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二人で




 「だーかーらー!」


 こんこんと、悟から説明されたことによると……

 そもそも、幹事の彼女とはなんともないどころか、今までの恋愛の愚痴から始まり、ある日急に運命の出会いがあって、あっという間に結婚が決まって海外に嫁ぐらしく、それを相談……というか、毎回ほぼ一方的にそれまでの経緯を聞かされていたそうだ。

 つまり幹事を降りなければならず、その引継ぎやらなにやらでまた時間がかかり、なかなかに大変だったらしい。


 「おれは最初っから、百合という大事な人がいるからねって言ってあるし」

 

 口を尖らせ、自分の気持ちを疑うなど心外だ、という表情で私に説明をする悟。


 「だいたいさ、おれが何か言うとすぐ百合は『なんでもない』って引っ込むんだ。取り付く島がないって言うんだぞ? おれは、性格ひっくるめて丸ごと好きだから、なんでも言えよ、その為のおれだろ?」


 「え……その為の、って?」

 「ほんっと百合は謙虚すぎる。いいか? おれは丸ごと好きなの、百合を」

 「うっ、うん」


 躊躇いもなく『好きだ』と言われるたび、かあっと頬が熱くなる。

 食べるものはすべて食べ終わり、食後のお茶を入れていた私の手が揺れてしまい、湯が零れそうで非常に危険だ。


 「でも百合は……まず自分という殻があって、安全な所からおれの事見ているんじゃないかと思ってる。怖いんだろ? その殻壊すの」


 悟のそばのテーブルに湯飲みを置いた手が、止まった。

 よく――分かるのね、悟……

 今年、もう二十八歳になる。親の教育と元彼との長い年月は、そう簡単に崩すことが出来ない。自分さえ我慢すれば、すべてが丸く収まる。そう信じて生きてきたので、いまさら壊すとか、壊さないとかという問題ではないような気がする。


 「だからさー、おれに預けろって」

 「預ける? 誰を?」

 「百合を」

 「ゆ……私を?」

 「そ。百合が考えてる事はおれだって全部分かるわけじゃない。だからちゃんと『言葉で』伝えてくれないかな? おれはそれを、ちゃんとここで受け止めるから。な?」


 ここで、と悟は自分の拳でトントンと胸を叩く。

 私は、すこんと散らばった考えが一つの枠に収まった気がした。

 そうか、そうね、そうだわ。頼っていいのよ。曝け出してもいいのよ。悟なら、必ず受け止めてくれる――

 自分を出すことに臆病になっていた私は、心の傷を癒そう、癒そう、と自分の内面だけしか見ておらず、悟がずっと懐を広げて待っていてくれたことなど気にも留めていなかった。自分という殻を必死で守るあまり、その優しさに甘えていたことすら気付かない……


 「馬鹿は私だわ……」


 隣に座る悟の肩へ、こつんとおでこを当てた。

 奥底では分かっていたの。悟なら私を必ず受け止めてくれること。しかし、今までが今までだったので、悟との距離感に臆病になっていたのだ。これをしたら嫌われるんじゃないか、あれを頼んだら怒られやしないか、と。己を守るための『ちゃんとした自分』で武装するのに必死だった。

 もう、いいのかな。


 「馬鹿なもんか。おれの大事な百合だぞ?」


 私の背中をぽんぽんとあやすように撫で、頭の天辺に頬を寄せる悟。


 「信用していないわけじゃないの。私が、私でいる為に必死すぎたの。ごめんなさい……」

 「気にすんなって。おれだって……んー、おれも百合のことあんま言えないからなあ」

 「え? なにかあったの?」

 「まあな。おれの……あっ、もうこんな時間じゃないか。おれ泊まってっていい? じゃ、シャワー借りる!」


 急に視線が泳ぎ、掛時計に視線を止めた悟は、仕事と終電を言い訳になぜか泊まる流れになった。ここの地方は終電がだいたい二十三時なので、これを逃すと交通手段はタクシーしかなくなる。仕事で遅くなったり飲み会が長引いたりするときは、悟は駅にも会社にも近い私の家で泊まることが、稀にある。だから一応シャツや下着の替えは置いてあるから問題はない……が。

