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>>> 後編 






 ポリパリポリ。

 サクサク。

 美味しそうな音を立てながらルイーゼは侍女やメイドと一緒にキッチン内で出来立てのクッキーを食べていた。


「ほんと、信じられないですよ!」


「いいのよ」


 プリプリと怒りながらクッキーを食べる侍女ハンナに、ルイーゼは困ったように笑いながら返事をする。

 侍女ハンナはずっと怒っていた。

 ロッチ侯爵家の後妻はとても性格が悪く最悪だった。男爵家の出の癖にルイーゼの母親から旦那様を奪っただけでなく、奥様が儚くなった途端にこの侯爵家に入り込んで好き勝手しだした。

 本来ならば前妻の娘であり正当なるこの侯爵家の嫡子であるルイーゼお嬢様を大切にしなければいけないのに、この家の夫人になった途端にルイーゼを邪険にし始め自分の娘であるカミラを優遇しだした。それに異を唱える使用人は見境なくクビにすると脅す。

 そんな性格の悪い女に育てられたカミラもクソだった。ルイーゼから色んな物を奪い、遂には婚約者まで奪っていった。そして今度はルイーゼの功績までもを寄越せと言う。

 ハンナからすれば理解ができなかった。


「お嬢様ももっと怒って下さい! 私たちがクビになってもいいじゃないですか!」


「そんなこと……」


 返事に困って苦笑するルイーゼにメイドのシャルも流石にハンナを止めに入った。


「言い過ぎですよ。それにクビになって困るのは私たちじゃないですか」


「でも〜っ!」


 ヤケ食いとばかりにクッキーを3枚一度に口に入れたハンナに、ルイーゼとメイドのシャルが目を合わせて苦笑した。


 そんな時だった。


 ガチャッと大き目の音を立ててキッチンの扉が開いた。そして見たこともない男たちが数名キッチンの中へと入って来る。

 メイドと侍女は慌てて動いてルイーゼを守る様に立った。


「…………」


 このキッチンの中に居たのはルイーゼと侍女2人にメイドが2人。

 そこに押し入って来た男たちは3人。

 その3人の男たちが黙って部屋の中に居た女性たちを見渡して、そしてハンナをジッと見ていた。


「な、なんなんですか、あなた達は!?」


 口いっぱいにクッキーを頬張っているハンナが喋ることができないので、もう一人の侍女サリーが声を出した。

 彼女もクッキーを食べていたので口元を手で触りながら自分の口の周りにクッキーカスが付いていないかを気にしている。

 他のメイドたちやルイーゼまでもが同じ様に口の周りや胸元にクッキーカスが落ちていないか気にして手を忙しなく動かしていた。

 だが全員が突然部屋に入って来た不審者たちを見ていた。ハンナやサリーそしてメイドのシャルは不審者たちを睨みつけた、ルイーゼやメイドのトトは怯えと困惑が入り混じった目をして男たちを見ていた。


「……コホン」


 一番偉そうな男がわざとらしい咳払いを一つした後に口を開いた。


「……クッキーを、食べたのか」


 その言葉にルイーゼたち全員が(いぶか)しげに眉間にシワを寄せた。


「……食べる為に作ったので……」


 ルイーゼが困ったように返事をした。

 クッキーを作ったのに食べないとかあるのか? と顔面に書いてあって聞いた男の方が逆に困ったような顔をした。


「…………?」


 ルイーゼは意味が分からずに怪訝(けげん)な表情をする。


 口いっぱいにクッキーを頬張っていた侍女ハンナが口の中のクッキーを食べ終えて自分用に置いてあったグラスの中のお茶を飲むと、皆が聞こえる程にゴクンと喉を鳴らした。

 そして改めて男たちを睨みつけた。


「貴方たちは誰なんですか!!

 ここはロッチ侯爵邸! そしてここに居られるのはロッチ侯爵家が嫡子、ルイーゼ・ロッチ様ですよ!

 そのルイーゼ様の使用する場所に押しかけてくるとは何事ですか!?」


 先程まで木の実を口に貯めた小動物の様に頬を膨らませていた女性とは思えないような威厳に満ちたハンナの怒鳴り声に男たちは一瞬たじろぐ。

 互いに顔を見回した男たちは、改めて姿勢を正してルイーゼに向き合った。


「我らは国王の指示でここに来ました。

 ルイーゼ様、ここにあるクッキーは貴女様が作られた物ですか?」


 厳しい顔つきになった男がルイーゼを見る。

 ルイーゼは怯みながらもそんな男と向き合った。

 だが何と答えて良いのか困ってしまう。


「……えぇっと…………」


 目を泳がせたルイーゼに男は「あぁ」と続けた。


「侯爵夫人に話は聞いております。

 夫人はクッキーはルイーゼ様が作ったと言っておりましたよ。『カミラが作ったことにしろと言っただけで、カミラはクッキーなんて作っていない』、と」


 それを聞いてルイーゼはホッと息を吐いた。


「……お義母様がそう言われたのでしたら嘘を吐く必要はないのですね。

 はい。ここにあるクッキーは全てわたくしが作りました」


「捨てた物は?」


「え?」


 男の言葉にルイーゼは意味が分からずに聞き返してしまった。

 しかしルイーゼの横でハンナが怒りに顔を赤くして反論した。


「お嬢様が作った物を捨てるなんてありえません!?

