27日後
島へ来てからおよそ1か月が経過していた。
件の地下施設内には食糧庫以外にも、居室や会議室のようなものが他にもいくつかあり、中でも皆一様に歓喜したのがシャワー室の存在だった。しかも温水完備されているのだ。
「本当にこの施設内のインフラは一体どうなっているんでしょうかね?未だにボイラー室すら見当たりませんが…」
成瀬がこの施設の先輩にあたるアーロンに質問した。
「それは俺にもわからんな、設備関係にあまり詳しくないってのもそうだが、実は食糧庫と例の実験室を見つけた時点で他へはほとんど行ってないからな。気にはなっていたが、前にも言った通りここは迷宮そのものだ。1人だから万一って事もある。あまり無茶はしないタチでね」
モーリシャス島の東といっても、地図には存在していない島なのだ。まずはこの謎を解き明かそうと地下施設を探索してみたものの、実験室以外に何かしらの資料が見当たりそうなところは今のところ見つかっていない。
ただ、グリーズマンレポート以外にも、右肩に、閲覧制限レベルΩと判が押された″人工病原体資料集″なる悪趣味な書類が見つかり、そこには新たな情報として、第三の大戦時には核以外にも数多くの生物兵器が使用されていたことが記録されていた。
2026年までには発見されていないはずの、ジェネシス・ウイルスやパンドラ菌株だのといった、繁殖力が強く、なおかつ致死率が高いとされる生物兵器が大量に投入されていたというそこはかとない黒い歴史が様々なデータとともに記されていた。
中でも異彩を放っていたのが、ARX−Σと名付けられた人工ウイルスで、非可視型侵蝕因子なる種別へ分類されたこのウイルスの最も恐ろしく、特筆すべきその性質は、知性めいた挙動にあるという。
隔離、焼却、封鎖といったあらゆる対策に対し、まるで意志を持つかのように回避を続ける。
この当時の記録としては、対抗手段が未確立であり、その封じ込め成功率は理論上0.2%を下回るとのことだった。
感染は接触すら必要とせず、空気、熱、あるいは情報…
媒介となるものは第三次世界大戦が終結したとされる2170年当時でも特定されていないとのこと。
また、潜伏期間は不定であり、数時間で発現する例もあれば、数年にわたり沈黙を保つケースも確認されている。
だが、一度“起動”すればもはや不可逆。
宿主の細胞構造は段階的に再編成され、やがてそれは生存ではなく変質と呼ぶべき状態へと移行する…だそうだ。
そこに記されていたのは、存在しているにも関わらず、姿を持たない兵器だった。
拡散は静かで痕跡はほとんど残らない。だが確実に世界を内側から書き換えていく。
資料の最後はこう締め括られていた。
「結論:これは兵器ではない。終焉そのものが形を得た存在である」
「何だか俺たちが生きた時代の後世ではとんでもない事が起きるみたいだな」グエンは未だに今いる時代が2256年以降であるという事実に半信半疑だった。
確かに食料品の製造年月日以外に確たる証拠がないのだ。
また、食品類に腐食が見当たらないことから、それほどかけ離れてはいないだろうが、逆に2260年や多く見積もって2265年の可能性だってある。
さらにはそもそも飛行機や船の類を一切見ないのに、あの食料や雑品がどうやってこの島に搬入されているのかという大きな謎が解消されないまま未だ残っていた。
あまりにも大きな謎を数多く残した一同は、ネメシスを発見してから、居住エリアを地下へ移したかというと、決してそういうわけではなかった。謎多き実験施設というものには独特の不気味さがあり、特に女性陣が嫌がったことで、食料の補充、シャワーの利用、探索以外の目的で訪れることはなかった。
そんな理由から未だキャンプ生活を余儀なくされていた折、シャオユーら女子大生3人組が不可解な体験をしていた。
「やっぱり間違いないわ!誰かが入ってきたとしか考えられない!」
「どうかしたのかい?」バオが声を掛ける。
