第六章 願い、祈って 7
「じゃあ、槍をぐるっと振り回すんで。その勢いと隼人さんのジャンプで跳んでってください」
大鎌を再び展開させ、槍にして石突の近くを両手で持つ。数回バットの要領で素振りをしてから、隼人に位置についてもらった。
「私も同行するが、構わないね」
「アレ殺したついでに腹いせで俺も始末しようとすんなよ」
「しないさ。君を殺す理由がないのでね」
なんだか自分が言ったことのある言葉ばかり返されている気がする。似ている気がして不愉快だ。こんな外道と一緒にされても困る。
──いや、一緒くたにしてんのは俺の方か。
そういう思考が回る時点で、心当たりがある証拠だ。
「そろそろ開くな。飛ばしてくれ」
隼人が眼鏡ケースからサングラスを取り出してかけた。
「──っス!」
頭上で槍を振り回し、勢いをつけてからフルスイング。少し前にいた隼人がその場で跳びあがり、両足が槍の刀身に乗る。
「いっけぇ───ッ!」
強烈な反動を堪えて、思いきり槍を振り抜く。
弾丸のように飛んでいった隼人は肉塊の幻光蟲に接近すると、ガントレットから紫電を迸らせた。
「吹き飛べ──ッ!」
刹那、雷鳴が響き渡る。耳をつんざく轟音と視界を潰されるような閃光が辺り一面を一瞬覆い、視界が戻ったころには肉塊の幻光蟲は綺麗さっぱり姿を消していた。
隼人の姿もない。一緒に裏世界へ突入したようだ。残ったのは、次元の向こう側を映した鏡の門だけ。
「じゃ、幹久さん後頼むっすよ」
「やだなぁ……ドンパチやってる間に警察来たらどう説明しようこれ……」
「来る訳ねぇだろ⁉ サツならもう来てんだよ!」
心配そうにぼやく幹久を、屋上にいる環奈が大声で叱咤した。
確かに彼女は灘警察の所属だった。口添えは既に済ませているのだろう。
「御剣少年! 鏡面ゲートの維持はしとくが、向こうから出てくる幻光蟲の処理は幹久まかせだ! 俺のためにもできる限り早く済ませろ!」
「りょーかいっす!!」
「さて、行くかね翔矢君」
「せいぜい死なねぇようにしてくださいよ。そしたら死体、バラバラにしてから持って帰ってやるから」
「とんだ嫌がらせだ、酷い男だな君は」
「否定できねぇのが嫌なとこっすね」
なんだか道を踏み外した自分を見ているようでイライラする。同族嫌悪という奴かもしれない。
二人の静かな言い争いを、リルが不思議そうに見ていた。
「んじゃ、行ってくるわ」
槍を大鎌に変え、肩に担いで開いた鏡の門へ向かう。
「……ご武運を」
気を引き締めたリルの声を背後に、朱のサングラスのブリッジを押してかけ直す。蛍火が溢れ出続けるゲートは波紋を立てて、踏み込んだ翔矢を飲み込んだ。
*
青い地面と黄色い空。左右が反転しただけの裏世界では、隼人が既に交戦中だった。
肉が焼けて焦げ臭い。ひっきりなしに轟く雷で鼓膜が破れそうだ。
『わからぬ、わからぬ、分からぬ! なぜ邪魔をする⁉』
「それは君、ちょっと面倒を見た子が殺されそうってなってたら、そりゃあ助けるだろう? それだけなんだけれどね」
『あるべき形に、戻るだけだ! 死ではない!』
「いいや違うね。散々ヒトを食って勉強してきたみたいだが、欠片も理解できてないようだ」
再びの轟音と共に、隼人が肉塊の側方を撃ち抜く。隼人は飄々とした様子を崩さないまま肉塊の幻光蟲を煽った。
「君はヒトの本質というものを理解していない。だからリル君に先を越されるんだよ」
『いいや! いいや! アレがヒトを解したならば、我等もまたヒトを解せたはずだ!』
「仮定に過ぎないんだけどねぇ、それ」
対峙する肉塊は、更に形態変化を進めていた。
手足から足や手が伸びて連結し、長さを増している。体表のいたるところに口や目ができ、同時に喋って一つを見つめる。
幻光蟲の模倣品はオリジナルあってのものだ。この肉塊が人間を模したものだというのなら、随分と不可解だが──溜め込まれた感情エネルギーによって暴走している可能性も否めない。人間の体には目と口と手足があります、という情報だけ仕入れ、数を計算に入れていないような具現化の仕方だ。
「なんだあれ、俺らをけなしてんのか?」
「随分醜い姿だな。理子の体を使ってこの有様とは、不愉快極まる」
『オオオオオオオオオっ!』
地鳴りのような咆哮に肩を竦め、翔矢は大鎌を構えた。
先ほどから隼人が雷撃を纏った打撃を繰り返しているが、どうにも効果があるように見られない。巨体の表面を焼いたところで、内部的なダメージは殆どないのだ。