 お嬢様の作る物は、お嬢様が失敗作だと言った物でも美味しいのですよ!!

 お嬢様が捨てたって私が食べます!!」


 フンスッ! と鼻息荒く反論する侍女ハンナに、男たちはやはり何とも言えない戸惑いの表情をしていた。






   ◇ ◇ ◇






「あの……、陛下のお使いの方が何故こちらに……?」


 ルイーゼがおずおずと質問する。

 突然押しかけてきて国王の名を出したのだ、尋常(じんじょう)ではないことは確かだろうとルイーゼは思った。

 男たちのリーダーだと思われる男が改めて周りを見渡して硬い声で話し出す。


「今からお伝えする事は他言無用に願います」


「はい」


 ルイーゼは恐れながら返事を返し、侍女たちは生唾を飲み込みながら大きく縦に首を振った。

 それを見て男は口を開く。


「……ジャスティン殿下がお倒れになりました」


「「「「え?」」」」


 その場に居た全員が息を呑んだ。 

 第一王子殿下が……倒れた……?

 言われた言葉を直ぐに受け止めることができずにルイーゼは慌てて聞き返した。


「たっ?! 倒れたとはどういうことですか?!

 ジャスティン様は無事なのですか?!」


 青い顔をしてそう必死に聞き返してきたルイーゼに男たちは何とも言えない顔をする。


「我々には分かりません。

 我々は陛下から、クッキーを作ったとされるルイーゼ様の元へ行き確認しろと指示を受けただけですので」


「か、確認……?」


「ま、まさか……」


 何かに気づいたかのように侍女サリーが青い顔をして口元を手で押さえた。


「……殿下が倒れられたのはカミラ様との茶会の席での事。その時殿下が口にした物は王宮勤めのメイドが淹れたお茶とカミラ様が持ってきた焼菓子だけでした」


 それを聞いてハンナがバンと大きな音を立ててテーブルに手を置いた。


「まさか、クッキーに毒が仕込まれていたなどと言われるのですか?!」


 そのハンナの言葉にメイドたちが更に青褪めて悲鳴じみた声を上げる。


「そんなっ?!」


「無理ですわ!!」


 女性たちから非難の視線を浴びて、男たちは視線を鋭くした。


「それを確認する為に我々が来たのです」


 その言葉は理解できる。できるが……


「でも……」


 ハンナが受け入れられずにそう零した。

 戸惑いしか見せない女性たちに鋭い視線を飛ばしながら王宮からの使者は仕事を始める為に質問を始める。


「カミラ様が王宮へ持ち込んだクッキーと同じ時に作ったクッキーはどれですか?」


 その質問にルイーゼが視線を揺らす。

 その反応に使者の男は眉間にシワを寄せた。


「……あの……」


 戸惑いながらルイーゼは口を開く。


「正直にお話し下さい」


 使者の声は更に厳しくなった。

 後ろめたい事がなければ素直に全てを話せば良いのだ。言い辛い事があるとするならばそれは……

 使者たちがそう思った時、ルイーゼが困った顔で使者たちを見ながら口を開いた。


「……食べました。

 クッキーは皆のお腹の中です……」


 少し恥ずかしげに頬を染めたルイーゼに使者たちの目は一瞬だけ点になる。そして周りの侍女たちに目を向ければ、全員が少しだけ恥ずかしそうに視線を()らした。


「……ここに残っている物は?」


 まだテーブルの上に並べられているクッキーや、籠に詰められている他の焼菓子を指しながら使者は質問する。


「これはカミラが出て行った後から新しく焼いた物ですわ」


 ルイーゼは答える。

 恥ずかしいと思ったのは使者たちが来る前に皆で結構な数のクッキーを食べたからだ。どうせ誰も来ないのだからとムシャムシャポリポリと、皆でお喋りをしながら好きなだけお菓子を食べたのだが、それは淑女としてはとても恥ずかしい行為なので、ルイーゼも侍女たちも使者の男性を相手にそれを知られるのはどうしても羞恥心を感じてしまうのだった……