 なにを言いかけたのかしら。

 それが気になって仕方が無い。いつの間にか涙は引っ込んでいた。


 

 食器の片づけをしたり冷凍庫に食材を整頓したりしているうちに、悟は風呂から出てきて、入れ替わりに私がお風呂へ入る。出てきたらもう悟はベッドで寝ていた。

 ――そういうつもりじゃなかったにせよ、それはないんじゃないの?

 私は、ツンと悟の頭をつついて掛け布団を持ち上げ、悟の懐に潜り込んだらあっという間に意識が途絶えた。



 ――ピピピッ、――ピピピッ……

 電子音が頭上で鳴り、手探りで定位置においてある目覚まし時計を止めた。眠い目を擦り、起き上がろうとしたところ体が動かない。――ああそうだった。悟と一緒の布団に寝たからだったわ。

 絡んだ腕をそっと外して朝の支度を始める。女の朝は忙しいのだ。

 コーヒーメーカーのスイッチを入れ、タイマーだけはセットしてあった洗濯物をベランダの柵より少し低い位置にある物干しへ、どんどん掛けていく。今日は晴れの一日で、少し乾燥気味だから外干しで大丈夫そうだと昨夜のテレビニュースで聞いていた。下着類だけは風呂場に吊るしてある小さなピンチハンガーへ干した。洗面所へ行き、顔を洗って化粧水、乳液。髪を梳かしてスタイリング剤をつけ、浸透する間に着替えを済ます。この間に、悟が起きてきて着替えたり洗面所を使うので、私は手鏡で化粧を済まし、朝食の準備へとりかかった。

 ――いつもだったら真っ先に化粧よね。

 急に開き直ったかのような自分の変化に驚いてしまう。悟ならなんでも曝け出して大丈夫だと、目に見えない殻をそっと脱いだ私は、泣いたこともあり、随分とスッキリしていた。

 寝る前にちゃんと腫れぼったい目も冷やしてケアしただけじゃなく、心が。


 朝食は、悟があまり食べない派なので軽めに。

 りんごを八等分に切り、種と皮を取り、更に薄く切る。そして網で軽く焦げ目がつく程度に焼いている間、パンもオーブンレンジのトースター機能を使って焼いた。

 カリカリの表面にバターを塗って、焼いたばかりのりんごを並べ、トーストの半分の面積にシナモンシュガーをまぶして味の変化をつける。

 悟はマグカップにコーヒーメーカーから二人分コーヒーを注いで、テーブルに並べてくれた。


 「じゃ、いただきまーす」

 「いただきます。ん、美味しいわ」


 テレビ番組で紹介されていた料理だけど、りんごだけの甘みとバターの塩気が丁度いいバランスで大変好みなのだ。カリカリッとした食パンに、シャクッとしたりんごの歯ざわりがたまらない。

 ひと噛みすると、焼いたパンの香ばしさ、ちょっとだけ焦げ目のついたりんごの爽やかな甘み、ふんわり香るバターが鼻をくすぐり、朝から幸せな気分に浸れるのだ。

 半分食べたら、今度はシナモンの香りが広がって、これもまた美味しい。


 「悟、今日は外回りだったわよね? ハンカチをアイロンかけたの、引き出しの上から二番目に置いてあるから持っていってね。それからネクタイ。その色もいいけど、今日はあのお客様のところだから紺の方がいいわ」

 「あ、そうか。あっぶねー。百合は頼りになるなあ」

 「それから、週末の旅行は……行けそう?」

 「うん、大丈夫。百合のことだからもう目星つけてるだろ? そこでいいよ」

 「わかった。じゃあ休憩時間に経路とか調べておくわ」

 「百合に任せておけば安心だ。――――だから結婚しよ?」

 「そうね、それ………………えっ」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 なんていった? 悟は……だから、だから結婚しよう、と?

