繋がる点と、濁る線
呼び鈴が鳴ったのは、夕方六時を少し過ぎた頃だった。
大輔と芦沢美咲が並んで立っていたのを見て、私は自然に笑みがこぼれた。
でも、それはほんの一瞬だけ。大輔の表情が、妙に曖昧だったから。
「おじゃまします」
「おじゃまします……失礼します」
美咲は緊張していた。背筋を伸ばして、手土産の箱を抱えて、きょろきょろと部屋の中を見回している。
大輔はというと、無言で部屋の隅に腰をおろし、さっそくノートパソコンを開き始めた。
まるで、何かを言いに来たのではなく、“何かを見せに”来たような態度だった。
テーブルの上に広げられたのは、USBメモリと、小さな紙袋。
袋の中から取り出されたチャック袋には、折りたたまれた紙片。うっすらと青。
「これ、以前あなたが拾った紙片と、同じ種類だと思います」
美咲が言う。私はそれを手に取り、指の感触で確信する。あの日、倉田さんの机の下に落ちていたもの。
でも今回は、文字が書かれていた。
「#05 / BL / T.N」
美咲が紫外線ライトで浮かび上がらせたとき、私は一瞬でそれが“自分”を指していると悟った。
「T.N は……私のイニシャル」
「BL は、Bellflower の略だと仮定しています」
「Bellflower……」
私はつぶやく。大輔が無言でUSBを差し込んだ。
画面にひとつだけ、動画ファイルが表示される。
Bellflower_05.mp4
私はその瞬間、自分の中にある“拒絶”と“好奇心”がせめぎあうのを感じた。
「再生は……してあるの?」
私は問いかける。
大輔はわずかに間をおいて、首を横に振った。
「してない。いや、“できなかった”が近い」
「なんで」
「俺が見ても、あんまり意味がない気がしたんだ」
「意味がない?」
私は少し怒っていた。
怒っているのに、その理由がよく分からなかった。
「……私が、何かに巻き込まれてるかもしれないのに、見なかったの?」
「そう。俺が見たって、誰が撮ったか、なぜ撮られたかまでは分からない。
でも、君が見れば分かるかもしれない。だから……そのときが来るまで、止めておいた」
美咲が静かに口を挟む。
「私も、まだ見ていません。見るべきなのは、智子さんですから」
私はUSBを見つめた。
こんなに小さな物に、こんなに大きな“何か”が詰まっているなんて。
私は覚悟を決め、無言のまま再生ボタンを押した。
映像は静かに始まった。
画面いっぱいに広がるのは、見覚えのある社内の会議室。
天井のライトの色合い。壁のポスター。机の配置。間違いなく、〇△メディアの会議室。
そして——画面中央にいるのは、私だった。
無防備な表情で資料を見つめている。誰かと話している。笑っている。
その会議は、数ヶ月前にあった定例ミーティングのはず。
でも、映像には明らかに“不自然な違和感”があった。
画角。
ズームの速さ。
揺れのなさ。
これは手持ちのスマホじゃない。
監視カメラの映像でもない。
意図して、誰かが撮った動画だった。
数分間、私は息を止めるようにして映像を見た。
そこに“犯罪性”のようなものは映っていない。でも、だからこそ怖い。
これは記録じゃない。
観察だ。
私という存在を、ただ“映すためにだけ”撮られた映像。
私の動き。しぐさ。会話。笑い声。
それらすべてが、
まるで “愛情のない愛” のように切り取られていた。
再生が終わっても、誰も何も言わなかった。
私はUSBをゆっくり引き抜いて、テーブルの上に置いた。
「……気持ち悪いね」
それが、精一杯の言葉だった。
「誰が……撮ったの?」
私は、大輔と美咲を交互に見た。
大輔は言葉を探すようにうつむき、美咲が代わりに答える。
「まだ断定はできません。でも、桑田という清掃業者の男が、複数のUSBを保管しているのを目撃しました」
「社内の?」
「はい。今日、私と大輔さんでカフェで会っていたとき、偶然彼が現れました」
偶然。……いや、違う。
「彼、撒いてるのよ。わざと見せてる。USBも、紙も、全部“見つけさせるため”のもの」
口に出して、自分でもゾッとした。
誰かが仕掛けている。誰かが、私たちを試してる。
「じゃあ、Bellflower_01〜04 も、誰かが……?」
美咲が小さくうなずく。
大輔は黙っていた。
たぶん、何かに気づいている。でも、まだ言葉にできない段階。
私は立ち上がり、カーテン越しに外の景色を見た。
街灯が揺れている。風が強くなってきた。
「私、もう巻き込まれたくないって、ずっと思ってた」
「……でも、もう無理みたい」
背後で、椅子のきしむ音がした。
「見るよ。全部。残りの動画も、紙も。やらなきゃいけないんでしょ?」
大輔が少し目を丸くする。
でもそのあと、いつもの調子で言った。
「今日の君、世界でいちばん綺麗だよ。……ただ、やっぱ面倒な話だなぁ」
私は吹き出しそうになって、それでも笑った。
美咲がカバンからもう一枚、別の紙片を取り出す。
「これ、#03 って書かれてました。今のところ確認できているのは、#03と#05の2つです」
「……じゃあ、#01〜02、#04は?」
「それが問題です。誰かが持っているか、廃棄されたか。
でも私、気づいたことがあるんです」
美咲はそう言って、スマホを取り出した。
画面には、社内の古いバックアップサーバのディレクトリ画面。
Bellflower_01.mp4
Bellflower_03.mp4
Bellflower_05.mp4
抜けている。#02と#04。
「これは……」
「誰かが、“抜いた”んだと思います。意図的に」
私はそのディスプレイを見つめながら思う。
点が線になっていく感覚。
でもその線は、真っ直ぐじゃない。
どこか濁っていて、踏み込んだら足を取られそうな、不安定な泥濘。
でも私はもう逃げない。
これは、私自身の過去と未来に関わる問題だから。