   ◇ ◇ ◇






 そのことをなんとなく肌で感じた使者たちもなんとも言えない気持ちになりはしたが、それを顔に出すこと無く、厳しい態度を崩さずにルイーゼたちに接した。


「……分かりました。

 ここにある物は全て調べることになります。

 ここに居る全員、部屋を出てもらいますが、その際全員に身体検査をしてもらいます。

 ルイーゼ様も例外ではありません。

 今よりロッチ侯爵邸全てが王家の監視下に置かれます。ルイーゼ様も指示があるまではお部屋に留まり下さい」


「あ、あの、……カミラはどうしているのですか?」


 ルイーゼは気になっている事を質問した。クッキーをジャスティンに持って行ったのはカミラだ。そのカミラに何もない訳がない。

 使者は目を伏せて答えた。


「カミラ様は重要参考人として王宮の部屋に(とど)まっていてもらっております」


「そんな……」


 青褪めるルイーゼにハンナが寄り添う。


「ルイーゼ様……」


 サリーやメイドたちが気遣わしげにルイーゼの側に集まる。

 大変な事が起こってしまったと全員が不安になっていた。

 しかしそんなルイーゼたちを使者たちは放っておく訳にはいかない。


「……この場所の確認の後はルイーゼ様の私室も確認させて頂きますので、こちらの女性騎士が側に付くことをご理解下さい」


 その言葉にハンナが青褪める。


「まぁ!? ルイーゼ様を疑っているのですか?!」


 使者の男を責めるようなハンナの口振りにルイーゼが慌ててハンナを止めた。


「ハンナ、ダメよ。仕方がないことだわ。

 ……部屋に戻っても何も触らずにお待ちしておりますね」


 ルイーゼはそう言って使者たちに頭を下げた。


「……よろしくお願いします。お部屋を確認するのは女性騎士ですのでご安心下さい」


「……はい」


 そうしてルイーゼたちはキッチンを後にした。




   ◇




 自室に戻るルイーゼを義母のナヴィアが鬼の形相で止めた。


「貴女!? 貴女が毒を仕込んだんでしょ!? カミラを()めるなんて何て酷いことをするの!? この人殺し!!」


 そう叫ぶナヴィアを父アントンが苛立たしげに叱る。


「止めるんだ!

 まだ何も分かってはいないだろう!!

 ウチが関係している様な事を断定して口にするんじゃない!!」


 そのアントンの剣幕にナヴィアは怯えるが「でも、あなた……」と戸惑いと不満を滲ませた声を零した。


 そんなナヴィアにルイーゼの後ろにいたハンナが青い顔をして訴える。


「奥様っ! ルイーゼ様はそんなことされません!」


 ハンナに続くようにサリーも声を上げた。


「無理なのです! 奥様!!」


 しかしそんな侍女二人の言葉に義母ナヴィアは怒りを全面に出して反論した。


「クッキーを作ったのがルイーゼなのだからルイーゼ以外にいないじゃないの!?

 捨てられた恨みに毒を(ひそ)ませたんでしょう!!

 そしてそれをカミラの所為にしようとするなんてっ!?!

 なんと恐ろしい子なのかしら!!!!」


 そのナヴィアの叫びにハンナが焦りのままに反論する。


「ですからっ!! それが無理なのです奥様!!

 クッキーを無選別に取って行ったのはカミラ様付きの侍女たちですわ! それに残ったクッキーは私たちが全部食べました!?

 毒が仕込んであったのなら私たちももうどうにかなっております!!」


 そのハンナの言葉に全員が混乱する。『クッキーに毒が仕込まれていたかもしれない』という話を聞いた直ぐ後に『そのクッキーの残りを全部食べた』と言ったのだ。ルイーゼを含めた全員がまさか毒耐性持ちだったなどと馬鹿な事を考える者はいないだろう。良くて『解毒剤を飲んだ』と考えられなくはないが、では王宮の毒見係やカミラが食べるかもしれない可能性をどうやってすり抜けたのか、という事になる。

 毒を仕込んだと騒ぐのは簡単だが、それを実行に移すのが難しいのだ。だってルイーゼは『クッキーを作った()()』なのだから……


「その子が! その子が何かしたに決まってるのよ!!

 カミラがそんなことする訳がないじゃない!? 何故カミラが王子に毒を盛らなきゃいけないのよ?! 理由がないわ!!! だからその子しか居ないじゃない!!!

 その子がやったのよ!!!!」


 ヒステリックに泣き叫ぶナヴィアを周りが困り果てて(なだ)めようとする。


「落ち着いて下さい! 奥様!!」


 ナヴィア付きの侍女たちがどうにかナヴィアを止めようとするが、ナヴィアはルイーゼに掴み掛かろうとして父アントンの護衛騎士により後ろから羽交い締めにされていた。

 ギャアギャアと恐ろしい顔で自分を責める義母にルイーゼは肩をすぼませて立ち尽くすしかなかった。

 そんなルイーゼに父アントンが近づき、疲れ切った顔を振って顎でさっさと行けとルイーゼに指示した。


「……お前は早く部屋に戻れ。

 何もしていなければ気にすることは何もない」


 そう言った父の言葉にルイーゼは軽く頭を下げる。


「はい……失礼します……」


 その場を去るルイーゼの背後で義母ナヴィアの悲痛な叫びが上がる。

 だがルイーゼは振り返らずに自室へと戻った。






   ◇ ◇ ◇






 ルイーゼの義母ナヴィアが騒いだところで事態が進展する事はない。


 王宮からの調査隊はカミラの部屋やルイーゼの部屋にキッチン、それに2人がよく使う場所を重点的に調べた。

 そして嫌がるナヴィアを無視してナヴィアの私室や使用する部屋も調べられた。カミラが毒を仕込んていた場合、母親の手を借りている可能性が高いからだ。

 だがその調査では怪しい物は何も出ては来なかった。


 ルイーゼの部屋やキッチンからは何か分からない粉や液体がいくつか出て来はしたが、全て食材だと判明した。

 毒になる物など何一つ出ては来なかった。



 閉じ込められた王城の一室でカミラはただ訳も分からず泣き叫んでいた。

 自分の目の前で愛する人が倒れた。その時のジャスティンが自分を見る目が脳裏に焼き付いてカミラを不安にさせた。


「わたくしじゃない!

 わたくしは何もしていないわ!!


 何かあったとしたら、それはお義姉様が何かしたのよ?! あのクッキーは本当はお義姉様が作ったんだもの!! わたくしじゃないわ!!