 思わず、トーストの上に乗ったりんごを皿の上に落としてしまうほど、動揺した。


 「えっ、ちょっと待って悟。どういうこと?」

 

 さらりと落とされた悟の爆弾に、私の胸は激しく掻き乱される。そもそも、『だから』ってなによ! 


 「うん。だって……百合のごはん美味しいし、リラックスモードを独り占めしたいし。おれだけなんだろ? その姿見せてくれるの」

 「リ、リラックス、モード……ッ!」


 まったくのスルーで関心なかったのかと思いきや、ちゃんと気付いていたのね!? 今更ながら恥ずかしくなり、体中が発熱した気がする。改めて言われるほど恥ずかしいものはないのだ。


 「ばかだな百合は。そこがいいんだって。おれ『だけ』が知ってるって、最高に――そそられる」


 目を合わせ、一言ずつ言い含めるように区切って、私に伝える悟。どきん、どきん、と心臓が激しく鳴り響く。

 

 「昨日だって随分我慢したんだよ? 夜遅いし明日は仕事あるしって思ってさ、先に寝た振りしてまで……擦り寄ってこられてもうこれワザとじゃねーの? って焦った」

 「……」


 我慢しなくてよかったのに、なんて思わず口について出そうだったのを慌てて押えた。いま火が点かれても、これから仕事だから困る!


 「ごめん、おれも百合に黙ってたことがある。話があるっていったろ? それは……おれ、転勤になるかもってこと」

 「転勤……?」

 「他県の支社から、内々に打診があったんだ。決定ではなかったけれど、課長と相談して引継ぎのようなことはしておこうってことで、仕事と幹事の方、ちょっとずつ進めていた」


 最後まで黙って聞いてほしい、というから、口を挟みたかったが黙って耳を傾ける。


 「だから、アッチコッチ顔を出していた幹事の役もそれぞれ適任かとおもうやつに引き渡したし、課長から頼まれた件も、了解を得て引継ぎをした。女性側の幹事も同時期に事情があったため――ま、結婚なんだけどね。仕事の方の割り振りもおれの場合ちょっと複雑で、引継ぎに時間が――結果百合に寂しい思いをさせちゃったんだけどね」


 コーヒーを飲み、喉を潤した悟は再び口を開く。


 「でも結局転勤はなくなって、おれは現状維持になった。本当だったらこういう相談を真っ先に百合にしたかったけれど、まだ半年しか付き合っていない上に、重過ぎるだろ? だから、おれもあんまり百合だけに気持ちを傾けていられなかったんだ。分かってくれるんじゃないかなって。おれも人の事言えないよな……だから、ごめん」


 ほんとに、私は自分の事だけしか……悟は、一人で悩み、考え、それでもちゃんと前を見て進んでいた。私は勝手に考えて、勝手に落ち込んで……

 考えに沈みそうになる私を引き止めるような、明るい声を悟は出した。

  

 「で、だ。おれね、びっくりしたことがある」

 「びっくり?」

 「うん。百合のこと、ここのところずっと考えていた。玄関開けて「おかえり」って言ってもらえたり、美味しいご飯作ってもらえたり。ちょっと困ったことがあったら、百合に相談して一緒に困りたいな、とか。どう考えてもね、『彼女』に対する未来じゃないんだ。二人でいる、二人で暮らす未来が目に浮かぶ。そう考えるのが自然な自分に驚いた」

 「二人で……暮らす……」


 ひたり、と目が据えられた。

 私は、その目に捕らわれる。


 「付き合った期間は短いけど、期間の問題じゃない。おれは百合がいいし、百合と二人で未来を歩いていきたい。だから――――おれと、結婚してください」


 普段は人好きのする顔立ちに柔和な笑顔を浮かべ、誰とでも会話が弾む悟。しかしよく見ていると、仕事をしているときに、ふと真剣な表情が垣間見える。優しい悟も好きだけど、真剣な表情も好き。人に気を使いすぎるところもあるけれど、ちゃんと一線は越えないバランスのよさも好き。