そもそも、アレをどう沈黙させるか。増殖は続いているし、やたらに攻撃を加えてもジリ貧だ。
なら、生きたまま解体すれば動けなくなるし、再生もできなくなる。
「隼人さん、俺がやるっす。分解すりゃその内動かなくなるか核に辿り着くっしょ」
直列に繋がった手足が振り下ろされるのを翔矢は真っ直ぐ見つめた。
一閃。大鎌を振り抜き、人間の胴体ほどはあろう腕を両断する。
青い床に落ちたは翔矢に目もくれず鏡の門へ向かおうとするが、現れた汚泥に絡めとられてもがいていた。長谷川が篭鐘を鳴らし、鏡の門周辺に底なし沼を設置したようだ。
「翔矢君、リル君は」
「置いてきました。ここにいると真っ先に狙われるだろうし」
「賢明な判断だ」
「こちらも長く持たないぞ。早く楽にしてやってくれ」
誰のせいだ誰の、と愚痴りかけたが、長谷川とて娘の遺体を好き放題されるのは不服だろう。
どちらにせよ、己が駆る幻光蟲への負担が激しい。大元である幻光蟲の主に刃を向けるのは仲間割れになるし、干渉は常にされているはずだ。大鎌の切れ味が普段よりも悪いのは、主が常に同化するよう働きかけているからに過ぎない。
ここは幻光蟲が住む次元だ。その管理機構が出てきたというなら、幻光蟲との繋がりを簒奪されかねない。長谷川が長く持たないと言っているのは、恐らくそういう意図があってのことだ。
「さて、骨が折れるだろうがバラバラにしますかぁ」
「できる限り引き付けよう。極力、早めに本体を引きずり出してほしいな……彼の娘の遺体なんだって?」
隼人が親指で長谷川を示した。細かい情報は教えていないが、会話の節々から察したようだ。
「遺体を弄ぼうなんて、許せないなぁ」
隼人がいつものように穏やかな台詞から、一瞬で修羅の如き雰囲気を身に纏う。
「だから蟲なんだよ、お前たちは──ッ!」
怒気に翔矢が気圧されそうなほどだった。一瞬で横から姿を消した隼人が、肉塊の幻光蟲に真正面から拳を打ち込む。稲妻は肉塊の表面を走り、打撃による攻撃よりも雷による内部ダメージの蓄積に戦術を変えたようだった。
どちらにせよ、肉体増殖の大元である理子の体を取り出さなければ終わらない。そのためには動きを止める必要があって、深奥を切り開くための進路が必要だ。
まずは五感を潰す。隼人に続いて翔矢も跳躍し、肉塊に生えた目を切り裂いた。
血は出ない。数は多いが、再生しないので終わりはある。視界を潰して、手足を潰し、口が密集する場所を切り開く。
『あの個体さえ! 帰ってくれば、我々はヒトをもっと知れる! ならば我等はヒトになれる! 我らは、ヒトを!』
眼球に鎌を突き刺し、肉塊にぶら下がっていた翔矢の耳に騒音レベルの独白が届いた。
「成れねぇよ。分かんねぇのか、なんでリルが戻ることを拒否ったのか」
ぐらりと頭が揺れ、頭痛に顔をしかめる。幻光蟲のみならず翔矢にも干渉を仕掛けているのか、一瞬意識が飛びそうになる。
それでも、もう自分を失わない。薄らぐ意識を、そのままにしようとも思わない。
「お前らは俺らをなんだと思ってんだ?」
幻光蟲には心がない。真似できるのは感情と記憶だけで、その基礎部分まで理解できるわけではない。模倣という性質故に、彼らは己で何かを生み出せない。
ならばヒトは何かを生み出せるのかと問われると、それも違うと思う。
ヒトは、何かを見出す生き物だ。
例えば、行いに喜びを。
喪失に悲しみを。
嘲りに怒りを。
娯楽に楽しさを覚え、祈りに縋り、願いに感銘を受け。
決意に咆え、嘆きに同情し、時に無常を憤るヒトは。
己と異なる他に、愛を見出す。
それらは全て、物体に対して生じる感情だ。
仮に目に見えぬ概念であろうとも、深掘れば必ず物質の存在がある。
そうした、物体や物体に対して見出した感情を、幻光蟲は理解できない。
翔矢がリルを、姉の記憶を繋ぎ止める希望と見出したように。
リルが、瑠璃の複製体だった姉の願いに、祈りを見出したように。
彼らがいう所の難解な思考というものは、有限に対する思考だ。
有限の先にあるのは無であるが、虚ではない。
リルは個を知った。ヒトは何かを愛することを知った。
そして愛した物は、物体が失われても記憶が繋がっていく限り、存在した事実はなくならない。
自愛であれ、他愛であれ。
限りあるものを愛する事ことが、ヒトの条件だ。
それを、ただの幻光蟲が達成できるとは思わない。
己に経験できぬからと末端を切り離し、その経験だけを吸い取るやり方では、到底辿り着くとは思えない。
主と呼ばれる集合体に、理解するだけの知能があるからではない。