 だから出して!! 家に返してっ!! お母様に会わせて!! ジャスティン様に会わせてよ!! 

 ねぇ!? 誰か!! 誰か来なさいっ!! わたくしはロッチ家の娘よ! ジャスティン様の婚約者よ! 次期王妃なんだから!! こんなところに閉じ込めるなんて不敬よ!!

 わたくしを家に帰してよ!!!!」


 カミラがどれだけ訴えても誰も取り合ってはくれなかった。


 そして……

 懸命な処置も虚しく、ジャスティンは息を引き取った。


 カミラとあの日カミラに付き添っていたカミラ付きの侍女2人と、ジャスティンにお茶を出した侍女たち数名が、重要参考人から『王子殺しの容疑者』へと変わった。


 ジャスティンの身に起こったことは毒を飲んだとしか思えない状態だったが、しかし肝心の毒がどこからも出ては来なかった。

 医者や色んな事件を見てきた歴戦の王宮騎士隊長ですら、ジャスティンの体に起こった症状には見覚えがなかった。

 だから『毒を飲んだのだろう』ということしか憶測できないのだ。病気では絶対にない。外的要因でしかありえないので絶対に犯人がいると思われた。


 お茶かクッキーか。

 しかし王宮勤めの使用人たちの身の回りをどれだけ調べても毒のような物は出てこない。ガゼボや茶会用の食器などを用意した者たち全員の身辺調査などもされたが、特に問題があるような人物は出てこなかった。

 侍女やメイドの誰かがジャスティン王子に邪な想いを抱いて……などの線も考えられたが、全ての者が結婚していたり婚約していたりと自分のパートナーと幸せにしていてその線も無いだろうと結論付けられた。


 そうなるともうクッキーの線しかない。

 しかしカミラがどれだけクッキーを作ったのはルイーゼだと叫んでも、そのルイーゼがどうやって特定のクッキーだけをジャスティンに食べさせたのか? という疑問が浮上する。

 ルイーゼはクッキーを作ったが、それを突然押しかけて奪ったのはカミラの侍女たちで、それを王宮まで持ってきたのもカミラたちだった。

 ジャスティン王子に出す前に王宮の毒見係が2名、自分たちの手でバスケットからクッキーを取り出して食べて問題がないことを確認している。その上で、カミラの手によりジャスティン用の皿の上にクッキーは取り分けられたのだ。


 これを『全てがルイーゼの思惑通り』と言うのは無理があるだろうと誰もが思った。

 もし万が一、その一連の流れを本当にルイーゼが操っていたのだとしたら……それこそ、そんな能力があるのに何故自分に容疑が残るようにした? というさらなる疑問が持ち上がる。そこまでできるのなら、絶対に自分に容疑が掛からないように誘導することが可能だろうと……

 ルイーゼが優秀だと言っても、そこまで常軌を(いっ)したことは出来ないだろう──宰相でも自分には不可能だと言った程のことなので──と全員の意見が一致した。


 そしてそれを証明するかのようにルイーゼの周りからは毒になるようなものは見つからず、できあがっていたクッキーにも毒などは入ってはいなかった。


 クッキーに毒が無いか調べるのは簡単だった。

 刑務所の囚人にルイーゼのクッキーを一枚ずつ食べさせればいいのだ。クッキーが配られた囚人たちは何か分からなかったが久しぶりの甘味だと喜んで食べた。

 ただ美味い甘いと喜ぶ囚人たちに困惑したのは看守たちだった。もしかしたら2・3人は死ぬかと思ったがそんな事はなかった。

 しかし数名の体に変化はあった。腹を下す者、発疹(ほっしん)ができた者、喉の違和感を訴える者、鼻水が出た者、など色んな症状を訴えてはいたがどれも軽いもので、数時間もしない内に収まり、単純に刑務所が汚いせいではないかと他の囚人たちは笑っていた。

 王宮から来ていた調査隊もそんな、数名に一人ひとり違う症状が現れる毒などは聞いたことがないと、だからクッキーは関係がないだろうと呆れながら結論付けた。


 そしてやはり『カミラが移動の馬車の中でクッキーに毒を仕込み、毒見役が取らない場所に毒付きクッキーを隠して毒見をすり抜け、そしてジャスティンの皿に毒付きクッキーを並べたのだろう』という考えが一番納得できるものだという事になった。

 毒は移動途中にいくらでも処分できる。

 侯爵家から王宮へ来る途中で捨てていたならば見つかることはないだろうと結論付けられた。


 そしてそんな結論が出る前。


 第一王子を亡くした国王はロッチ侯爵家への家宅捜索を臣下たちに命令していた。


 可能性がカミラにしかないのなら、必ず毒がどこかにあるはずだと考えられた為だ。

 カミラの親であるロッチ侯爵当主アントンにも捜索の手が回った。カミラを溺愛する当主が庇っている可能性は十分に考えられるからだった。


 アントンがどれだけ抵抗しても王命が出れば反抗こそが命取りになる。後ろめたい事がないのならば全てを(さら)け出せばいいのだ。

 ルイーゼは抵抗もなく全てを受け入れていたが、義母ナヴィアや父アントンは文句を言い続け、どうにか侯爵邸の全てを暴かれないようにしようと口を出していた。

 しかしその行為は逆に調査隊の目を更に厳しくさせた。見られたくないものがあるのだと自分で白状しているようなものだからだ。


 そして調査隊は見つけた。


 侯爵当主の右腕として働いていた執事の部屋から毒らしき粉を……






   ◇ ◇ ◇






 しかし、見つかった粉は今回の事には関係のない物だった。


 ジャスティンに使われたと思われる毒は即効性のあるものだったが、見つかった毒は遅効性のものだった。蓄積型のその毒は何度も何度も摂取しなければ意味のないもので、到底ジャスティンの身に起こった異変と関係ある物だとは思われなかった。


