記録の断面
動画を再生するたびに、
自分の中の何かが少しずつ削れていくのを感じていた。
Bellflower_02。
その映像だけは、他のどれとも違っていた。
映っていたのは、ある男。
カメラを向けられていると気づいた瞬間、彼は正面を見据えた。
そして、まるでレンズの先に“撮影者”が誰か分かっているように、微笑んだ。
その微笑みが、どうしようもなく——
俺の中の“記録者としての倫理”を壊していった。
Bellflowerに関わったのは、ちょうど一年前。
社内の観察プロジェクトの一環として、いくつかの人物の行動ログと映像記録をまとめていた。
目的は「職場環境の改善」とされていたが、裏では一部の社員が“行動特性”を数値化する実験に使われていた。
俺は記録側だった。
清掃や書類配送の名目でオフィスを巡り、設置したカメラやICタグのデータを回収する。
正直、罪悪感はあった。
だが、それでも“これは安全なラインだ”と思い込める範囲だった。
あの映像を見るまでは。
#02の映像には、明確な“敵意”があった。
対象者の視線、立ち振る舞い、言葉の節々。
彼はただ記録されているのではなかった。
こちらを“試して”いた。
その男が、今も何をしているのかは知らない。
だが映像のラスト、男が手のひらに広げたのは——青い紙片だった。
#02だけは、“観察されること”を逆手に取っていた。
だから怖くなった。
その日を境に、俺はBellflowerから完全に手を引いた。
ガタ、と玄関の扉が開く音がした。
廊下を抜けて、リビングのドアがノックされる。
「お兄ちゃん、いる?」
……来たか。
「入っていいよ」
ドアの隙間から、美咲が顔をのぞかせた。
目元に疲れがあるが、意志ははっきりしている。
「話があるの。仕事のこと——Bellflowerについて」
その言葉で、すべてを察した。
「誰に聞いた?」
「大輔さんと……智子さん。それと、自分でも調べた」
「……そうか」
俺はノートPCの電源を落とし、ふぅ、と息をついた。
「お兄ちゃん、本当は何をしてたの?」
美咲の問いは真っ直ぐだった。
けれど、俺の答えはぐねぐねと濁っている。
「観察、記録、分類……最初はただの業務の延長だったんだ。
社員の行動パターンを分析して、業務効率を高める……なんてね。
でも途中から、明らかに“目的が変わった”。」
「どう変わったの?」
俺は少しだけ黙ってから答える。
「“見張る”ことが目的になった。
それも、誰に言われたわけでもなく、自然と。
たぶん、映像って……見てるうちに麻痺してくるんだ。
その人の中身まで分かった気になって、操作したくなる」
美咲は静かに頷いた。
俺の言葉を責めるでも、逃がすでもなく、ただ“受け止める”態度。
それが、一番つらかった。
「ねえ……#02の映像に、誰が映ってたの?」
その言葉に、思わず手が止まった。
俺は目を逸らし、答えなかった。
だけど、美咲はそれでも訊いた。
まっすぐに、怖がらずに。
「私はもう巻き込まれてる。だったら知りたいの。#02に何があったの?」
俺はしばらく沈黙したあと、ぽつりとつぶやいた。
「……俺だよ」
「……え?」
「Bellflower_02に映っていたのは、俺。
カメラは気づかないふりをしてたけど、最初から分かってた。
俺は、記録されていたことに途中で気づいた。
で、その後……“青い紙片”を使って逆に警告したんだ」
美咲が、初めて目を見開いた。
「どういうこと……?」
「記録されるってことは、“利用される”ってことだ。
対象になると、人間は変わる。
俺は、自分を試したんだ。
どこまで監視に耐えられるか、どう反応するか——」
「でも、崩れかけた」
「……ああ。
だから俺は手を引いた。
そして、#02の映像を“封印”扱いにした。
誰かがあれを再生すれば、俺が何をしてきたかバレる。
俺自身が、“実験体だった”ってことも含めて」
部屋の空気が重たくなる。
でも美咲は、逃げなかった。
「……教えてくれて、ありがとう」
その一言で、俺の中の何かが崩れた。
涙じゃない。ただ、心が緩んだ。
「じゃあ次、何をするつもりなんだ?」
美咲は迷いなく答えた。
「#01のファイルにアクセスしに行く。
桑田さんたちは“順番”に意味を持たせてた。
なら、最初が何だったのかを知りたい」
「美咲、お前は——」
「もう止めないで。
だって私は、“見ようとする子”だから」
そう言って、彼女は立ち上がった。
背中には、もう少女の頃の弱さはなかった。
その足取りは、記録ではなく、選択された者のものだった。




