3話
そこの「神気」は淀んでいた。
いや、「神気」に「淀む」という表現は的確ではないかもしれないが、そうとしか言い表せない「淀み」かただった。
「封じられたのならば、兎も角、自ら檻に閉じこもった割には…なんだ、これは?」
呆れた柘榴の言葉に、紫炎も二藍も無言を返すしかない。
暫くの間の後、ようやく紫炎が口を開く。
「信仰だな」
式神の言葉に少女も頷く。
「自らを封じ、無き者にしてしまえば、自然人の信じる心も遠ざけてしまいます。動かない力はその場に溜まるのみ。それが『淀んだ』という印象に繋がるのだと思います」
そう言って、紫炎の前に右手を差し出すと、青年はその人差し指を軽く噛む。微かに少女は眉を顰め、手にした符に指ににじんだ血で文字を書いた。
「ククク」
喉で柘榴が嗤う。周囲の気配が微妙に変わったからだ。
「餓えているな」
「仕方なかろう。いつの時代からかは知らんが、己自身で封をし、閉じこもったんだ。腹も減る」
何かが違うと思いながらも、少女は淀みの中心へと近づき、その符を置いた。
「おーおー、葛藤していらっしゃる」
柘榴は二藍の手をとり、先ほど紫炎が傷をつけた場所に舌を這わした。すると、見る見る傷跡が消えていく。
傍で見ていると中々艶かしい姿だが、やっている者もやられている者も、艶めいた気配が全く無かった。
周囲の淀みは密度を増していくばかり。しかし、なかなか『餌』に喰らいついてはくれない。
「まぁ、気持ちは解らない訳ではないが、な。自らを封印した者だ。そう簡単に現れる事は矜持が許さぬ…しかし、二藍の気は極上だ。『信心』ではなくても、活力となりえる」
「あと、もう一押し、というところですか?」
首を傾げる少女に青年は頷いた。
「それでは」
ぱぁん、と音を響かせ拍手を打つ。
「六根清浄」
ぱぁ、っと白い光が二藍を包む。
「ふるえ ゆらゆら ふるえ ゆらゆらとふるえ」
しゃん、と鈴の音がする。こちらの鍛冶師に造りを説明し特注で作ってもらったものだ。
周囲の淀みが少しずつ薄らいでいく。
「逆手にでたか」
苦笑まじりの紫炎に柘榴が問うような視線を向けた。
「『餌』で釣るのではなく、周囲を祓って出てこさせる。負荷は大きいが、神の矜持に敬意を払ったんだろう。…柘榴」
「解っている。お出ましだな」
とたんに恐ろしいほどの神気が、先ほど符をおいた場所を中心に辺りに満ちる。陽炎のように不確かな「それ」は陰影でかろうじて人型だとわかるのみ。
『何故我の眠りを妨げる、異世界の者よ』
「お力をお貸しいただきたく」
ふ、と嘲る様な気配が帰ってくる。
『無理に眠りから引き剥がしたそななたちの為に?笑止』
「ならば問う。この世界を創る一環を担いながら、何故放置した」
『獣ごときに答える義務は無い』
その瞬間、気配が変わったのは侮辱された紫炎ではなく、二藍だった。
うわちゃぁ、と柘榴が片手で顔を覆う。紫炎ですら、天を仰ぎ見る。
『何?』
流石に、少し驚いた気配が二藍に向けられた。日頃穏やかな少女が纏うは、漆黒のオーラ。
「今なんとおっしゃいました?」
『獣ごときの質問に答える義務は無い、と申した』
律儀に繰り返し答える相手に、少女は視線を向けた。
「相手を間違えました、紫炎。これは神気を纏ってはいますが、『神』ではありません」
『…娘、もう一度申してみよ』
怒りを微かににじませて、それは二藍に向き直った。漂う怒気は、抑えているにも関わらず、周囲から生き物の気配を遠ざける。唯人であれば、意識を保っているのも難しい。
「神ならば、創りしモノに平等にあらねばなりません。『獣ごとき』と差別をした時点で、あなたはすでに神ではない。…他者が認めても、私は認めません」
袖口から、いつの間に出したのか一枚の札。
『ほう、そのような紙切れ一枚で、我をどうにかしようと思うか』
紫炎と柘榴が動くのを目の端に捕らえながら、ソレは微かに嗤う。
「三方結界」
少女がつぶやくと、二藍、紫炎、柘榴を結んだ線上に結界が張られた。
微かにうなる相手に、柘榴がにやり、と口をゆがめる。
「アンタの言う『獣ごとき』でも、これくらいはできるんだぜ?」
『…貴様』
札を目の高さまで持ち上げ、少女は相手を見据える。
「調伏いたします」