 一線を越えていいのは、私だけなの。

 私だけを、特別にしてくれる。


 私も、悟じゃなきゃ――嫌なの。気付いたら、考えるより先に返事をしていた。


 「は……はい! 悟、ありがとう」


 じわじわと、喜びがこみ上げてくる。

 昨日までの私はあんなにもうじうじとしていたくせに、余計なことを取り除いたら案外単純に出来ているのかもしれない。

 だけどなんでこんな突然のプロポーズになったのかしら。聞こうと思ったら、悟は私がプロポーズを受けたことにホッとしたのか、床にひっくり返っていた。


 「ちょっと、悟!?」


 慌てて近寄ると、にへ~っと天井向いて笑っていた。手を握ると、小刻みに震えている。


 「ど、どうしたのよ」

 「やっべー……緊張したー……」


 悟が緊張することがあるなんて。

 どうやら、昨日課長や幹事の彼女に煽られて、決心が鈍らないうちにアパートへ来たらしい。連絡を忘れたのはその緊張感からだったと、謝られた。

 

 「だけどそのお陰で、ノーガードの百合を見ることが出来たし、普段のごはんにもありつけた。いいことあったよ」


 と、憎めない笑顔で言われてしまっては怒るに怒れない。

 幸せの連鎖、とはよく言ったもので、社内では二組この春にカップルが生まれ、初夏には社内全員招待した課長の結婚式が行われた。その課長が『どうしても欲しい相手は、ちゃんと捕まえておけ』とすごくすごくすごく当事者以外は激しく頷けるお言葉を悟に語ったそうだ。伝え聞く私も、伝えた悟も、つい生温かい目と乾いた笑いしか浮かばなかったのは仕方が無いというもの。あの執着に比べれば、いろいろ可愛く見えてくるというものだ。オンとオフの切り替えは見習いたいけれど。


 「いつもすごく手をかけてくれる料理もすごく好きだけど、あれは特別な日にとっておいて? おれは昨日の夜みたいなごはんを毎日食べたい。百合のごはんを、ずっとずっと食べていきたい」


 寝転がったままの悟は、隣に跪く私に手を伸ばして頬に触れる。

 親指で唇の輪郭をなぞったかと思うと、さっと後頭部に手を回してぐいっと寄せ、口付けた。

 さっきまで食べていたりんごトーストと、悟の飲んだコーヒーの味が交じり合う。

 そう……結婚するっていうことは、食べるものも共有しあう、そういう仲になることなのね。

 

 唇をそっと離し、名残惜しくもう一度触れ合うだけのキスをして体を起こす。悟も起き上がって、「やっべ、これから会社だってのに……週末までお預けかー」などと嘯く。

 


 玄関に鍵をかけ、二人で最寄り駅まで歩調を合わせて歩き出す。

 やけに朝日が眩しく、心の中は雨上がりの爽やかな空気に触れたみたいにすっきりとしていた。


 「あ、そうだそうだ。百合にお願いがあるんだ」

 「ん? なあに?」

 

 出勤する学生や社会人が多いので、手は繋がないものの二人の間の距離はうんと近い。

 

 「おれの実家の方は、大豆じゃなくて落花生で作る煮豆なんだ。今度、それ作ってくれる?」

 

 自分の生まれ故郷の味を、私に託してくれる。こうやってすり合わせていくのかと思うと、なんともこそばゆくて仕方がない。


 「うん、分かった。悟のおかあさんに、作り方を聞きに行きたいな」

 「結婚したいって、百合を紹介してもいい?」

 「あっ……そ、そうね。あの、えーっと……お手柔らかにお願いします……」


 「おうちでごはん、楽しみにしてる」





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