 だがルイーゼは……

 その話を聞いてショックのあまり倒れた。


 そして目覚めた時……ルイーゼは涙を流しながら話し始めた。


「ずっと……おかしいと思っていたのです……

 母は元気が取り柄のような人でした。なのに突然身体が(だる)いと言い出して……それからどんどん弱っていって、その内ベッドから立ち上がれなくなりました……

 お医者様にも診てもらいましたけど、何の病気か分からないって言われて……お母様はいろんなお薬を試したけれど症状は悪化するばかりでした……


 そして小さいわたくしを置いて空へ……


 ……そして母の葬儀が終わると直ぐに義母がこの邸へとやって来たのです。父から、これからは義母を母だと思い実母(はは)の話はするなと言われました。

 これをおかしいと思わない方がおかしいと思いませんかっ? 何故母の話をしてはいけないのです? 何故母が亡くなったばかりだと言うのに幸せそうに他の女性を家に住まわせるのです?!

 何故まだ喪も明けていないのに当然のように愛人が邸に住んでこの家の夫人のような振る舞いをする事を父や周りの大人は誰も不思議に思わないのですか?!

 それをおかしいと思っても仕方がないじゃないですか?!


 ……でもそれを父に訴えても継母や義妹の気持ちを何一つ考えてやれない酷い娘だと叱られました……

 父は……父の態度は、母が亡くなって当然で……()()()()()()()()()()態度でした……」


 震える唇でそう言ったルイーゼが話を聞いていた調査隊を見る。

 その顔は血の気が失せて恐怖に染まっていた。だが目だけはしっかりと強い意志を持ち、調査隊員たちを見ていた。


「あ、あのっ!!

 毒というのは亡くなっても体に残るんですよね?!

 は、母の遺体を調べてはもらえませんか?!

 もしかしたらお母様は……っ!!」


 それ以上は言葉にできずにルイーゼは泣き出してしまった。部屋の隅に待機していた侍女のハンナとサリーが直ぐにルイーゼの側に寄り添い、震えながら泣く彼女を慰めた。

 最後まで聞かなくてもルイーゼが何を言いたいのかを全員が理解した。


『もしかしたらお母様は、

 毒で殺されたのかもしれない!』


 調査隊は直ぐにその話を国王の耳に入れた。

 国王は直ぐ様別の調査隊をルイーゼの実母の墓に向かわせ、その遺体を調べさせた。


 死後10年が経ち、既に白骨化していているだろうと思われたルイーゼの母の遺体は、なんと人の形を保ち、内臓の形が残っていたという。

 そして調べられた結果、そんな神がかり的な異常をもたらしていたのはやはり、毒が体内に影響していたからだと分かった。


 アントン・ロッチは自分の前妻を……ルイーゼの母を殺した毒により、自分の犯行を証明されたのだ。

 

 アントンがどれだけ自分は知らないと騒いだところで、ルイーゼの母を殺して利を得る者はアントンしか居なかった。

 実行したのは執事や他の者かもしれないが、命令したのはロッチ侯爵家当主であるアントンしか考えられず、尋問された執事たちもアントンの命令だったと供述したことにより、ロッチ侯爵家当主アントンは妻殺しの罪により捕まった。



 義母ナヴィアはカミラとアントンが王城に捕まり罪に問われている現実に、突然ルイーゼに媚を売るように擦り寄りだした。だがそれをルイーゼの周りに居た侍女やメイドたちが跳ね除け、ルイーゼには近付かせないようにした。


 そしてその後、アントンとカミラの話が噂話のように貴族の耳を駆け巡ると、話を聞きつけた先代のロッチ侯爵夫妻が慌ててルイーゼの元へとやって来た。

 そしてそんな祖父母の働きにより義母ナヴィアは直ぐにロッチ家から絶縁を叩きつけられ、そしてルイーゼの前から消えた。

 だが、ナヴィアがただ追い出されただけなどとはルイーゼも思ってはいなかった。ルイーゼの母親を殺したのは父アントンだったかもしれないが、それを一番喜んだのはナヴィアだったであろうと誰でも想像できるからだ。祖父母たちもきっとそうだろうとルイーゼは思った。


 ルイーゼの予想通り、祖父母たちはナヴィアを絶縁だけでは許さず、表向きは実家に返した事にして人知れず強制労働場へと送っていた。ナヴィアは逃げようとしたが頭を殴られ失神したところを縄で縛られ、気付いた時には強制労働場の男たちに囲まれていた。

 若いと呼ばれる年齢ではなくなってはいても、ナヴィアはスタイルの良い美女だった。そんな女性が男たちばかりがいる強制労働場に放り込まれれば何をされるかは目に見えている。ナヴィアは抵抗虚しく直ぐに全裸にされて汚れとホコリまみれの男たちの(なぐさ)み者になった。こんな場所にいるくらいなら娼館の方がマシだとナヴィアがどれだけ叫んでも助けが来ることはなかった。