「昨日の夜にメイリンが置いていたバックパックの位置が変わってるのよ。それとね…」
三人の話では、ここ3日ぐらい何かに見られているような気がするのだという。
「キャンプの外側から覗かれていたような気がしたんだけどね、ほんの一瞬だから見間違いかもしれなくて…でもこの前なんて夜中に目が覚めちゃって、しばらく眠れなくなってたんだけど、あそこら辺で3、4人ぐらいの人が歩いているような音がしてたのよ。夜中の2時近くだと思うんだけど、しばらくした後、足音が遠ざかっていったから、そんな時間に私達の中の誰かってことではないと思うんだ」
ユーシンが森の方を指差しながら説明をした。
「気味が悪いじゃない、だからせめて皆で物の位置だけは常に確認しておくようにしてたの。それで昨夜はメイリンがわざとテントの外側にバックパックを出していたんだけどね、その位置が少し動いてたのよ。三人で確認してたから間違いないわ」
島へ来てから、意外にも平和慣れしてしまっていたこともあり、寝る時も特に見張りを付けたりといったことはしていなかった。
「それではしばらくの間、寝る時は交代で見張るようにしましょうか?」進一の提案で0時からテントを共にしているもの同士を一つのチームとし、6つのグループに分かれて1時間交代で見張ろうということに決まった。
始めてから2日は何事も無く過ぎていった。
動きがあったのは3日目の夜のことだった。
その日の2時から3時の1時間は、バオとミンが見張り役に当たっていた。
1時から2時までを担当していた進一と成瀬チームから交代したのち、40分ほどが経過した頃だった。
時刻にして2時40分頃。
「しっ!バオ、今の音聞こえたかい?」
「ああ、あっちの方からだね!行ってみよう」
見張りといっても、相手に警戒されないよう、テントの中で起きて耳を澄ませているだけに留めており、テントを出るのは交代を知らせに行くときだけだった。
そのときには念のため懐中電灯の他、バールや大きめのスパナを護身用にバトンリレーしていく。
バオとミンも片手に工具を持ち、足音を立てないようにゆっくりとテントの外に出た。
「足音だけじゃない…話し声が聞こえる」
「森の中に入っておよそ5mってところか!?近いな」
見張りの取り決めとして、不審な音が聞こえた場合には、必ず他の男性チームを呼び起こし、最低でも4人で確認を行うこと。また、相手から何かしらの攻撃を受けた場合、またはこちらから取り押さえにかかる際には大声で全員を呼び起こすことにしていた。
どういった者がどれくらいの人数で、何の目的で近づいて来ているのかは分からないが、日中穏やかに近づいてくるわけではないところを見ると、少なくとも好意的ではないのだろう。最悪の場合挟撃される可能性もある
バオとミンは次の交代チームであるグエンとアーロンを静かに起こした。
2人とも不審な音には気づいていたようで、直ぐにテントの外に出てきた。
「あっちだな」
蚊の鳴くような声で囁きながら音のする方へと歩を進める。
相手も明かりの類を灯していないのか、漆黒の闇が辺りを包んでいた。
それでも月明かりを頼りに森の入り口まで近づく。
近づくにつれてバオの呼吸は酷く浅くなり、胸の内側を叩く鼓動だけがやけに大きく響いてくるようだ。
数m先、音は聞こえなくなっていたが、生き物の気配が色濃く感じられる距離に差し掛かったときだった。バオが後ろを振り向き合図をした。
「みんな!起きろっ!」大声と同時に気配のする先へ懐中電灯の灯りを浴びせた。
懐中電灯が照らした先には、上半身には何も身に付けていない色の黒い男達が3人立ちすくんでおり、手には光るものを携えていた。
だが、大声で叫んだ事でその気配が大きく揺れ、次の瞬間、彼らは突然奇声を上げたかと思うと森の中へもの凄い速さで消え入った。
「待てっ!」
すぐさま後を追おうとするグエンを、アーロンが慌てて手で制した。
「森の中で彼らの足には到底敵わない!次の機会を待とう」
その機会が再び訪れるのは8年後のことだった…




