分け合って過ごしたあと、花壇の向こうへ伸びる小道へ足を向けた。
「少し歩いてくる。ミモザはどうする?」
「レイと、お花にお水……です」
「そっか。鉢の底から溢れるほどはやるなよ」
ミモザを花壇にいたレイへ預け、俺はエルノアと展望台へ向かった。
城壁に沿った道には、昔はなかった木々が枝を広げている。植えたときは頼りなかった幹が、今では二人分の影を覆うほどになっていた。
展望台の石の欄干へ手を置くと、風が袖を揺らした。
眼下には、青や赤茶色の屋根が並んでいる。家々の窓辺には花が咲き、洗濯物が風にはためいていた。荷車を引くゴーレムの傍らを、角のある子供たちが駆けていく。少し先では、人の姿をした竜が魔族の老人と並んでベンチに座り、何かを指差して笑っていた。
街の外には、青々とした農場と果樹園が続いており、そのさらに向こうで大地は途切れ、島の縁を白い雲がゆっくりと流れていく。
拡張を繰り返したアルカディアは、今や直径二・五キロほどになっていた。
「ずいぶん広くなったな……」
「端から端まで歩かれますと、よい運動になるでしょう」
「昔は畑へ行くだけで済んだんだけどな」
遠くの学校から鐘が鳴り、風に乗って子供たちの声が届いた。
畑を耕すだけだった頃には聞こえなかった音だ。耳を澄ませば、工房の槌音も、荷車の車輪が石畳を転がる音も、その中へ混じっている。
「まさか、前世が苦で空に逃げたのに、ここまで大きく、賑やかになるとはな」
誰に聞かせるでもなく零すと、隣で銀白色の髪が揺れた。
「これもすべて、ご主人様が成されたことです」
「俺は畑を広げたり、家を建てたりしただけだろ。ここまでになったのは、お前たちが働いてくれたからだ。みんなのお陰だ」
「その私たちを生み出し、住民を迎え、暮らす場所を整えてくださったのは、ご主人様でございます」
そう言われると、返す言葉に困った。立派な国を作ろうなどと考えたことはない。
今も、誰かの前へ出て王らしく振る舞うつもりはないし、できるとも思わなかった。
それでも、あの家の窓から雨が吹き込むなら直したいと思う。畑の出来が悪ければ、原因を探してみたくなる。子供たちが甘い菓子を喜ぶなら、次は別の果物を育ててみようかと考える。そういうことを繰り返していたら、ここまで来ていた。
「……まあ、住み心地は悪くないな」
「はい。皆様も、そう仰っております」
エルノアはいつものように静かに答えた。その声を聞きながら、俺は街を見下ろす。
知らない相手と話すときには、今でも無意識に身構える。人間同士の駆け引きや、押しつけがましい善意に付き合うのは、相変わらず御免だ。
けれど、この賑わいがなくなれば寂しい。明日も同じ声が聞こえてほしいし、今日笑っていた奴には、明日も笑っていてほしい。
どうやら俺は、この世界が――いや、ここで暮らすみんなのことが、好きなのだろう。
そう思うと、妙に照れくさくなった。
エルノアに顔を見られないよう、雲海の方へ視線を逃がす。
彼女は何も言わなかったが、隣から伝わってくる穏やかな気配だけで、また見透かされている気がした。
なんだかんだで、エルノアは俺の性格、考えることもよくわかっている。
「これからも、のんびりやっていくとしよう。俺のペースでな」
「承知いたしました、ご主人様」
「……今度は地上に降りて、何かやってみるのも悪くないかもしれない。珍しい作物を探したり、向こうでも畑を作ってみたりさ。行商するのも悪くないかもな」
「では、訪問先の候補をまとめておきましょうか?」
「急がなくていいさ。まずは収穫祭の歌を聞いてからだ」
エルノアが微笑み、俺も少しだけ口元を緩めた。
雲の切れ間から覗く大地には、まだ知らない場所が幾らでもある。
人付き合いは面倒だし、また誰かに振り回されるかもしれないが、そのときはここへ帰ってくればいい。
そう思うだけで、遥か下に広がる世界が、以前よりもずっと近く感じられた。