 そして……


 ルイーゼが悲しみにくれている間に、  

 実父は妻殺しの罪により身分剥奪の上で永久投獄となり、

 カミラは王子殺しの罪で処刑された。

 毒による最期だった。


 アントンは刑が下された時になって(ようや)く罪を認めた。

 だがそれでも謝罪の言葉などなかった。

 何故に今頃になって?! 誰かの策略(さくりゃく)だ?! もう今更だろう!! 妻もきっと許してくれている!! 仕方がなかったんだ!! 愛する女を妻にしたかったんだ!! そんな昔の事を言い出すなんておかしいだろうが!! 私はロッチ侯爵家当主なんだぞ!!!!

 そんなアントンの叫びをまともに聞く者は居らず、アントンは猿轡をされて入れば二度と出てくることはない監獄へと送られて行った。


 カミラは最後まで、自分は何もやっていない、知らない、クッキーを作ったのはルイーゼだ、ジャスティン様を愛していた、と訴えたがカミラもまた、その言葉を誰かに受け止めてもらえることはなかった。

 カミラは無理やり唇を開かされて毒を口へと流し込まれ、そして苦しみの中で息絶えた。その死に方はジャスティンと同じ様に見えたという……



 カミラが犯行を否定していた為に動機が分からず終いだったが、カミラがジャスティンに愛を囁く裏で他の令息とも距離を縮めていたことが分かっていた。

 その為にカミラがジャスティンへの愛を叫べば叫ぶほどに疑いの目が強くなったのだ。


『本命の男が他にいたのでは?』

『義姉から婚約者を奪い、一度は王子の婚約者の立場を得て、王子が亡くなれば“悲劇の令嬢”として皆の同情を貰える。

 王子が亡くなったのだからカミラ自身に瑕疵(かし)が無いことは明らかだ。その後本命の男と結ばれても誰にも咎められないだろう』

『その本命の男とは? それが裏で糸を引いていたのでは?』

『いや、そんな人物は見つかってはいない』

『ただカミラが一人で実行したのだろう。カミラが義姉であるルイーゼから物を取るのはロッチ侯爵家では当然のことになっていたようだ。“悲劇の令嬢”になることは後から考えついたのではないか? まず第一王子を義姉から奪うことが目的にあったのだろう』

『取った後で邪魔になったのか』

『毒の入手経路は?』

『まだ捜索中だ。だがアントン・ロッチが妻に使った毒の入手経路もまだ分かってはいない。きっと同じような手を使っているに決まっている』

『恐ろしい親娘だな』



 その一年後、アントンが使った毒の入手経路が分かり、そこから出た毒のどれかがカミラが使った毒だろうと結論付けられた。

 何故そんなに曖昧かというと、毒の製造元がとてつもなく大量の毒を持っていて、それでいて多種多様な毒を作っていたからだった。作っていた本人も既にどれがどの効果か、どれとどれを混ぜて作ったかすらも覚えていないほどだった。

 そこからカミラが使った毒の一つを探し出すのは不可能だと、王家の調査隊は諦めた。

 毒の製造者の男が世界的な指名手配犯であったこともその理由の一つだった。

 男は世界で一番大きな国に連行され、そこで全ての罪を明らかにして罪を償うことになる。カミラやアントンが使ったと思われる毒の調査はそちらへ丸投げされることになり、結果がわかるかどうかも怪しかった……






   ◇ ◇ ◇






 ロッチ侯爵家は一族郎党に罰を与えられることはなかったが、降爵(こうしゃく)は免れなかった。それと同時に王家に莫大な贖罪金(しょくざいきん)を支払い、領地の三分の一を失った。

 温情が見られたのは家族が居なくなりその家族に実母を殺されていたルイーゼへの王家からの優しさだった。


 ロッチ伯爵となったルイーゼの元にはカミラたち側に付くことなくルイーゼを見守っていてくれていた使用人たちが残り、そしてロッチ家を守るために戻ってきたアントンの両親と、ルイーゼの実母の母……ルイーゼの母方の祖母シャンテーゼ・タガート先代伯爵夫人が居た。


 ルイーゼの実母のエリレーゼは伯爵家の出だった。

 その母親でありルイーゼの祖母シャンテーゼはロッチ家の惨状を聞いて直ぐにルイーゼの元に駆け付けた。そして自分たちの息子が起こした殺人にただただ顔面蒼白にして頭を下げるしかないロッチ家先代当主夫妻を睨みつけてこう言った。


「アナタたちの息子はわたくしの娘エリレーゼを殺しましたね。

 そして、エリレーゼが産んだ子供とさして歳の離れてもいない子供を愛人に産ませ、その女とその娘を当然のように家に招き入れて我が孫ルイーゼを冷遇しました。


 それをアナタ方は気付きもせずに今頃現れて優しい祖父母面ですの?

 何故もっと前に気付かなかったのでしょうか?

 アナタ方の息子が再婚する事は聞いておられたのですよね? ()()()()()大切な娘が産んだ孫が邪魔だと思われたのでしたら、何故わたくしどもに連絡して下さらなかったのでしょうか?

