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君のカンパニュラ  作者: 9どう?亜依


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43/52

優先確認対象(草案)

 夜の〇△メディアは、蛍光灯の白が紙の匂いを濃くする。

 旧企画室の机に、プリント三束、レシート、USB(LOCK)、そして市松コピー

 手の甲の「現」をなぞいだ指先が、まだ少し震えている。


「——始めよう」

 言うと、大輔は頷き、椅子を引いた。背もたれが控えめに軋む。

「可愛い智子に……頼みがある」

「どうぞ」

「正式書式でいこう。“優先確認対象”としてBellflower_∞を社内ルールに載せる。下書きは君。俺は面倒を運ぶ」

「運ぶ?」

「総務・情報システム・法務——ハンコの順路。俺、こういう行脚にだけは向いてる」

 まったく。向いていない顔で、向いていることを言う。


 私はPCを立ち上げ、ネットワークを切断した。

 ローカルの白紙に、まずタイトルを書き込む。


> 優先確認対象(案)

件名:提示系記録(Bellflower_∞)の検証運用移行について


 カーソルが点滅するたび、胸の奥が少し落ち着く。

 “観察”ではなく“検証”。——言葉を先に。


「章立て、六つ」私は指を折る。

「一、目的。二、定義。三、固定化手順。四、外部証跡。五、危険と回避。六、運用権限と責任——」

「七を足して」大輔が合いの手を入れる。「雑音の保持」

「……いいわね」

 きれいすぎる証拠は、置換されやすい。面倒とムラは、灰が嫌う。


 キーボードを打つ。

 “目的”:提示系記録の編集意図から対象者を保護し、出来事の骨を確保する。

 “定義”:

 ・青(同意)、灰(既成)、アンカー

 ・「映像は参考」。記憶と記録を同一視しない。

 “固定化手順”:

 ・社内プリンタの一時ジャスト市松出力(SYS/CUPSログ紐付け)。

 ・USBはLOCK採用。

 ・レシート/小銭テープ止めによる重さ付与。

 “外部証跡”:

 ・消防署前複合機、◯△駅ロッカー、郵便投函音(ガコン×2)。

 “危険と回避”:

 ・青灰非接触。注視をスイッチにしない。

 ・“普通”を挟む(会話三題:コーヒー/遅延/猫)。

 “権限”:

 ・主管:情報管理室。協力:総務・広報。

 ・臨時監査役:第三者一名(内部外縁)。


 ここまで一息に打ったところで、画面の変換候補が勝手に滑った。

 《映像は証拠》

 ——違う。私はキーを叩いてキャンセルする。

 《映像は参考》

 戻る。戻した分だけ、肩の力が抜ける。


「証跡の“市松”、添付できる?」

「できる。原紙じゃなく、コピー」

「猫の毛、つけていい?」

「え」

 振り向くと、大輔は真顔で封筒を差し出した。封筒の口に、白い毛が一本、ふわり。

「芦沢の猫、今日スーツに乗ってた。雑音の保持に最適」

「返すとき怒られるわよ」

「“返すとき”が来るなら、それは平和だ」

 仕方なく、市松コピーの端にほんの少し毛を貼る。見えないくらい、でも剥がせば分かるくらい。


 そのとき、旧企画室のドアが二回、やわらかくノックされた。

 私と大輔は視線を合わせ、声を潜める。

「——どうぞ」

 隙間から顔を出したのは、芦沢だった。肩に雨粒、手に透明の傘。

「やっぱり、君らだと思った。灯りがさ」

「課長」

「猫の毛、返してくれよ?」

 やっぱり見えてた。


 芦沢は室内を一周見て、机の上の書類に眉を上げた。

「“優先確認対象”。懐かしいな。昔、社内の偽装記事対策で一度だけ立ち上げた」

 耳が跳ねた。

「運用、残ってますか」

「ログだけな。……それ、持っていけ」

 彼は胸ポケットから、くたびれた回覧板のゴム印を出す。

 日付と時刻を合わせるタイプ。インクは黒、縁が欠けている。

「面倒なやつだ。押すと歪む。けど、それがいい。灰はこういう癖もの嫌いだろ」

「課長、署名を——」

「目は通す。いま捺すのは、俺の仕事じゃない」

 そう言って、芦沢は軽く笑い、傘の先で床をとん、と叩いた。

「ところで、お前ら。今夜、◯△駅で“笑ってた”な。誰かに見られてるなら、笑いは強い。忘れるな」


 足音が遠ざかる。

 私は呼吸を整え、草案の末尾に一行を足す。


> 付記:笑いの挿入(観察構造における非同調化)。三十秒以上、三往復以内。


 プリント三部。

 芦沢のゴム印を、わざと少し斜めに押す。

 じわ、とインクが広がり、外周が欠ける。

 歪みは、私たちの味方。


「提出順路」

 大輔が肩を回す。「まず総務。次に情報システム。法務は朝」

「今から総務?」

「夜間ポスト。ここで入れれば、“この場所で”入れたって事実になる」

「わかった。じゃあ——」

 私はUSB(LOCK)の控えと、市松コピーの一つ、そしてレシート半片をホッチキスで雑に綴じた。

 針は対角に二本。わざと曲げて、裏で折る。

 きれいすぎる綴じは、置換にやさしすぎる。


「出発前に、もう一件……」

 大輔が、わずかに悪戯っぽい目をする。来た。

「可愛い智子に頼みがある」

「はい」

「俺の分の“現”も、書いて」

 彼は袖口の印を撫でる。雨で薄くなっていた。

「綺麗な字じゃなくていい。——君の字が、欲しい」

 胸が痛いほど温かくなる。

 私は彼の手の甲に、インクが乗るぎりぎりの力で、「現」を一文字。

 線は震え、少し傾いて、でも確かにそこに残った。


「ありがとう」

「三回目、使ったからね」

「じゃあ次は綺麗から始める」

「却下」

 笑って、ドアを開ける。


 廊下の突き当たり、夜間ポストの前で一度だけ足が止まった。

 スリットの金属がひんやりして、中の空洞が雨の音を拾っている。

 封筒を押し込む。ガコン。

 もう一通。ガコン。

 深夜のフロアに、確かな音が二つ残った。


 戻るとき、旧企画室の扉の下に薄い影が落ちていた。

 紙ではない。金属の小さな……鈴。

 指先が勝手に動きそうになり、私は慌てて手の甲の「現」を押さえた。

「触らない」

 声に出す。

 大輔も頷き、鈴をまたいで通った。


 机の上の草案は、三部のうち一部を残してスタンドに立てる。

 風がわずかに走り、ページの角がめくれた。

 そこに、猫の毛が一筋、光った。

 ——雑音は、骨になる。


「行こう」

「行こう」

 私たちは灯りを落とし、廊下へ出た。

 港北の夜風は、紙にとって一番の監査役。

 Bellflower_∞の影は、遅れてついてくる。

 追いつかせない。言葉を先に、現実を重く。

 ——その手順で、今夜は眠る。



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