末端が体験した出来事を、自分事として処理できないからだ。
「お前にッ、ひとつでも大切なものがあるか⁉ どうなんだよ、あぁ⁉」
そもそも、大切に思うという感情を、誰かの模倣体から吸収しているかどうかも怪しかった。
必要だと思っている感情が幻光蟲の趣向になる。不要なものを排除するために、無味として設定している可能性もある。
だから──簡単に言うと、欲だ。
我欲が、ない。
愛することも、欲望なのだ。
「後生だから教えてやるよ!」
翔矢の周りの肉が盛り上がり、何本もの腕が這い出て肉塊に押し込もうと覆ってくる。大鎌の切っ先を引き抜いて体を捻りながら鎌を振るう。
回転と共に、連結した手足が輪切りにされた。拳サイズに切断された腕は落下し、肉塊の足元付近を覆う泥沼に落ちて絡めとられている。
「なんで邪魔すんのかって聞いてたよなぁ!」
雷鳴が鳴り響く。雷の如き瞬発力で、隼人が肉塊の頭上から雷撃を振り落とし続けている。
「お前が俺から、リルを奪おうとするからだ──っ!」
感情を隠さずに咆えると、徐々に大鎌の切れ味が戻ってくる。幻光蟲に干渉されるなら、それを上回るだけの感情エネルギーを送ってやればいいだけの話。
切っ先で瞼を切り裂き、柄で眼球を突き潰す。幾度も雷を当てられて、体が痺れて来たのか再生力が鈍くなっていた。
──おい、本体がどこにあるか分かるか。
幻光蟲に問うと、握った大鎌が独りでに動き始めた。引っ張られるようにして肉塊の上を駆け上がり、たどり着いたのはほぼ天辺に近い場所。人間で言えば、脳のある場所だ。
人間を模しているなら、心臓か脳の部位にあるんじゃないかと思っていたが道理である。
記憶は脳に宿り、魂は心臓に宿る。魂が抜けた死体だったのなら、中核となるのは記憶がある脳だけだ。
動きを止めるだけなら、処理するのは片方でいい。回収機構が理子の存在を間借りしたというなら、そこを潰せば繋がりが断たれて崩壊するはずだ。
「ここにあるのかな」
「っす! とりま切り開いて探します!」
「この巨体だ、そこそこ深い場所にあるだろう」
隼人が、少し離れてくれと翔矢を制止して跳び上がる。一旦肉塊の上から降りた翔矢は、槍に変化させた槍を肉塊に突き刺して足場にした。
生肉を触っているみたいで不愉快だ。頭上を見上げると、隼人がガントレットから雷を放出している。制御もできず無作為に落ちるばかりの雷は、今だけは意志を持ち、ガントレットに集まって細長く槍の形状を取る。
派手だなぁ、と翔矢は思った。残念ながら、翔矢の周りを欺く能力は地味だ。地味だからこそ、自分にしかできないこともあるだろうとは思うが。
「そろそろ沈んでくれないかな──!」
雷の槍が降り落ちる。太くうねる稲光が、莫大なエネルギーを伴って肉塊の幻光蟲を狙撃する。
翔矢は槍の先端に黒衣で作った紐を取り付け、雷の着弾点に振り投げる。紐を巻き取って再び天辺に辿り着くと、辺り一面焦げ臭く、焼かれて硬化した肉の大地ができていた。
「後、やるっす」
「できる限り動きは止めよう。痺れないように」
「それは隼人さんの加減次第っすよ」
雷によるダメージを与えるのには長けているが、隼人は物を斬ることはできない。ただ壊すだけの力だよと自嘲していたのは、いつだっただろうか。
誘導するように動き続ける大鎌に従って焼けた肉を切り捌く。塊を削ぎ、ブロック状に切り分けて掘り進めていくと、肉塊の中に人間の皮膚が見えた。槍を大型ナイフに変化させ、遺体を傷つけないよう慎重に周りの肉を剥いでいく。
「……あった」
周りを覆う肉が生暖かい中、全く動かない、冷たい死体が出てきた。
割れた顎はそのまま、大きく開いていた。中身も骨が通っているだけで肉はなく、内蔵が空っぽだ。増殖の基点に内臓を選んだのだろう。
正直言ってグロい。こればかりは翔矢の能力で斬ったものではないので、体液が流れ出ている。
「……聞いとけばよかったな」
頭を潰す必要がある。壊せばいいだけだから、半分に切断するだけでも器としての機能はなくなるだろう。
でも、長谷川の娘の体だ。こんな惨状になってから、尚も刃を入れなければならないのは少々心苦しい。
自分ならどうするだろうか。彼女の体が壊されることより、別の何かに使われることの方が、嫌だろうか。
一思いに壊してしまおう。
斬るのではなく、叩き潰す。大鎌を反転させ、刃の根本を振り下ろした。
鈍い振動と共に遺体の頭蓋が砕けた。真っ二つに割れて、辺り一面にぼろぼろと肉片が吹き飛んだ。