 

 嫁に出した娘……、孫と言っても他家の嫡子……、だからわたくし共はロッチ家の迷惑にはならないようにと遠くの領地から2人の幸せを……孫の幸せを願っておりましたのに……


 ですが、全てが分かった今。

 もう()()()()()()は遠くから孫を見守ることは止めました。


 我が娘エリレーゼを殺した男の親などどう信じろと言うのでしょう?


 ですのでわたくし、これからは孫と一緒に暮らしますわ。

 夫や子供たちには話は付けてきましたのでご安心を。勿論、ロッチ家からルイーゼを引き離そうなどとは致しませんわ。

 ルイーゼはこのロッチ伯爵家の当主ですもの。そのサポートを致します」



 その有無を言わせぬシャンテーゼの態度にアントンの親たちは反論することはできなかった。


 元々住んでいた侯爵邸は売り払い、前の邸よりもランクを下げた邸に移り住むことになったルイーゼだったが、それでも大きいと思っていた。予定とは違い、父方の祖父母と母方の祖母が一緒に住むという想像もしていなかった現実にルイーゼや他の使用人たちも目を白黒させていた。

 何より祖母が2人同時に家にいる事になるのだ。

 どうなるのだろうかと、ルイーゼは実父や義妹が処罰された事よりもそっちの方が気になってしまった。



 ともあれ、ルイーゼの周りには突然平穏が訪れた。


 家は醜聞塗れで、罪人の家として陰口を叩かれロッチ家から離れていく人たちも居たが、ルイーゼが()()()()()()()であると理解している者たちは、皆優しくルイーゼに手を差し伸べてくれた。


 母エリレーゼの実家であるタガート伯爵家がロッチ伯爵家の援助に回ってくれたのも大きい。ルイーゼの母エリレーゼが亡くなった後、アントンの意図もありタガート伯爵家はロッチ家から距離を取らされていたが、アントンが居なくなった事でそれもなくなった。

 アントンの両親は息子が嫁を毒殺している手前強く意見など言えなかった。別にタガート伯爵家はロッチ家を乗っ取ろうとしている訳では無い。『()()()()()()()』、むしろ潰れてもおかしくないロッチ伯爵家の為に動いてくれていたのだ。

 そんなタガート伯爵家にロッチ家の者は頭が上がる訳もなく、アントンの両親は常に申し訳無さそうな顔をしながらルイーゼの当主としての仕事や女主人としての仕事をサポートしてくれた。


 家族に罪人が二人も出ているルイーゼに婚姻の申し込みは無い。

 しかしルイーゼはむしろその方が自由だと思った。後継はロッチ家の親族からでも貰えば良い。その方が醜聞の元となる血筋が残らずに伯爵家としての汚点は減り、喜ばれるだろうと思った。


「残念ね、お父様。

 貴方の血はここで途絶えるわ」


 当人は捕まり、娘が王妃になる予定だったのにならず、自分の子供が侯爵家当主すらも引き継げず、アントンの望みは何も残らない。

 でもそれは全て『アントンがした事の結果』だった。






   ◇ ◇ ◇






 当主としての責務は増えたが嫌なことがほぼ無くなったルイーゼは、カミラたちが居た時には感じたことのない穏やかさを感じながら、自分が作ったココムナッツ入りのクッキーを食べて午後のひと時を侍女のハンナやサリーと楽しんでいた。


「ねぇ?」


「はい、お嬢様」


 ルイーゼは突然二人に声を掛けた。穏やかに微笑むルイーゼをハンナとサリーは見返す。

 自分の言葉を待っている2人に、ルイーゼは微笑みながら話し出した。


「質問なんだけど。

 『誰かにとっては毒になる木の実を好んで食べていたら、それを小鳥に奪われました。そして奪われた木の実を小鳥は“毒となる誰かさん”に差し出して、その木の実を食べてしまった“誰かさん”は死んでしまいました。

 さて、この場合悪いのは、“木の実を好んで食べていた人“でしょうか、それとも“木の実を差し出した小鳥”でしょうか?」


 ルイーゼはハンナとサリーに問いかけた。

 ハンナは突然の問題に不思議そうな顔をしながらも、


「当然、小鳥じゃないですか? だって木の実を“奪っていった”んですよね?」


そう答えた。

 サリーも真剣に悩みながら答える。


「誰かにとっては毒だったとしても、食べていた人にとっては“美味しい木の実”だったのであれば、食べていただけで殺人犯とされるのはあまりにも理不尽ではないでしょうか」


 そんなサリーの言葉にハンナが思い出したかのような顔をして声を上げた。


「あ! 毒までとは行かないけど、西にある国に滅茶苦茶くっさい食べ物があって! それをその国の国民は大好物なんだけど、他国の人にとっては匂いだけでも吐きそうになるんですって!

 それをプレゼントするなんて嫌がらせだって言われても困るって話と似てる気がします!

 ルイーゼ様、そうですか?!」


 ニコニコしながら自分を見たハンナにルイーゼは微笑み返した。


「そうね。そんなところよ」


 そんなルイーゼにサリーが目を合わせる。


「プレゼントであれば、そこに『渡した人』の意図が何だったかを考える余地があります。

 しかし『小鳥が運んだ』という、第三者の行動を挟んだのであれば、そこにどんな意図があれ、その意図を遂行(すいこう)するのはほぼ不可能ではないでしょうか?

