56.旅順港事件
昭和15年(1940年)7月 東京砲兵工廠
欧州で始まった戦争に、かなりグレーな方法で、アメリカが参戦した。
するとフランス最後の拠点ボルドーに、アメリカの援軍が続々と到着する。
そのタイミングの良さから見て、参戦前に準備していたのは間違いない。
5万人の米兵と、膨大な物資援助によって、フランス軍はひと息つけるようになった。
こうなるとドイツも進軍が止まり、代わりに他の地域の制圧に動く。
その後もしばし米軍の増強が続く中で、やはりイギリスは動いていなかった。
「イギリスはどういうつもりかな?」
「今は状況を注視して、自国に有利な状態で参戦するつもりだろう」
「でもそんなことしてるうちに、欧州がドイツに席巻されちゃうかもしれないよ」
「だからそうならないよう、情報は集めてるだろうさ。あまり安易に参戦しても、国民が納得しないだろうからな」
「ふうん、そんなもんかな」
そんな中島と川島の会話に、佐島が皮肉げに交じる。
「せやけど、イギリスはルーズベルトの提案を蹴っとるんやろ? そう上手くいくかいな」
「ふん、面の皮の厚さについては、イギリスだってひけを取らないさ。幸いにも太平洋側には、日本がいるし」
「ほ~ん、なるへそ」
イギリス自体、今までにさんざん、暴力と謀略で国富を築いてきたような国である。
アメリカがそれに取って代わろうとしているのを、気づいてないはずがない。
そしてそれを避けるには、太平洋側に戦力を引きつけられる、日本の協力なしには難しいことも、承知のうえだろう。
はたしてイギリスは、どのように参戦してくるのか?
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しかし先に火を噴いたのは、こちら側だった。
アメリカは欧州に兵を送ると同時に、満州にもテコ入れをしていた。
欧州大戦を好機と見た反乱分子が、策動するのを防ぐためという名目である。
フィリピンから旅順へ船団を送り、2個大隊を半島へ配備した。
これは当然、清国の反発を招いたが、アメリカは聞く耳を持たない。
反米感情の高まりによって、清国内のあちこちで衝突が起こった。
そうして緊張が高まる中、とうとう事件は起きた。
「アメリカの駆逐艦が攻撃を受けたって、本当?」
「本当かどうかは知らんが、アメリカはそう言ってるな。駆逐艦が雷撃を受けたそうだ」
「なんか、どっかで聞いた話のような」
「ハッ、そりゃそうさ。トンキン湾の再現だからな」
「えっ、じゃあ、アメリカの謀略ってこと?」
「ああ、情報部の調べでは、その可能性が高いそうだ。ここぞとばかりに、無茶を言ってくるだろうな」
「ええ……それって絶対、他人事じゃすまないよね?」
「ああ、おそらくな……」
どうやらアメリカは、極東を放っておくつもりはないらしい。
俺たちは暗澹たる思いを抱えながらも、最悪に備えて動いた。
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昭和15年(1940年)8月 皇居
その3日後、皇居に招集される。
「先ほど、アメリカが清国に無茶を言ってきた。今回の賠償として、旅順港を99年間、租借させろという要求だ」
「そんな、無茶苦茶じゃないですか。清国だけじゃなく、日本やロシアにも飲める話じゃない。宣戦布告に等しいですよ」
「ああ、それが狙いなんだろうよ」
外相の廣田弘毅の言葉に、俺たちは驚愕する。
何か無茶を言うとは思っていたが、これはとびきりだ。
アメリカが旅順を軍港化するなど、日清露韓の喉元に刃を突きつけるに等しい。
そして仮にアメリカが大人しくしていても、絶対にどこかで衝突が起きて、戦争になる。
その場には陛下の他、若槻礼次郎、松方巌、西園寺八郎、木戸幸一ら元老に加え、閑院宮元帥や伏見宮元帥、東久邇宮大将が勢揃いし、一様に暗い顔をしていた。
やがて若槻さんが皆の思いを代弁する。
「ここまで来ると、もう外交交渉で解決するとは思えんな」
「ええ、すでに戦争をする気だから、こんな要求をするんです。それに加えて、ほぼ間違いなく、ソ連と裏で手を結んでますね」
「ああ、そうだろうな。やはり戦争は、避けられんか……」
ルーズベルトの周りに、コミンテルンのスパイがいる事は有名だ。
これだけ強気の要求をしてくるからには、ソ連の参戦も決まっているのだろう。
「これ以上、打つ手はなさそうですな」
「……ならば受けて立つしかない、か。ところで軍の方の準備は、どうなっていますか?」
若槻さんの問いに、閑院宮元帥と伏見宮元帥が答える。
「陸軍は主要な人事を内定し、準備は万端です。さすがに動員はこれからですが、それも入念に準備してあります」
「海軍も人事は固まっております。能力のある者を抜擢して、バリバリ働いてもらいましょう。ホッホッホ」
「ありがとうございます。廣田くんの方はどうだ?」
「はっ、すでに主要な候補には内諾を得ているので、ただちに組閣に取り掛かれます」
史実では戦時にも、年功序列式の人事から抜け出せなかった日本軍だが、この世界ではそれも変えるべく、念入りに準備を整えていた。
そして序列のトップにある殿下たちが、率先して職を退き、若手を取り立てるよう、動いてくれるのだ。
さらに廣田さんには、いざ対米戦となれば内閣を率いてもらうよう、根回しをしていた。
欧米の事情に通じている廣田さんならば、この非常時にも存分に腕を振るってくれるだろう。
「うむ、この国の命運が掛かっているのだ。身命を賭して取り組んでほしい。陛下からは、何かありますでしょうか?」
問われた陛下が、憂いを顔に浮かべながら思いを口にする。
「事ここに至っては、やむを得まい。このうえは少しでも犠牲を少なくし、そして早く戦争を終らせるよう、心がけてほしい」
「「「御意」」」
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その後、日清露韓4カ国が非難声明を発したが、アメリカはそれを侮辱だと反発。
翌日にはアメリカから最後通牒が突きつけられた。
やはりこの世界でも、太平洋戦争は避けられなくなった。