 ……だからわたくしは、『木の実を好んで食べていた人』に、何かしらの責任があるとは到底思えません」


 真剣にルイーゼを見るそのサリーの瞳の中にある気持ちに気付いて、ルイーゼは嬉しくなる。そして少しだけ困ったようにルイーゼは笑った。

 サリーはルイーゼが()()()()()()()()()を分かっている。そして、分かっていて、ルイーゼに合わせて言葉を選んでくれていた。その事にルイーゼは嬉しくなる。


「フフフ、そうね。

 わたくしもそう思うわ」


 そんなルイーゼを見て、ルイーゼに真剣な眼差しを向けているサリーを見て、ハンナは「わたくしも!」と片手を高々と上げた。


「毒だと知らなくても、運んだ小鳥に何らかの責任があると思います!

 そしてそんな小鳥が運んだよく分からない木の実を疑いもせずに食べた人も悪いと思います!」


「そうなの?」


「そうです! ……ん? でも小鳥は何も知らなかったんだし……食べた方も“食べられる物だと思って”食べた訳だし……でも木の実を食べてた人も“誰かに上げる為に食べていた訳じゃない”し……ん? ん〜???」


 悩みだしてしまったハンナにルイーゼとサリーは苦笑した。

 そしてルイーゼは自分の考えを伝えた。


「犯人なんていないんじゃないかしら?

 全ては事故。悲しい事故。

 そこには誰の意図も(はかりごと)もない、ただ“起こってしまった事実”、なんじゃないしら」


 自分用に用意されたカップの中のお茶を見ながらそう言ったルイーゼにサリーは頷いて同意する。

 ハンナも「事故! そうですよ! 事故ですよ!」と言って大きく頷いた。


 そんな二人にルイーゼは優しく微笑む。

 悲劇の令嬢となったルイーゼの周りにはもう、ルイーゼを(おとし)めようと思う者は誰も居ない。

 やっとルイーゼに平穏が訪れたのだ……











 ルイーゼが思い出した前世の記憶の中にアナフィラキシーショックの知識があったり、ルイーゼが初めてココムナッツクッキーを食べた時のジャスティンとのお茶の席で、ジャスティンがクッキーを食べた後に喉に違和感があると呟いていた事は、ルイーゼしか知らない。

 そして……この世界には『アレルギー』という考えそのものがまだ無いことを、ルイーゼが気付いたことも…………


 だが、ルイーゼはただ『ココムナッツ入りのクッキーを焼いていた』だけで、あの日、カミラがジャスティンと婚約者として会うだろうと、ジャスティンの元婚約者として長年の経験から憶測はできたとしても『本当にカミラが来るかはカミラ次第』だったし、ジャスティンが『本当にココムナッツアレルギーだったか』はルイーゼには知る(すべ)などないことだった。

 だからあれは、『事故』、なのだ。


 ルイーゼが『その可能性がある』事に気付いたところで『その可能性を操れる』訳では無い。

 ルイーゼもまさかジャスティンがココムナッツを食べて死ぬとは思わなかった。そもそも婚約者ではなくなったルイーゼには『ジャスティンにココムナッツを食べさせることなど不可能』なのだ。

 そして別にルイーゼがカミラを誘導した訳でもない。カミラが勝手に嫉妬して、カミラが()()()ルイーゼから奪ったのだ。


 だからルイーゼは『何もしていない』。


 ……()()()()()復讐になるな、なんてことを考えたかもしれないが……、それを誰が証明できるだろうか?



 ──……ジャスティン様はどうしてあんな()が好きだったのかしら……

 あんな……人の物を奪うことに躊躇(ためら)いもない人を……


 ジャスティン様がわたくしの事をもっと大切にしてくださっていたなら……わたくしはきっと、()()()()()()()()()()()()()苦じゃなかったのに……

 人の物を簡単に盗っていく女性を選んだのはジャスティン様、貴方ですわ…………──




 ココムナッツ入りのクッキーを食べながらルイーゼは微笑んだ。


()もこの“味”が大好きだったのよね……」


 ポリッと口の中で砕けるクッキーの甘さに目を閉じる。

 ルイーゼの独り言が耳に入ったハンナが「はい?」とルイーゼを見たが、ルイーゼが目を閉じて幸せそうに微笑んでいるのを見て口を閉じた。


 ロッチ伯爵邸では、今日も穏やかな風が吹いていた……──











[完]


















※現実だと『未必の故意』になるかならないか、って感じみたいですね(° ω° )『盗る方』が100%悪いと思いますけど(-.-;)

※ほぼ書き終わった後にココナツの存在を思い出しましたね。《ココムナッツはココナツに名前が似てるだけの実質『ピーナッツ』です》


※前世から好きだった物で、それも自分が手作りした物で、他の女に取られた男の命を奪った……、ってのはかなりのエモさではないでしょうか?(*^p^*)w



※最後のルイーゼの発言を聞いた後の侍女サリーの心情:

『心優しいお嬢様はカミラ(呼捨)の事をまだ信じておられるのね……だから自分が何かしてしまった所為だと御心を痛めておられるんだわ……そんな訳がないのに……心のどこかで御自分を責めておられるのね……なんてこと……わたくしたちでお嬢様をお支えしなければ……!』

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